風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2011年06月

ヘレン・ケラーの誕生日

6月27日は、三重苦で知られるヘレン・ケラーの誕生日です。

ヘレンは、1880年の今日、アメリカはアラバマ州タスカンビアの地主の娘として、産声を上げました。
しかし、1歳半になった頃、原因不明の高熱と腹痛に襲われ、それがもとで視力と聴力を失ってしまいました。

両親はしかし希望を捨てず、つてを頼ってパーキンス盲学校の校長に手紙を書き、家庭教師を推薦してもらいます。

それで派遣されてやって来たのは、同校を優秀な成績で卒業したアニー・サリバン女史でした。
サリバン女史は、同校での訓練と数度の手術により、ある程度、視力を回復することが出来たそうです。

ヘレンは、サリバン女史の献身的な教育と奉仕により、「言葉の世界」に目覚めていきました。

これまで、サリバン女史に出会うまでのヘレンは、手のつけられない乱暴な少女という先入観を持っていましたが、女史の手記に依れば、ヘレンは聡明で、子どもらしく可愛い少女だったようです。
また、井戸で水に触れて、「水」という言葉を思い出して、それを声に出したという映画のシーンを見たことがありましたが、実際にヘレンが声を出すことが出来たのは、そのときではなく、9歳でサリバン女史の母校であるパーキンス盲学校に入り、そして、10歳を過ぎてボストンの聾学校で発音を学んだのです。

そのときの喜びを、ヘレンは自伝に、「私は校長先生が一言を発するごとに彼女の顔の上に手をあて、その唇の運動や舌の位置を探って、その真似をして、一心に学んだ結果、1時間後には六つの音の要素(M.P.A.S.T.I)を覚えこんだ。かくて私は最初に『It is warm today.(今日は暖かいです)』と、自分には聞えないながらも、声だけは発し得た時の驚きと喜びは、終生忘れ得ないことです。それは聞き取りにくい言葉ではあった。しかし正しく人間の言葉であった。私はこれで永い間の苦悩から救い出された」と書いているそうです。

1904年、ラドクリフ・カレッジ(現ハーバード大学の女子部)を優秀な成績で卒業した後、世界各地で講演活動を行い、視聴覚障害者の福祉活動に献身します。

ヘレンは、1937年に初来日し、11年後の1948年に再来。
これを記念して2年後の1950年、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団と、財団法人西日本ヘレンケラー財団が設立されています。
さらに1955年に3度目の来日を果たし、熱烈な歓迎を受けました。
来日の理由は、1954年に没した朋友・岩橋武夫に花を手向けるためだったそうです。

岩橋武夫は、早稲田大学在学中に失明したため、郷里の大阪に戻り、関西学院に入り、卒業後、盲学校の教師になります。
その後、エジンバラ大学に留学して学位を取得、母校関西学院の講師となりました。
教鞭を執る傍ら、大阪盲人協会の会長職を務めます。
そして、1934年12月、米国にヘレン・ケラーを訪ね、ヘレンに日本の障害者支援の呼びかけを要請しました。
ヘレンの来日は、この要請に基づくものだったのです。
岩橋はその後、身体障害者福祉法の制定に尽力し、1949年12月26日、それが実現しました。

ヘレンの活躍は、サリバン女史なしにはあり得ないことでした。
ヘレンとサリバン女史について描いた劇作家ウィリアム・ギブソンの戯曲「奇跡の人」があります。
ヘレンが井戸水に触れて「ウオーター」と発音したというのは、この戯曲に出てくるギブソンの創作でした。

「奇跡の人」とは、三重の障害を克服したヘレンのことと誤解されている向きがありますが、原題は
「the Miracle Worker」、つまり、ヘレンに奇跡をもたらした人ということで、これは、サリバン女史のことを指しているのです。

サリバン女史は、1887年3月にヘレンの家庭教師となり、1936年10月に70年の生涯を閉じるまで、限りない愛と忍耐をもって、ヘレンを支え続けました。

あらためて、ヘレンは、障害を克服した、奇跡的に障害をなくしたということはありません。
彼女は障害を持って生き続けました。
彼女を助けたサリバン女史も、また、日本の障害者福祉のために尽力した岩橋武夫も、視力障害者でした。

障害者が偉大なことをしたのを、「奇跡」とよぶのは、彼らの努力を無にすることではないでしょうか。

障害の有無が、その人の人格を決めるわけではありません。
時折、「障害者があれだけ頑張っているんだから、健常者はもっと頑張らないと」といった主旨の発言を聞くことがあります。
確かに、障害があるというのは、不便なことがあり、健常者と同じことをするにも、努力を要することがあります。

だから、健常者よりも劣っているなどということはあり得ません。
健常者の方が障害者よりも優れた成績が上げられると考えるのは、思い上がりです。

私はそのことを、松山で牧師をしていたとき、視力障害者の野本春幸さんから教えて頂きました。
何かの時に、野本さんに向かって「めくら蛇に怖じずですね」と言ってしまった後で、取り返しのつかないことを言ったと後悔したのですが、野本さんは、「めくらでも蛇は怖いですよ」と、優しく応じられました。
そして、「視力障害者を盲人、めくらと呼ぶこと自体を差別とは思わない。表現が差別的でなくても、心の中の差別がなくなるわけではない。表現されない差別の方がたちが悪い」と、野本さんは仰ったのです。

蛇を怖がらないのは愚かなこと、めくらは愚かだと考えるから、「めくら蛇に怖じず」という諺が生まれるわけです。
その諺のおかしさに気づけない私の愚かさこそ、笑われる必要があります。
その意味で、「百聞は一見にしかず」も、間違った諺だと思うようになりました。
たとえば、一度、象の映像をみせることと、象を見たことのある人からその印象を百回聞くこと、どちらが心に残るでしょうか。
本当は、「一見は百聞にしく能わず」というべきです。
いろいろな人の言葉、話に耳を傾け、正しい知恵を身につけたいものだと思います。


6月26日の御言葉 「知恵の初め」

「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」 箴言1章7節

 今日から箴言を読み始めます。箴言の「箴」は、ハリという文字です。現在、ハリは鍼と書きます。これは鍼灸のハリという字です。松山におりましたとき、鍼灸をしていた方から、昔、中国では竹のハリで治療をしていたから「箴」で、現在は金属のハリを使うようになったので「鍼」という字になったのだと伺いました。ということで、「箴言」とは、知恵の言葉というハリで、人生のツボをつくという意味なのだと教えられたことでした。

 箴言の著者は、「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモン」とされています(1節)。ただ、25章1節に、「これらもまた、ソロモンの箴言である。ユダの王ヒゼキヤのもとにある人々が筆写した」とあり、25章以下の部分は、もとはソロモンかも知れませんが、ヒゼキヤの世に筆写されたものと、後代の編者が記しているわけで、全体を編集したのは、捕囚後のことであろうと考えられています。

 筆者とされているソロモンについて、列王記上5章9,10節に、「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった」と記され、さらに、「彼の語った格言は三千、歌は千五百種に達した」(同12節)とあり、そして「あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた」と言われています(14節)。その著者が箴言を書いた目的を、2~6節に記しています。短くまとめれば、知恵を得て賢くなるため、ということになるでしょうか。

 「知恵」(ホフマー)という言葉は、旧約聖書中に161回用いられていますが、うち42回が箴言で使われ、次いでコヘレトの28回、ヨブ記の18回という順序になっています。ソロモンの知恵について語るため、列王記には17回出て来ます。

 「知恵」という言葉には、「技量」という意味があります。出エジプト記に8回出て来ますが、それは、神の幕屋を建造し、幕屋で用いる祭具や祭司の衣服などを整えるために必要な知恵を授けると言われており(同31章3,6節など)、そこでは、立派な仕事をするために必要な技術的な知識や腕前を指しています。そうすると、箴言というのは、人が人生を生きていく上で必要な知識や技術を授けるため、その格言を集めたものということになりますね。

 箴言の中で最も良く知られているのは、冒頭の言葉(7節)にある「主を畏れることは知恵の初め」という言葉でしょう。「主を畏れる」という言葉が箴言の中に14回記されており、とても重要なテーマであることが分かります。知恵との関連では、9章10節にも「主を畏れることは知恵の初め」とあり、15章33節でも、「主を畏れることは諭しと知恵」と言われています。

 「知恵の初め」とは、入り口、入門というよりも、土台、基礎という意味です。主なる神を畏れるということが、知恵全体を支えている、知恵を探っていくとその一番深い重要なところに神への畏れというものがある、ということです。そして、聖書が教えている神への畏れとは、神を怖がることではありません。「障らぬ神にたたりなし」ではないのです。神の聖さを認識することで生じる崇敬と畏怖の念、そして、畏敬の念から生じる神への従順や忠誠ということです。

 十戒を授けられたイスラエルの民に、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と命じた後(申命記6章4,5節)、「あなたの神、主を恐れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない」と言われているのは(同13,14節)そのことです。

 新約には、「知恵」(ソフィア)という言葉が51回用いられています。うち28回はパウロ書簡にあり、中でも第一コリント書に17回用いられています。知恵や知識を誇りとしていた人々との論争が、その背景にあるものと思われます。その中でパウロは、「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」(第一コリント書1章23,24節)と言っています(同30節参照)。十字架につけられたキリストは、愚かであり、躓きだといわれるけれども(同1章18節)、それこそ、神の知恵だというのです。

 箴言に、神の知恵なるキリストを見出し、その恵みを証ししつつ主と共に歩みたいと思います。

 主よ、あなたを畏れることを教えて下さい。あなたは私たちの創り主で、私たちのことをすべてご存知です。あなたの御心に従って歩むことが、私たちの喜び、私たちの楽しみとなりますように。 アーメン


マット・マートン選手

阪神タイガースのマット・マートン選手は、両親が共に教師という家庭に生まれ、熱心なクリスチャンだそうです。

5月26日のロッテ戦で、ロッテが3対1とリードしている8回表、1アウト・ランナー2塁で、ロッテの打者・清田育宏はライトフライに倒れましたが、それを捕球したマートンは、3アウトチェンジと勘違いして、ボールをスタンドに投げ入れ、その結果、2塁ランナーの今江敏晃がホームを踏み、4対1になって、阪神が敗れました。
プロでも、そんなボーンヘッドがあるのかなと思いましたら、8年前の2003年5月21日にジャイアンツのクリス・レイサム外野手が同じことをしていました。因みに、その日はクリス・レイサムの誕生日だったそうです。

そのマートン選手が、6月15日の日本ハム戦でタイムリーヒットを放ち、阪神を勝利に導きました。
その日のヒーローインタビューの模様がYouTubeで配信されていました。



インタビューの最後に日本語、それも大阪弁でのメッセージが求められて、「神様は私の力です!まいど。まいど、おおきに!オオキニ!」と応えました。

今後の活躍を見守らせて頂きたいと思います。

6月19日の御言葉 「天を傾けて下り」

「主よ、天を傾けて下り、山々に触れ、これに煙を上げさせてください。飛び交う稲妻、うなりを上げる矢を放ってください。」 詩編144編5,6節

 144編は、12~14節を除いて、18編、33編などから多くの言葉を拝借し、戦いに勝利をお与え下さる主をたたえ、人の儚さを嘆き、敵からの解放と繁栄を求める詩として纏め上げられたかたちになっています。

 「主をたたえよ、わたしの岩を」(1節)、「わたしの支え、わたしの砦、砦の塔、わたしの逃れ場、わたしの盾、避けどころ」(2節)は18編3節、「主よ、天を傾けて下り、山々に触れ、これに煙を上げさせてください」(5節)は18編10節、「飛び交う稲妻、うなりを上げる矢を放ってください」(6節)は18編15節、「高い天から御手を遣わしてわたしを解き放ち」(7節)は18編17節。そして、「神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい、十弦の琴をもってほめ歌をうたいます」(9節)は33編2,3節と、よく似ています。そのほか、3節は8編5節、4節は39編6節などといった具合です。

 詩人はこのように、他の詩で用いられていた言葉を借りてきて、その信仰を学び、同じ恵みに与らせて欲しいと願っているのです。表題に「ダビデの詩」(1節)とあるように、ダビデの信仰に倣い、ダビデと同じ恵みに与りたい、ダビデの子孫であるイスラエルの民に救い、恵みを与えて欲しいと願っているわけです。なお、死海写本にはこの表題はなく、また、70人訳(ギリシア語訳旧約聖書)には、「ゴリアトに対するダビデの(詩)」という表題がつけられています(サムエル記上17章参照)。

 上述の通り、冒頭の「主よ、天を傾けて下り、山々に触れ、これに煙を上げさせてください」という言葉(5節)は18編10節によく似ていますが、これは、もともと、モーセに十戒を授けるために神がシナイ山の上に降られたときの描写のようです(出エジプト記19章16,18節、20章18節)。エジプトを脱出した民に授けられた神の律法は、神と民との間に交わされた契約書でした。ですから、十戒の書かれた石の板を収めた箱は、契約の箱と呼ばれました。詩人が、「主よ、天を傾けて降り」と今ここで求めているのは、あらためて神との契約を結びたい、新しい契約の言葉を頂きたいと求めていることになります。

 ただ、18編の言葉を借りて、モーセのときのように契約のために主が降られることを求めているからといって、文字通り、同じことが起こるということではありません。それは、詩人も承知していると思います。「神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい、十弦の琴をもってほめ歌をうたいます」(9節:33編3節)と、新しい契約という恵みに新しい歌で神をたたえると詩人が宣言しているからです。

 預言者エリヤが神の言葉を求めて神の山ホレブに着いたとき(列王記上19章1節以下)、主の御前に激しい風が起こり、その後に地震が起こり、その後に火が起こりましたが、モーセのときのように、主がその中でエリヤに語りかけるということはありませんでした。それらが起こった後、主なる神は静かにささやく声をもってエリヤに語られたのです(同12節)。

 詩人の願いに対して主なる神が用意されたのは、飛び交う稲妻や唸りを上げる矢でも、静かにささやく声でもありませんでした。それは、神の独り子イエス・キリストです。御子が天から降り、人間となって十字架に贖いの業を完成なさいました。流された血によって新しい契約が結ばれたのです。御子を信じる者は誰でも、神の子となることが出来ます。

 エレミヤ書31章33節によれば、「律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」ということですが、それは、主イエスが聖霊において私たちの心に宿られ、共にいて下さるということです。即ち、私たちの体が契約の箱、そして、聖霊が契約書です。

 12節以下に、家庭に息子娘があり、蔵に穀物が満ち、牧場に肥えた牛がいて、都は平和に保たれているという、神の祝福に満たされた様子が描かれています。そして主イエスは、「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と言われました(ヨハネ福音書10章10節)。私たちの内に住まわれ、常に共にいて下さる主を仰ぎ、その御言葉に従って、聖霊による平安と喜びのうちに、日々歩ませて頂きましょう。

 主よ、聖霊によって神の愛を豊かに注ぎ与えて下さり、感謝致します。それにより艱難をも喜ぶことが出来ます。希望の源なる主が共におられるからです。絶えず主の御言葉に聴き従うことが出来ますように。 アーメン


小さな親切の日

6月13日は、小さな親切の日だそうです。
初めて知りました。

今から48年前の1963年の今日、「小さな親切」運動本部が発足しました。

その年の東京大学の卒業式の告辞の中で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と語られたことがきっかけとなって、茅氏を始めとする8名の提唱者が、運動を発足させました。
「できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように」、「人を信じ、人を愛し、人に尽くす」をスローガンに、この運動が進められています。



「小さな親切」運動本部のサイトを見つけました。
URL http://www.kindness.jp/



そこに、茅誠司総長の告示の抄録が掲載されていました。


東京大学卒業式告辞 ―昭和38年3月―  「小さな親切」運動初代代表 茅誠司(東京大学総長)
茅誠司 初代代表
 「今日、2,000名のみなさんが東京大学を卒業されて、新しい生活に出発されることにたいして、心からお祝いの言葉を送りたいと存じます。

 諸君は専門から見ても、また人間として見ても、共に未完成であります。大学教育の目標は、優れた専門的能力と、豊かな社会的教養をかねそなえた人間をつくる、と申すよりは、そのような人間になるための、潜在力の育成にあります。このような人間像は、この大学教育によって培われた潜在力の基盤の上に、諸君の一生涯を通じての努力と刻苦によって、初めて達成されるべきものでありましょう。


 豊かな社会的教養を持つという意味は、さまざまの知識を持っているだけでは、エンサイクロペディアを頭の中にかかえて歩いている人間にすぎません。その教養を社会人としての生活の中に、どのように活かすかということが重要と存じます。言いかえれば、その教養を基盤として人格をつくっていくにはどうすればよいかということです。ここで、わたしは最近耳にしたことを、少しばかりお話して、諸君の参考に供したいと思います。

 一昨年の10月、私は国際学術連合の総会に出席するためロンドンに行き、約3週間滞在しましたが、ある日曜日にオックスフォード大学まで車で行きました。ところがその往復の道で、前を走っているトラックの運転手が片手を出して、いま追い越せと教えてくれました。1台とか2台のトラックではなく、どのトラックでも全部そのようにしてくれました。日本では前を走るトラックは、できるだけ追い越されないように、中央線に近いところを走っているのと比べるとたいへんな相違です。


 昭和25年、私は友人と共に、戦後初めてアメリカに参りましたが、そのとき、バークレーにあるカルフォルニア大学の冶金学教室を訪問いたしました。朝8時半ごろ、サンフランシスコからベイブリッジを越えて、今ではありませんが、そのときはまだあった電車で、バークレーに参ろうとしましたが、ちょうどそこにやってきた青年にどの電車に乗るのかをたずねました。するとその青年は、自分もバークレーに行くから、一緒に行こうと入って案内してくれました。ユニバーシティ・アベニューで電車を降りたところ、その青年は、ここでタクシーをひろいなさいと言って別れました。しかし、待てども待てどもタクシーは参りません。およそ15分ほどたったころ、先ほどの青年が戻ってきて、「タクシーがない時刻だったことに気がついて戻ってきました。15分も歩けば行かれるから歩きませんか。わたしはカルフォルニア大学の大学院生です」と、誘ってくれました。その学生は、社会系の学生で冶金学教室のあるところを知ってはいませんでしたが、わたしどもを連れて大学に入り、冶金学教室を探しあてて、わたしのたずねていた教授とわたしが握手するのを見て、初めて安心して去って行きました。


 数ヶ月前の夕刊にこんな話が出ていました。あるバスの停留場で、ひとかたまりの人々が、夕暮れの中にバスの来るのを待っておりました。そのとき、夕刊配達の子が自転車に乗ってそこまできたとき、何かのはずみにチェーンをはずしてしまいました。すると、この群れの中から、一人のおじいさんが現れて、「こうしてチェーンをはめるんだよ。わたしは自転車屋だから上手だ」と言って、あっという間に修理してしまいました。すると、これを店の中から見ていた八百屋のおばさんが、水を入れたバケツとセッケンと手ぬぐいを持って来て、手が汚れたろうからお洗いなさい、と言ったのです。するとおじさんは、「お前は急ぐだろうから」と言って、夕刊配達に先に洗わせ、自分はあとから洗って、おばさんに有難う、と言ってお礼をし、ちょうとそこにきたバスに乗った。これを一部始終見ていた人々の心は、何か知れぬあたたかいものでいっぱいになったというのです。


 わたしが本日このおめでたい卒業式に、こんな話を何故にしたのか。それは、このような「小さな親切」はCo-operativeする現象であると解釈しているからです。Co-operative phenomenaは物理学では非常に興味ある物理論の問題として取り扱われ、わたしも二元合金についてこの問題を研究したことがあります。手っとり早く申すと、「なだれ」がこの典型的な例です。何かのきっかけがあって小さな雪がころがり出すと、それが次第に発達してなだれとなる。この「小さな親切」をきっかけとして、これが社会の隅々までもなにげなく、またまんべんなく行われるようになることを、わたしは心から希望してやみません。

 皆さん、わたしが卒業式でお話しする機会はこれで最後です。この席で諸君にお願いすることは、この「小さな親切」を勇気を持ってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々までを埋めつくすであろう親切というなだれの芽としていただきたいということです。

諸君は、人文・社会・自然の3分野にわたって、広い教養科目の学修をされました。この教養を、ただ頭の中にエンサイクロペディア式に蓄えておくだけでは立派な社会人とはなれません。しかし、この「小さな親切」を絶えず行っていくということは、このバラバラなエンサイクロペディア式知識を融合させる粘着剤の役目をつとめ、ひいては立派な社会人としての人間形成の基盤となることと信じます。諸君の一生の努力目標たる、教養高き社会人の道は、このような、やろうとすれば誰でもできることから始められるということを申し上げて、わたしのこの大学卒業式における最後の告辞といたします。」


また、「コロにいい話」には、心温まるエピソードが掲載されています。
是非ご覧になって下さい。
URL http://www.kindness.jp/kokorostory/



6月12日の御言葉 「わたしの最大の喜び」

 「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい。もしも、あなたを思わぬときがあるなら、もしも、エルサレムを、わたしの最大の喜びとしないなら。」 詩編137編5,6節

 137編は、エルサレムの神殿において主を賛美していた音楽奉仕者によって作られたものであろうと思われます。けれども、バビロンとの戦いに敗れてエルサレムが陥落し、神殿が破壊されて祭具などがすべて奪われ、そして詩人も捕えられてバビロンに連れて来られたのです。

 重労働を課せられている詩人たちが、一日の働きを終えて「バビロンの流れ」と呼ばれる運河のほとりで、故郷を偲んでしばし涙するときを過ごしていると(1節)、バビロンの人々が、「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と求めます(3節)。「わたしたちを捕囚にした民」(3節)というのですから、それはバビロンの兵士たちで、彼らの労役を監督していた人々のことではないかと想像します。シオンの歌をリクエストした理由は、詩人たちを嘲り、楽しむためでした。勿論、そのような求めには応じられません。2節で「竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた」というのは、竪琴を弾かないようにしたということです。

 シオンの歌とは、神の都エルサレムにいます神をたたえる歌のことで、詩編46編2,5,6節の、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。・・・大河とその流れは、神の都に喜びを与える。いと高き神のいます聖所に。神はその中に今し、都は揺らぐことがない」というような詩を、竪琴の調べに合わせて歌えと言われても、余興のためのそれを歌うことは出来ません。4節で、「どうして歌うことができようか、主のための歌を、異教の地で」というとおりです。

 亡国の民にとって、その悲しみのうえに嘲りの的とされる屈辱を味わわされ、どれほど辛く、悔しい思いをしたことだろうかと思いますが、それにも拘らず、彼らが信仰を失うことはありませんでした。むしろ、苦しめられれば苦しめられるほどに、エルサレムを思い、主を慕い求めました。それが冒頭の言葉(5,6節)です。
 「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら」と、擬人化された表現になっていますが、それは、町のことというよりも、シオンを選び、そこに住まいを置かれた神のことを語っているわけです。その思いは激しくて、もしもエルサレムを忘れるようなら、右手が萎え、舌が上顎に張り付いてもよいという、呪いの誓いを立てるほどです。

 詩人にとって、右手が萎えるというのは、竪琴を奏でることが出来なくなるということであり、舌が上顎に張り付くというのは、主へのほめ歌を歌えなくなるということです。エルサレムを忘れ、最大の喜びとしないというのは、現実に押し流され、押しつぶされて神を信じることが出来なくなり、喜びや平安、希望を失う事態に陥ったということです。そうなれば、竪琴を奏で、主へのほめ歌を歌うのは、確かに空しいことになってしまうでしょう。

 とうに、そうなっていても可笑しくない状況の中で、なお主を慕い、祈りをささげることが出来るところに、詩人の信仰を見ることが出来ますし、その信仰を与えられた主の慈しみを感じます。

 「主よ、覚えていてください。エドムの子らを」(7節)以下の言葉は、受けた屈辱、過酷な仕打ちを、彼らに報い返して下さるようにと求める呪いの祈りです。エドムは、ヤコブ=イスラエルの双子の兄エサウの子孫です(創世記25章19節以下、30節、36章1節以下、9節)。創世記27章41節には、エサウが、長子の権利と父の祝福を奪った弟ヤコブを憎み、「父の喪の日も遠くない。そのときが来たら、必ず弟のヤコブを殺してやる」と考えている言葉が記されています。肉親同士のこのような争いが、エドムがバビロンと連合してイスラエルを攻め滅ぼすという結果を生み出したともいえそうです(エゼキエル25章5節参照)。

 しかしながら、復讐に復讐では、今日のパレスティナやアフガニスタン情勢が示すとおり、平和の関係を築くことは不可能です。テロとの戦いと称して、丸腰だった国際テロ組織アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディンを、裁判の席に着かせもせず一方的に殺害したアメリカのやり方は、新たなテロを呼ぶだけでしょう。

 受けた苦しみを忘れたり、相手を赦したりというのは、誰にも出来ないことかもしれません。けれども、私たちの罪を引き受け、赦しと救いの恵みをお与え下さった主イエスが、互いに罪を赦し(マタイ6章12,14,15節、18章22節)、愛し合うべき(ヨハネ13章14,15節、同34,35節)ことを教えておられます。御教えに従うことが出来るように、そうして愛と平和の家庭、社会を築くことが出来るように、祈ります。

 主よ、他人から受ける悪や侮辱に対して、祝福を祈って返すというのは、私たちの自然の感情ではありません。しかし、愛と信頼の関係を破壊しようとしている悪しき霊の仕業にしてやられることなく、また、自らの感情に流されることなく、御言葉に堅く立って行動出来ますように、主の慈しみと平和で私たちの心と思いをお守り下さい。 アーメン


6月5日の御言葉 「御言葉を待ち望みます」

「わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。」 詩編130編5節

 この詩は、「七つの悔い改めの詩」(6,32,38,51,102,130,143編)の一つに数えられています。

 詩人はこの詩を、「主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」(2節)という、救いを求める言葉をもって始めています。詩人は今、「深い淵の底」にいて、そこから主を呼んでいると記しています(1節)。「深い淵の底」は、「深み」(マアマッキーム)という言葉で、通常、海の深みを表します(69編3,15節、イザヤ51章10節など)。海は恐怖の対象として描かれることが多く(46編4節、イザヤ5章30節、ルカ福音書21章25節など)、人に恐れや死をもたらす悪しき龍が住むと考えられていました(ヨブ7章12節、74編13節、148編7節、イザヤ27章1節)。

 詩人の語る「深い淵の底」について、具体的に何を指すのか、どのようにして、深い淵の底に落ち込んだのか、詳細は不明ですが、3節で、「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう」と語っていますので、詩人は、罪ゆえにそこに投げ込まれたように感じている、ということなのでしょう。それは、神にうち捨てられ、祈りの声も神に届かないように思える「深み」なのです。

 罪ゆえに海の深みに投げ込まれたといえば、ヨナ書に物語られている、アミタイの子ヨナという預言者のことを思い出します。ヨナは、「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている」という主の言葉を聞きましたが(同1章1,2節)、それに背いてタルシシュ行きの船に乗ります。タルシシュの正確な場所は分かっていませんが、地中海の西方、現在のスペイン領にあるだろうと考えられています。一方、ニネベはアッシリア帝国の首都で、現在のイラクの北方に位置していました。

 アッシリアは、北イスラエルを滅ぼした国です。ヨナに対して主の言葉が告げられたのが、北イスラエル滅亡の前か後かなども不明ですが、いずれにしても、そのような国に行って神の言葉を告げ知らせたいとは思えなかったわけです。というのは、彼が神の裁きの言葉を告げ知らせることによって、ニネベの町の人々が悔い改めでもすれば、憐れみの神は裁きを思いとどまられるからです。そして、神が預言者が遣わされるのは、勿論、ニネベを滅ぼしたいからではなく、悔い改めに導きたいからなのです。ヨナは、ニネベは滅んで当然と考えていたので、敢えて主に背いて逃げ出したわけです。

 そのため、海は大嵐になりました(同5,12節)。しかし、ヨナが嵐の海に放り込まれると、海は静まりました(同15節)。海に放り込まれたヨナは、巨大な魚に飲み込まれ(同2章1節)、その腹の中から主に祈りをささげました(同3節以下)。そこに、「苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると、わたしの声を聞いてくださった」とあり、130編1,2節をヨナが祈ったところ、神が答えられたと読める内容です。

 自分の罪ゆえの苦しみの中からの叫びを聞かれるとは、なんと神は憐れみ深いお方なのでしょう。だから、冒頭の言葉(5節)のとおり、「わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます」というのです。ここで、「望みをおく」は「望む、待望する」という言葉(カーワー、ピエル完了形)で、「待ち望む」は、「待つ、待ち望む」という言葉(ヤーハル、ヒフィル完了形)であって、意味上の違いはそれほど大きくありません。同類の言葉を重ねることで、主を待ち望む思いの強さ、信仰の強さを表わしているようです。

 ただ、その憐れみが自分に与えられることは大歓迎なのに、自分たちを苦しめたニネベの人に与えられるのは納得いかないというのは、ただヨナだけの問題ではありません。それは、私のことです。しかし、神のなさりようは納得いかないと腹を立てたとき、私は主に背く者なのです。そして、深い淵に陥って苦しむ者となるのです。

 主は、誰でもない私自身が神に従う者となるように、絶えず憐れみをもって招き続け、語り続けていて下さいます。主は深い愛と憐れみによって神の義を作り出されるお方なのです。苦しみ、悩みのすべてを主の御手に委ね、常に主に望みを置き、朝ごとに主の御言葉を待ちましょう。

 主よ、私の魂はあなたを待ち望みます。慈しみはあなたの許に、豊かな贖いもあなたの許にあります。あなたは私をあらゆる罪から贖い、救いの喜びに与らせて下さいました。絶えず御言葉に耳を傾け、素直にその導きに従うことが出来ますように。 アーメン


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