風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2011年05月

ヘラルド・アバヤン師



5月29日(日)午後3時半より、山鹿伝道所において、大牟田・熊本ブロック壮年交流会が開催されました。
その様子は、教会のサイトにレポートを掲載していますので、ご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/weeklyphoto01.html


そのなかで、ヘラルド・アバヤン師が素晴しい歌声を聞かせて下さいました。
デジカメで撮った映像をYouTubeにアップしましたので、ご覧になりたい方は、スタートボタンを押して下さい。


5月29日の御言葉 「わたしたちの主に目を注ぎ」

「御覧ください。僕が主人の手に目を注ぎ、はしためが女主人の手に目を注ぐように、わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ、憐れみを待ちます。」 詩編123編2節

 123編は、「都に上る歌」詩集の4番目の詩で、主に憐れみを求める祈りが記されています。

 前半(1,2節)が主に対する信頼を言い表し、そして後半(3,4節)は、嘲る者らからの救いを求める祈りが記されます。その双方を結んでいるのが、「憐れみ」という言葉です。

 「わたしたちを助けてください、救ってください」というべきところを、「憐れんでください」(3節)と求めているということは、詩人が、自分には神に救いを願う権利や資格がないと考えているか、あるいは、神に対する罪意識があるということではないでしょうか。もし、自分は神の御前に正しく歩んでいる、潔白だ、と考えているならば、敵の嘲り、蔑みに対して、神が相手を正当に裁いて下さるように、そうして恥を雪いで下さるように、と求めたことでしょう。そう願っていないのは、敵の嘲りの言葉、侮辱の言葉が、詩人らの罪責をあげつらうもので、悔しいながら、それに反論出来ないということだろうと思います。

 詩人は敵対者のことを4節で、「平然と生きる者ら」、「傲然と生きる者ら」と呼んでいます。その言葉の背後には、彼らもまた、神の前に罪なしとはされない者たちであるという詩人の思いが込められているのでしょう。嘲りや蔑みというのは、高いところに立って他者を見下げる行為、それを言葉にしたという表現です。私たちが人を裁くとき、そこに神への畏れや、相手のことを思い遣る心なしにそれをするなら、いつの間にか自分を高いところ、即ち、神の御座において人を断罪しているということになるのではないでしょうか。

 「敵対者」をヘブライ語で言うと、「サタン」です。サタンは、ヨブ記1,2章に見るように、私たちの敵対者として神の前に立ち、私たちの罪をあげつらい、断罪するという役割を果たします。

 敵対者が詩人たちを罪に定め、嘲笑し、侮辱している中、この詩人は天に向けて目を上げます(1節)。そこには、主なる神がおられ、詩人たちを見下ろしておられます。主なる神の口は、その手は、どのように動き、どのように語ることでしょうか。詩人は、冒頭の言葉(2節)のとおり、まさにそこに目を注いでいます。

 「僕が主人の手に目を注ぎ、はしためが女主人の手に目を注ぐように」とは、僕、はしための関心は、常に主人・女主人が自分たちをどのように取り扱うかにあるということ、そして、出来ることなら、主人が自分たちに寛大であることを求めているということです。詩人はそのことを取り上げて、主なる神に目を注ぎ、憐れみを待つ、と言います。即ち、嘲られて当然、侮辱されても仕方のない自分たちを、しかし、慈しみ深い恵み豊かな主は、きっと憐れんで下さると期待しているのです。

 その祈りに答え、求めに応じて、主なる神は彼らに憐れみを注ぎ、すべての罪を赦し、その呪いから解放して下さいました。それは、彼らが受けるべき罪の刑罰、嘲笑、侮辱を、神の独り子、主イエス・キリストが身代わりに受け、贖いの供え物とすることによって、成就されたのです。

 今、私たちの心は、神の愛と恵みによって平安に満たされ、また感謝と喜びに溢れています。ゆえに、私たちも天を仰ぎます。私たちを憐れみ、救って下さった御子キリストが、神の右に座しておられ、敵対者サタンの告発に対し、私たちの弁護者として、今も私たちのために執り成していて下さるからです。

 主よ、贖いを感謝します。救いを感謝します。平安を感謝します。憐れみを感謝します。私たちは打ち捨てられて当然の罪人に過ぎませんが、憐れみのゆえに神の子とされ、主を礼拝する民の一員とされました。あなたのなして下さったことを何ひとつ忘れず、絶えず感謝し、喜んで御言葉に従うことが出来ますように。 アーメン



5月22日の御言葉 「わたしは信じる」

「わたしは信じる、『激しい苦しみに襲われている』と言うときも、不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。」 詩編116編10,11節

 116編は、救いを求めて嘆き祈る祈りが主によって答えられたことに対する感謝の賛美の歌であり、あらためて主を信じる信仰を宣言する詩です。

 詩人は、「死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ」(3節)、「あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足を突き落とそうとする者から、助け出してくださった」(8節)、「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」(15節)と、繰り返し「死」について語っているので、それが病いであるにせよ、押し迫って来る敵の存在であるにせよ、詩人の命が脅かされている苦しみ、嘆きであったことが分かります。

 そのような状況に陥ったとき、詩人にはもはや、主なる神のほかに頼りになるものがありません。それゆえ、「苦しみと嘆きを前にして、主の御名をわたしは呼ぶ。『どうか主よ、わたしの魂をお救い下さい』」と詠うのです(3,4節)。

 ということは、詩人にとって死と陰府の脅威とは、何より、神との交わり、神との関係が完全に断たれてしまうことを意味していることになります。パウロが、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」(ローマ書3章23節)、「罪の支払う報酬は死です」(同6章23節)というのも、同様のことを語っていると思います。

 15節の、「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」という言葉は、興味深い言い回しです。これは、主の慈しみに生きる人は、主の目に価高いのだから、いつ死んでもよい、などということではありません。「主の目に価高い」とは、主の慈しみに生きている人を死なせるような、もったいないことをしないで下さい、そのような人の命を貴いものとして下さい、という願いが込められた言葉なのです。

 「主の慈しみに生きる」とは、主の慈しみのうちを歩む、慈しみを受けて生きるということでしょう。「哀れな人を守ってくださる主は、弱り果てたわたしを救ってくださる」(6節)と語られていることから、詩人は、自分が哀れな人で、弱り果てている者であると告白し、そのような自分を守り、救って下さる神に感謝し、恵み豊かな主とその御言葉に信頼して生きよう、と言っているわけです。

 自分自身が弱り果てているときもそうでしょうけれども、自分の弱さ、足りなさを最も痛感するのは、愛する者が苦しんでいるのを見ながら、何をしてやることも出来ないというときでしょう。しかしながら、この詩人は、「哀れな人を守ってくださる主は、弱り果てたわたしを救ってくださる」(6節)と、主への信仰を告白し、さらに、冒頭の言葉(10,11節)で、「わたしは信じる、『激しい苦しみに襲われている』と言うときも。不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも」と宣言しています。

 前述のとおり、ここに来て、詩人には主なる神のほか、頼りとするものは何もないのです。人に頼れば、「不安がつのり、人は必ず欺く」という思いから解放されず、ますます不安が募って来るといった悪循環に陥ってしまうのです。

 けれども、主を信じ、主を頼りとするとき、主が憐れみ深く、情け深いお方であることを味わい、悟ります(5節)。第二コリント書12章9節で、「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで弱さを誇りましょう」と語られているとおり、私たちの弱さの中で、神の力ある御業がなされるとき、それは私たちのゆえではなく、神の恵み、慈しみのゆえであることが分かります。

 当然のことながら、弱さそのものが私たちの誇りなのではありません。私たちの弱さの中で力強く働いていて下さる主を誇りとし、それゆえ、どのようなときにも喜びと感謝をもって、主なる神に賛美と祈りをささげるのです(1,2節、17節以下)。

 主よ、わたしには、訪ねてきた友に出してやるパンがありません。どうか、必要な助けをお与え下さい。私自身を憐れみ、守り助けて下さい。絶えず、あなたの慈しみのうちを歩ませて下さい。 アーメン


大牟田熊本ブロック教役者会

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5月16日(月)午後2時より、菊池シオン教会において、大牟田・熊本ブロック教役者会が開かれました。

これは、ブロック教の役者の集まりなどというものではありません。

牧師や伝道師、主事などという、キリスト教の布教のための働きに任じられている人々のことを「教役者(きょうえきしゃ)」というのです。
教える役割が与えられている者とでも読めばよいのでしょうね。
教職者といわれることもあります。

教役者会の第一部は、礼拝です。
今回は、菊池シオン教会の矢野満牧師(写真)が、創世記3章1~13節の箇所から、「罪はどこから来るのか」と題して、説教を取り次いで下さいました。

その後、互いに感想を語り合いました。
毎回思うことですが、いつもは御言葉を語る立場ですが、神の御言葉である説教を座席に座って聞かせて頂くことが出来るというのは、本当に幸いなことです。


第二部は、近況報告です。
各教会の近況を報告しあいました。

いつも、オブザーバーで参加しておられる連合会長の島村兄より、2012年3月20日(火)開催の連合総会の会場を、大牟田教会にという話がありました。

また、連盟事務所で開催された地方連合連絡協議会に参加されて、東日本大震災の被災者支援についての情報を入手して来られて、その話がありました。

連盟が行っている募金について、5000万円の目標に対し、既に凡そ5600万円の募金が集まったそうです。
5000万円の内訳は、①地域支援に2500万円、②被災地教会支援に1500万円、③現地事務局・スタッフ活動費に1000万円となっています。

①地域支援では、支援物資の搬送、炊き出し、家の片付け、清掃などを、プロジェクトチームを組んで行います。
今後、ガイドラインを設けた上で、ボランティアの募集が始まります。
②被災地教会支援に関しては、岩手、宮城、福島各県でチームを作り、支援を展開します。中心となる教会に支援器材や移動・搬送用ワゴン車を配置し、また建物補修や教会財政への支援を検討します。
③現地事務局を設置し、必要な働きを見極めながら、事務スタッフやボランティア・コーディネーターなどを配置します。

そのほか、原発の課題に対応したり、情報を全国に発信したり、また、国内(3バプテスト、他教派、他団体)、国際的(BWAなど)に情報を交換し、連携を図ります。


この話の中で、連盟からの要請を受けて、大牟田恵愛園から3名のスタッフが支援のために派遣されるという報告がありました。
よい働きがなされるように、主の恵みと導きを祈りたいと思います。


※次回の教役者会は、7月5日(火)午後2時より、会場は山鹿伝道所で、行うことになりました。
最後に、山鹿伝道所牧師の船越先生にお祈りしていただき、散会致しました。


話は変わりますが、これまで、菊池シオン教会や豊岡伝道所、東熊本教会などに行くとき、築町交差点から県道3号線を「櫟野」へ、そこから県道29号線を「宿」、そして、続く46号線を「府本」まで行き、そこから農面道路を蛇ヶ谷公園の先まで行って、そこから208号バイパスを走るといったルートで、だいたい90分前後のドライブでした。
それが、近頃、208号バイパスの蛇ヶ谷公園から岱明町までの工事が完成したということでしたから、菊池シオン教会からの帰りに、寺田から岱明町までの208号線バイパス(通称「玉名バイパス」)全線を走ってみました。
すると、夕方6時前スタートという、帰宅ラッシュ時刻であったにも拘わらず、なんと1時間10分程度で帰り着きました。
これからは、208を岱明町まで行って、そこから玉名バイパスを走り、寺田でもとの208に合流して田原坂を通り、というルートで行きたいと思います。


5月15日の御言葉 「呪いを祝福に」

「彼らは呪いますが、あなたは祝福してくださいます。彼らは反逆し、恥に落とされますが、あなたの僕は喜び祝います。」 詩編109編28節

 109編は、自分の善意に悪意で答える敵からの救いを求める「祈りの詩」です。

 その中で、8~20節は、詩人を苦しめる者に対する呪いの言葉になっています。注解者の中には、この部分は、詩人を苦しめる者の言葉であるという立場をとる人もいます。しかしながら、前段(6,7節)には、敵対者の裁きを願う言葉がありますし、17節の、「彼は呪うことを好んだのだから、呪いは彼に返るように」という言葉に示されるのは、これが敵対者の言葉であるなら、彼(詩人)が呪うことを好んでいる、つまり、先に呪いの言葉を口にしたのは詩人の方だ、その呪いが詩人に返るようにと言っていることになります。

 詩人が先に敵を呪ったということになれば、4,5節の、敵は詩人の善意に悪意で答えるという表現と適合しません。それでは、喧嘩を売ったのは、むしろ詩人の方だということになってしまうからです。やはり、新共同訳聖書などと同様、ここは素直に、詩人が相手を呪う言葉としてとらえ、自分の善意に悪意で答えるような、善意の人を呪うことを好む輩の上に、その呪いが返るように願う言葉と考えるべきでしょう。

 詩人は、神に逆らう輩が自分を欺き、偽りの言葉をもって語りかけ(2節)、それによって自分を苦しめるのは、理由のないことだと言い(3節)、詩人は相手に愛を示したのに、相手は敵意を示し、善意に対して悪意を返すのだと訴えます(4,5節)。ということは、自分が相手を呪うのは、理由のないことではない、彼らの自分に対する悪意に答えるのだ、と言っていることになります。

 ただし、いったい誰が、自分は相手を苦しめる正当な理由もないのだけれども、とにかく苦しませよう、呪ってやろう、と思うでしょうか。誰もが、自分がすることには正当な理由がある、悪いのは相手だと考えていることでしょう。しかし、自分にとって正当だという理由が、相手にしてみれば不当であるということも、往々にしてあります。

 かつて、アメリカがイラクに仕掛けた戦争は、イラクが不当に大量破壊兵器を集め、使用しようとしていると主張してのものでしたが、イラク国内でそれを見出すことは出来ませんでした。イラク大統領の政治が気に入らないからといって、大量破壊兵器をもって攻め込んだアメリカのやり方を、イラク国民は正当なやり方だと歓迎するでしょうか。そう思わないから、テロ攻撃が止まないのです。そのように、相手を呪い、苦しめ、死に追いやる人々を、神がそのままにしておかれるのでしょうか。

 詩人は、主の慈しみによってこの苦しみから救われることを願い(26節)、冒頭の言葉(28節)のとおり、「彼らは呪いますが、あなたは祝福してくださいます」と語り(28節)、祝福を求めました。神は呪いを祝福に変えることが出来ると詩人は信じているわけです。ゆえに、敵は恥に落とされ、自分は喜び祝うことが出来るというのです。

 かつて、モアブ王バラクが呪い師バラムを招き、イスラエルを呪おうとしたことがあります(民数記22章以下)。ところが、神が呪い師バラムに与えたのは、イスラエルを祝福する言葉でした(同23章7節以下、18節以下、24章3節以下)。三度語られた祝福の言葉の最後は、「あなたを祝福する者は祝福され、あなたを呪う者は呪われる」という言葉でした(同24章9節)。そしてこれは、神がアブラハムに対して与えた、祝福を約束する言葉でもあります(創世記12章3節)。

 であれば、詩人も考えなければなりません。自分を苦しめる相手には呪いを、苦しめられている自分には祝福を、と願い求める気持ちは大変よく分かります。誰もがそう願うことでしょう。しかし、相手を呪うことは、神が良しとされることでしょうか。神は、敵が自分を呪う言葉を祝福に変えることがお出来になるように、自分が敵を呪う言葉をも、祝福に変えることがお出来になるのです。そして、神は祝福する者を祝福し、呪う者を呪うと言われているのです。つまり、敵に対しては、自分の呪いの言葉を祝福に変えて与え、敵を呪った自分には、その呪いが返ってくるというわけです。

 神は私たちに、「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」と命じておられます(第一ペトロ書3章9節)。誰がその命令に従えますか。誰にも出来ることではないかも知れません。そういう私たちのために、キリストが犠牲となられました。殺す者を赦し、祝福を願われたのです(同3章18節以下)。その主イエスの執り成しにより、私たちは恵みに与りました。

 主イエスを心の王座に迎え、アブラハムの子として、祝福の源とならせて頂きましょう(創世記12章2節)。

 主よ、弱く乏しい私たちの右に立って、私たちを守り支えて下さい。私たちの心の王座に着き、私たちを呪いと報復の連鎖から解放し、すべての人々の祝福を祈る者とならせて下さい。 アーメン


温度計の日

5月14日は、水銀温度計を発明し、華氏温度計(°F)に名前を残すポーランドの物理学者ファーレンハイト(ガブリエル・ダニエル・ファーレンハイト Gabriel Daniel Fahrenheit 1686~1736)の誕生日です。

最初に温度計を発明したのは、あのガリレオ・ガリレイでしたが、それは気圧の影響で測定温度が変化する代物だったそうです。

華氏温度は、塩化アンモニウムを寒剤として得られる当時人間が作り出せた最低温度を0度、成人男性の平均体温を96度として、その間を等分して目盛りをつけた水銀温度計を発明し、それが、標準温度計となりました。
この温度計によると、水が凍る温度は32度、沸騰する温度は212度になります。

ファーレンハイトが1724年に発表し、現在では、主にアメリカ・カナダ・イギリスで用いられています。

中国では、ファーレンハイトに「華倫海」の字を当てたことから、「華氏」と呼ばれるようになりました。

ファーレンハイトは、自身の温度計を使って様々な液体の沸点を計測しました。
それにより、液体ごとに沸点が異なること、及び大気圧によってその沸点が変動することを発見しました。

その後、スウェーデンの天文学者セルシウス(アンデルス・セルシウス Anders Celsius 1701~1744)が、気圧計の目盛りが一定の時、水の 沸騰する温度がつねに一定であることに気づき、一気圧のときの水の沸騰点と、氷の融解点との間を100等分した目盛り(℃)を提唱しました。
これが、セルシウスの水銀温度計であり、今日、世界的に採用されている摂氏温度といわれるものです。
「摂氏」も、中国でセルシウスに「摂爾修」の字を当てたことに由来しています。

因みに、華氏を摂氏に転換する公式は、 C=5(F-32)/9 です。 

今では、目に見えない赤外線の光を利用した温度計へと発展し、測りたいものに直接触れなくても、離れた位置から温度が測れる「非接触型温度計」と呼ばれるものも、出て来ているそうです。

気象庁のサイトに、「ファーレンハイトの誕生日を記念して、5月14日は温度計の日と制定されています。」と記されていましたが、いつ誰がどのようにして、「温度計の日」を制定したのかは、不明です。
もしかしたら、温度計を作っている会社が販売促進のために定めたのではないか、と思っているのですが・・・


美浜町観光協会 和訳聖書発祥の地編

大牟田教会の公式サイトにおいて、リンク切れなどがないかチェックしていて、「プチ辞典」の「聖書について」のページで、愛知県美浜町観光協会へのリンクが切れているのが分かり、あらためてリンクをはり直す作業中、和訳聖書完成頌徳記念碑についてのMovieがYoutubeにアップされていることが分かりました。
下に貼り付けたのが、その映像です。


教会の公式サイトの「聖書について」のページは、下記のアドレスをクリックすると、見ることが出来ます。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/christianity02.html


愛知県知多郡美浜町には、教育大学時代、聖書研究会の同期生がいて、一度自宅を訪ねたことがあります。
同期生は、頌徳記念碑が建っている小野浦(知多半島美浜町の西海岸)とは反対側(東海岸)の河和という町に住んでいました。

気候温暖、風光明媚ということで、観光、そして農業、漁業の町という印象でしたが、30年以上経過して、町の様子は今頃どうなっているのかなあ。


母の日


2011年5月8日(日)母の日、教会学校の子どもたちが、礼拝の中でお母様方に歌とお花のプレゼントをしました。
その様子を少しだけ、YouTubeにアップしましたので、ご覧下さい。


母の日は、今からおよそ百年前にアメリカで、十戒の「父と母とを敬え」という御言葉に基づいて、母親への感謝を表す日として定められ、それが世界に広められました。
日本では、1915年(大正4年)に教会で母の日行事が初めて行われました。
その後、1936年(昭和11年)に森永製菓がこの心温まる行事を全国に広めようと、「森永母を讃へる会」を作り、関係諸団体に呼びかけた結果、全国統一の「母の日中央委員会」が組織され、翌年5月8~9日の両日、第一回「森永母の日大会」を東京豊島園で開催し、20万人の母親と児童を招待したそうです。

森永製菓の創業者森永太一郎氏は、熱心なクリスチャンで、商標のエンゼルマークは、人々にその喜びを伝えたいと考案したものです。

一年に一度、母の日1日だけ感謝すればよいというわけではありませんが、これをきっかけに、お互いが感謝の気持ちを表現し合うというのは、とてもよいことだと思います。「幸せなら手をたたこう」という歌ではありませんが、感謝の気持ちを態度で表しましょう。

お母様、いつも有り難うございます。
これからも美しくお元気でいらして下さい。

5月8日の御言葉 「とこしえの王座」


「主よ、あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。」 詩編102編13節


 102編は、「あなたは怒り、憤り、わたしを持ち上げて投げ出された」(11節)という言葉や、「どうか、立ち上がって、シオンを憐れんで下さい」(14節)という言葉などから、バビロンで強制労働に従事させられているイスラエルの民が、神に救いを求める「祈りの詩」と考えられます。キリスト教会は伝統的にこの詩を、七つの悔い改めの詩(6,32,38,51,102,130,143編)の一つに数えて来ました。


 詩の中に、具体的な罪に対する言及はありません。また、罪を悔いる言葉もありません。どうしてこれが、悔い改めの詩と言われるのでしょうか。


 悔改めとは、「向きを変える、ターンする」という言葉です。つまり、ごめんなさいと言うか言わないかというようなことではなく、今までの生き方を変えるということです。詩人をはじめイスラエルの民は、神に背き、御言葉に従わない生活をしていました。真の神を求めて祈ることもなかったのではないでしょうか。その結果、上述の11節の言葉のように、神の怒りを買い、投げ捨てられたようになったわけです。具体的には、イスラエルがバビロニア帝国に滅ぼされ、民はその奴隷となったということです。


 詩人は今、主の御名を呼び、「主よ、わたしの祈りを聞いて下さい」(2節)と神の御前に祈り求めるようになりました。確かに、神に対する態度が変わったのです。


 表題に、「祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩」(1節)とあるように、詩人は、捕囚の苦しみの中、頼りとする一切のものを失って心挫けてしまったのです。しかし、そのとき、もう一度まことの神、主を思い出して、祈りをささげているのです。それは、「苦しいときの神頼み」と揶揄されそうな事態です。しかしながら、苦しいときに依り頼むことの出来る神がおられることが、詩人の救いです。まさに、表題に言う「貧しい人」とは、神のほか、頼りとなるものを何も持たない人のことだからです。


 詩人が思い出した主なる神は、冒頭の言葉(13節)のとおり、「とこしえの王座についておられる」お方です。そのことについて、「わたしの神よ、生涯の半ばでわたしを取り去らないでください.あなたの歳月は代々に続くのです」(25節)と願い、神には終りの時がないけれども、人は取り去られるときが来る。そのときを早めないで欲しいと言います。また、「あなたは大地の基を据え、御手をもって天を造られました。それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは長らえられます」(26,27節)。「すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると、すべては変えられてしまいます。しかし、あなたが変わることはありません」(27,28節)と言い、最後にもう一度、「あなたの歳月は終わることがありません」(28節)と語ります。


 詩人は、主なる神が永遠に変わらない、とこしえの王座に着いておられることに希望を置いて、「どうか、立ち上がって、シオンを憐れんで下さい。恵みのとき、定められたときが来ました」(14節)と言っています。主が心引かれてイスラエルの人々を御自分の宝の民とされたのは、彼らが強く優秀な民だったからではなく、むしろ他のどの民よりも貧弱だったからです(申命記7章6,7節)。ですから、神がシオン=エルサレムを神の都として選ばれ、そこに神殿が建てられたのは、シオン山がどの山よりも高くそびえ、美しかったからではなく、神がイスラエルを恵みと憐れみによって選ばれたしるしだったのです。


 であれば、とこしえの王座に着き、永遠に変ることのない神は、今、神の憐れみを求めて祈る詩人たちのために、その怒りによってシオンを永遠に滅ぼしてしまわれることはないだろう。かつてエジプトの奴隷であったイスラエルの民の呻きに耳を傾け、憐れみをもってその苦しみから救いだして下さったように、ご自身の御名のゆえに、その栄光を回復させて下さるときがやって来るだろう、と詩人は受け止めたわけです。


 そして、そのときがくるのを一日千秋の思いで待っています。それが、「あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み、塵をすら、どれほど慕うことでしょう」(15節)という言葉になっています。最後に、「あなたの僕らの末は住むところを得、子孫は御前に堅く立てられるでしょう」(29節)と、主への信頼を言葉にすることが出来ました。


 主がこの信仰の祈りに答えて下さったことは、歴史が証明しています。


 主よ、罪が裁かれて苦しみを受けたイスラエルの民が、そこで本心に立ち返り、神を求めてその恵みに与ることが出来たのであれば、その裁きは実にあなたの愛の表れであり、そこに深いご経綸のあったことを示されます。確かに、御前に無益なことは一つもなく、すべてがプラスに変えられると信じます。どうか私たちの心の王座に着かれ、絶えず私たちを真理に導いて下さい。 アーメン



緑茶の日

今日5月2日は、立春から数えて88日目、「♪~夏も近づく八十八夜~」と歌われる茶摘みの最盛期。
社団法人日本茶業中央会は、この日(閏年は5月1日)を緑茶の日、4月29日~5月5日を緑茶週間と定め、お茶の啓発、普及、広報活動を行っているそうです。

良いお茶の葉を選ぶポイントは、見た目(形・色・つや)、香り、侵出した湯の色、味の4つです。
煎茶は色が鮮やかでつやのあるもの、玉露はより濃緑でおおい香(青くさく、生のりのような香り)が深いものが良質です。
見比べて、試飲し、満足いくものを購入しましょう。

またデリケートなお茶の香味は、専門の保存施設で保たれます。
家庭や職場などでの購入は必要なだけ、新鮮なものを少しずつ買うのがベストです。
また、1㎏のお茶が必要ならば、大袋で1㎏より、200gを5袋購入する方が新鮮なお茶を楽しめます。


日本一のお茶の産地は、言わずと知れた静岡県ですが、第2位が鹿児島県というのは、今日まで知りませんでした。
第3位は三重県で、因みに、福岡県は第6位です。
福岡県の八女地方は、玉露と煎茶の名産地として名高く、八女市を中心に星野村や黒木町などで生産されている玉露は、全国生産量の約半分を占め、日本一です。
また、全国茶品評会において、八女玉露は2001年以降、10年連続で農林水産大臣賞を受賞しています。

日本で最初にお茶の木が植えられたのは佐賀の背振だそうで、鎌倉時代の初め頃のことです。
八女でお茶が作られるようになったのは、1406年と言いますから、室町幕府の時代です。


八女の黒木町では、4月16日から5月初旬まで、黒木大藤まつりが行われています。
黒木の素盞嗚神社(全国各地に存在)の境内に、樹齢600年を超す大藤があり、約3,000平方メートルの藤棚で、1メートルを超す花房が川風にたなびき、周囲は藤の芳香につつまれます。
1395年に植樹されたそうですから、お茶が作られるようになったのとほぼ同時期ということになります。
一昨年、この大藤を見に行ったのですが、そんな由緒正しいものとは存じませず、失礼を致しました。

ナン茶ッtea

お後がよろしいかどうか分かりませんが、今日はここまで。

因みに、黒木大藤の開花状況については、黒木町観光協会の公式サイトから、大藤ライブカメラのページを開いてご覧になれます。
URL http://www.townkurogi-ta.jp/


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