風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2010年11月

11月28日の御言葉 「手を強くしてください」

「神よ、今こそわたしの手を強くしてください。・・わが神よ、トビヤとサンバラトのこの仕業と、わたしを脅迫した女預言者ノアドヤや他の預言者たちを覚えていてください。」 ネヘミヤ記6章9,14節

 これまでの再三にわたる妨害にもかかわらず、城壁の修復工事が進み、あとは城門に扉をつけるだけということを聞いたネヘミヤの敵サンバラトらは(1節)、ネヘミヤに危害を加える目的で、「オノの谷にあるケフィリムで会おう」と呼び出しをかけます(2節)。しかしネヘミヤは、大切な工事を中断して出かけていくことは出来ないと断ります(3節)。
 
 四度も同じことを言って来ましたが、ネヘミヤも同じ返事を繰り返しました(4節)。すると五度目には、「ネヘミヤがペルシャ王に謀反を企てている。城壁を建てているのがその証拠だ。そして、ネヘミヤがユダの王になろうとしていると報告するぞ」という脅迫状をよこしました(5節以下)。しかしネヘミヤは、それは事実に反するといって、動じません(8節)。
 
 そこで敵は預言者シェマヤによって、「神殿で会おう、聖所の中で。聖所の扉を閉じよう。あなたを殺しに来る者がある。夜、あなたを殺しにやって来る」と告げさせます(10節)。ネヘミヤの命を狙っている者がいるから、神殿に隠れよというのです。神殿にある祭壇の角をつかむというのは、神に助けを求める行為ですが(列王記上1章50節、2章28節)、しかし、聖所の中に入るのは、祭司、レビ人以外には許されていません。
 
 それで、「わたしのような者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があろうか」と答えているわけです(11節)。そして、ネヘミヤは嘘を見抜きます。シェマヤはトビヤとサンバラトに買収されて、偽りの預言をしていたのです(12節)。脅迫や偽りの預言でネヘミヤの恐怖心をあおり、過ちを犯させようとしたわけです。

 確かに、主に敵対する勢力は、人の不安や恐れにつけ込み、正しい判断や行動が出来ないように働きかけて来ます。けれども、主なる神がネヘミヤと共におられ、その都度必要な助け、導き、知恵を授けておられたことが分かります。
 
 私たちも、主イエスの十字架の贖いを通して救われ、聖霊の賜物を受けて、それぞれに主の業が託されています。悪魔は主の業が進まないように、完成しないように、様々な方法で妨げて来ます。脅しがあるかも知れません。買収があるかも知れません。私たちを意気消沈させたり、怠けるようにさせることもあるでしょう。場合によっては、自分が何をしたらよいのか分からなくなるようにさえするでしょう。悪魔の本質は、偽りであり、神への反逆です。神の業を妨害します。どうすれば、その悪魔の策略に打ち勝つことが出来るでしょうか。
 
 ネヘミヤは、冒頭の言葉(9,14節)の如く、祈りで対抗しました。彼は順風の時にも祈りました。そして勿論、逆風が吹いてくると神に助けを求めて祈っています。どんなときにも、主を求めて祈ったのです。

 「わたしの手を強くしてください」というのは、工事を成し遂げることが出来ますようにという願いでしょうけれども、出エジプトの際、襲って来たアマレクと戦ったとき、モーセの手が上がっているとイスラエルが優勢に、手が下がるとアマレクが優勢になったので、手が下がらないよう支えてもらって、イスラエルが勝ったという故事から(出エジプト記17章8節以下)、ネヘミヤの祈りの手が、常にしっかりと挙げられているようにと読みたいです。
 
 エフェソ書6章11節に、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」とあります。また、同18節で、「どのようなときにも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」と命じます。

 さらに「また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください」と、繰り返し祈りを要請しています。祈りを通して神と交わり、それによって悪魔の策略を見抜くことが出来るからですし、神の力を頂くことが出来るからです。
 
 祈りましょう。主が答えて下さいます。神は、求める者には聖霊を下さるのです(ルカ11章13節)。聖霊は私たちの救いの保証であり(エフェソ書1章13,14節)、神は聖霊を通して私たちの心に神の愛を注ぎ、苦難をも喜び誇ることの出来る者にして下さるのです(ローマ書5章3~5節)。


 主よ、あなたを信じます。弱く不信仰な私たちを助け、御言葉に立って口を開き、御言葉に従って行動することが出来ますように。聖霊に満たされ、絶えず唇の実を主にささげ、主の恵みを人々に証しする者として下さい。主の導きが常に豊かにありますように。 アーメン

11月21日の御言葉 「罪深い者として御前に」

「イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」 エズラ記9章15節
 
 エルサレムに到着したエズラのもとに、「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません」という知らせがもたらされました(1節)。それは、カナンの地の娘を娶り、彼らの習慣に従って生活するということでした(2節)。エズラは衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、呆然として座り込みました(3節)。それは非常に激しい驚き、悲しみ、憤りを表しています。どうして、イスラエルの民のみならず、祭司やレビ人まで、そのようなことをするのか、エズラには到底理解が出来なかったのです。
 
 かつて、エジプトの奴隷の苦しみから救われた神は、イスラエルの民にカナンの住民と婚姻を結び、その地の習わしに従ってはならないと命じられました(レビ記18章3節、申命記7章3節など)。それなのに、イスラエルの民はその戒めを守ることが出来ず、神の裁きを受けて国は南北に分裂し、なお罪を重ねた結果、北はアッシリアに、南はバビロンによって滅ぼされてしまいました。
 
 しかし、神はイスラエルを完全に滅し去ることをよしとはなさらず、深い憐れみによってイスラエルの民が生き残るようにされたのです。それは、バビロンで捕囚として生きるという道でした。しかも、永遠に捕囚となるというのではなく、70年という捕囚生活によって罪を償い、その後にエルサレムに帰り、国を建て直すことが出来るように計画しておられたのです(エレミヤ書29章10~14節)。そして、実際には、50年目に帰国が適いました。
 
 主なる神は、ペルシアの国庫負担で民に神殿を建て直させ(6章)、そして、大祭司エズラを派遣して、再建された新しいイスラエルの民に、掟と法を教えさせられました(7章)。しかるに民は、再び神に背く道を歩み始めるのです。しかも、「長たる者、官職にある者」、即ち民の指導者たちが率先して道を踏み外したのです(2節)。
 
 彼らは過去から何も学ばなかったのでしょうか。神に背いて亡国の憂き目を見たのに、そして、神の憐れみによってようやく帰国出来たのに、さらに、主の神殿を再建して、神の教えを学んでいるのに、どうしてこういうことになってしまうのでしょうか。ここに私たち人間のの罪の現実があるとしか、言いようがありません。何度叱られても、どんなに罰を受けても、同じように罪を繰り返し、本当に悔い改めることが出来ないのです。
 
 そのことを、エズラは祈りの中で神に懺悔し、「わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです」と告げます(10節)。エズラを呆然とさせているのは、たんにイスラエルの懲りない面々の罪の有様というのではなく、その罪の性質が誰にでもある、自分自身にもあるということではないでしょうか。
 
 エズラはここで、「彼らは罪深い者です。やっつけて下さい」と言っているのではなく、「お怒りになって、わたしたちを一人残らず滅ぼし尽くされても当然です」と言っており(14節)、続けて冒頭の言葉(15節)のとおり、「御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております」と語っています。自分もその罪深い者だという告白が、ここにあります。
 
 パウロが、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」と語っているのも(ローマ7章24節)、この罪を深く知らされたからです。

 神を畏れ、御前に謙る者を、主は軽しめられません。「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」(詩編34編19節)、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(同51編19節)、「わたしは、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ57編15節)といわれているとおりです。
 
 自分を知り、エズラのように、パウロのように、神の御前にぬかずきましょう。神に向かって祈りましょう。神を求めましょう。神の御心を聴きましょう。

 主よ、あなたは私のことをよくよくご存じです。あなたの目に隠れているものはありません。このような有様で御前に立ち得ないのですが、憐れみにより御前に額ずいております。主の憐れみと慈しみが常に豊かにありますように。恵みに応えて歩むことが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン

 

11月14日の御言葉 「家系の記録」

「自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、祭司職に就くことを禁じられた。」 エズラ記2章62節
  
 2章には、「帰還した捕囚の民」の一族ごとの数が記されています。リーダーはシェシュバツァルで(1章8,11節)、その他に、ゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと11名の名が記されています。合計12名は、どのような立場の人物であるか分かりませんが、12名ということで、イスラエル12部族の長という印象を与えようとしているのではないでしょうか。もっとも、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル10部族は、アッシリア帝国の各地に散り散りにされ、その後の行方は分かっていません。
 
 また、帰国した人々の一族は、3節以下で、氏族や家族の名で数えられてはいるようですが、それは、たとえば21節のベツレヘム、25節のキルヤト・アリム、28節のベテルとアイ、34節のエリコなど、町の名前で一族が数えられているという特徴があります。これは、ヨシュア記13章以下で各部族に領地として割り当てられた地域が列挙されていたことに似て、各一族は神から与えられた嗣業の地と結びついて存在していることを示していると言ってよいでしょう。
 
 エルサレムにイスラエルの神、主の神殿を建てるために神に心を動かされて帰国した者たちの中に、その血筋がイスラエルに属するかどうか、示せなかった者がいた、という記述があります(59,61節以下)。バビロンとの戦いに負けて捕囚となり、50年の奴隷生活をしていたのですから、きちんと家系図を保管していて求められればいつでも示すことが出来る、というほうが驚きでしょう。また、神殿再建のために神に心動かされた者たちが帰国したのですから、家系は問題ではないのではないか、と言ってもよさそうです。
 
 しかし、彼らはそれを問題にしました。イスラエルが滅ぼされたのは、神様との関係をいい加減にしたからです。今、神に促されて国を建て直す基礎を作ろうとしているところです。そのための神殿建築です。ですから、本当に主の民イスラエルの属する者なのか、神によって選び分かたれたレビの祭司の家系に属する者なのか、はっきりさせようとしているのです。
 
 その証拠を示すことが出来なかった者たちは、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで、待たされました。ウリムとトンミムをつけた祭司とは大祭司のことで、ウリムとトンミムは神の託宣を求めるのに用いるものでした。つまり、大祭司が立って、彼らが主の民イスラエルに属する者であるのか、レビ族、祭司の家系に属する者であるのか、神に尋ねたわけです。神が、ご自分に属する者であるか、ご自分が選んだ祭司の家系に属する者であるかどうか、はっきりとお示し下さるのを待ったのです。
 
 今日、私たちが神に属する者であるか、神に選ばれた祭司の系統であるかどうかを示して下さる大祭司がおられます。それは、私たちの主イエス・キリストです(ヘブライ書2章17節以下参照)。私たちは主イエスによって、国籍を天に持つ者とされました(フィリピ3章20節)。キリストを信じて神に属する者とされた私たちの名が、天の命の書に記されているのです(ルカ10章20節)。
 
 そして、それを証明するのは私たち自身ではなく、私たちが主イエスを信じることが出来るようにして下さった聖霊です。聖霊は私たちに、「イエス様こそ私たちの主です」という信仰を与え(第一コリント12章3節)、そして、私たちが神の御国の世継ぎであることを保証して下さるのです(エフェソ1章13,14節)。絶えず感謝と賛美をもって歩ませていただきましょう。ハレルヤ!
 
 主よ、捕囚から戻った人々は、礼拝する民として、主の民に属する者であるか、祭司の系統であるかを尋ねました。今、私たちは御言葉により、神を礼拝する民、祭司の系統に属する者であることが明確にされています。喜びと感謝をもってその務めを果たし、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

11月7日の御言葉 「神を求めて始めた事業」

「彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。」 歴代誌下31章21節
 
 ヒゼキヤは、祭司とレビ人の組分けを行い、組ごとにその任務に従って献げ物をささげ、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めました(2節)。ヒゼキヤの身の上にこれまで何があり、どのような神の恵みを味わってきたのか、詳しいことはよく分かりません。
 
 父アハズは、「父祖ダビデと異なり、主の目にかなう正しいことを行わなかった」(28章1節)と評される人物であり、それゆえでしょうが、アハズが召されて葬られるとき、「その遺体はイスラエルの王の墓には入れられなかった」と言われます(28章27節)。
 
 アハズの王位は16年で(同1節)、ヒゼキヤは25歳で王となりましたから(29章1節)、9歳から即位するまでの間、徹底して主なる神に背く父のもとで、その様子を見ていたわけです。ヒゼキヤが、父祖ダビデのように正しいことをことごとく行ったということは、父親を反面教師として育ったということになります。
 
 そして、そのように歩む中で神の恵みを味わったからこそ、喜んで主に従っているのでしょう。そして、主を求め、主に従う喜び、さらなる恵みを味わっているのでしょう。だからこそ、神殿では、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めたのです。
 
 ネヘミヤが、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と言っています(ネヘミヤ記8章10節)。感謝しながら力を得て奉仕し、それによってさらなる恵みを得て喜ぶのです。
 
 20節にも、「ヒゼキヤは自分の神、主の御前に良い事、正しい事、真実な事を行った」と記されていますが、主の御前に良い事、ただしい事、真実な事として、彼は何をしたのでしょうか。それはまず、祭司とレビ人を聖別して神殿を清めること(29章)、次いで、全国規模の過越祭を行うこと(30章)、それから、偶像を徹底的に取り除いたということです(1節)。
 
 更に、ヒゼキヤは自分の財産から主への献げ物をささげ(3節)、エルサレムに住む民には、祭司、レビ人の受けるべき分として、産物の十分の一を献げさせました(4節以下)。それは祭司、レビ人が主の律法のことに専念するためです。
 
 すると、イスラエルの民は、穀物、ぶどう酒、油、蜜など、畑のあらゆる産物の初物、あらゆる物の十分の一(5節)、また牛と羊の十分の一、主のために聖別された物の十分の一を運んで来ました(6節)。
 
 そうしてヒゼキヤは、冒頭の言葉(21節)の通り、「神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げ」ました(21節)。これは、そういうことを行ったことがあるという程度ではなく、主なる神を信じてその教え、戒めに従うことが人々の生活に根付くように、繰り返し、徹底して行わせたという意味ではないでしょうか。
 
 ヘブライ語の「成し遂げた」(ツァーラー)という言葉には、「成功する、繁栄する」という意味がありますから、このようなヒゼキヤの働きが豊かに実を結び、人々の生活が祝福を受けたということが出来るでしょう。
 
 私たちも主の恵みに豊かに与るため、信仰を生活の中にしっかりと根付かせましょう。神の御言葉に従い得ない不信仰、不従順で頑なな心、恵みを奪おうとする一切の悪しきものを除き去りましょう。私たちのために最善をなし、一切の必要を豊かに満たして下さる主に、感謝と喜びをもって10分の一と感謝の献げ物をささげましょう(マラキ3章8,10節参照)。神を求めて始めたすべてのことを、心を尽くして進めましょう。
 
 主が成し遂げさせて下さいます。成功させて下さいます。繁栄させて下さいます。パウロが、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げて下さると、わたしは確信しています」と記しているとおりです(フィリピ1章6節)。
 
 主よ、私たちが知る力と見抜く力を身に着けて、私たちの愛が益々豊かになり、本当に重要な事を見分けられますように。そしてキリストの日に備えて、清い者、咎められることのない者となり、主イエスによって与えられる義の実を溢れるほどに受けて、神の栄光と誉れを讃えることが出来ますように。 アーメン
 

ペシャワール会の支援要請

頂いたメールを、管理人の責任で掲載します。

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各位

 アフガニスタンで医療活動や灌漑施設の活動されているのは香住ヶ丘教会員の中村哲医師だと言う事はみなさんご存知だと思います。
今日5日(金)現在のペシャワール会のホームページには載っていませんが、朝日新聞福岡版10月29日に、アフガン灌漑施設洪水被害 中村医師「支援を」と言う新聞記事がありました。

新聞記事をそのまま載せることはできませんので要約します。

・今夏の大洪水で整備した灌漑施設が大きな被害を受けた。
・10月から始めた復旧工事が本格化のため資金面で厳しい状況が予想される。
・ニングラハル州カマ地区のクナール川沿いの第二取水口は被害がひどく崩壊寸前。
・川の水位が下がる10月から来年3月まで修復しなければならない。
・治安が悪く、警官の護衛のもとにダンプカー、削岩機、重機を使い工事している。
・3億5千万円程かかる。
・問い合せ:ペシャワール事務局 092-731-2372(186を先に)

ペシャワール会に新聞記事の事は確認しています。

http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
会費・寄付などの納入方法
郵便局備え付けの払込取扱票をご利用ください。
01790-7-6559
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