「神よ、今こそわたしの手を強くしてください。・・わが神よ、トビヤとサンバラトのこの仕業と、わたしを脅迫した女預言者ノアドヤや他の預言者たちを覚えていてください。」 ネヘミヤ記6章9,14節
これまでの再三にわたる妨害にもかかわらず、城壁の修復工事が進み、あとは城門に扉をつけるだけということを聞いたネヘミヤの敵サンバラトらは(1節)、ネヘミヤに危害を加える目的で、「オノの谷にあるケフィリムで会おう」と呼び出しをかけます(2節)。しかしネヘミヤは、大切な工事を中断して出かけていくことは出来ないと断ります(3節)。
四度も同じことを言って来ましたが、ネヘミヤも同じ返事を繰り返しました(4節)。すると五度目には、「ネヘミヤがペルシャ王に謀反を企てている。城壁を建てているのがその証拠だ。そして、ネヘミヤがユダの王になろうとしていると報告するぞ」という脅迫状をよこしました(5節以下)。しかしネヘミヤは、それは事実に反するといって、動じません(8節)。
そこで敵は預言者シェマヤによって、「神殿で会おう、聖所の中で。聖所の扉を閉じよう。あなたを殺しに来る者がある。夜、あなたを殺しにやって来る」と告げさせます(10節)。ネヘミヤの命を狙っている者がいるから、神殿に隠れよというのです。神殿にある祭壇の角をつかむというのは、神に助けを求める行為ですが(列王記上1章50節、2章28節)、しかし、聖所の中に入るのは、祭司、レビ人以外には許されていません。
それで、「わたしのような者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があろうか」と答えているわけです(11節)。そして、ネヘミヤは嘘を見抜きます。シェマヤはトビヤとサンバラトに買収されて、偽りの預言をしていたのです(12節)。脅迫や偽りの預言でネヘミヤの恐怖心をあおり、過ちを犯させようとしたわけです。
確かに、主に敵対する勢力は、人の不安や恐れにつけ込み、正しい判断や行動が出来ないように働きかけて来ます。けれども、主なる神がネヘミヤと共におられ、その都度必要な助け、導き、知恵を授けておられたことが分かります。
私たちも、主イエスの十字架の贖いを通して救われ、聖霊の賜物を受けて、それぞれに主の業が託されています。悪魔は主の業が進まないように、完成しないように、様々な方法で妨げて来ます。脅しがあるかも知れません。買収があるかも知れません。私たちを意気消沈させたり、怠けるようにさせることもあるでしょう。場合によっては、自分が何をしたらよいのか分からなくなるようにさえするでしょう。悪魔の本質は、偽りであり、神への反逆です。神の業を妨害します。どうすれば、その悪魔の策略に打ち勝つことが出来るでしょうか。
ネヘミヤは、冒頭の言葉(9,14節)の如く、祈りで対抗しました。彼は順風の時にも祈りました。そして勿論、逆風が吹いてくると神に助けを求めて祈っています。どんなときにも、主を求めて祈ったのです。
「わたしの手を強くしてください」というのは、工事を成し遂げることが出来ますようにという願いでしょうけれども、出エジプトの際、襲って来たアマレクと戦ったとき、モーセの手が上がっているとイスラエルが優勢に、手が下がるとアマレクが優勢になったので、手が下がらないよう支えてもらって、イスラエルが勝ったという故事から(出エジプト記17章8節以下)、ネヘミヤの祈りの手が、常にしっかりと挙げられているようにと読みたいです。
エフェソ書6章11節に、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」とあります。また、同18節で、「どのようなときにも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」と命じます。
さらに「また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください」と、繰り返し祈りを要請しています。祈りを通して神と交わり、それによって悪魔の策略を見抜くことが出来るからですし、神の力を頂くことが出来るからです。
祈りましょう。主が答えて下さいます。神は、求める者には聖霊を下さるのです(ルカ11章13節)。聖霊は私たちの救いの保証であり(エフェソ書1章13,14節)、神は聖霊を通して私たちの心に神の愛を注ぎ、苦難をも喜び誇ることの出来る者にして下さるのです(ローマ書5章3~5節)。
主よ、あなたを信じます。弱く不信仰な私たちを助け、御言葉に立って口を開き、御言葉に従って行動することが出来ますように。聖霊に満たされ、絶えず唇の実を主にささげ、主の恵みを人々に証しする者として下さい。主の導きが常に豊かにありますように。 アーメン