「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った。」 歴代誌上18章1節
ダビデはかつて、サウル王の追跡から逃れるため、国外に逃亡したことがあります(サムエル記上27章参照)。その時に身を寄せたのが、アキシュ王のいる、ペリシテの首都ガトでした(同2節)。アキシュはダビデの亡命を許し、ツィクラグを与えました(同6節)。
今回、冒頭の言葉(1節)の通り、ダビデはペリシテとの闘いでガトの地を手に入れました。並行記事の記されているサムエル記下8章1節には、「メテグ・アンマを奪った」と記されていますが、メテグ・アンマとは「首都の手綱」という意味ですから、まさしく、「ガトとその周辺の村落」を指しているといってよいでしょう。
この戦いが、ペリシテとイスラエル、どちらから引き起こされたものであるか、詳細は不明です。前に、サウルの死後、ダビデがイスラエルの王になったと聞いたペリシテ人が攻め上って来たことがありました(14章8節以下、サムエル下5章17節以下)。ダビデがイスラエルの王として即位したことを、ペリシテに対して恩を仇で返すものだとでも思ったのでしょうか。それとも、ダビデが王になったばかりなので、今ならば国内に混乱があって、攻め落とせるとでも思ったのでしょうか。
しかし、神の託宣に従って行動するダビデの前に、ペリシテ軍はさんざんに打ち破られてしまいました(14章10節)。あるいは、今回の闘いは、そのときの報復を目的とした、ペリシテによって仕掛けられた戦争だったのかも知れません。しかしながら、ペリシテ軍は決定的な敗北を喫し、首都ガトを失う結果となりました。
もしも、ペリシテ人たちが戦いではなく、交易を求めていたらどうだったでしょうか。かつてダビデがサウルを逃れて身を寄せたガトの人々が、その時に与えた温情を出汁にしてやって来ていたら、それを断ることは難しかったでしょう。
また、ペリシテの製鉄技術を獲得することは、イスラエルにとって大きな利益となるといった算盤勘定をしたかも知れません。隣国と和睦することで、力を合わせて共通の敵に対処することが出来るという利益もあります。そのために、互いに婚姻を結び、より密接な関係が築こうとしたかも知れません。
けれども、そういうことになっていれば、ソロモンのときにそうであったように、エルサレムにダゴンの神殿が建てられることになったのかも知れません。申命記29章17節に、「今日、心変わりして、我々の神、主に背き、これらの国々の神々のもとに行って仕えるような男、女、家族、部族があなたたちの間にあってはならない。あなたたちの中に、毒草や苦よもぎを生ずる根があってはならない」と記されていますが、その意味で、この戦いは、異教の神々に仕える結果に陥るのを未然に防ぎ、心中に起こる罪の芽を予め抜き取る役目を果たしたと言えそうです。
ダビデはその後、モアブを討ち(2節)、ハマト地方のツォバの王ハダドエゼルを討ち(3,4節)、ダマスコのアラム軍を討ち(5,6節)、また、エドムを打ち負かしました(12節)。これは、ダビデの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名を与えると、主がダビデに約束されたとおりのことでした(17章8節参照)。
ところで、私たちにも古い苦き根が残っていて、それが心を悩ませ、思わぬ結果を生み出すことがあります(ヘブライ書12章15節)。御言葉の光の中で心を点検し、主の御前に相応しくないものを取り除き、清めていただきましょう。私たちは、神の変わることのない生きた言葉によって、新たに生まれた者なのです(第一ペトロ1章23節)。すべてのものを神の手に取り戻しましょう。主を信じ、主にすべてを委ねて従いましょう。
主よ、私たちは、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血により、空しい生活から贖い出して頂きました。生まれたばかりの乳飲み子のように、混じり気のない霊の乳を慕い求めます。それによって成長し、いよいよ主の恵み深さを味わい知る者となるためです。 アーメン