風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2010年09月

9月26日の御言葉 「ガトとその周辺の村落」

「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った。」 歴代誌上18章1節

 ダビデはかつて、サウル王の追跡から逃れるため、国外に逃亡したことがあります(サムエル記上27章参照)。その時に身を寄せたのが、アキシュ王のいる、ペリシテの首都ガトでした(同2節)。アキシュはダビデの亡命を許し、ツィクラグを与えました(同6節)。
 
 今回、冒頭の言葉(1節)の通り、ダビデはペリシテとの闘いでガトの地を手に入れました。並行記事の記されているサムエル記下8章1節には、「メテグ・アンマを奪った」と記されていますが、メテグ・アンマとは「首都の手綱」という意味ですから、まさしく、「ガトとその周辺の村落」を指しているといってよいでしょう。
 
 この戦いが、ペリシテとイスラエル、どちらから引き起こされたものであるか、詳細は不明です。前に、サウルの死後、ダビデがイスラエルの王になったと聞いたペリシテ人が攻め上って来たことがありました(14章8節以下、サムエル下5章17節以下)。ダビデがイスラエルの王として即位したことを、ペリシテに対して恩を仇で返すものだとでも思ったのでしょうか。それとも、ダビデが王になったばかりなので、今ならば国内に混乱があって、攻め落とせるとでも思ったのでしょうか。
 
 しかし、神の託宣に従って行動するダビデの前に、ペリシテ軍はさんざんに打ち破られてしまいました(14章10節)。あるいは、今回の闘いは、そのときの報復を目的とした、ペリシテによって仕掛けられた戦争だったのかも知れません。しかしながら、ペリシテ軍は決定的な敗北を喫し、首都ガトを失う結果となりました。
  
 もしも、ペリシテ人たちが戦いではなく、交易を求めていたらどうだったでしょうか。かつてダビデがサウルを逃れて身を寄せたガトの人々が、その時に与えた温情を出汁にしてやって来ていたら、それを断ることは難しかったでしょう。
 
 また、ペリシテの製鉄技術を獲得することは、イスラエルにとって大きな利益となるといった算盤勘定をしたかも知れません。隣国と和睦することで、力を合わせて共通の敵に対処することが出来るという利益もあります。そのために、互いに婚姻を結び、より密接な関係が築こうとしたかも知れません。
 
 けれども、そういうことになっていれば、ソロモンのときにそうであったように、エルサレムにダゴンの神殿が建てられることになったのかも知れません。申命記29章17節に、「今日、心変わりして、我々の神、主に背き、これらの国々の神々のもとに行って仕えるような男、女、家族、部族があなたたちの間にあってはならない。あなたたちの中に、毒草や苦よもぎを生ずる根があってはならない」と記されていますが、その意味で、この戦いは、異教の神々に仕える結果に陥るのを未然に防ぎ、心中に起こる罪の芽を予め抜き取る役目を果たしたと言えそうです。
 
 ダビデはその後、モアブを討ち(2節)、ハマト地方のツォバの王ハダドエゼルを討ち(3,4節)、ダマスコのアラム軍を討ち(5,6節)、また、エドムを打ち負かしました(12節)。これは、ダビデの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名を与えると、主がダビデに約束されたとおりのことでした(17章8節参照)。
 
 ところで、私たちにも古い苦き根が残っていて、それが心を悩ませ、思わぬ結果を生み出すことがあります(ヘブライ書12章15節)。御言葉の光の中で心を点検し、主の御前に相応しくないものを取り除き、清めていただきましょう。私たちは、神の変わることのない生きた言葉によって、新たに生まれた者なのです(第一ペトロ1章23節)。すべてのものを神の手に取り戻しましょう。主を信じ、主にすべてを委ねて従いましょう。
 

 主よ、私たちは、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血により、空しい生活から贖い出して頂きました。生まれたばかりの乳飲み子のように、混じり気のない霊の乳を慕い求めます。それによって成長し、いよいよ主の恵み深さを味わい知る者となるためです。 アーメン

9月19日の御言葉 「万軍の主が共に」

「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。」 歴代誌上11章9節

 サウル王の死後、すべてのイスラエルの民がヘブロンにいたダビデのもとに集まりました(1節、サムエル記下5章1節)。そして、主の御前に契約を結んでダビデに油を注ぎ、全イスラエルの王とします(3節)。
 
 サムエル記には、サウルの死後、ダビデはヘブロンでユダ族の王となり、全イスラエルはサウルの4男エシュバアル(9章29節、サムエル記下2章8節以下ではイシュボシェト)を王としましたが(サムエル下2章)、同族の家臣に暗殺されたということが記されています(サムエル下4章)。その後、ダビデが全イスラエルの王となったのです(サムエル下5章)。
 
 ヘブロンで全イスラエルの王として即位したダビデは、難攻不落のエブス人の町、シオンの要害を攻略して、そこに移り住みました(4節以下)。そこで、その町がダビデの町と呼ばれるようになります。ダビデは、町の周囲を城壁で固めました。エブス人との戦いで荒れた町は、真っ先に町に攻め上って軍の頭となったヨアブが修復しました(6,8節)。
 
 そのようなダビデの周りには、名のある勇士たちが大勢集まっていました(10節以下、サムエル記下23章8節以下)。彼らはダビデが王として国を治めることに協力します。そこには、敵陣の向こうにあるベツレヘムの井戸の水が飲みたいと言ったときに命懸けでそれを実行した、即ち、敵の囲みを突破してその向こうの井戸の水を汲み、再び敵陣を突破して戻って来るという、まさしく献身的な行動を取った勇士たちがいます(15節以下)。

 ここで、ダビデがアドラムの洞窟にいたときというのは、サウルの手を逃れて逃避行をしていたときのことでしょう(サムエル記上22章1節)。そのときに、三十人の勇士の中の三人が、ダビデのもとに来たということになるのですが、それは何故でしょうか。
 
 サムエル記には、「困窮している者、負債のある者、不満のある者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた」と記されています(同22章2節)。こうしたことの背景には、自分の保身のためにダビデを追い回し、王としての務めを果たしていないサウルに対する不満、失望があったわけです。
 
 だから、ダビデを王とするとき、「これまで、サウルが王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした」とイスラエルの民は告げていました(2節)。逃避行のさなかでもイスラエルの民のことを思って行動をするダビデに感動した者もいたのでしょう(同23章1節以下など参照)。
 
 また、ダビデの信仰を上げることも出来ます。ダビデはまっすぐ神を求め、主に従いました。勿論、完璧に清く正しく生きたというのではありませんけれども、罪を指摘されると、それを誤魔化さず、罪を認めて悔い改めました(サムエル記下12章13節など参照)。
 
 歴代誌の記者はしかし、冒頭の言葉(9節)の通り、ダビデが勢力を増したのは、万軍の主がダビデと共におられたからだ、と言います。ダビデがエルサレムに主なる神のために神殿を建てたいと願ったとき(サムエル下7章1節以下)、神は預言者ナタンを通して、「あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう」と約束しておられました(同9節)。その約束を忠実に実行されたわけです。
 
 ダビデも、「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません」(詩編16編8節)と詠っています。ダビデが常に主の前に出たというよりも、主がどんなときでもダビデから離れず、その右にいてダビデを支えておられたわけです。
 
 イスラエルの主は、眠ることもまどろむこともなく見守って下さる方であり(同121編4節)、杖と鞭で彼に道を教え、敵に囲まれて四面楚歌という状態でも、主と食卓を共にし、彼の杯はいつも喜びと平安で満ち溢れているのです(詩篇23編)。
 
 翻って、主は私たちと共にいて下さるのでしょうか。答えはイエスです。主イエスはインマヌエルと称えられるお方と言われます(マタイ1章23節)。インマヌエルとは、神が私たちと共におられるという意味です。主イエスは、「神が私たちとご一緒だ」という名前を持っておられるというのです。ですから、「主イエス様」と呼べば、神様が私たちとご一緒下さるといってもよいでしょう。そして、愛の上に更に愛を加えて愛し、恵みをお与え下さるのです。
 
 絶えず主の御名を呼び、主をたたえ、主の御言葉に耳を傾け、真理を悟り、御旨に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、御子キリストをこの世に遣わし、十字架で贖いの業を成し遂げ、私たちの罪を赦し、神の子とする道を開いて下さいました。聖霊が私たちのウチに住まわれ、常に共にいて、御心に適う執り成しをし、万事を益に変えて下さいます。絶えずその大いなる御愛に感謝し、御言葉に従って歩む者とならせて下さい。福音の交わりが豊かにされますように。 アーメン

 

叶昌全先生召天

もと大牟田教会牧師で、現・大牟田フレンドシップ教会牧師、社会福祉法人キリスト者奉仕会理事長の叶昌全先生が、今日の午後、召天されました。
ご子息で恵愛園施設長の叶義文氏よりお報せ頂きましたものを、管理人の責任でここに転載します。


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関係各位

                        社会福祉法人キリスト者奉仕会
                                  大牟田恵愛園
                                施設長 叶 義文

         訃報のお知らせ

 日ごろより、当法人の運営にご理解とご協力いただき、感謝申し上げます。
さて、法人理事長の叶昌全が本日9月15日12時40分に召天いたしましたので、ご報告致します。つきましては、以下の日程で、日本バプテスト連盟大牟田フレンドシップキリスト教会と社会福祉法人キリスト者奉仕会の合同葬および告別式を執り行いますので、併せてご案内申し上げます。


   【前夜式・告別式のお知らせ】

法 人 名 社会福祉法人キリスト者奉仕会
事業者名 大牟田恵愛園
       (かのう しょうぜん)
役職氏名 理事長 叶 昌全

前夜式日時 2010年9月16日(木)19:00~
告別式日時 2010年9月17日(金)13:00~

斎 場 名 フェニックスホール 吉野玉泉院
   住所 〒837-0904 大牟田市吉野1696ー1
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E130.28.11.8N33.3.47.5&ZM=11
 電話番号 0944-58-1555

喪主 叶 信治
施主 叶 義文

お問い合せ 大牟田恵愛園(富安、山下、徳永)
      TEL:0944-51ー8750
      FAX:0944ー51ー8749
http://www.shaho-keiai.jp/index.shtml


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5月24日(月)にキリスト者奉仕会の評議員会で先生にお会いしたときには、元気にしておられました。

その後、健康を維持する措置のために入院をされて、6月初め容態が急変、意識不明で一時心肺停止状態にもなられましたが、一命を取り留め、その後順調に回復しておられるように思っていました。
先週も、教会員が訪ねたとき、お腹がすいた、鰻が食べたいというようなことを仰ったという話でした。
退院の日もそう遠くはないのかなと思っておりましたら、昨日昏睡状態になり、ご家族にお集まりになるようにという話があったそうです。

今夜の祈り会の折、出席者の一人が日曜日、教会の帰りに病室を訪ねたら、「有り難う、有り難う」と迎えて下さったという話で、それが先生のお見せになった最後の元気な姿だったようです。

先生は大牟田で、55年の長きにわたって牧会者としてよき働きをされ、その傍ら、光の子幼稚園の園長・理事長を務められました。また、大牟田恵愛園を開設、法人理事長となられました。その他、九州バプテスト神学校理事長を初め様々な要職を務め、現在も、多くの肩書きをお持ちです。
私も関わらせて頂いている九州リバイバル聖会では、当初から顧問として名を連ねておられます。

まだまだお元気にご活躍頂きたかったと思っています。

主の慰めと平安が、ご遺族の上に、関係各位の上に今このとき、豊かに注がれますように。

9月12日の御言葉 「わたしは苦しんで産んだから」

「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」 歴代誌上4章9節

 10節の、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」という祈りは、それを祈ったヤベツの名をとって、「ヤベツの祈り」と言われています。
 
 9年ほど前、ブルース・ウィルキンソンが、この祈りに関する小さい書籍を出版したところ、全米で短期間に一千万部を売り上げるという反響を生み、日本語でもそれが出版されました。その後、様々な牧師、伝道者が、ある人はメディアを通じて、この祈りについて語り、その影響は今も続いています。私も、この祈りを自分のものとすべきだと示されて、祈りを始めました。
 
 「ヤベツの祈り」は、ユダの子孫の系図の中で紹介されているのですが(4章1節以下)、ヤベツの父は誰なのか、また、彼の子どもは誰なのか、記されてはおりません。ある方は、その書籍の中でイスラエル人でさえないと結論しています。いずれにせよ、創世記のメルキゼデクのように(創世記14章18~20節)、ただ一度突然現れて、忽然と去りました。ともかく、9,10節に僅か数行コメントされただけで、この後は全く登場して来ないのです。
 
 冒頭の言葉(9節)によれば、ヤベツという名は、母親が「わたしは苦しんで産んだから」といって名付けたそうです。どのような苦しみであるか、定かではありませんが、出産の苦しみは死ぬほどのものだと聞きます。だからといって、それを子どもに思い知らせるかのような名付けを行うだろうか思います。
 
 確かに神は、出産を苦しみとして人にお与えになりました(創世記3章16節)。けれども、苦しんで産んだ後、その子どもの顔を見ると、苦しみを忘れてしまうとも聞きます。主イエスもそのことを引いて、主イエスの受難、離別の悲しみが喜びに変えられることを説かれました(ヨハネ16章21~22節)。
 
 ヤコブの愛妻ラケルが二人目の息子を出産するとき、それは大変な難産で、結局ラケルは命を落としてしまいました。ラケルはその子を「ベン・オニ(苦しみの子)」と名付けました。彼女はベツレヘムの傍らに葬られました(創世記35章16節以下)。ベツレヘムはユダ族のダビデの町です。ヤベツと共通点が多いなあと思いました。
 
 母親からは、苦しみの子と呼ばれましたが、ヤコブの愛妻ラケルの子で、ヤコブから特別に愛されました。ヤコブは彼を「ベニヤミン(幸いの子)」と呼んでいます。苦しみの子ではかわいそうだから、という解釈もありますが、母ラケルの苦しみと死を通して、幸いが与えられた、祝福が生み出されたのだと受け取ることも出来ます。
 
 ベニヤミンは12人兄弟でただ一人、イスラエルの地で生まれました。他の兄弟は、ラケルの故郷ハランの地で生まれたのです(創世記29章31節以下)。ベニヤミン族から最初の王が選ばれていることも考え合わせ(サムエル記上10章20節以下)、12部族の中で特別な地位をベニヤミンは占めています。これは、ヤベツが兄弟たちの中で最も尊敬されていたという言葉にも、重なるところではないでしょうか。
 
 そして、ヤベツが最も尊敬されていたというその背後には、「ヤベツの祈り」があるということです。その祈りが聞かれて、ヤベツは祝福を受けたのです。しかし、その祈りはヤベツの祈りというよりも、ヤベツに与えられた祈り、教えられた祈りでしょう。ヤベツに祈りを教えたのは、彼の母親だと思います。

 そうしたことを考え合わせると、ヤベツの出産のときに、たとえば夫と死別するといった苦しみ、深い痛みを味わい、失意のどん底にいたけれども、そこで主に祈りを捧げて、神の助けに与り、無事に出産を終えることが出来たので、その恵み、主の計らいを忘れないために、あえて苦しみを意味する「ヤベツ」という名をつけたのかも知れません。

 そのとき、ヤベツの母を祈りに導いたのは、聖霊なる神でしょう。そして、聖霊がヤベツを、そして私たちをも祈りに導かれるのです。聖霊ご自身が、産みの苦しみを味わっている私たちのために言葉に表せない呻きをもって執り成して下さいます(ローマ8章22~23,26節)。そして神はこの祈りに応え、万事が益となるように、マイナスもプラスにして下さるのです(同8章28節)。
 
 これからも、ヤベツの祈りの心をもって進んで参りましょう。そして主の祝福に与りましょう。

 主よ、苦しみの中で生まれたヤベツは、祈りに導かれて、豊かな祝福に与りました。そのための苦しみということでもないと思いますが、どんなときにも感謝をもって祈り、インマヌエルの主の恵みと平安に与らせて下さいますように。そして、御名を崇めさせたまえ。 アーメン!

タイセン先生の講演会

1009091009109日(木)、10日(金)、西南学院コミュニティーセンターで、ドイツ・ハイデルベルク大学名誉教授ゲルト・タイセン先生の特別講演会が開かれました。

今回は、日本新約学会第50回大会が西南学院を会場に行われることに合わせ、西南学院大学学術研究所が特別講演会を開いたという形でした。

9日(金)は、「史的イエスとケーリュグマ-学問的構成と信仰への道」と題し、英語で講演されました(左の写真)。
通訳は、西南学院大学神学部教授の須藤先生です。

イエスの前に「史的」とつけば、それは、この地上を歩まれた歴史的存在の人間イエスのことです。
ケーリュグマとは、宣教という意味で、この講演では、宣教されているキリスト、信仰対象としてのキリストといった意味に用いられています。
人間イエスがいかにして、信仰の対象、宣教されるキリストとなったのかを、学問的に考えるということでしょう。

主イエスは、ご自分については「人の子」と言われ、神的存在ではないことを明言されていました。
けれども、主イエスと触れ合った人々は、主イエスの言葉や振る舞いに神を見ました。

これは、主イエスがたとえ話を用いて福音を宣べ伝えられたことと、同じ構造です。
主イエスは、直接的に神や神の国について語ることはありません。
たとえを用いて語られました(マタイ1章34節など)。
たとえば、「放蕩息子」のたとえ話は(ルカ15章11節以下)、父親と二人の息子たちの物語です。
どこにもありそうな話題ですが、このたとえ話を聞いた人々は、そこに、神と人の関わりを透かし見ます。

今回の講演で最も興味深かったところは、「私たちは今や、史的イエスのケーリュグマのキリストへの変容を理解出来ます。即ち、死者の復活によって、私たちは無から何かを創造することが出来る力と出会い、そしてこの力は人間の生の中へ立ち現れます。この力は、十字架につけられたイエスにおいて(と共に)発揮されます。そこで私たちは決定的な境界、即ち無と有の間の境界の踏み越えに出会います。・・・史的イエスは彼の譬えと象徴行動で、この世界を、そこに創造者である神が透けて見えるようにし、このようにして神との間接的な出会いを媒介します。ケーリュグマのキリストは、一切のものを無から創造する神と直接向き合います。私たちは存在と非存在それ自体の神秘と出会います。譬えにおいて行動し、説教し、この比喩的なやり方で神へ近づく道を創った史的イエスは、その十字架刑と復活によって、自ら神の譬えとなったイエスについてのケーリュグマに変容したのです」というところです。

講演の後の質疑応答で、十字架をどう理解するのかという問いに、「それはまず、躓きであり、神の挑戦だ。人は、自分が生きるために人を殺す存在だということを、十字架は示している。そのように人間の真実な姿を直視させるものだ。それから、十字架は神の贖いの業、神の主体的な業を示している。主イエスはそこで、自分が死んで、人を生かす道を示された」というように、タイセン先生は答えられました。

復活は、無から有を創造される神の力が現されたもので、それが十字架で死なれた主イエスにおいて起こったからこそ、史的イエスがケーリュグマのキリストとなられたと考えてよいのでしょう。


10日(金)は、「教派を超える教会政治家パウロ-その成功と失敗」と題し、ドイツ語で講演されました(右の写真)。
通訳は、自由学園最高学部長・東京大学名誉教授の大貫隆先生です。

簡単に講演の内容に触れてみます。

パウロを「教会政治家」と呼ぶのは、殆ど聞いたことがないと思いますが、パウロは政治的な力を発揮して、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者との間に一致を生み出そうとし、それは、使徒会議(使徒言行録15章、ガラテヤ書2章)において成功し、その後の異邦人伝道に大きな力となりました。

さらにパウロは、ユダヤ人と異邦人の一致を夢見、行動します。
それは特に、エルサレム神殿において誰もが分け隔てなく神を礼拝出来るようになるということです。
ガラテヤ書3章26節以下に記されているのが、パウロの夢でしょう。
28節で、「そこではもはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」と言い、さらに29節、「もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」と告げます。
エフェソ書2章18,19節にも、「それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」と記されています。
そこで、エフェソ出身のトロフィモを連れてエルサレムに登ったところ、ギリシア人を神殿の境内に連れ込んだということで騒動が起こり(使徒21章)、逮捕されてローマに護送され(同27,28章)、伝説によれば、ローマで処刑されます。
また、それが発端となって、エルサレムの教会は終わりを迎えることになりました。
ここに、ユダヤ人と異邦人を一致させようとするパウロの試みは、失敗に終わりました。


興味深い講演でした。
このようなパウロ理解が正当なものかどうか、本当のところはよく分かりませんが、しかし、やがて世が終わりを迎えたとき、ユダヤ人も異邦人も皆、天の御国において神の前に立たされ、共に礼拝するときが来ます。
パウロはキリストの教会を、天の御国を先取りして、すべての者が一つになるところと考えたということ、そのために苦闘しつつ働いていたということは確かなのだろうと思いました。


講演会の後、先生の著書を購入し、サインをして頂きました。


そのほか、日本新約学会50年の回顧と展望と題して、東京大学名誉教授・恵泉女学園大学名誉教授の荒井献先生、桐蔭横浜大学客員教授・東京工業大学名誉教授の八木誠一先生の記念講演がそれぞれなされました。

とても有意義な二日間の学びの時でした。




ブロック教役者会

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今日は、熊本県合志市の豊岡伝道所で、大牟田・熊本ブロックの教役者会が開かれました。



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今回は、豊岡伝道所の浦上牧師が、第一部礼拝の説教担当です。

マタイ福音書15章21~28節の箇所で、フェニキア地方に生まれたカナンの女が、「あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」という主イエスの評価を受け、娘の病気を癒して頂いたという物語から、説教を取り次いで下さいました。

冒頭、「愛することは生きること、愛されることは生かされること」と仰り、今日の説教のテーマが「愛」であることを示されました。

この異邦の女性は、「わたしを憐れんで下さい」と主に訴えますが(22節)、主はそれに沈黙して、お答えになりません(23節)。
女がイエスの前にひれ伏して「どうかお助け下さい」と求めると(25節)、「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と、その求めを拒絶されます(26節)。
弟子たちとのやりとりの中でも、「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、突っぱねておられました(24節)。

こんな沈黙や拒絶に遭うと、私たちは意気消沈します。
また、娘のために必死で求めたのであれば、主イエスの答えに腹を立て、二度と頼むものかと思うでしょう。

ところが、女性は驚くべきことに、主イエスの反応をよしとし、しかし神の恵みは食卓から溢れて、下にいる小犬にもこぼれ落ちてくる、それで十分だと言うのです。
ここに、自分はその恵みを頂く資格のない者であるという自己認識と同時に、神はその資格のない者にも十分な恵みをお与え下さるほどに、愛と憐れみに富んでおられるお方であるという信仰を言い表しているわけです。
失望する事態に直面させられてもなお、不可能を可能とされる神に対する信頼の心を失うことがなかったのです。

恐らく、主イエスはこの女のその言葉に驚来、また喜ばれたことでしょう。
「イスラエルの家の失われた羊」だけでなく、「小犬」と呼んだ異邦の女にも、神はかくのごとき信仰をお与えになったのです。

そのように主を仰ぎ、主を信じ、主を愛する者にならせて頂きたい、と思いました。


第二部は懇談の時です。
最初に、各教会・伝道所の近況を報告し合いました。
奇しくも、それぞれのところから、音楽に関連する話題が提供されました。
賛美を通して、礼拝が豊かにされること、伝道の働きが前進することを信じ、期待したいと思います。

その後、連合総会の開催のことについて、協議しました。
本来ならば来年3月に大牟田・熊本ブロックで行うべきところ、当方の事情で鹿児島が代って下さったので、再来年3月に大牟田で受けること、その2年後に熊本で行えば、もとのローテーションに戻ることを確認しました。

最後に、次回のブロック教役者会を、11月15日(月)午後2時より、東熊本教会で行うこと、第一部礼拝説教を保田井牧師にお願いすることになりました。


浦上先生の説教、浦上夫人、三浦姉のもてなしを受けて身も心も満たされ、感謝のうちに家路につきました。
主の恵みに心から感謝します。

9月5日の御言葉 「律法の書を見つけました」

「その時大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、『わたしは主の神殿で律法の書を見つけました』と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。」 列王記下22章8節
 
 
かつて、ヨアシュの時代に神殿の修復がなされたという記事がありました(列王記下12章参照)。その後、アハズやマナセ、アモンが主の目に悪を行い、神殿を汚しました。アモンが謀反で殺され、その子ヨシヤが8歳で王位につきました(1節)。
 
 彼には大変優れたブレーンがいたようです。母親エディダの薫陶でしょうか。あるいは大祭司ヒルキヤや女預言者フルダのような預言者たちの指導でしょうか。正確なことは分かりませんが、その甲斐あって、歴代誌によればヨシヤは16歳のときに自ら神を求め初め、20歳で宗教改革に着手します(歴代下34章3節)。
 
 その初めに、国内から偶像を取り除きます。その後、治世第18年、即ち26歳になって、神殿の修復を進めます(3節以下)。すると、冒頭の言葉(8節)のとおり、一巻の律法の書をヒルキヤが見つけました。長い間失われたままになっていたわけです。
 
 今のように、聖書を簡単に手に入れることは出来ませんでした。羊皮紙という高価な巻物手に一つ一つ手で書き写されていたわけです。祭司や律法の専門家、そして、律法の写しを造って自分の傍らに置いておけと命じられている(申命記17章18,19節)王以外に、聖書を持っている者はいなかったと思われます。見つけられたのは申命記であると考えられていますが、申命記が失われたままになっていました。
 
 律法の書は契約の箱の傍らに置かれているはずでした(申命記31章26節)。その律法の書の所在が分からなくなるほど、神殿が壊れ、荒れていたのでしょうか。あるいは、異教の礼拝がなされて、聖書がないがしろにされ、王も祭司も、律法の書を紛失していることにも気づかなかったのでしょうか。
 
 しかし神は、神を求めて宗教改革を断行しているヨシヤのために、律法の書を見つけさせました。「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」(ヤコブ4章8節)と言われるとおり、神を求めたヨシヤに神が答え、神の言葉を与えて下さいました。即ち、律法の書を見つけさせて下さったのは、実は神の計らいだったということではないでしょうか。神は生きておられ、求める者に必要な最も良いものをお与え下さいます(マタイ7章7,11節)。

 御言葉が開かれると、ヨシヤは衣を裂いて悔い改め(11節)、祭司たちを預言者フルダのもとに遣わし、主の御旨を尋ねます(12節以下)。そこで語られた神の言葉は、厳しいものでした。「この書のすべての言葉の通りに、この所とその住民に災いをくだす。彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない」と言われるのです(16,17節)。つまり、ヨシヤの善行をもってしても、その怒りの火を消すことが出来ないほど、ユダの罪が積み重ねられてきたということです。
 
 しかし、ヨシヤの謙りと悔い改めが無駄であったというわけではありません。御言葉を聞いて心を痛め、主の御前に謙り、衣を裂いて泣くヨシヤの祈り願いを主が聞かれ、彼を憐れみ、恵みをお与え下さるのです(19節)。ヨシヤの悔い改めは、御言葉が開かれることでなされました。その悔い改めに目を留め、神が恵みをお与えになったのですが、御言葉を見つけさせて下さったのも神でした。ヨシヤが神を求め始めたのは、優れた教師の指導でしょうけれども、御言葉に従って悔い改めに導くため、後ろで糸を引かれたのは、やはり神様でしょう。ヨシヤ一人で、神の決定を覆すことは出来ませんでしたが、しかし、最後まで神は民の悔い改めを待っておられるのです。
 
 神は繰り返し、様々な方法で語りかけ、御言葉に従うようにと導かれます(ヘブライ書1章1,2節)。それは、神と出会わせ、もう一度、神との親しい交わりを回復させて下さるためです。そのために主イエスを遣わされ(ヨハネ10章10,11節)、また「アバ父よ」と呼ぶ霊を授けて下さったのです(ローマ8章15節)。御言葉を開きましょう。主の導きを求めて「アバ父よ」と祈りましょう。
 
 主よ、あなたの深い憐れみにより、主と出会い、信仰に導かれたことを、心から感謝致します。いつも親しく主の御声を聞き、十字架の主の御顔を拝し、深い御旨を悟らせていただくことが出来ますように。 アーメン
 

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