風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2010年08月

長崎行き

8月末に夏休みを頂いて、長崎に行って来ました。


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この写真は、なんだか分かりますか。
原爆で破壊された浦上天主堂の鐘楼です。
天主堂の塔の上にありましたが、原爆で倒壊し、下の小川の中に落ちたのを、川の流れを変更して陸地化し、当時のまま保存されている、天主堂唯一の被爆遺構です。

浦上天主堂は、1895年に着工され、煉瓦造りで30
年という年月をかけて建てられ、1925年の竣工当時、東洋一の教会堂といわれたそうです。

爆心地から北東へ約500メートルに立つ教会周辺に1万2千名のカトリック信者がいたそうですが、3分の2を超える8千5百名が原爆の犠牲になりました。
当日は、カトリック教会の大切な儀式が天主堂で行われており、多数の信徒が訪れていたそうですが、司祭をはじめ天主堂にいた全員が亡くなられたということです。

浦上天主堂は、徳川幕府によるキリスト教禁令以来、繰り返された迫害の象徴的な場所、キリシタンが尊敬する聖画像(踏絵)を踏ませる行事(絵踏み)が行われた庄屋高谷英左衛門の屋敷跡に建てられたものだそうです。


082802続いて、この写真は、現在の会堂です。被災前の天主堂をモデルに、1959年に再建されました。

1980年に外装を赤レンガ造り、窓をすべてステンドグラスに改装して、現在の美しい天主堂が完成したということです。 

天主堂の右手に建つ信徒会館1階に「原爆遺物展示室」が設けられていました。


午前5時半、正午、午後6時、および日曜日の午前7時には、教会の鐘が鳴るようになっています。

写真は撮れませんでしたが、中に入って世界の平和のため、核のない世界実現のために祈りました。
浦上天主堂の公式サイト URL http://www1.odn.ne.jp/uracathe/



082901これは、大浦天主堂です。
1863年に着工、翌年12月29日に完成しました。
長崎に居留するフランス人のために建てられたことからフランス寺とも呼ばれましたが、地名をつけて、大浦天主堂と通称されています。

原爆投下によって、屋根、正面大門扉、ステンドグラス、その他の部分に被害を受けましたが、倒壊は免れ、無事修復することが出来ました。
 
1933年、日本洋風建築の初期を飾る代表的建造物として、国宝に指定されました。
大浦天主堂は、現存する日本最古の天主堂です。
大浦天主堂公式サイト URL https://nagasaki-oura-church.jp/


082902ここを訪れる観光客が増えたため、天主堂に上る階段手前に1975年、大浦カトリック教会が建てられました。
左の写真がそれです。

ミサはこちらで執り行われています。
日曜日は、朝7時と10時の2回、行われます。

29日(日)朝10時からのミサに出席しました。

受付がありましたが、何の指導もなく、礼拝堂入り口の週報のようなものを持って一番後ろの席に座りました。
式文に従って進行していきますが、讃美歌の番号は前方の電光掲示板に出されているだけで、アナウンスなどはありませんでした。
讃美歌集がどこに置いてあるかも分かりません。
祈りの言葉も、信徒が唱える部分がありますが、どこにも記載されていないので、ただ、聞いているだけでした。

キリスト教は初めてという方が一人で入れば、チンプンカンプンでしょう。
そうしたことで分かるのは、カトリック教会にとってミサは、信徒のために開かれているものであって、伝道を目的としたものではないということです。

ミサでは必ず、聖餐式が行われます。
司祭が、小さく薄いクラッカーのようなものを「キリストの御体」といいながら、信徒の口に入れておられたようです。
跪いて受けるのが正式という話もありますが、大浦では立ったまま受けておられました。
カトリック教会にとって、パンは「キリストの御体」そのものなので、信徒が手で触れたり、あるいは持ち帰ったりしてはならないものなのだそうです。
葡萄酒は配られず、司祭が一人、大きな盃に入れた葡萄酒を飲み干されました。

その後、司祭から、人は高慢になりやすい、謙遜を学びなさいというお奨めを頂きました。
説教の時間は10分程度でしょうか。
実に短く、分かり易いお奨めでした。

カトリック教会の礼拝に参加して思ったのは、ここもキリストの教会であるという、ごく当たり前の、でもなんだか嬉しくなる思いでした。



大浦教会を後に、直ぐ裏側にあるグラバー邸を見学しましたが、何度も訪れたことのある場所で、写真を撮り忘れました。
グラバー園公式サイト URL https://glover-garden.jp/



それから食堂で昼食。
焼き魚定食(鯖)を頂きました。
家内は冷や奴定食。

ここで小さなハプニング。
「魚フライ定食出来ました」と、持って来られたんです。
私は焼き魚、家内は冷や奴で、「魚フライ」ではない。
そう言うと、お店の人が、「ああ、これは冷や奴定食でした。魚のフライが乗っていたので間違えました」と(笑)。
確かに、壁のお品書きに、「冷や奴定食(魚フライ付き)」とありました。

美味しかったし、忘れられない店になりそうです。



それから、坂本龍馬ゆかりの亀山社中記念館に行きました。
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この写真は、記念館への登り口。ここから数百メートル、かなり長い坂道&階段を上ります。

かなりしんどくなって来るあたりで、「あと百メートル」という看板。

実は、この丘の殆ど頂上付近に記念館はあり、この写真では確認が難しいですが、小さい旗が立っているんです。

そして、何とかたどり着いて、記念館の中に入ると、十畳、八畳、三畳の部屋と土間(三畳と土間の上にロフト(隠し部屋)がある)という小さな家の中に、町の博物館でも見ることの出来る資料がいくつか置いてあるだけで、特にこれはというほどのものはありません。

初めからそういうものだということが分かっていて、ここまで来る人はいるのだろうか、と思ってしまいました。

この建物の北側には、土蔵と馬屋があったそうです。

記念館からの下りは、別の坂道を降りて来ました。
年配者などは、こちらから登った方がよいのではないかと思いますが、道は分かり易くはないので、う~ん・・・どうしたものでしょうね。

ただ、亀山社中・坂本龍馬の働きで犬猿の仲だった長州と薩摩が結びつき、大政奉還・江戸城無血開城・明治維新にたどり着いたということを考えると、あの小さな家の中にとてつもなく大きな夢や希望がつまっていたんだということになります。

初めは小さくても、夢と希望があれば、大きな仕事が出来るという標と言ってもよいかも知れません。
長崎市公式観光サイト 亀山社中記念館 URL https://www.at-nagasaki.jp/spot/1047



そうそう、忘れていました。
082903大浦天主堂に行く前、朝一番に出島の見学に行きました。
そこに、日本聖公会の出島教会跡と出島聖公会神学校がありました。
写真は、神学校の建物です。

これがいつ建てられたのかというと、当然のことながら、鎖国していた徳川幕府の時代ではありません。
1878年(明治11年)に建てられたそうです。
中には、チャペルや図書室、会議室もありました。

出島教会は、それよりも3年早い1875年(明治8年)にここに建てられました。
日本の聖公会では最も古い教会だそうです。
この教会は、1890年(明治23年)に大村町に移築されて、跡地に宣教師館(上の写真の右端の部分)が建っています。

その後、この建物は中の模様替えがなされ、1900年代初頭(明治末期)には、病院として使用されていたそうです。

残念なことに、日本聖公会の大村教会は現存せず、また、聖公会関連の公式サイトに、聖公会神学校がこの地にあったことを示すものも見当たりません。
聖公会の教職に直接聞いてみるしかないかな。
出島公式サイト URL https://nagasakidejima.jp/



ともかく、いろいろなことを教えられ、考えさせられた長崎の旅でした。



※後日談 出島教会は大村に移った後、1895年(明治28年)に長崎聖三一教会と改称。その後、大浦に移転されて、今日に至っておられます。
長崎聖三一教会 URL http://kazu.sub.jp/d-kyushu/nagasaki/

また、聖公会出島神学校は、1884年に開校した大阪三一神学校の併合されることになり、1886年(明治19年)に廃止されたそうです。さらに日本の米国聖公会と英国国教会が合同して「日本聖公会」設立されたことにより、東京の米国聖公会系東京三一神学校と英国国教会系の聖教会神学校が合併して1911年に聖公会神学院が設立され、1915年に大阪三一神学校も聖公会神学院に統合され、現在に至るまで日本聖公会の教職者養成の働きを続けておられます。
聖公会神学院公式サイト URL https://www.ctc.ac.jp/index.php



亀山社中記念館は、訪問当時は老朽化した建物を復元してまだ日が浅かったようで、現在の整えられた姿と比較になりません。ぜひ、訪れてみてください。


 

ただいま

ただいま帰って参りました。

休暇でよい時を過ごすことが出来ました。
いよいよ明後日から2学期。
幼稚園は運動会に向けた取り組みが本格化します。
新会堂建築工事は半ばを過ぎ、これから外壁工事が始ります。

それらの様子を、またHP、ブログで紹介していきます。

宜しくお願い致します。

なお、休暇中のことも、追って紹介したいと思っております。

期待せず、お待ち下さい。

8月29日の御言葉 「主の目にかなう正しいこと」

「彼は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。」 列王記下15章3節

 アマツヤの子アザルヤが南ユダの王となって52年間、国を治めました(1,2節)。冒頭の言葉(3節)には、彼は、主の目にかなう正しいことをことごとく行った、と記されています。
 
 そこに、「父アマツヤが行ったように」と記されているように、アザルヤの父アマツヤも、主の目にかなう正しいことをことごとく行いました(14章3節)。アマツヤの父ヨアシュも、主の目にかなう正しいことを行ったと記されていました(12章3節)。3代続けて、主の目にかなう正しいことを行ったという評価を受けていますけれども、彼らの運命は過酷です。
 
 アザルヤの父も祖父も、謀反によって暗殺されました。そして、アザルヤは主に打たれて、死ぬまで重い皮膚病に悩まされたのです(5節)。息子のヨタムが補佐したということですが、16歳で王となって52年王位にあったアマツヤに次いで、ヨタムが25歳で王となっていますから、ヨタムが生まれたのはアマツヤ43歳の時、そして、アマツヤを補佐出来るようになる年齢を15,6歳と考えると、およそ10年という長きに亘って、アマツヤは皮膚病に苦しめられ、召されたことになります。
 
 彼らはしかし、主の目にかなう正しいことを行っても、こんな酷い目に遭うのなら、自分の好きなことを好きなようにやったほうがましだ、とは考えませんでした。正しいことを行いながら、謀反によって殺された父を見て、なお、父親が歩んだように主の前に正しく生きようとします。
 
 アザルヤは、父アマツヤの日々の生活を見て、自分もそのように生きたいと思っていたのでしょう。ということは、アマツヤも、その父ヨアシュの生活に強く影響されていたのです。そして、どんなことがあっても主の御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩もうとする父親の信仰を、息子が見て誇りとしているのです。だから、重い皮膚病に悩まされているにも拘わらず、それで道を曲げることをしなかったわけです。
 
 使徒ペトロがその手紙の中で、「あなたがたが召されてのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」と語っています(第一ペトロ2章21節)。キリストの弟子たちは、キリストを模範として、ただその後ろに着いて行ったというだけでなく、その足跡に自分の足を乗せるようにして歩むように召されているというのです。
 
 深い雪道を歩くとき、前の人の足跡に自分の足を乗せていけば、たとえ道が雪で分からなくなっていても、安全に歩いて行くことが出来る、と聞いたことがあります。キリストが十字架でその苦しみを担われたのは、私たちの罪のため、私たちが罪に死に、義によって生きるようになるためでした(同2章24節)。
 
 キリストに従って歩むとは、私たちも隣人のために苦しみを担うということです(ルカ9章23節も参照)。それは、苦難の道ではありますが、キリストと共に軛を負う者は、そのことによって柔和と謙遜を学び、また主と共にある平安が与えられ(マタイ11章29節)、そして、永遠の御国に至るのです(ヨハネ14章6節)。
 
 ヨアシュもアマツヤもアザルヤも、神の御前に義人ではありません(ローマ書3章9節以下)。家臣の謀反によって殺される理由が全くない、というわけではないかも知れません。アザルヤは主に打たれたというのですから、重い皮膚病に悩まされるのには、それ相当の理由があったのかも知れません。

 主の目にかなう正しいことを行うというのは、主イエスのごとく、全く罪を犯すことがなかったということではないでしょう。これは、罪ある者が罪あるままに神の御前に出、素直に主の御言葉を聴き、恵みも災いも受け取る姿勢を言っているのではないでしょうか。表も裏もすべてご存知の主に自分を委ね、「安かれ、畏れるな」とお語り下さる主の御言葉に聴き従っ ている姿を言っているのだと思います。
 
 主よ、私は罪人でした。キリストの贖いにより、信仰によって義とされていることを感謝します。日々、主の御言葉に耳を傾ける私たちの上に、恵みと平安が常に豊かにありますように。主の御足跡に従って歩むことを通して、主の御業をなし、その栄光を表わすことが出来ますように。 アーメン

今日から牧師は夏期休暇

今日から来週30日(月)まで、休暇で大牟田を離れます。
しばらくHP,ブログの更新が出来ません。

今日の御言葉を楽しみにしていて下さる方々、申し訳ありませんが、自助努力をお願いしますj。
また、自分の読みをゲストブックにご紹介下されば、幸いです。

それでは、どなた様もごきげんよう。

人権問題研修会

0822118月22日(日)午後4時より、大牟田フレンドシップ教会を会場に、連合社会部主催の人権問題研修会が開かれました。

講師は川崎那恵さん、演題は、「寝た子を起して、仲良くごはん~出会いを重ねて広がった世界~」です。

川崎さんは、大学の授業をきっかけに、部落問題を初めとする日本・世界のマイノリティー問題について関心を持つようになられ、現在、関西の大学の事務職員として働きながら、各地の部落訪問やイベント企画など、ライフワークとして、部落問題は勿論、その他の関心事について取り組んでおられます。

部落問題については、同和学習をするから、差別が再生産される。寝た子を起すな、という議論があります。
しかし、実際は、同和問題について、正しい知識を持たず、怖い、汚い、酷いなどというイメージだけが一人歩きして伝えられているし、就職差別、結婚差別は勿論、貧困に伴う進学率の低さも、改善の方向に向かっているとは言い難い状況があります。

「寝た子を起す」というのは、問題に目をつぶらない、隠さない、誤魔化さない、正しく見るということでしょう。

「仲良くごはん」というのは、部落出身者とそうでない人々が同じ食卓を囲み、親しく交わることを表現しているわけですが、それは、キング牧師の有名な「I have a dream」という演説の中の、「私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢が」というくだりと同じイメージだと、川崎さんは言われました。

差別の根は深く、決して簡単に解消するものではありません。
植え付けられた偏見や先入観を捨て、部落に関する基本的な知識を持ち、誠実な出会いと交わりを重ねていくことで、差別と受けている人々が、「この人なら、自分のことを話せるかも」と思ってもらえるような関係を築いていく必要があります。

今回、川崎さんや、部落解放・人権研究所の内田さんたちと出会うことが出来たこと、本当によかったと思います。



「寝た子を起して、仲良くごはん」のブログがあります。
URL http://tomoe-gohan.blog.so-net.ne.jp/

また、社団法人 部落解放・人権研究所のHPもあります。
URL http://blhrri.org/

ご覧になってください。


それから、YouTubeで、キング牧師の「I have a dream」のメッセージを語る映像を見つけました。


また、英文・和文対訳(PDFファイル)もありました。
URL http://www.fuchu.or.jp/~okiomoya/tenpushiryou/dream.pdf

ご覧になってみてください。

8月22日の御言葉 「あなたがアラムの王になる」

「ハザエルは、『この僕、この犬にどうしてそんな大それた事ができましょうか』と言ったが、エリシャは、『主はあなたがアラムの王になることをわたしに示された』と答えた。」 列王記下8章13節

 アラムの王ベン・ハダドが病気になり(7節)、その病気が治るかどうか、ダマスコを訪れていた預言者エリシャに尋ねます。これは、前に軍の司令官ナアマンの重い皮膚病をエリシャに癒してもらったことがあったので(5章)、自分も癒して欲しいという願いがあったのでしょう。
 
 そのとき、ベン・ハダドの使者として遣わされたのは、ハザエルです(8節)。エリシャはハザエルに、「行って王に言うがいい。『あなたは必ず治る』と。しかし、主は彼が必ず死ぬことをわたしに示された」と告げます(10節)。
 
 そして、エリシャはハザエルの顔をじっと見つめて、泣き出します(11節)。それは、ハザエルによってイスラエルに災いがもたらされるからです(12節)。その涙の理由を尋ねた後のハザエルとエリシャとのやりとりが、冒頭の言葉(13節)です。つまりアラム王ベン・ハダドは、その病気で死ぬことはないけれども、家臣のハザエルによって殺され、代わってハザエルが王になるということです。
 
 かつて、主がエリシャの師エリヤに対し、「ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ」と告げられたことがあります(列王記上19章15節)。エリヤが実際にダマスコに赴き、ハザエルに油を注いだという記事はどこにもありません。今ここで、エリヤの後継者エリシャが、ハザエルに油を注ぎ、王に任命したようなものでしょう。

 王のもとに帰ったハザエルは、「必ず治ると彼(エリシャ)は言いました」と報告します(14節)。そして、翌日、ハザエルは事故を装うかの如く、王ベン・ハダドの顔に濡れた布を乗せて暗殺し、代わって自分が王となりました(15節)。
 
 神はなぜ、ハザエルに油を注いで王とせよと、エリヤに告げたのでしょうか。それは、12節に言われているように、ハザエルが王となって、「砦に火を放ち、若者を剣にかけて殺し、幼子を打ちつけ、妊婦を切り裂く」という災いをイスラエルにもたらすためです。エリシャが泣き出したのは、この災いがイスラエルにもたらされることが分かったからでした。

 けれども、だからといって、エリシャはハザエルが王にならないようにしたわけではありません。むしろ、上述のとおり、王として油を注いだのです。こうして、神はアラムを、イスラエルを試すために用いられます。危機にあってイスラエルが神に信頼するか、それとも、自分の力や知恵を頼みとするかを試すのです。そして、神に信頼することがないとき、神はアラムを用いてイスラエルに敵対させ、イスラエルを打ち負かすようにさえなさるのです(列王記下8章28,29節、10章23節、12章18,19節、13章3,22節)。
 
 イザヤ書45章7節で主は、「光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである」と語られます。私たちが神に背き、我が道を行こうとするとき、神は私たちに災いをもって臨まれます。災いを下したいからではなく、私たちに義の道を歩ませたいからです。
 
 また、災いと見えるところを通過することで、忍耐を学び、従順を学ばせられるのです。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」(ヘブライ書5章8節)と言われます。そして主イエスは、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と(マタイ11章29節)、主と共に重荷を担うよう招いておられます。パウロが、「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(フィリピ1章29節)と言っているのは、そのことでしょう。
 
 さらに、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とあります(ローマ8章28節)。それは、御霊なる神の働きです。神は、ご自身の計画に従って私たちを召し出して下さいました。そして、私たちを「神を愛する者」と呼んで下さいます。どのようなときにも、神を愛し、神を信頼する者たちのためには、神は万事を益に変えて下さる、どんなマイナスと見える出来事もプラスにして下さるというのです。
 
 そのことを、「わたしたちは知っています」とパウロは言います。既に、その恵みを経験し、喜びを得ていたのです。主を愛し、主を信頼して、その御言葉に耳を傾け、日々その導きに従いましょう。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝しましょう。

 主よ、あなたはハザエルを用いてイスラエルを裁き、キュロスを用いてバビロン捕囚から解放されました。御旨を行われるために、すべてのものが用いられます。私たちの主の御用のために用いられたいと思います。主に用いられる器として、整えて下さい。試練を耐え忍び、主を喜び、賛美することを教えて下さい。 アーメン

サマーバイブルキャンプ

IMG_00018月18日(水)~19日(木)、リフレスおおむたで、サマーバイブルキャンプを行いました。

猛暑といってもよい天気でしたが、夕立が降り、キャンプファイヤーも小雨が降っている中で行いました。

子どもの参加者が13名と、例年より少なめでしたが、とてもまとまりがよく、充実した時を過ごすことが出来ました。

初めて参加した子が、来年も参加したいと言ってくれていますし、今6年生の子も、中学生になっても参加したいと感想を語ってくれました。
それだけ、今回のキャンプが思い出深いものだったということでしょう。

来年は、会堂が新しくなるので、新会堂でキャンプをしたいという子もいました。
どうなりますでしょうか。
来年に向けて、よいキャンプが出来るよう、備えていきたいと思います。

キャンプが祝されるようにお祈り下さった皆様に、心から感謝致します。
有り難うございました。

こう書き込みながら、私の体は筋肉痛で、あちこちきしんでいます。
トホホ・・

米田浩司ヒーリングコンサート

ベテスダ・柏様がコメント欄に書き込まれたコンサートの案内を、管理人の責任で記事に掲載しました。

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米田浩司ヒーリングコンサート

2010年8月29日(日)13:30

米田浩司さんの ハートウォーミングな唄声とトークでお楽しみ下さい。

コンサートの後、ゆったりと寛ぎながらお話しをしましょう

主催  東京サラン教会(主日礼拝 10時半~)

住所 東京都台東区東上野4-26-6 上野ビル 7F
主任牧師 坂本 兵部
URL http://www.tokyosarang.org

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東京近郊の方は、是非お出かけ下さい。
東京上野駅のそばです。
地図は、東京サラン教会のサイトで確認して下さい。
直ぐそばに有料パーキングもあります。

8月15日の御言葉 「エクロンの神バアル・ゼブブ」

「アハズヤはサマリアで屋上の部屋の欄干から落ちて病気になり、使者を送り出して、『エクロンの神バアル・ゼブブのところに行き、この病気が治るかどうか尋ねよ』と命じた。」 列王記下1章2節

 アハブの死後、その息子アハズヤが王になりました(列王上22章40節)。彼はサマリアで屋上の欄干から落ちて病気になり、冒頭の言葉(2節)のとおり、使者を遣わしてエクロンの神バアル・ゼブブに、この病気が治るかどうか、伺いを立てます(2節)。

 ここで、バアル・ゼブブというのは、当時おそらく病気の癒しで評判の神だったのでしょう。エクロンは、ペリシテの町です。そして、実はバアル・ゼブブとは、「ハエの主」という意味です。そのような名の神がいてはいけないとは思いませんが、新約聖書で「悪霊の頭」と言われ、サタン=悪魔と言われる「ベルゼブル」(マタイ12章24節)は、本来の読み方は、バアル・ゼブル(「家の主人」の意)です。
 
 マタイ10章25節で、「家の主人がベルゼブルと言われるなら」というのは、本来の読みに基づく表現なのです。イスラエルの民にとって、真の神に適応すべき「家の主」という称号を異教の神「バアル・ゼブル」に用いることをよしとせず、これを「バアル・ゼブブ」と読み替え、そして、サタンの別名としたのでしょう。
 
 主は、御使いをエリヤに遣わし、アハズヤに告げるべき言葉を伝えます(3節)。それは、アハズヤが主なる神を捨て、異教のバアル・ゼブブに伺いを立てたから、上った寝台から降りることなく、必ず死ぬ、というものでした(4節)。エリヤは使者たちにその言葉を伝え、使者たちからそれを聞いたアハズヤは、「毛衣を着て、腰には革帯を締めていた」ということから、その預言者がエリヤであることを悟ります(8節)。
 
 そこでアハズヤは、50人の部隊を送って、エリヤに降りて来いと命じます(9節)。すると、天から火が降って来て、部隊の隊長と50人の部下を焼き尽くしました(10節)。同じことが二度繰り返され(11節以下)、なおもあきらめきれないアハズヤは、三度目も同様に部隊を送ります(13節)。
 
 三度目に派遣された部隊の隊長はエリヤに命乞いし、それに対して、神はエリヤに、使者たちに同行することを許します(15節)。そこでエリヤは立ち上がり、アハズヤのところに降りて行って、最初に使者たちに告げたとおりの言葉を語り(16節)、そして、その言葉どおりにアハズヤは死にました(17節)。
 
 ここで、主はアハズヤに対して、何度も悔い改めのチャンスを与えておられたのだと思います。彼の父アハブは、エリヤから厳しい裁きの言葉を聞いたとき、悔い改めて御前に謙ったので、罰を免れたことがありました(王上21章27節以下)。それを知らないアハズヤではなかったでしょう。しかしながら、アハズヤは謙るどころか、エリヤに軍隊を送って自分に従わせようとします。
 
 自分が遣わした軍隊に二度、天から火が降っても悔い改めようとはしませんでした。三度目の時、神がアハズヤのもとに赴くことを許されたのは、神が50人隊の隊長やその部下たちの命を憐れまれたということもあると思いますが、悔い改めないアハズヤに対して最後通告をするためだったわけです。アハズヤ自身が、あの隊長のように主の御前に命乞いし、悔い改めていれば、全く違った結果になったことでしょう。
 
 しかし、アハズヤにはそれが出来ませんでした。それは、父アハブに語られていた、「見よ、わたしはあなたに災いを下し、あなたの子孫を除き去る」という呪いの言葉が実現するためだったわけです(王上21章21節以下)。
 
 謙って神の御声を聴き、その御言葉に従って歩ませていただきましょう。主なる神は、ご自身を否む者には、その罪を子孫に三代、四代も問われますが、主を愛し、その戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみをお与え下さるからです(出エジプト20章5,6節)。

 主よ、あなたは深い憐れみのゆえに、御子キリストの十字架の死によって私たちの罪を贖い、神の子として生きる道を開いて下さいました。それは、まったく一方的に与えられた主の恵みです。その恵みに感謝し、常に主の御名をほめ讃えます。私たちを聖霊に満たし、福音宣教の使命を全うさせて下さい。 アーメン

南九州バプテスト大会

8月9日(月)~10日(火)、鹿児島は伊集院教会において、南九州バプテスト大会が開催されました。

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今回は、宮崎において発生した口蹄疫のため、開催が危ぶまれましたが、非常事態宣言が解除されたこともあり、また、これを私たちのこととするためにも、開催する運びとなったということが、開会礼拝の島村会長(東熊本教会)の奨励で語られました。

宮崎地区から、実際参加出来なかった教会もあり、文書稟議の形式で臨時総会(09年度決算報告、10年度補正予算案承認など)を行うことになりました。


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大会事務局は、マウマウタン先生(国分教会牧師)が務められました。
大会の準備、しおり作りなど大会事務のほか、開会礼拝の司会、壮年会での奨励と、八面六臂のご活躍でした。

おかげで、とても意義深い大会となりました。
お働きに感謝します。

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今大会のメイン講師は、金子敬先生(古賀教会牧師)です。

主題は、「恵み・ささげる・もちいる」~スチュワードシップ~です。
先生は、スチュワードシップについて、ローマ書1章1節から、ご自身の献身の証と交えて、「キリスト・イエスの僕となること」と、講演の冒頭に語られました。
それを、時間、からだ、賜物、献金の四つのポイントで具体的に展開して下さいました。

特に、感銘深く聞いたのは、神を礼拝する者となるという点です。
時間をささげ、からだをささげ、賜物をささげ、献金をささげて、神を礼拝します。
礼拝者となるということは、神との関係が正しくなるということですが、それは、私たちが神の前に一人で立つということではありません。

創世記4章9節に、「お前の弟アベルは、どこにいるのか」と、主なる神がカインに尋ねる言葉が記されています。
カインは、弟アベルを殺していました(8節)。
その理由は、主が弟アベルの献げ物に目を留め、カインの献げ物には目を留められなかったからでした(4,5節)。
つまり、礼拝において、カインとアベルの問題が明らかにされたわけです。
私たちは、誰と礼拝しているのでしょう。
あなたのアベルはどこにいるのか、と主が問われるのです。

主イエスを信じ、その名を受け入れた者は、神の子となる資格が与えられました。
主イエスは、私たちの罪のために贖いの供え物として十字架に死なれました。
「キリストは、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、・・・双方をご自分において一人の新しい人に作り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ書2章14~16節)。

キリストの贖いの血によって清められた私たちは、隣人を愛し、隣人と和解することが、神の子として生きることであり、主を礼拝することということ、と示されました。

これまでよく分かっていなかったことを、金子先生を通して明確に教えて頂くことが出来て、本当に感謝でした。
主に喜ばれる真の礼拝者となることが出来るよう、御霊の助けと導きを祈り求めていきたいと思います。

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麦野達一先生(伊集院教会牧師)、田渕雅子先生(連合音楽主事・鹿児島教会)が、賛美をリードして下さいました。

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派遣礼拝において、小羊会の子どもたちが手作りの楽器で賛美を献げました。
また、田中文人先生(有明教会牧師)が「平和初めて知ったほかメドレー」を演奏して主を賛美しました。

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派遣礼拝のメッセージは、川内活也先生(川内教会牧師)でした。

私たちが家族であること、神によって家族として頂いたことを確認することが、互いに力を合わせて働く「協働の土台」だと、語って下さいました。

本当に、隣人のために生き、隣人と共に働くことを喜びとする者とならせて頂きたいと思わされました。


講師の金子先生、大会を準備された鹿児島ブロックの方々、会場を提供し、もてなして下さった伊集院教会の皆様、そして連合役員に心から感謝致します。
有り難うございました。

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今まで何度も見ていたはずですが、今回初めて、これは滝だと気づきました。
この滝は、鹿児島からの帰り道、九州自動車道は桜島SAを過ぎて、加治木ICに近づいた左手に見えます。
調べてみたところ、網掛川中流にある「龍門の滝」と呼ばれる、幅43m、高さ46mの滝でした。
鹿児島県下有数の名滝で、1990年に日本の滝百選にも選ばれたそうです。

YouTubeにその映像がありました。


ご覧ください。
加治木ICからそれほど遠くないので、今度は寄ってみたいと思います。

 

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