風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2010年05月

5月30日の御言葉 「主に願って得た」

「ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。」 サムエル記上1章20節

 今日から、サムエル記を読み始めます。サムエル記という表題は、サムエルという偉大な預言者に由来しています。しかし、サムエルはこの巻物、上下合わせて55章あるうちの、最初の8章に登場するだけです。
 
 サムエル記には、主要な人物が二人登場して来ます。それは、イスラエルの初代の王となったサウルと、二代目の王で主イエスの先祖となったダビデです。上巻はサウル王の死で終わり、下巻には王となったダビデのことが記されます。
 
 この二人の王は、それぞれ預言者サムエルから油注がれて王に任命されました。ですから、この巻物が「サムエル記」といわれて、気を悪くすることはないだろうと思います。
 
 1章には、サムエルの誕生の次第が記されています。エフライム山地にエルカナという人が住んでいて(1節)、彼にはハンナとペニナという二人の妻がいました(2節)。二人の妻がいたということは、彼はかなり裕福な人物と言えます。
 
 経済的には問題がなかったエルカナ家ですが、家族間には大きな問題がありました。エルカナはハンナの方を愛していたのですが、彼女には子供が授かりませんでした(5節)。ペニナはハンナに嫉妬し、子がないことでハンナを苦しめました(6節)。
 
 ハンナは主の御前に激しく泣いて祈りました(10節)。子どもを授からない苦しみを主に訴え、子を授けて下さるようにと、心を注ぎ出して祈っていたのです。その祈りの中で彼女は、「はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません」と誓います(11節)。ハンナは自分のために子を授けて欲しいというのではなく、主に献げるために、男の子を授けて欲しいと願っています。
 
 ここで、「その子の頭には決してかみそりを当てません」というのは、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となることを表すものです(民数記6章5節)。その子が生まれながらのナジル人となるため、ハンナも「ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません」(同6章3節、士師記13章4,5節参照)。
 
 ハンナが心の内で祈っていて、唇は動いていても声が聞こえなかったため、祭司エリは、最初は酒に酔っていると勘違いをしましたが(13節)、ハンナの真意が分かると、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたのこいねがうことを適えて下さるように」と祝福します(17節)。
 
 主はハンナの祈りに応えて、男の子をお授けになりました(19,20節)。ハンナはその子をサムエルと名付けました。それは、「その名は神」という意味です。岩波訳ではこれを、「(願いを聞いて下さった)神の名(をいつも覚えているように)」という意かと説明していますが、聖書中ではその名の根拠を、「主に願って得た(シャーアル)子供なので」と言っています。
 
 27節の「願ったこと」、28節の「委ねます」にも、同じ「シャーアル」が用いられています。「生涯、主に委ねられた者です」は、「シャーウール」(シャーアルの受身形)が用いられています。「シャーウール」は、イスラエル初代の王サウルと同じです。神に献げられたサムエルから、イスラエルを治めるバトンを委ねられるのが、サウルというわけです。
 
 もしも、苦しみを経ずにハンナに子が授けられていれば、ハンナは子を神に献げようとは思わなかったかも知れません。子が授けられるよう、バアルやアシェラに求めても、与えられなかったでしょう。神への真剣な祈りを通して子が授けられ、その子を神に献げた結果、偉大な神の指導者が登場して来ることになったのです。
 
 「あなたの業を主に委ねれば、計らうことは固く立つ。主は御旨にそってすべての事をされる」(震源16章3,4節)。

 主よ、ハンナに与えられた苦しみが祈りとなり、やがて真の指導者を産み出すこととなりました。背後に、主の御手があり、常にすべての者を最善に導かれること、主を愛する者のためには、どんなこともプラスになることを教えられます。常に主を愛し、主に信頼する者とならせて下さい。 アーメン

会堂解体

wp0517002007年9月の臨時総会で新会堂建築を決議して2年半。

いろいろなことを話し合い、昨年暮れ、プランがまとまりました。

今年3月、建築会社と契約を交わし、5月10日(月)から、旧会堂の取り壊し工事が始りました。

リサイクルをするため、ゆっくりゆっくり、まるで手作業のように解体工事が進められ、2週間ほどで、会堂は取り壊されました。

これからすべてのゴミを取り除き、新会堂建築工事の起工式に備えます。
起工式は、6月6日(日)に予定されています。

解体工事の様子は、教会のサイトにも掲載されています。
ご覧になって下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0645.html

5月23日の御言葉 「心に留め、よく考えて」

「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。」 士師記19章30節
 
 「エフライム山地の奥に一人のレビ人が滞在していた」(1節)とあります。エフライムには、シケム、ゲゼル、キブツァイム、ベト・ホロンというレビ人の町があると、ヨシュア記21章20~22節に記されています。ここで、「一人のレビ人が滞在していた」という表現は、その理由は不明ですが、彼がレビ人の町を出て、エフライム山地の奥に、他のレビ人から離れて一人で生活していたということになるでしょう。
 
 そして、ユダのベツレヘムから一人の女性を側女として迎えたと記されます(1節)。レビ人は側女を持ってはならないというような律法はありませんが、神に仕えるために身を清めなければならない者として(民数記8章5節以下)、それはいかがなものでしょうか。
 
 ところが、その側女がレビ人のもとから逃げ出し、実家に帰ってしまいます。理由は記されていません。彼は、4ヶ月たって側女を迎えに出向きます(2,3節)。義父は彼の訪問を喜び、帰ろうとするのを何度も引き留めます(4節以下)。それは、婿との交わりを楽しんでいるというより、娘のことを案じてのことだったのではないかと思います。
 
 ようやく5日目の夕暮れ近くに帰途につきました(9,10節)。同行の若者が、エルサレムで一泊してはどうかと勧めるのに(11節)、「異国人の町には入るまい」とレビ人は答え、ベニヤミン領のギブアまで足を伸ばすことにします(12節以下)。ギブアは、レビ族の中でも祭司たちの住む町となったところです(ヨシュア記21章18節)。
 
 ところが、なんとギブアには、「彼らを家に迎えて留めてくれる者はいなかった」(15節)のです。仕方なく彼らが広場で夜を過ごすようにしていると、一人の老人が畑仕事を終えて通りかかり、彼らに声をかけ(16,17節)、家に迎えてくれました(20,21節)。
 
 そこに事件が起こります。町のならず者が家を囲み、「お前の家に来た男を出せ」と要求します(22節)。「我々はその男を知りたい」というのは、男色をするということでしょう。主人は、それを思いとどまらせるつもりで、自分の処女の娘と、旅人の側女を出すという提案をしますが(24節)、彼らは聞く耳を貸そうとしません(25節)。
 
 そこで、レビ人が側女を押し出すと、彼らは一晩中もてあそびます(25節)。朝になって、解放された女がようやく老人の家までたどり着きますが、そこに倒れて息絶えます(26~28節)。
 
 レビ人は、側女の遺体をロバに乗せてエフライムの家に帰り、それを12の部分に切り離して、イスラエル全土に送りつけます(28,29節)。冒頭の言葉(30節)は、それを見た人々の反応です。
 
 これは、神の選びの民イスラエルに本当にあったことでしょうか。神に仕えるレビ人が、危機を逃れるために側女を与えたことは、神の前に問題にならないのでしょうか。神に仕え、律法の言葉を人々に教える使命を持ったレビ人、そして、祭司たちが住む町ギブアの人々のこの非道な振る舞いは、どう考えればよいのでしょうか。

 そしてまた、レビ人が側女の遺体を12に切り離して、イスラエル全土に送りつけたというのには、どんな目的があったのでしょうか。これらのことについて、本当に「このことを心に留め、よく考えて語る」必要があります。
 
 今日の箇所には、神の言葉がありません。祈りもありません。それが一番の問題でしょう。詩編119編9節に、「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉通りに道を保つことです」(詩篇119編9節)と言われるとおり、神の御言葉を聞くことです。その導きに従うことです。レビ人、祭司たちがその務めを果たさなければなりません。
 
 今日、我が国でも、性をもてあそび、命を粗末に扱う事件があとを絶ちません。キリスト教会に重い課題が委ねられています。御言葉と祈りをもって、その責任を果たせるようになりたいと思います。

 主よ、私たちの国に、町に、御言葉の光を与えて下さい。皆の心が光で照らされ、希望、愛、喜びで命が輝きますように。キリストの教会が、その使命を果たすことが出来ますように。私たちの上からの知恵と力を授けて下さい。真理の御霊の助けが常に豊かにありますように。 アーメン

ブロック教役者会

昨日、人吉教会で大牟田・熊本ブロック教役者会が開かれました。
教役者会とは、牧師や伝道師、教会主事など、教会に招聘された教職者の集まりです。

まず、永渕牧師がマタイ福音書8章23~27節から、メッセージを語って下さいました。
激しい嵐に驚いた弟子たちは、眠っていた主イエスを興し、「助けてください。溺れそうです」と訴えます。
目を覚ました主イエスは、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と言われながら、起き上って風と湖を叱り、すっかり凪にしてしまわれます。
主イエスには、あらゆる問題を解決する力、権威があることが示されます。
しかしながら、主イエスは初めからその力を奮って、嵐が起こらないようにしては下さいません。
弟子たちは、嵐を通して主の力や権威を知り、信仰を学ぶのです。

信仰が薄くてよいはずはありませんが、しかし、ただ主に依り頼むよりほかないという、必死の祈りを主は軽しめられないというメッセージに、慰めと励ましをいただきました。

メッセージを受けた後、恵みを分かち合い、また近況を報告し合いました。
大牟田教会は、会堂の建築がはじまったことを報告しました。

その後、話し合いの時を持ちました。

第一に、来年3月の連合総会を、鹿児島教会にお願いするという件を承認しました。
第二に、2010年度、11年度のブロック牧師会幹事を、原田が担うことになりました。
第三に、2010年度、11年度のブロック常置委員を、人吉教会の永渕先生がになって下さることになりました。

ブロックの連絡網は、連合会長から常置委員の永渕先生(人吉)へ、そして、永渕先生から、①原田(大牟田)、②矢野先生(菊池シオン)、③船越先生(山鹿)に流れます。
その後、
①原田から福井先生(フレンドシップ)、田中先生(有明)、
②矢野先生から保田井先生(東熊本)、浦上先生(豊岡)、
③船越先生から浜田先生(熊本南)、牧野先生(八代)、熊本愛泉教会
へと流します。

次回は、7月6日(火)午後2時より、有明教会で開催することになりました。

メッセージを取り次いで下さった永渕先生、ピアノの奏楽をして下さった田中先生、会の準備をして下さった永渕夫人をはじめ人吉教会のご婦人たちに、心から感謝いたします。

最後に矢野先生にお祈りいただいて人吉を後にしました。

5月16日の御言葉 「あなたたちが救ってくれることはないと思い」

「あなたたちが救ってくれることはないと思い、わたしは命がけでアンモン人に向かって行った。主は、わたしの手に彼らを渡してくださった。どうして今日になってわたしに向かって攻め上り、戦おうとするのか。」 士師記12章3節

 娘の死を悼んでいるエフタの許に、エフライム人がやって来て、「アンモン人との戦いに出向いたとき、なぜあなたは、わたしたちに同行を呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる」と言います(1節)。エフライムの人々は、ギデオンがミディアンと戦って勝利したときにも、同じように「なぜ自分たちを呼ばなかったのか」と言ってギデオンを責めました(8章1節)。
 
 それは、彼らがギデオンやエフタを助けたかったからということでも、共にイスラエルを守りたかったからということでもありません。彼らは、ギデオンやエフタによる勝利を妬ましく思い、その栄誉を横取りしようとしているわけです。
 
 その背景には、臨在の幕屋がエフライムのシロに置かれており、自分たちがイスラエルの中心部族だという自負を持っていたのでしょう。しかしながら、彼らが先頭に立って戦うつもりがあるのかと言えば、実際には、エフタとギレアドの民がアンモン人と戦いを交えているときに援軍を頼んでも、それに答えていないのです(2節)。
 
 ギデオンの時に、スコトやペヌエルの人々が、むしろミディアン人を恐れて、最も小さい氏族出身で駆け出しのギデオンに助力することをはばかったように(8章4節以下)、エフライムの人々は、18年にわたって押さえつけられてきたアンモンに立ち向かう勇気を持ち合わせていなかったのでしょう。
 
 そして、前にギデオンに対して、エフライムの栄誉を要求したとき、ギデオンは、ミディアンの二人の将軍を討ち取る栄誉をエフライムに与え、彼らの憤りを和らげるという態度を示しました(7章24節以下)。それに味を占めて、エフタに対しても同じ要求をして来たのです。
 
 しかし、このエフライムの人々の物言いは、エフタを怒らせました。実際、エフタが助力を求めたときには援軍を送ろうともしないで、勝利が確定してから、「なぜ同行を呼びかけなかったのか」などと、よく言えたものです。冒頭の言葉(3節)の通り、エフライムから援軍はやって来ないと知って、エフタは命がけでアンモンと戦ったわけですし、勝利を得るために一人娘を犠牲にさえしているのです(11章31節、34節以下)。
 
 ツァフォンに集結していたエフライム人とエフタ率いるギレアド軍との間で戦いが起こり、そして、ギレアド軍がエフライム軍を打ち破りました。エフタはヨルダン川の渡し場を押さえ(5節)、そこを渡ろうとする者に、「シイボレト」と言わせます。それは、「川の流れ」という意味ですが、エフライム人は、この言葉を正確に発音出来ません。エフライム訛りで「シボレト」という者は直ちに捕らえられ、4万2千人もがそこで犠牲となりました。
 
 この戦いは、全く無益なものです。エフライムの人々は、少なからずアンモンに苦しめられていたのですから(10章9節)、エフタの勝利を喜び祝うべきでした。栄誉を自分のものにしたいという彼らの思い上がりが、この悲劇を招きました。一方、エフタにしても、エフライム人を全滅させたとしても、彼の怒り、悲しみは収らないでしょう。
 
 主イエスが、ベルゼブル論争の折、「国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない」(マルコ3章24,25節)と仰っています。イスラエルの部族間で殺し合っていて、どうして立ち行くでしょうか。
 
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払い」ましょう(フィリピ2章3,4節)。お互いに相手を尊敬し、互いに愛し合うならば、私たちが主の下僕であることを、皆が知るようになるのです(ヨハネ13章34,35節)。
 
 主よ、私たちは、人が褒められるとケチをつけたくなり、人がくさされると気分がよくなるという、屈折した感情を持っています。どうか私たちの心を探り、御前に相応しくない汚れた思いを取り去り、主の血潮によって清め、絶えずとこしえの義の道に導いて下さい。 アーメン

5月9日の御言葉 「城門に戦いが迫った」

「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが、イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか。」 士師記5章8節

 1節に、「デボラとアビノアムの子バラクは、その日次のように歌った」と記されていますが、5節の「わたしデボラは」などといった表現から、これは、「デボラの歌」と言われています。
 
 この歌は、20年にわたってイスラエルを苦しめたカナンの王ヤビンを滅ぼすことが出来て、勝利をお与え下さった神を賛美するものです。これはちょうど、解放され、意気揚々と国を脱出したイスラエルの民を追いかけて来たエジプトの軍勢を、神が葦の海の奇跡をもって打ち破られたとき(出エジプト記14章)、モーセや女預言者ミリアムが主を賛美したのと同様です(同15章)。
 
 4,5節で「主よ、あなたがセイルを出で立ち、エドムの野から進み行かれるとき、地は震え、天もまた滴らせた。雲が水を滴らせた。山々は、シナイにいます神、主の御前に、イスラエルの神、主の御前に溶け去った」というのは、まさにエジプトからイスラエルの民を解放された神が、今ここに立ち上がって、デボラとバラクに勝利をお与え下さったと歌っているわけです。
 
 「アナトの子シャムガルの時代」に、「隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた」(6,7節)というのは、シャムガルが士師として働いていた時代というよりも、その後の時代、イスラエルが再び神に背いたためにカナンの王ヤビンが鉄の戦車を用いてイスラエルを苦しめたので(4章1節以下)、往来から人通りがなくなり、畑を耕す者もいなくなったということでしょう。そんなときにデボラが士師とされ、立ち上がったのです。
 
 冒頭の言葉(8節)で「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが」とあるのは、ヒゼキヤの代にアッシリア軍がイスラエルに攻め込み、エルサレムの陥落も時間の問題となったという状況を思い浮かべます(列王記下18章13節以下)。
 
 「イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか」というのは、鉄の戦車900両を押し立ててやってくるシセラ軍に対し、兵士は4万人いるものの、なんとその手に槍も盾もない、丸腰の状態だということでしょう。これでは、初めから戦いになりません。
 
 にもかかわらず、「奮い立て、奮い立て、デボラよ、奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ。立ち上がれ、バラクよ、敵をとりこにせよ、アビノアムの子よ」と言われます(12節)。到底、ほめ歌を歌えるような心境にはなれそうもありませんし、そんな状態で奮い立ってシセラ軍に対抗しようというのは、およそ無謀としか言えないようなことでしょう。
 
 けれども、神はイスラエルのために特別な仕掛けを用意しておられたのです。20,21節に、「もろもろの星は天から戦いに加わり、その軌道から、シセラと戦った。キション川は彼らを押し流した、太古の川、キション川が」と記されています。古代イスラエルでは、星が雨を造ると信じられていました。
 
 そして、タボル山に集結したイスラエル軍に対し、シセラ軍はキション川に集結しますが(4章6,7節)、大雨でキション川が溢れ、鉄の戦車も押し流されて、全く使い物にならなかったということでしょう。4章15節の「主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた」というのは、川の氾濫が原因だったというわけです。
 
 イスラエルの兵士たちはほとんど武器を持っていませんでしたが、万軍の主が彼らのために、彼らと共に戦って下さり、勝利を収めさせられました。デボラとバラクに「奮い立て」と言われたのは、その主を信頼せよ、という表現だったわけです。信じる者の幸いを、ここにも見ることが出来ました。
 
 主よ、私たちの信仰の目が開かれ、どのような状況下でも、共におられ、私たちのために戦って下さるあなたに目を留めることが出来ますように。信仰の耳が開かれ、「奮い立て」と言われる主の御声をさやかに聞くことが出来ますように。そして、主の御業を拝して、心から御名を褒め称えさせて下さい。 アーメン

5月2日の御言葉 「主がわたしたちの中に」

「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。あなたたちは主に対してこの背信行為をすることなく、イスラエルの民が、主の手にかけられるのを免れさせた。」 ヨシュア記22章31節

 ヨシュアは、ルベン、ガド、マナセの半部族の者たちを集め、ギレアド地方の自分たちの所有地に帰るよう指示を与えました(1節以下、4節)。彼らは、カナンの地に入る前、ギレアドを所有地として与えて欲しいと願い、モーセによってそれが許可されました(民数記32章)。
 
 そのときに出された条件が、彼らが武装して、他の部族の者たちと共にヨルダン川を渡り、カナンを征服するために共に戦うということでした(同17,20節以下)。21章までにカナンの地の征服が完了し、土地の分配も終わったので、ヨルダン川東部の所有地に帰る許可が出たわけです。
 
 帰る途中、彼らは、ヨルダン川を渡る前、ゲリロトに一つの祭壇を築きました(10節)。それを知った他の部族の者がシロに集まって協議し、彼らに軍を差し向けることにしました(12節)。それは、彼らが異教の神を礼拝するために祭壇を築いたのであれば、それがイスラエルの民全体の不幸を招くことになる恐れがあったからです。それは、かつてシナイの荒れ野を旅していたとき、ペオルでバアルを礼拝して神を怒らせ、2万4千人が打たれて死ぬという災いを経験していたからです(17節、民数記25章参照)。
 
 そこで先ず、彼らの意図を確認するために、祭司ピネハスとイスラエル各部族から1名ずつ、計10名の家系の長を遣わしました(13,14節)。それに対して、ルベン、ガド、マナセ半部族の者たちは、自分たちが祭壇を築いたのは、異教の神を礼拝するためではなく、ギレアドに住む自分たちの子らとカナンの地に住むイスラエルの子らとの間柄を示す証拠とするためである、と答えました(24~29節)。
 
 ヨルダン川東岸のギレアドの地、即ち自分たちの所領ではなく、西岸のゲリロトに祭壇を築いたのは、自分たちがそこでいけにえをささげて、神を礼拝しようとするものではないという思いの表れでしょう。
 
 この背景に、ギレアドがもともと約束の地には含まれていなかったということがあり、そこを嗣業の地としたために、社会的宗教的な差別を受けるのではないかという懸念があったのでしょう。祭司ピネハスが、「もしもお前たちの所有地が汚れているなら、主の幕屋がある主の所有地に渡って来て、わたしたちの間に所有地を持つがよい」(19節)と語った言葉にも、ギレアドの地を異教の民が住んでいた汚れた地と見なす思いが滲んでいるようです。
 
 しかし、祭司ピネハスとイスラエルの家系の長は、彼らの答えに納得が行き、冒頭の言葉(31節)の通り、「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った」と言います。もしも、ギレアドに住む者らがゲリロトに祭壇を築いたことを神が咎めておられるなら、自分たちから神が離れてしまわれたことでしょう。「主がわたしたちの中におられることを知った」というのは、ギレアドに住む人々の行為を主がよしとされたということを表わしていますし、さらには、ギレアドの地にも主がおられることを知った、という意味でもあります。
 
 そもそも、ギレアドを所有地として求めたのは、ルベンとガドの2部族だったのですが(民数記32章1~5節)、モーセはそれに加えて、マナセの半部族にも領地を得させました(同33節)。その理由が分からなかったのですが、マナセ族がヨルダン川の東と西に別れて領地を持つことで、ギレアドの人々はイスラエルの民ではない、ギレアドは神がイスラエルに与えた約束の地ではないという批判が誤りであることを、誰もが納得するためだったのではないかと、今ここで示されます。
 
 神のなさることが今すぐには分からなくても、後から、「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った」という恵みに与ることが出来るのです。

 主よ、あなたのなさることはときに適って美しく、いつも最善であることを信じて感謝します。時に、そのことが分からず、主に向かって呟き嘆く者ですが、あなたはそれを感謝と喜びに変えて下さいます。見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎ、主がわたしたちの中におられることを常に知ることが出来ますように。 アーメン
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