風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2010年01月

1月24日の御言葉 「障害があるから」

「ただし、彼には障害があるから、垂れ幕の前に進み出たり、祭壇に近づいたりして、わたしの聖所を汚してはならない。わたしが、それらを聖別した主だからである。」 レビ記21章23節

 21章には、「祭司の汚れ」について記してあります。
 
 1節に、「親族の遺体に触れて身を汚してはならない」とありますが、これは、葬儀に参列することを禁ずる戒めです。死や遺体が、人に汚れをもたらす最大の要因と考えられていたようです(エゼキエル書44章25節、民数記19章11節以下)。5節の、「頭髪の一部をそり上げたり、ひげの両端をそり落としたり、身を傷つけたり」するというのは、哀悼の意を表す異教の習慣だったようです。ただし、父母や息子、娘、兄弟など近親の葬儀は、例外として許されました(2,3節)。
 
 ところが、「聖別の油を頭に注がれ、祭司の職に任ぜられ、そのための祭服を着る身となった者」(10節)、即ち選ばれた大祭司は、「自分の父母の遺体であっても、近づいて身を汚してはならない」(11節)と定められています。民の代表として聖所で仕える者が、汚れによって職務が全っとう出来なくなることを禁止し、どんなときでも自らを清く保つという模範を示すことが求められたのです。
 
 神の定めといえば、守るほかないのかもしれませんが、人の命を限りあるものとし、その死を悼む思いを人の感情の中に作られたのも神であれば、葬儀を行い、哀悼の意を表すことを禁ずるというのは、腑に落ちるものではありません。
 
 主イエスが、ベタニアで兄弟ラザロの死を悼んでマリアが泣いているのを御覧になって激しく心を揺さぶられ、ご自身も涙を流されました(ヨハネ福音書11章35節)。その後、ラザロを生き返らせて、御自分が人に命をお与えになるメシアであることを示されます(同38節以下)。主イエスにとって、死は、触れてはならない汚れというのではなく、最後に神の力によって打ち破られるべき敵なのです。
 
 17節以下には、先天性のものか後天性のものかを問わず、障害のある者は誰も、祭司職に就くことを禁ずる規則が記されています。献げ物が「無傷」のものでなければならないように(1章3節など)、それを神にささげる祭司も無傷でなければならないと考えるわけです。
 
 冒頭の言葉(23節)は、障害を「汚れ」と考えていることを示しており、それゆえ、聖所の中に入り、祭壇に近づいて神を礼拝する場所を汚してはならない、というわけです。「障害」について、18節以下に10ほどのケースが挙げられていますが、後期ユダヤ教においては、これを142にも拡大したと言われます。
 
 このような規定があるので、「生まれつき目の見えない人」を見かけたときに(ヨハネ福音書9章1節)、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(同2節)という質問が、弟子たちの口から出て来るのです。
 
 それに対して、主イエスは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(同3節)とお答えになられました。
 
 弟子たちは、障害の原因が誰の罪かと尋ねたのですが、主イエスは、その障害が罪から生じたという考えを明確に否定して、神がその人に障害をお与えになった真の目的を示されたのです。即ち、生まれつき目が見えないというその障害は、神の業が現れるためにその人に与えられた神の賜物だと言われたわけです。
 
 即ち、目の見えない人にとって、その障害が、神から遠ざけられる、まさに文字通りの「障害」なのではないこと、むしろ、神が彼に目を留め、彼を通して神の御業が表わされるための賜物なのです。それは、世9羽の記事においては、主イエスが彼に近づいてその目に触れ、シロアムの池に遣わしてその目を癒されるという形で表わされました。
 
 その意味で、目の見えない方々が、「目が見えないことは不自由はあるが、決して不幸ではない。むしろ、神を知ることが出来たので、目が見えなくてよかった」と言われることは、晴眼者の私には味わえない神の恵みを証しして下さっているのです。

 主よ、御子イエスを遣わして、文字に縛られて人を裁き、不自由にする心から、私たちを解放して下さったことを感謝します。あなたが創造されたものはすべて、はなはだ善いものであることを、いつも教えて下さい。表されようとしている神の御業を見落とし、見逃すことがありませんように。 アーメン

寺園教授最終講義

寺園喜基先生が、西南学院大学神学部教授として最後の講義に臨まれました。先生は、神学部を卒業された後、九大大学院で学ばれ、そしてドイツに留学されました。

帰国後、九大の助手を務める傍ら、1973年から西南神学部の非常勤講師として、教義学、組織神学を講じて来られました。司会をされた片山先生によれば、西南神学部の非常勤講師を務める傍ら、九大でアルバイトしていたと言いたいということでした。案外、それが寺園先生の思いだったかも知れません。

私も、1984年に組織神学、85年に組織神学特講を受講させていただきました。御他聞に漏れず、出来の悪い学生でした。

その後、98年秋に九大を退き、西南神学部教授となられました。そして、院長、理事長職をも務めて来られました。

最終講義は、西南学院度ドージャー記念館2Fチャペルにおいて、一般公開で開かれました。講義のテーマは、『バルト神学の根本問題』です。

少し、先生の講演から引用します。

「神学(Theologie=theos(神)+logos(言葉))という言葉が『神を語る』ということを意味しているように、神学の課題とはまさしく『神を語る』ことです。では、神を語るとはいかにして可能なのでしょうか。

・・・ バルトは、『神学の課題としての神の言葉』(1922)において、神を語ることが神学の必然的な課題であり、同時にまた人間にとっては不可能な課題である、ということを確認しつつ、神についてはただ神ご自身が語ることが出来る、という主張をします。では、この神ご自身が神を語るということは如何なることかと問うなら、イエス・キリストが神ご自身の語り、『神の言葉』である、と答えます。ここにおいて、神学の出発点が示されています。即ち、神学の出発点は『神の言葉』としてのキリストの出来事であり、神学の課題はこれを語ることである、という認識に立ちます。

・・・ バルトの『教会教義学』には太い背骨のようなものが貫いています。それは、神が人間と共にいるという神の約束・契約(神論)、この契約を実現する外的な条件としての人間の創造(創造論)、この契約を人間の罪にも拘わらず成就ずる、和解の出来事としてのイエス・キリストの歴史(和解論)というものです。この和解の出来事に基づいて、『神我らと共に』があるのです。

・・・ この『我ら』は、これを信じ受領する者のみを意味していて、神はただ神を信じる者とのみ共にいます、ということではありません。なぜなら、『神我らと共に』において何よりも先ず本質的なことは、これが神についての、神の存在と働きについての表明なのだからです。

・・・ 神の存在と働きが先行する限り、この『我ら』は、その事実を未だ知らず、それゆえ知るように呼びかけられている、広い世界に向かっても開かれているのです。従って、この『神我らと共に』の『我ら』は宣教の課題として、信仰受領者の群れの中に留まらず、世界へと開かれているのであります。
そしてさらにバルトにおいては、この『神我らと共に』はインマヌエルの翻訳であり、インマヌエルはイエスの『名』の言い換えなのです。即ち、イエスが『我らと共にいます神』なのです。『イエスが我らと共にいる』ことによって、『神が我らと共にいる』のです。

・・・ バルトの『イエスと共に』従って『神と共に』という主張は、『イエスならざる者と共に』いることは『神ならざる者と共に』いるという帰結になります。これは当時のドイツにおけるヒトラーの神格化とナチス国家への宗教化への批判原理となりました。教会闘争の道標となったバルメン宣言(1934年)はバルトが起草したのですが、その第1項では、次のように言われています。

『聖書において我々に証しせられているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。教会がその宣教の源として、神の子の唯一の御言葉の他に、またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認し得るとか、承認しなければならないとかという誤った教えを、我々は退ける。』
これは、信仰成立の根拠と政治的態度決定の根拠とが同一であるということを示しているのであります。

バルトはキリスト教の教えを『インマヌエル・神我らと共に』の事実として総括しました。そして、それをイエス・キリストの名と同定しました。イエス・キリストの名はその生涯・十字架・復活の出来事を内実としています。

この出来事が示していることは、イエスは自分の罪のゆえに苦しみ死んだのではなく、他者のために苦しみ死んだということであり、しかも同時に、それは神ご自身の事柄であるということです。神はご自身の苦しみを苦しみ、ご自身の死を死んだということではありません。神は人間の苦しみを引き受け、人間の死を引き受けることがお出来になったのであります。それは、神が生ける、愛において自由な神だからであります。私たちは、ここに、『神我らと共に』を支える、神の深みの次元があることを見るのであります。・・・」

 私のような浅学の徒のことを十分ご配慮下さって、とても分かり易い講義でした。


この講義に先立ち、リコーダー・カルテットによる賛美が神にささげられました。
 YouTubeにアップロードした動画をご覧下さい。
手持ちのデジカメで撮ったので、画面が暗く、音質も悪くて御免なさい。

 

寺園先生の写真も撮ったのですが、ウデが悪過ぎて、ここに紹介出来ません。平にご容赦を!

九州リバイバル聖会

先週、休暇村志賀島で九州リバイバル聖会が開催されました。

そのときの様子は、大牟田教会のサイトでご覧ください。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto01102.html

また、聖会の録音テープ、DVDをノアミュージックで取り扱っています。
各聖会メッセージの録音テープは一本千円、DVDは一本千五百円です。
セットで購入すると、割引があります。
注文は直接、ノアミュージックにお申し込み下さい。
送料が別途必要です。
詳細は、ノアミュージックにお尋ね下さい。

    ノアミュージック 代表 矢野勝則
   〒812-0053 福岡市東区箱崎1-24-4
   電話 092-631-0811


因みに、聖会講師は、滝元明先生(第1、第3、第五聖会担当:全日本リバイバルミッション主幹)、佐藤彰先生(第2、第4、第6聖会担当:福島第一聖書バプテスト教会牧師)でした。

毎回思うことですが、今回、これまでで一番恵みを受けた聖会でした。
次回は、第30回という記念の聖会です。どのような聖会になるのか、今から楽しみです。

1月17日の御言葉 「もし、彼が貧しくて」

「もし、彼が貧しくて前記のものに手が届かないならば、自分の贖いの儀式のための奉納物として賠償の献げ物の雄羊一匹、更に穀物の献げ物のためにオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の一エファ、及び一ログのオリーブ油を調える。」 レビ記14章21節

 14章には、重い皮膚病を患った人の「清めの儀式」について、記されています。これは、重い皮膚病を癒す儀式ではなく、重い皮膚病が癒された人を清めるための、即ち社会生活に戻し、神を礼拝する民として整える儀式です。
 
 そのためまず、祭司は患者の状態を調べます(3節)。患者は宿営の外に留め置かれていますから、そこまで往診に行くわけです。そして、直っていれば、清めの儀式を行います(4節以下)。
 
 清めの儀式を行った後、その人は宿営に戻れますが、7日間は天幕には入れません(8節)。その間、家族などとの接触は禁じられているのです。七日目に第二の清めがあり、社会生活に戻ることが出来ます(9節)。
 
 そして八日目、神の前に賠償の献げ物、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物をささげます(10節以下)。まずは、賠償の献げ物として雄羊一匹を、一ログのオリーブ油と共にささげます(12節)。このとき祭司は、雄羊の血を取り、清めの儀式を受ける者の右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗ります(14節)。
 
 これは、祭司を任職するときの儀式と似ています(8章23,24節、出エジプト記29章20節)。賠償の献げ物をするということは、重い皮膚病が単なる病気というのではなく、信仰上の汚れ、即ち神に対する罪の結果と考えられていることを示します。
 
 次いで、オリーブ油を主の前に振りまいた後(15,16節)、右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗り(17節)、更に頭に塗ります(18節)。これも、祭司アロンの頭に油を注いで聖別したのに似て(8章12節、出エジプト記29章7節)、皮膚病の汚れから清められた人物を更に聖別して、主に仕える者とするということです。
 
 最後に、焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を祭壇で燃やしてささげます。こうして、晴れて神の民イスラエルの一員として公私共に承認されるのです。
 
 21節以下には、貧しくて清めの儀式が出来ない人のための規定が記されます。焼き尽くす献げ物は、雄羊一匹、雌羊一匹を鳩2羽に替え、穀物の献げ物は、十分の三エファを十分の一エファに減量されています。貧しい人々に対する配慮は、1章14節以下、5章7節以下などにあります。
 
 しかしながら、賠償の献げ物としてささげられるのは、いずれも雄羊一匹です。5章14節以下に「賠償の献げ物」についての規定が記されていますが、すべて、雄羊の群れの中から相当額の無傷の雄羊をとってささげることになっていました。これは、人が罪を犯して汚れを負った場合、それから清めるのは、雄羊の血のほかにはない、ということです。ヘブライ書9章22節に、「血を流すことなしには罪の赦しはあり得ない」と言われるとおりです。
 
 バプテスマのヨハネは主イエスを、「世の罪を取り除く神の小羊」と言いました(ヨハネ福音書1章29節)。そして、ヨハネの手紙1章7節には、「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」とあります。
 
 私たちは、「わたしは汚れた者です」と呼ばわらなければならない存在でしたが、今は、主イエスの血によって清められた者とされ、聖霊の力を受けて、主の恵みを証しし、福音を告げ知らせる務めに任じられました。神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されてるのですから、互いに愛し合い、忍び合い、赦し合って、キリストの平和が心を支配するようにしましょう。そのために、私たちは招かれて一つの体とされたのです(コロサイ書3章12節以下、15節)。

 主よ、あなたの御愛を感謝します。深い憐れみに感謝します。私を、御名のゆえに正しい道に導き返して下さいました。家族や知人をお与え下さって感謝します。日ごとの恵みを家族、友人と共に分かち合い、恵みの地境を広げさせて下さい。 アーメン

1月10日の御言葉 「奉納する胸の肉」

「彼は燃やして主にささげる物を自分の手にささげ持つ。すなわち胸の肉に脂肪を載せてささげる。奉納する胸の肉は主の御前に奉納物とする。」 レビ記7章30節

 11節以下に、「和解の献げ物の施行細則」が記されています。これは、3章に記されていた「和解の献げ物」の細則ということになります。
 
 和解の献げ物は、「感謝の献げ物」として(12節以下)、また、「満願の献げ物」、「随意の献げ物」として(16節以下)、ささげられます。「満願」とは、神に願い事をして、その願いがかなったときにささげると約束する献げ物のことです。「随意」とは文字通り思いのままに自発的にささげる献げ物です。
 
 和解の献げ物は、3章で学んだとおり、献げ物のいけにえが、神と祭司と奉納者の三者で分かち合われ、そこで食されます。神は脂肪と血をとられます。3章11節には、脂肪のことを、「これが燃やして主にささげる食物である」と記されていました。祭司は胸と右後ろ肢をとり、残りの肉は奉献者が食べます。
 
 種々の献げ物の中で、奉献者が食べることが出来るのは、和解の献げ物だけです。これは、神と人が食事を共にして交わるという、喜びに満ちた意味があり、「和解の献げ物」という名前も、そうした内容からとられたものと考えられています。
 
 ヨハネ黙示録3章20節に、「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」と記されています。主イエスを迎え入れる者と食事を共にするという約束が語られているのですが、それはまさに、私たちの罪の贖いを成し遂げて下さった主イエスを信じ、受け入れると、主との間に「同じ釜の飯を食う」という親密な交わりが開かれることを示しています。
 
 17節に、「しかしこの残りの肉は三日目には焼き捨てねばならない」とありますが、これは、動物の死体は三日目には腐敗が始まると考えられていたからです。三日目にその肉を食べたなら、それは「神への献げ物とみなされず、不浄なものとなる」と規定されています(18節)。これは、考えてみれば非常に意味深長な言葉です。というのは、主イエスは、十字架に死んで三日目、まさに「不浄なものとなる」、腐敗が始まるとされていたその日に、死を打ち破って甦られたからです。
 
 ところで、冒頭の言葉(30節)は、口語訳では、「主の火祭は手ずからこれを携えてこなければならない。すなわちその脂肪と胸とを携えてきて、その胸を主の前に揺り動かして揺祭としなければならない」と訳されていました。「その胸を主の前に揺り動かして揺祭とする」という言葉が、新共同訳で「奉納する胸の肉は主の御前に奉納物とする」という訳に変わっています。「揺り動かす」を「奉納」、「揺祭」を「奉納物」と変えているわけです。原文には、「揺り動かす」(ヌーフ)という言葉が用いられています。欽定訳聖書(KJV、NKJ)は「揺祭」と訳せる訳語(wave offering)を採用しています。
 
 以前は、「揺り動かす」というのを、前後に揺らすものと考えられていました。しかし、最近では、神に献上するという意味を表わすために、上に差し上げる動作を表わすものと解釈されるようになって来ました。それで、「奉納する」という訳語が採用されるようになったというわけです。
 
 「主の御前に奉納物とする」と言われている「胸の肉」は、31節を見ると、「アロンとその子らのものとなる」とされています。主にささげられたものが、祭司たちに下げ渡されるということになります。民の、神への感謝の献げ物が、祭司たちの生活を支える謝儀として、神から与えられているわけです。
 
 それを受けた祭司たちは、お与え下さった神に感謝すると共に、ささげた民に対して感謝するでしょう。こうして、神と民と祭司の間に、和解による感謝と喜びが巡ることになります。
 
 主よ、今日の御言葉から、あなたから頂いた恵みを証しをすることが、今日、感謝の献げ物を主の御前に奉納することではないかと教えられました。どうか私たちを聖霊に満たして下さい。聖霊の力を受けて、主の恵みを証しするものとして下さい。福音が前進しますように。主への感謝と喜びが広げられますように。 アーメン

大牟田・熊本ブロック教役者会


教役者会02先日、大牟田・熊本ブロックの教役者会を、八代で行いました。
八代の教会を訪ねるのは初めてでしたので、予め地図で確認しておりましたが、比較的分かりやすい場所でした。



 
教役者会01教会の庭の一角に、正確には分かりませんが、7メートルほどの高さの大きな十字架が立っていました。
周囲を田畑に囲まれていて、表の道路からすぐに見えたそうですが、今はビニールハウスが立ち並び、教会の姿は見えません。
そこで、十字架の塔を建てようということになったそうです。


教役者会03今回の教役者会参加者は、大牟田、有明、大牟田FS、菊池シオン、東熊本、山鹿、八代、人吉から12名+子ども1人でした。
いつものように、第一部は礼拝。今回は、私が説教を担当致しました。
八代新生教会の牧野先生には、証しを伺いました。
礼拝後の感想・説教批評は、専ら最初の小咄に集中し、大変盛り上がりました。

最初にジョークを言うという説教スタイルは、アメリカのジョエル・オースティン先生がそうですし、また大和カルバリーチャペルの大川従道先生がそうです。
聴衆の心を開かせ、福音を聴き易くするためには、笑わせることが一番と、韓国の今は亡き大伝道者・申賢均先生も仰っていました。
本田弘慈先生も同様だったでしょう。
そう、ハワイのウエイン・コデイロー先生の説教でも、ジョークのない時はないようです。
こう並べて、自分を正当化しようとしているわけですが…

説教はもとより、ジョークの面白さも、比較にはなりません。
大川先生、コデイロー先生たちの説教は、CGNTVのサイトでも見ることが出来ます。
大川先生:大和カルバリー http://japan.cgntv.net/sub.asp?pid=2306
コデイロー先生:ニューホープ http://japan.cgntv.net/sub.asp?pid=2401

第二部は、近況報告、打ち合わせです。それぞれの近況などを報告し合いました。
私は、教会の新会堂建築の進捗状況と父の召天について話しました。
また、会場を提供して下さった八代新生教会の牧野先生の健康とお働きのため、皆で心を合わせて祈りました。

次回は、5月18日(火)午後2時より、人吉教会で開催することになりました。
その中で、教役者会の新幹事を決めたいと思っています。

1月3日の御言葉 「主の栄光が幕屋に」

「モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」 出エジプト記40章35節

 主はモーセに、「第一の月の一日に幕屋、つまり臨在の幕屋を建てなさい」と言われました(2節)。

 イスラエルの民がエジプトを脱出したのが、正月14日の夜中でした(12章6,18節、29節以下)。それから三ケ月目にシナイの荒れ野に到着し、シナイ山に向かって宿営しました(19章1,2節)。その山で十戒を受け(20章)、主と契約を結びました(24章)。

 それから、神が民と共に住むための聖なる所、即ち幕屋作りが命じられ(25章以下)、その実行のために必要なものが集められ(35章)、そして、すべての準備が完了しました(39章32節)。
 
 こうして、エジプト脱出から一年が経過しました。これから、絶えず神が臨在の幕屋にあって民の内に住まわれ、常に共に歩んで下さるという新しい生活が、新年の元日を期に始められるわけです。
 
 幕屋を建て(2節)、掟の箱を置き、垂れ幕を掛け(3節)、机とその付属品、燭台、香をたく金の祭壇を置き、幕屋の入り口に幕を掛けます(4,5節)。幕屋の入り口の前に祭壇を据え(6節)、祭壇と入り口の間に洗盤を据えます(7節)。周囲に庭を設け、入り口に幕を掛けます(8節)。幕屋とその中のすべての祭具、祭壇と祭具、洗盤と台に油を注いで聖別します(9~11節)。
 
 次に、アロンと子らを水で清め(12節)、アロンに祭服を着せ、油を注いで聖別し(13節)、子らにも衣服を着せ(14節)、油を注いで祭司とします(15節)。
 
 モーセはこれらのことを、主に命じられたとおりに行いました(16節)。17節以下、仕事の様子が記録され、都度、「主がモーセに命じられたとおりであった」(19,21,23,25,27,29,32節)と計7回、記されます。「7」という完全数をもって、その仕事が主の命令に忠実に、完全に従っていることを示しています。
 
 臨在の幕屋が完成したとき、「雲が臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」(34節)と記されています。宿営の外に設けられた仮設の臨在の幕屋では、モーセは、降って来られた主と、「人がその友と語るように、顔と顔を合わせて」語り合ったのですが(33章17節)、幕屋が完成したこの日、冒頭の言葉(35節)のとおり、栄光が幕屋に満ちていたため、モーセは幕屋に入ることが出来ませんでした。
 
 ここに示されるのは、勿論、神の権威です。神の権威の前に、モーセであってもそのまま近づくことは出来ません。主の許しなしに、近づくことは出来ないのです(19章13節、24章12節参照)。それはまた、臨在の幕屋は何よりも、神が臨在されるために設けられたのであって、民のために造られたものではないということも示しています。願い事があり、あるいは解決困難な問題があるとき、幕屋に来ればよいということではないのです。
 
 しかしながら、モーセがそこに入ることが出来ないほど、主の臨在によって神の栄光が満ち溢れているとき、神は何かをして人に仕えてもらう必要など、何もないのです。主はその御力をもって幕屋を満たしておられるのであり、その力によって、イスラエルの民を祝福して下さっているのです。神の栄光が表されるというのは、神が神として崇められ、人が神の民としてその恵みに与り、栄光を拝することが出来るということでしょう。
 
 その意味では、アロンやモーセの働きというのは、そこに神が臨在され、主の栄光が満ちるためのものであるということ、また、主の栄光の故に何も出来なくなり、神がご自身の栄光を現されるための奉仕であるということ、と言ってよいでしょう。勿論、神は機械仕掛けではないので、何かをすれば必ず幕屋に臨在が満ちるというものではありません。主の臨在を仰ぎ臨み、御言葉に従順に歩めばこそです。
 
 絶えず主の御名を賛美し、主を仰ぎ望みましょう。その御言葉に耳を傾けましょう。

 主よ、御子の十字架によって贖いを成し遂げ、罪の呪いから解放し、救いの恵みに与らせ、神の子として下さったことを心から感謝し、御名をほめたたえます。どうぞ私たちの心にあなたの臨在を表わしてください。そのために、どうぞ私の心を清めて下さい。御言葉と御霊によって満たして下さい。 アーメン

スーザン・ボイル 紅白歌合戦出演

昨年4月18日にスーザン・ボイルさんのことをブログに掲載させていただいた折り、「そのうち、日本のテレビでも取り上げられるかも知れない」と書きましたが、なんと、紅白歌合戦に出演されました。

YouTubeにそのときの映像が配信されて、私はそれを見ましたが、利用規約違反で取り消されてしまいました。

ただ YouTubeに、スーザン・ボイルさんが出場した「ブリテンズ・ゴット・タレント」決勝戦の映像がありました。
ここに埋め込めませんが、YouTubeのサイトでご覧下さい。
URL http://www.youtube.com/watch?v=HiitHDKP7rM

元旦礼拝

1月1日(金)朝、元旦礼拝を行いました。
粉雪の舞う冷たい朝でしたが、37名の方々が礼拝においで下さいました。

おいで下さった方々の写真を、教会HPのフォトレポートに掲載いたしましたので、ご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto1227.html

本年は、新しい礼拝堂の建築工事が行われます。
来年の元旦礼拝は、新しい礼拝堂で迎えることになります。
皆で心を合わせ、聖霊による一致をもって、神の御旨に適う、主を礼拝するに相応しい礼拝堂を建てることが出来るよう、共に励んでいきましょう。
皆様に、主の恵みと慈しみとが豊かにありますように。健康が守られますように。
生業が祝され、経済も満たされますように。
感謝と喜びの内に、希望をもって日を過ごすことが出来ますように。
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