風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2009年11月

カメラの日

11月30日は、カメラの日だそうです。
32年前(1977年)の今日、小西六写真工業(現コニカミノルタ)が、世界初のオートフォーカス(AF)カメラを発売したのを記念するものです。

小西六写真工業は、写真材料・石版材料を取り扱う小西六兵衛店として1873年に設立され、その後、小西六写真工業に改称しました。
印画紙、カメラ、カラーフィルムなどを我が国で初めて国産化し、フィルム、カメラのトップブランドなりました。

1968年に発売されたコニカC35は、「ジャーニーコニカ」の愛称で売られたハーフサイズのコンパクトカメラですが、私も学生時代、これでよく写真を撮りました。

その後、世界初ストロボ内蔵のコニカC35EFを1975年に発売、「ピッカリコニカ」の愛称で大ヒットしました。

そして、2年後の1977年、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF」が誕生しました。
いつでも自動的にピントがぴったり合うコンパクトカメラということで、「ジャスピンコニカ」と名付けられました。

30年前に、4万2千8百円もした高価なカメラでしたが、それでも大ヒット商品となりました。

これにより、露出や距離、ピントを全自動で調節してくれるし、ストロボも内蔵されているということで、誰でもいつでもどこでも、気軽にカメラをもって撮影することが出来るようになったという点で、画期的なカメラが登場してきたわけです。

誰がいつ「カメラの日」を制定したのか、残念ながら不明ですが、上記の理由でこれがカメラの日とされることに、何の異存もありません。

残念といえば、小西六写真工業は、1987年にコニカ株式会社となり、2003年にミノルタと合併してコニカミノルタホールディングスとなりましたが、DPE分野の事業を2006年に大日本印刷(DNP)に譲渡、カメラ部門も同年、ソニー(SONY)に譲渡して、コニカのカメラ、写真事業は幕を閉じてしまったということです。


YouTubeで、ピッカリコニカを宣伝する井上順のCM映像を見つけました。

11月29日の御言葉 「主とは一体何者なのか」

「ファラオは、『主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない』と答えた。」 出エジプト記5章2節

 モーセとアロンは、エジプトのファラオのところに行き、イスラエルの神、主を礼拝するため、イスラエルの民を去らせよと告げました(1節)。それに対する答えが、冒頭の言葉(2節)です。先に神はモーセに、「わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう」(4章21節)と語っていました。ということは、このファラオの反応は、折込済みというところでしょうか。
 
 モーセらは、礼拝をささげなければ、神が疫病か剣で私たちを滅ぼされるだろう(3節)と言います。これは、「私たちは神に滅ぼされたくはないので、礼拝しに荒れ野に行かせてくれ」とファラオに頼む言葉です。しかし、神がモーセに告げよと言われたのは、「わたしの子をさらせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう」(4章23節)という言葉でした。
 
 つまり、ファラオの長子の命に関わると警告することだったはずです。あるいは、自分たちが死ねば、エジプトの不利益になるだろう、というつもりだったのでしょうか。あるいはまた、自分たちを殺す疫病と剣がエジプトにも影響を与える、と言いたかったのでしょうか。
 
 いずれにせよ、二人に耳を貸すつもりのないファラオは、民を追い使う者と下役に、労働条件を厳しくし、「神を礼拝させよ」という偽りの言葉に心迷わさせないようにせよ、と命じます(6節以下)。それで、民を追い使う者は、早速イスラエルの民にわらの配給を停止してそれを自己調達させ、なおかつ、造る日干しレンガの数を減らすな、と命じます(10節)。
 
 それを聞いた下役の者は、それは無茶だと抗議しますが(15,16節)、ファラオは民を怠け者と決めつけ、厳しく語るだけです(17,18節)。下役とは、エジプトの手先となるよう懐柔されたユダヤ人で、民を分断し、エジプトに協力する方が得だと思わせる役目を担わされています。今回のファラオの措置は、同胞とエジプトの間で彼らを板ばさみにするようなことでした。
 
 そこで彼らは、モーセとアロンに抗議します(21節)。それを聞いたモーセは、主のもとに行き、「なぜ、この民に災いをくだされるのですか」と訴えます。自分たちが行かなければ、ファラオのこの措置はなかったと言いたいのでしょうけれども、しかし、神は既に、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫びを聞き、その痛みを知った」と言われ(3章7節)、それゆえ、モーセをファラオのもとに送られたのです。
 
 確かに、ファラオの心を頑なにして、モーセに従わせなかったのは神なのかもしれませんが、それで、神は民に災いを下されようとしているのではなく、さらに苦境に立たされた民に寄り添ってその苦しみを見、その叫びを聞き、痛みを知って、彼らをエジプトから導き出して下さるお方でしょう。
 
 ファラオがモーセに、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことを聞かねばならないのか」と言いましたが、モーセにとって、主とは一体何者なのでしょう。まさに、モーセ自身がこの問いに答えを出す必要があるのです。だから、モーセとファラオのこれからのやり取りは、主とは一体何者なのかということを、机上で学ぶのではなく、心と体で知るようにされる神の導きに従ってなされるのです。
 
 ところで、あなたは「主とは一体何者なのか」という問いに、どのようにお答えになりますか。

 主よ、神の富と知恵と知識はなんと深いことでしょう。誰があなたの定めを究め尽くし、あなたの道を理解し尽くせましょう。あなたを畏れ、御前に謙ることを学ばせて下さい。あなたはすべてのものを創造され、御手の内に守られ、やがて天に迎えられるのです。栄光が世々限りなく神にありますように。 アーメン

太平洋の日

11月28日は、「太平洋の日」です。

今から489年前(AD1520年)の今日、ポルトガルの航海者・探検家のフェルディナンド・マゼランが、ヨーロッパから西回りに航海して南アメリカ大陸の南端を発見し、初めて太平洋に到達しました。
大西洋から西の海に抜けるこの道は、後にマゼランの名をとって「マゼラン海峡」と名付けられることになります。

海峡を抜け、西の海に出てから天候がよく、平和な日々が続いたため、その穏やかな海の様子からマゼランは、「El Mare Pacificum(マール・パシフィコ:平穏な海)」と名付けました。
英語では「Pacific Ocean」、和訳すると「太平洋」ということになります。

マゼランは、フィリピンでイスラム教徒との戦いに敗れ戦死しましたが、彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明しました。

1519年9月20日、5隻の船に265名の船員を乗せてスペインを出しましたが、様々な困難に出会い、1522年9月6日にスペインに戻ってきたのは、ただ1隻18名だけでした。
特にビタミンCの欠乏による壊血病で、多くの船員が命を落としたそうです。

なお、太平洋の面積は約1億5,555万7千平方キロメートル、これは、全地表面積の約3分の1にあたります。
因みに、日本の面積は377,835平方キロメートルですから、日本を412個並べることが出来る大きさということです。
分かったようで分からない?!大きさですね。

クリスマス案内


クリスマス案内01昨日、例によって例の如く、印刷屋さんをしました。今回は、クリスマスの集いの案内のためのチラシ、ポスターなど。

ポスターはパウチして貼り出せるように、チラシは半分に折り、50枚づつ束にして近所に配布するように、準備しました。葉書も作り、来週宛名書きして投函します。

予定どおりにコトが進めば、大牟田教会の現在の会堂は、来春取り壊されることになるので、今回は、現会堂での最後のクリスマスの集いということ。

となると、すべてのことが記念行事化することに。是非、記念イベントにご参加下さい。

今年のクリスマス集会は、
12月20日(日)11時10分より クリスマス礼拝
         13時30分より クリスマス祝会
12月24日(木)19時より キャンドル・サービス


多くの方々と、イエス・キリスト様のお誕生をお祝いし、クリスマスの喜びと平和が全世界にあるように、心よりお祈り致します。

11月22日の御言葉 「両手を交差して」

「イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。」 創世記48章14節

 ヤコブは、息子ヨセフの二人の子マナセとエフライムを自分の子としたいと願い(5節)、そして、二人を祝福しようと言います(9節)。ヨセフは父の前にひれ伏し(12節)、二人の子をヤコブの前に進ませます(13節)。
 
 するとヤコブは、右手をエフライムの頭に、左手をマナセの頭に、両手を交差させて置きました(14節)。つまり、自分の右側にいるマナセに左手を、自分の左側にいるエフライムに右手を、自分の前で交差させるかたちで手を置いたのです。
 
 口語訳では、「ことさらそのように手を置いた」と訳出されており、不注意や気まぐれではなく、注意深く慎重に相手を選んで行われたことを示しています。
 
 イスラエルの伝統では、右手の祝福は長子に与えられるもので、遺産の配分において他の兄弟の2倍を受ける特権を有効にする祝福と言われています。ヨセフは、長男マナセが右手の祝福を受けるように右前に、次男エフライムを左前に進ませたのです。

 ところが、父ヤコブの右手が次男の頭に置かれたことに気づき、手を置く順序を間違えていると考えて、置き換えようとします(17節)。ところが、ヤコブはきっぱりと、「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている」と言い(19節)、弟エフライムを兄に勝って祝福しようと、神が選ばれたというわけです(19節以下)。
 
 なぜそうなのか、理由は説明されていませんし、ヨセフも父に対してそれ以上抗議をしていません。ここに、祝福というものは、人の考えに左右されない、神の自由な選びによって与えられるものということが語られているのです。そしてこの自由な選びは、神の憐れみに基づいています。
 
 祝福の言葉に、「わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ。どうか、この子どもたちの上に祝福をお与えください」という言葉があります((15,16節)。ヤコブは勿論、祝福の祈りを空しい言葉だとは考えていません。ヤコブは父イサクを騙し、兄を出し抜いてこの祝福を受けました。父イサクの祝福を受けないで生きることは出来ないと考えていたわけです。

 生きていく上で、神の祝福は不可欠だという考えは間違っていませんが、手段を選ばないというやり方を神は喜ばれはしません。結局ヤコブは、兄エサウを恐れ、その前から逃げ出さなければなりませんでした。苦しみを味わい、後悔の日々を過ごしたでしょう。
 
 ところが、神はヤコブの罪を赦し、苦しみから救い出して下さったのです。ヤコブはここに、本当に大切なのは、祝福をお与え下さる神との交わりであることを知ったのです。特に、死んだと思っていたヨセフが生きていると知らされたとき、それこそおのが罪の結果と諦めていたのに、罪赦される喜びが湧き上がり、あらためて神の祝福の力を味わったのです。
 
 長子の受けるべき祝福が次男に与えられたというのは、新約の福音の光を通してみると、神の独り子イエス・キリストの受くべき分が、御子を信じる私たちに与えられたということを示しています。ヤコブは祝福をお与え下さる神を、「わたしの先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ」と(15,16節)と呼んでいますが、これは、ヤコブが自ら知らずして主イエスを証しているようです。
 
 使徒ペトロは、「皆が躓いても私は躓かない、たとえ殺されても裏切りません」と豪語していましたが(マルコ14章29,31節)、3度も主イエスなど知らないと公言してしまいます(同66節以下)。しかるに、主イエスはペトロを十字架の死によって贖い、御自分の証人として用いるべく聖霊の力を注ぎ与え、使徒として立てられました。
 
 主は私たち一人一人にそれぞれ違った賜物を与え、違った仕方で主の祝福を体験し、主に従うように招かれています。「あなたは、わたしに従いなさい」と(ヨハネ福音書21章23節)。
 
 主よ、私たちがあなたを選んだのではありません。あなたが私たちをお選びになりました。それは、私たちが出て行って実を結ぶ者となるため、その実が豊かに残るためであり、また、御名による祈りが聞き届けられるためでした。御名が崇められますように。御国が来ますように. アーメン

ブロック教役者会


雲仙01本日、大牟田・熊本ブロックの牧師たちが熊本南教会に集まり、教役者会を行いました。
国道389号で長洲港へ、そこから国道501号を南に降ると、約1時間半余りで熊本南教会のある宇土市に行けます。
今日は生憎の雨模様でしたから、途中で景色を見ることもありませんでしたが、もしも晴れていれば、写真の通り、熊本の河内温泉あたりから有明海の向こう、島原の雲仙普賢岳がはっきりと見えます。
今回の教役者会は、色々と差し支える方が多くて、参加者は7名でした。
 
教役者会01第一部・礼拝では、熊本南教会の浜田牧師が、メッセージを取り次いで下さいました。
写真が浜田先生ですが、逆光でフラッシュも発光せず、色のない写真になってしまいました。腕が悪く、申し訳ありません。
メッセージの聖書箇所は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」という言葉で始まるヘブライ書11章1~6節です。
以下、メッセージの要約を記します(文責:ブログ管理者)

キリスト教は、目に見えない神を信じています。この信仰の基礎は、キリストの言葉です。神を信じるとは、神の言葉を信じること、神信仰は、御言葉信仰なのです。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ書11章17節)と言われるとおりです。
ヨハネ伝1章1節に、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあります。ここで、「言(ことば)」は、ギリシア語で「ロゴス」と記されています。ヨハネは「ロゴス」を、命の源、神的人格、神そのものと考えているようです。

「神に近づく」(6節)とは、神の御言葉に近づくということです。ヨハネが、「言は神であった」と言っていることから、御言葉を聞くことが少なければ、信仰に堅く立つことは出来ないということになります。

パウロも、「キリストの言葉があなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい」(コロサイ書3章16節)と言っています。御言葉が私たちの内に宿り、御言葉がひらめくように、日々神の御言葉を聞きましょう。神を求めるとは、御言葉を求めることです。

神は、「求める者たちに報いて下さる方である」(6節)とあります。御言葉を求める者は、神にあってその人生を再創造していただけるのです。目に見えない神が、私たちに平安を与え、確信へと導いて下さいます。(以上)

コロサイ書の「キリストの言葉」は、原典を調べると、「ホ・ロゴス・トゥー・クリストゥー(the word of Christ)」でした。「言葉」(ロゴス)が単数形で記されています。パウロも、ロゴスとは神の命、神の真理と考えているようです。

そういえば、ルカも、キリストの復活を信じるとは、キリストが語られた言葉を思い出すこと(ルカ24章6節以下)、御言葉に心燃やされることと教えています(同32節)。

御言葉信仰を力強く語っていただいて、大変感謝でした。あらためて、御言葉の力、御言葉の命を感じました。

第二部は、親睦です。
初めに、事務打ち合わせ。
・ブロック教役者会の幹事は、来年3月まで私が引き継ぐことになりました。
・電話連絡網は、山鹿から熊本南、八代、熊本愛泉へ回していただきます。大牟田FS、菊池シオンからの流れは、以前のままです。
・今年度中は、会費を徴収しないことになりました。
・次回教役者会は、1月5日(火)14時より、八代で行うことになりました。
・連盟主催の九州地区教会学校研修会が、来年10月10日(日)~11日(月)、福岡で開催されることになりました。詳細は追って知らされて来ます。

続いて懇談。
今回は、墓地、納骨堂のことが話題となりました。私たちの教会には納骨堂がありますが、新会堂を建てるときに会堂内に納骨室を設けて、遺骨をそちらに移した後、納骨堂を取り壊すことにしています。熊本南にも納骨堂があります。山鹿は、市の公園墓地に納骨堂を建てることになったそうです。

その他、あれこれ話している内に予定時刻が過ぎ、浜田牧師のお祈りで教役者会を終了、再会を約して家路につきました。

11月15日の御言葉 「聡明で知恵ある者」

「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」 創世記41章39.40節

 ファラオ(エジプトの王)が不思議な夢を見ました(1節)。それは、川の中から、美しく肥えた雌牛が7頭上がって来た後、醜く、やせ細った雌牛が7頭出て来て、よく肥えた雌牛を食い尽くしたというものです(2節以下)。再び、同様の夢を見たファラオは(5節以下)、夢のことが気になり、エジプト中の魔術師、賢者など、夢解きの出来る学者たちを呼び寄せましたが、誰も納得の行く解釈をすることが出来ませんでした(8節)。
 
 そのとき、給仕役の長が2年前に牢で出会ったヨセフのことを思い出し、ファラオにそのことを告げます(9節以下)。そこでヨセフが牢を出され、ファラオの前で夢解きをすることになります(14節)。
 
 古代世界では、天体の運行やその他の自然法則などを研究して未来を予知することは、当時の科学の対象として、真剣に取り組まれました。それは、不安な人生に少しでも安全を確保したいという人間の深い願望の現われです。
 
 そうしたことは、現代においても見られます。一方では、きわめて現実的、合理的になり、学歴や資格取得などによって将来の安定した地位を獲得しようと考えています。入試で消耗することがないように、幼稚園から大学まで連なった有名私立学校への「お入学」に躍起になったりするのも、その流れの一つでしょう。
 
 反面、入試に際して神仏に合格祈願をし、仕事始めには安全祈願、そして商売繁盛、五穀豊穣、家内安全などのためのお参りを行います。車に交通安全のお守りを下げています。一般に販売されている雑誌で、星占い、運勢などを載せていないものは、一つもないといってよい程でしょう。神仏をどれほど真剣に信じているのか分かりませんが、少しでも自分の不安やストレスを解消し、安心して物事に打ち込めるようにしたいということでしょう。
 
 しかしながら、ヨセフは、「神がファラオの幸いについて告げられる」(16節)、「神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです」(28節)と語ります。これは、人が時間を支配し、思うように安全を確保することは出来ないということであり、未来はすべて神様の手の中にあるということです。
 
 私たちは、今を精一杯生きるほかはないのです。そこで、いかに生きるべきかということが問題になります。ただ我武者羅に生きればよいわけではありません。死なないから生きているというような生き方は御免です。自分の生きるべき道があるはずだと考えるからです。
 
 「神などいない、神なんかいらない」と豪語する一方で、不安を解消するために迷信に走る、その両極の間を揺れ動いている、それが現代日本に生きる私たちの姿なのかもしれません。
 
 ヨセフは一貫して神中心の立場に立ち、ファラオに夢を見せ、自分にその解釈を与えて下さった神を信じて、ファラオの前でも大胆に語ります。およそ、奴隷であり、刑の執行を待つ囚人という最も弱い立場にいる者の振る舞いではありません。
 
 33節以下、夢の解き明かしに基づいて、具体的な計画を提案します。神の御言葉に応え、それに基づく計画に従って忠実に実行されることが必要なのです。計画が立たなければ、夢はいつまでも夢のままです。実行されなければ、計画は意味を持ちません。
 
 ヨセフの言葉に感心したファラオが、冒頭の言葉(39,40節)を語ります。この計画を忠実に実行出来る「聡明で知恵ある人物」(33節)は、確かにこのヨセフを置いてほかにいないことが、夢解きの事実で明らかにされています。そしてこのファラオの言葉は、最も低い身分にいたヨセフの立場を180度変え、王に継ぐ地位に立つものとします。

 兄たちに空井戸に投げ込まれ、奴隷としてエジプトに売られ、無実の罪で監獄に入れられて、ヨセフは次々と起こる問題に振り回され、命をさえ脅かされておりましたが、今ここで、彼に与えられていた夢が実現するため、世界が動き始めたのです。

 主よ、人の心には様々な計画があります。幸せになりたいと色々画策します。しかしながら、世界を治め、ときを支配しておられるのは、あなたです。私たちは、すべてを御手の内におさめ、御心のままに動かしておられる主に信頼し、その御言葉に耳を傾けます。聖霊の働きによって、導いて下さい。 アーメン

第55回連盟定期総会


連盟総会0112日(木)~14日(土)、天城山荘で、第55回日本バプテスト連盟定期総会が開催されました。

写真は、開会の挨拶をされる連盟理事長に就任された田口昭典先生(金沢教会牧師)です。

今年は、米国南部バプテスト連盟の宣教師が来日して、120周年の記念の年でした。

連盟総会02そこで、日本バプテスト宣教団に対して、感謝状の贈呈が行われました。

感謝状をお受け下さったのは、宣教団チーム・ストラテジー・リーダーの大上宣教師です。
名前でお分かりのように日系米国人です。
また、先生のご両親も日本の宣教師でした。

我が国を愛する宣教師の先生方の働きで、日本バプテスト連盟は戦後、16の教会から、300余りの教会・伝道所に成長して来ることが出来ました。


連盟総会03総会の最初の議案は、二つの教会の連盟加盟承認の件です。

協議の結果、「宮原教会」、「新潟主の港教会」が連盟に加盟が承認ました。

「新潟主の港教会」は、「新潟教会」、「新潟栄光教会」、「豊栄伝道所」が合同されて結成されたものです。


連盟総会04今総会の最重要議案は、教役者退職金制度改革の件です。

16年前に制度設計されたときは、バブルが弾ける直前で、退職金基金の利息で十分まかなえると考えられていました。

バブルが弾けた後、すぐに基金を設定し直し、制度が維持出来るようにすべきだったのを、付け焼き刃の基金取り崩しで対応して来たため、このまま行けば、連盟自体が財政破綻してしまうところでした。

財務委員会が数年前から制度改革のために検討を続け、現在考えられるベターなものを提案して下さいました。

足かけ二日、3時間半にも及ぶ協議の結果、制度改革は、原案どおり可決承認されました。

この制度をよりよいものにしていくためには、連盟に加盟している教会全体のさらなる努力と工夫が必要です。
特に、財政規模の小さい教会や、そのような教会に働く教役者のために、援助する仕組みをもうけなければなりません。

年金が月額15万に届かない退職者のために、連盟で付加年金を用意すべく、3年後の総会に提案されることになりました。

連盟の中長期活動方針大綱策定に向けた協議の中で、これからの協力伝道がいかになされていくことが望ましいのか、主の御旨に適うことなのか、さらに議論を深めていく必要を感じます。


二日目に、協力伝道の集いが持たれました。
最初の米国南部バプテスト宣教師が来日して120年。
特に、戦後いち早く来日された宣教師の先生たちの働きで、日本バプテスト連盟が結成され、今日のような発展を見ることが出来ました。

その話の中で、あらためて感動をもって聞いたのは、W.M.ギャロット先生のことです。
先生は、1934年9月に宣教師として来日されますが、戦争に突入した我が国は、1941年に先生を敵国人収容所に収容、翌年日米交換船で強制帰国させます。

米国に戻られた先生が、報告集会の中で日本の悪行が口々に語られる中、壇上で涙し、それでも日本を愛すると語られたそうです。
また、そのような日本に福音を伝えるために行く宣教師はいないかとチャレンジされたそうです。

その涙とチャレンジに応えたのが、神戸でよい働きをされたロバート・シェラー宣教師(松山西教会牧師のボブ・シェラー先生のお父様)です。


私は、松山・道後教会の牧師をさせていただいているとき、8年間、シェラー先生と交わる機会を得、お世話になりました。

ついでながら、シェラー宣教師が1949年に2週間の船旅で来日されたとき、その船にはジェイコブ・デシーザー先生が乗っておられたと、代議員として出席しておられたシェラー先生から伺いました。

デシーザー先生は、満州で日本軍捕虜になって酷い扱いを受け、死刑になるところをすんでのところで助けられた後、クリスチャンになり、伝道のために来日され、新宿で自分の信仰体験を記したパンフレットを配りました。

そのパンフレットを受け取って信仰に導かれたのが、渕田美津雄大佐でした。

何だか、世界は狭いなあと思わされました。


また、私たちは今、タイへ日高宣教師ご一家を送り出しているほか、数ヶ月という単位でタイやミャンマーに短期のボランティア宣教師を派遣してきました。

連盟総会05タイに行かれた杉山いずみさんは、その体験を通じて、福音宣教のために働きたいという願いが起こされ、来年から西南の神学部で学ぶことになったと語られました。

プレイズ・ザ・ロード!


日高先生が派遣されているタイのバプテスト神学校は、周辺諸国からの神学生を受け入れ、東南アジアの宣教センターとしての役割を果たしていると、日高先生と共に来日された神学校のチャイワット校長先生が語られました。

アジア諸国の方々との出会いと交わりは、私たちを固定観念から解放し、新しい自由な視点を与えてくれます。
大戦中、「大東亜共栄圏」の名の下に東アジアの支配者になろうとした日本が、イエス・キリストの名の下、福音を携えて共に奉仕する者とならせていただくことが出来るようにと願わされました。


これからの日本バプテスト連盟に連なる諸教会、そしてその教会を形づくっている私たち一人一人が、主の福音の業のため、協力伝道のよい実を結ぶことが出来るように、主の御旨に適う働きを推進していくことが出来るように、祈りながら天城の山を降って来ました。

すべてを守り導いて下さった主に感謝致します。


※追伸
座席がチャペルの最後部だったことで、フラッシュ撮影が出来ないため、シャッタースピードが遅くなり、ブレたような写真になりました。

熊本城


熊本城01幼稚園児が、「わたしね、くまもとじょうにいったんだよ。じょうってね、おしろのことなんだよ」と教えてくれました(平仮名だらけの文章は読みにくいでしょう?!)。
そうか、熊本城か。
というわけで、熊本城に行ってみました。

随分前に熊本城まで行ったときは、天守閣には昇らず仕舞いだったので、今回は、天守閣に昇る目的で行きました。

三の丸駐車場に車を駐め、二の丸広場を横切り、西大手門から城内に入ります。
大手門の手前に料金所がありました。
大人500円、小中学生200円です。
“安い”と思いました。

大手門を入ってから、宇土櫓、数寄屋丸2階広間、そして、本丸御殿を見学しました。櫓は防御のため、数寄屋丸は文芸活動のため、本丸御殿は台所、城主の居室として設けられたものです。
それから、天守閣に入りました。
それぞれの施設は、博物館としての役割を果たしています。
天守閣の1階は、加藤家時代の資料、2階は、細川家時代の資料、3階は、西南の役の関係資料が展示されています。

熊本城は、茶臼山と呼ばれるところに、加藤清正が1601年に着工、1607年に完成させたものです。
熊本城の城郭の広さは約98ヘクタール(東京ドーム20個分とか)、周囲は5.3㎞もあります。

一説には、豊臣家に事あるときには、秀頼をここに迎えて西国大名を率い、徳川家康とことを構えるため、ここに巨大要塞を築いたという話があります。
写真左奥の小天守は、大天守閣完成後、秀頼を迎えるために築いたものだそうです。


熊本城02天守閣最上階は、熊本市を一望し、遠く阿蘇の山並みまで眺めることの出来る展望所になっています。

写真は、城の東方に広がる熊本市街地、奥は阿蘇の山並みです。

天守閣は、1960年に総工費1億8千万円をかけて鉄筋コンクリート造りで再建されました。
ちょっと残念かな。

熊本城は、西南の役のとき、籠城を覚悟した熊本鎮台司令長官・谷干城(たに・たてき)が自ら放ったと言われる火で、天守閣、本丸御殿などを焼失していました。

天守閣を失ってもというべきか、天守閣を失ったからこそというべきかよく分りませんが、熊本城を攻める13000の薩摩軍に対し、3500の守備隊がよく戦って52日間籠城し、結局入城を許しませんでした。
西郷隆盛が「ワシは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と言ったという逸話が残されているそうです。
これは、清正が築いた熊本城が、難攻不落の名城であるということを、名実共に実証した出来事です。

因みに、加藤清正は450年前の1562年6月24日、愛知県は名古屋の中村に生まれました。
主君・豊臣秀吉(1537年2月6日生まれ)と同郷です。
安土桃山時代を代表する三大英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が共に愛知県の出身というのは、歴史の不思議です。

ついでながら、我が愛する妻も名古屋の生まれです。
愛知の大学に通っているときに知り合いました。
そんでもって、東京に嫁した娘も名古屋生まれです。

11月8日の御言葉

「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか。」 創世記34章30節

 エサウと再会を果たしたヤコブは、スコトへ行き、そこに土地を購入して家を建てました(33章17,19節)。ここに住み着くつもりなのです。ところが、ここで事件が起こりました。
 
 ヤコブには、レアとの間に生まれたディナという名の娘がいました。彼女が「土地の娘たちに会いに出かけた」(1節)のですが、ヒビ人ハモルの息子シケムがディナを見初め、無理やり関係を持ちます(2節)。そして、父ハモルにディナを妻に迎えることを認めてくれるように求めます(4節)。
 
 ハモルは息子の願いを入れてヤコブのもとを訪れ(6節)、ディナを息子シケムの嫁にくれるように願い出ます(8節以下)。シケムも同様に語ります(11節以下)。彼らの申し出は、シケムがどれほどディナのことを思っているかということを示しており、その意味では、ヤコブが叔父ラバンの娘ラケルを妻にするために、7年間ただ働きすると申し出た心情に通ずるものがあります。
 
 しかしながら、ヤコブはこの申し出に対して、何ら反応していません。返答したのは、ヤコブの息子たちです。息子らは、シケムたちが割礼という儀式を行うなら、相互に姻戚関係を結ぼう、と応じます(14節以下)。
 
 ハモルと息子シケムは、ディナのために、ためらわず実行することにし、町の人々にも割礼を受けるようにと提案します(20節以下)。町の人がその「提案をを受け入れた」(24節)というのは、ヤコブたちと関係を持つことが町のプラスにつながるという計算以上に、ハモルが町の首長で、彼らへの信望が厚かったということでしょう。
 
 しかしながら、割礼を受ければ、姻戚関係を結ぶというのは、真実ではありませんでした。ヤコブの息子たちは、ディナが「汚されたことを聞いた」(5節)とあり、ディナが辱められたことを宗教的な「汚れ」と受け止めています。それゆえ、「みな、互いに嘆き、また激しく憤った」(7節)のです。だから、割礼を持ち出したのは、宗教を同じくするならということになるわけですが、それでシケムのしたことを赦すというつもりは全くありません。
 
 町の人々が割礼を受け、まだ傷の痛みに苦しんでいるときに(24,25節)、ディナの兄シメオンとレビは剣を取って町に入り、男たちをことごとく殺して、妹ディナを取り戻しました(25,26節)。そして、残りの息子たちは、町中を略奪しました(27節以下)。
 
 ここまで、全く口を開かなかったヤコブが、ようやく口を開きました。それが冒頭の言葉(30節)です。ヤコブは、息子たちがしたことで、この町におれなくなったことを非難しているのですが、ここにはディナに対する労りも、ディナを取り戻した労いもありません。父親として、娘のことをどう考えていたのでしょうか。
 
 ヤコブがはっきりとしないので、息子たちが行動しただけで、本当ならヤコブがその意思を示すべきだったのです。だから、行動を非難された息子たちが、「妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか」と反論すると、それに対する言葉がないのです。
 
 ヤコブは利に聡く、そのためには手段を選ばず行動するというところがありますが、そうでないときには受身です。ディナのことを聞いても、何の行動も起こしません。それこそ、神に祈ることすらしないのです。

 その意味で、このような事件が起こり、彼がスコトを出て行かなければならなくなったのは、約束の地から離れてヨルダン川の東に留まることを神がよしとされなかったということではないかとさえ思えます。
 
 だから、神はヤコブをベテルに呼び出されるのです(35章1節)。彼が戻るべき場所は「ベテル」、即ち「神の家」なのです。神のもとに宿り、その御言葉を聞き、その恵みの内を歩むことなのです。

 主よ、私たちは弱い人間です。他人を非難することは出来ますが、ヤコブと同じ立場になったときに、自己保身に走らないとは言えません。だからこそ、あなたに依り頼みます。どうか、試みにあわせないで、絶えず悪しき者からお救い下さい。御言葉に耳を傾けます。真実を教えて下さい。 アーメン
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