風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2009年09月

9月27日の御言葉 「水のない穴から解き放つ」

「またあなたについては、あなたと結んだ契約の血のゆえに、わたしはあなたの捕らわれ人を水のない穴から解き放つ。」 ゼカリヤ書9章11節

 9章には、まず諸国民に対する裁きが記されます。1~4節にはシリア、フェニキアの町に対する託宣で、それらの町が交易などで集めた富や力を、海に投げ込み、町を火で焼くと言われます(4節)。また5~7節はペリシテの町に対する託宣で、ペリシテ人の高ぶりを絶つと語られます(7節)。
 
 人を高ぶらせ、奢らせるものが取り除かれたとき、驚くべきことに、「その残りの者は我らの神に属し、ユダの中の一族のようになり、エクロンはエブス人のようになる」と言われています(7節)。ダビデはエブス人の町エルサレムを陥落させて「ダビデの町」としました(サムエル記下5章6節以下、9節)。けれども、エブス人は滅ぼし尽くされたのではなく、ユダの民の中に吸収されたようです(同24章16節参照)。神は、御自分の支配を、力ではなく平和をもって打ち立てられるということです。
 
 それゆえ、地上から戦乱はなくなり、イスラエルに平和が訪れます。だから、「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ」と言われ(9節)、「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を立つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる」と記されるのです(10節)。

 ここで、「娘シオン」、「娘エルサレム」と言われているのは、いずれもエルサレムの町のことで、文字通りの「娘」ではありません。町が女性名詞なので、擬人化して「娘」と言っているのです。
  
 冒頭の言葉(11節)で、「捕らわれ人を水のない穴から解き放つ」というのは、イスラエルの父祖ヤコブの11番目の息子ヨセフの身の上に起こった出来事を思い出させます。ヨセフは父ヤコブの寵愛を一身に受け、ヨセフはそれを鼻にかけているようなところがありましたので、10人の兄たちの妬みを買い(創世記37章1節以下)、空の井戸に投げ込まれて殺されかけます(同12節以下)。空井戸ですから、水がありません(同24節)。食べるものもありません。飢えと渇きで死んでしまうかもしれません。
 
 しかし、長兄ルベンが、弟を殺すのはやめて、イシュマエル人に売ってしまおうと提案したとおり、ヨセフは井戸から出され、イシュマエル人キャラバンに売られ、エジプトで奴隷として働かされることになります(同25節以下28節)。それは大変な道ですが、まずは死を免れました。
 
 エジプトでも困難なところを通りましたが(同39章参照)、神はヨセフを祝福されて、ついにエジプトの宰相に任じられるようになります(同41章参照)。そのことを通して、ヤコブ一族は飢饉から救われ、400年を超える奴隷生活の後、戦いに出ることの出来る成人男子だけで60万を超える大民族となりました。
 
 預言者ゼカリヤが活動していた時代、捕囚から解放されたものの、いまだイスラエルの国に戻って来ていない民も少なくありませんでした。帰国した方が圧倒的に少ないという状況でした。それは、帰国しても困難が待っているだけで、バビロンにいる方がまだましである、と考えられたからです。
 
 そこで、神は彼らのために、ロバに乗る平和の王、勝利を与える者を遣わされます(9節)。神によって繁栄が回復されます。失ったものが2倍になって戻って来ると約束されています(12節)。神は私たちのために恵みを備えて、私たちが神のもとに帰るのを待っておられるのです。「砦に帰れ」(12節)という御言葉に聞き従うことを、神は求めておられるのです。
 
 あらためて、「水のない穴」とは、御言葉を聞くことの出来ないところと考えられます。水は、神の御言葉を指しています(エフェソ書5章26節、ヨハネ福音書4章参照)。私たちは、いつも水のある広い場所、神と共にいて、その御言葉を聴くことの出来るところにいたいと思います。
 
 私はその資格を持っているとか、そこにいるのが当然というのではありません。「あなたと結んだ契約の血のゆえに」と言われるとおり、主イエスが十字架で流された贖いの血によって結ばれた新しい契約によって救いの恵みに与り、神の宝の民として頂いたのです(16節、出エジプト記19章5,6節、第一ペトロ書2章9節)。それは私たちの行いによるのではなく、神の恵みです。神が招いて下さるからこそ、神の御前に立つことが出来、主の御声を聴くことが許されるのです。

 主よ、いつも共におらせて下さい。御言葉を聞かせて下さい。御言葉に聴き従うことが出来ますように。弱い私たちを助けて、常に信仰によって歩ませて下さい。主の恵みを信じます。 アーメン

九州バプテスト大会

9月21日(月)~22日、九州バプテスト大会が長崎で開催されました。
初日:活水女子大学チャペル、二日目:ながさき式見ハイツで、大会が行われました。


大会02今回の講師は、カトリック修道士の小崎登明先生、

「長崎で学ぶ愛と命の証し」と題して語って下さいました。




大会03長崎国際大学学長・前熊本県知事の潮谷義子先生、

「生命の恵みを共に受け継ぐ者として」と題して語って下さいました。




大会05我らが日本バプテスト連盟札幌教会牧師の奥村敏夫先生、

「わたしたち章句~拡がり、つながる、主のからだ~」と題して語って下さいました。


それぞれの立場から、「信仰と平和の継承―過去・現在 そして未来へ―」という主題を掘り下げ、豊かに語って下さいました。


音楽のプログラムも素晴らしく、パイプオルガンやホルン、フルート、サキソフォンの演奏、ハレルヤコーラスの合唱、ゴスペル「詩編70」、合同小羊会の特別賛美など、次々に披露されました。


大会07登録者は400名余まり、宿泊施設には300名が泊まり、参加者総数は500名を超えたそうです。

参加者が予想を遙かに超えたので、すべてのことを時間どおりに進めるのは大変だったと思いますが、隅々に思いが届き、実によく準備された大会でした。
事務局はじめ、実行委員の先生方、兄弟姉妹のご苦労に心から「お疲れ様、ありがとうございました」と申し上げたいと思います。

今回も、大会に参加できたこと、神様に感謝致します。

9月20日の御言葉 「火の城壁となる」

「わたし自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。わたしはその中にあって栄光となる。」 ゼカリヤ書2章9節(口語訳・新改訳では2章5節。新共同訳聖書の2章1~4節が、口語訳などでは1章18~21節となっているためです)

 1~4節で、まず四本の角の幻について示されています。「角」は、力や権威を象徴するもので(詩編75編11節、89編18,25節など)、イスラエルを苦しめ、ちりぢりにした四方の敵の力を表わしています。次に、角を切り倒す4人の鉄工が示されます。これは、イスラエルを苦しめた敵が、神によって打ち砕かれるという預言です。
 
 ついで5節から、測り縄を手にした御使いを見ます。彼は、新しいエルサレムを測るために出て行きます。すると別の御使いが現れ、「若者」と言われたゼカリヤに対して、「エルサレムは人と家畜に溢れ、城壁のない開かれた所となる」と告げました(8節)。
 
 そこで、この幻に基づく勧告が続きます。10節で、「急いで北の国から逃れよ」と言われ、11節では、「シオンよ、逃げ去れ。バビロンの娘となって住み着いた者よ」と言われます。既にバビロンはペルシアによって滅ぼされてしまって、ユダヤの民には帰国が許されているのに、なおバビロンに留まっている人々が少なくありません。
 
 エルサレムが滅ぼされ、捕囚となって50年が過ぎ、そして、バビロンが倒されて帰国が許されてから既に20年近くが経ちました。捕囚第1世の生存者はわずかでしょう。戻ってきた主力は2世、3世です。3世にもなると、イスラエルとバビロン、どちらが故郷か分からないでしょう。
 
 そして、荒れ放題の地に戻ってそこで生活するのは、多くの苦難が伴います。自分たちの知らないところで苦労するくらいなら、バビロンにいるほうが良いと考える捕囚2世、3世が大勢いたわけです。だから、神がこれらの幻と預言を通して、民の帰国を促しておられるのです。
 
 前述の8節で、エルサレムが人と家畜で溢れるのは、帰国する民が多くあることに加え、「その日、多くの国々は主に帰依して、わたしの民となり」(15節)とあるように、異邦人が神の民となるからでした。
 
 そして、エルサレムは城壁のない開かれた町となりました。多くの民がやってくることで、町が飛躍的に拡大してしまうことでしょう。四方の敵を平らげて下さった神がおられるので、城壁は必要ないのです。
 
 かつて、エルサレムの町は堅固な城壁で守られていましたが、強大な敵の前に、その城壁は町と民を守ることが出来ませんでした。神が味方して下さらなければと言いますか、神を敵に回してしまったので、町を守ることが出来なかったのです。
 
 冒頭の言葉(9節)にあるとおり、今、神ご自身が火の城壁となり、町にその栄光を現して、お守り下さるというのです。それは、昔イスラエルの民がエジプトを出たとき、夜は火の柱となって民を照らして導かれたこと(出エジプト記13章21,22節)、また追ってくるエジプト軍から民を守り、エジプト軍をかき乱されたこと(同14章19,20,24節)などを思い出させます。

 現在イスラエルは、国際社会の非難にも拘らず、東エルサレムやヨルダン川西岸地区に分厚いコンクリートの壁を築いています。それをパテスティナ側は、一方的に国境線を固定化するものだと反発し、その結果、イスラム原理主義ハマスがパレスティナ議会(評議会)選挙で圧勝しました。そして、ハマスとイスラエルの衝突で、双方の平和が脅かされています。こうしたことは、およそゼカリヤの語っているエルサレムの都の姿などではありません。

 先に教育基本法を改正し、次は憲法を改正して戦争が出来る「美しい国」になろうと躍起になっていた自民党政権は、3年前の参議院選挙で敗れ、そして、今衆議院選挙で大敗を喫しました。あのまま突き進んでいれば、我が国はどうなったことでしょう。

 我が国を平和の内に守って来たのは、自衛隊や在日米軍の力ではありません。大東和戦争に敗れ、非戦を誓って制定した日本国憲法によって、国際紛争に巻き込まれずに、平和な国として認められ、受け入れられて来たのです。

 しかしながら、翻って私たち自身はどうでしょうか。火の城壁として私たちを守り、私たちの内にあって栄光となられる主にいつも依り頼んでいるでしょうか。主を信頼して平安と喜びが心に湧き上っているでしょうか。
 
 御言葉を信じる信仰にはっきりと立たせて頂きましょう。主の栄光を仰ぎましょう。

 主よ、あなたを信頼します。私たちをお守り下さい。エルサレムに平和を与えて下さい。武器や壁に頼るのではなく、まことの神を信頼して、四方の民と和合することが出来ますように。我が国も、平和憲法をもつ国として、また唯一の被爆国として、武力なき国際平和を訴え続けることが出来ますように。 アーメン

子規忌、糸瓜忌

今日は、107年前の1902年、俳句や短歌の世界で革新的な運動を展開し、肺結核、脊椎カリエスのために35歳という若さでこの世を去った正岡子規の召天記念日です。
表題の「子規忌」とは、そのことです。

子規は、松山藩士・正岡常尚の長男で、本名は「常規(つねのり)」、幼名を「升(のぼる)」といいます。「子規」とは、ホトトギスのことです。ホトトギスは口の中が赤くて、血を吐くまで鳴くということから、結核で喀血する自分をホトトギスにたとえて、子規という俳号をつけたそうです。

次の「糸瓜忌(へちまき)」とは、子規の辞世の句

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
 痰一斗糸瓜の水も間にあはず
 をとゝひのへちまの水も取らざりき

から、命日をそのように呼びます。


子規は、無類の野球好きで、幼名にちなみ、「野球(のぼーる)」という俳号をつけていたことがあります。「Baseball」を「野球(やきゅう)」と訳したのは、中馬庚(ちゅうまん・かなえ)ですが、子規は、中馬よりも先に「野球」という号を使っていたのです。子規のポジションは捕手、1889年に喀血して倒れるまで、野球に親しんでいたそうです。

 草茂みベースボールの道白し
 まり投げて見たき広場や春の草


上のような、野球に関係する俳句を詠んだり、短歌を作ったりして、文学によっても野球の普及に貢献したということで、7年前(2002年)、野球殿堂入を果たしました。

伊予鉄・松山市駅の近くに子規堂があります。これは、子規の文学仲間だった仏海禅師のお寺(正宗寺)の境内に、子規が17歳まで過ごした住まいを復元してつくった資料館です。子規と野球の関係を示す資料や、子規と親交の深かった夏目漱石に関する原稿などが展示されています。

また、道後温泉の入り口近くには、子規記念博物館があります。
松山市のサイトに、記念博物館のページがあります。
URL http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sikihaku/
サイドメニューの、「キッズしきはく」をクリックすると、博物館の中の様子、展示の内容などを見ることが出来ます。

JR松山駅前には、「春や昔 十五万石の城下哉」の句碑が建っています。

正岡子規や高浜虚子、河東碧梧桐といった俳人の息づかいが今に伝わる愛媛・松山に、私は1986年4月から8年間住みました。あちこちに俳句の投句ポストがあるのを目にはしておりましたが、実際に俳句を作ってみたことはありません。


私は生まれつきおしゃべりで、小学生時代、あまり五月蠅くしゃべり続けているので、担任教師から、「今日は一日、原田とは口を利くな。無言の行をさせる」と叱られたことがあり、それでも、黙っていられなかったという記憶があります。

そんな自分だからとは、文学的な才能のなさの言い訳ですが、17文字で自分の感動を表現するというのは、およそ苦手というよりも、殆ど不能の世界です。

東京モノレール


東京モノレール9月17日は、今から45年前の1964年(昭和39年)、東京モノレールが開通した日です。

写真は、東京モノレールの公式サイトのギャラリーからダウンロードしたものです。

東京オリンピックが開催された年だから、それに合わせて作ったわけですね。

その年、東海道新幹線も10月1日に営業運転を開始しました。

カラーテレビは、1960年に放送が開始されましたが、東京オリンピックの年に随分普及したそうです。
といっても、町内に1台とか2台とかという状況だったと思います。

東京オリンピックの開会式の日は学校が休みで、近所のカラーテレビのある家にお邪魔して、開会式を見ました。
その家には、かなり沢山の人が集まっていたように思います。

わが家にはそのころ電話もなくて、隣の駄菓子屋さん(「藤(とう)さん」と呼んでいた)の電話を借りていました。
当時は呼び出しといって、わが家に用のあるときは、「藤さん」に電話がかかり、呼び出してもらっていました。
隣近所が家族のようなつきあいをしていたから出来たことで、今なら、まず不可能でしょうね。

ともかく、東京オリンピックのころを境に、生活ぶりが随分豊かになって来ました。

私が初めてモノレールに乗ったのは、遊園地にある遊覧用のものでしたが、1969年までいた北九州市の到津遊園地にはなかったと思うので、名古屋市の東山動物園でのことかな。

YouTube わずか45秒でも伝えられる感動がある

再び、YouTubeで大変興味深い映像を見つけた。

素直に感動した。
沢山の人に見て欲しい。


YouTube 「屋上の少女」

YouTubeで大変興味深い映像を見つけた。

現在、我が国は11年連続で、自殺者が3万人を超えている。
今年も、3万人を超えそうな勢い。

この映像を見て、少し考えて欲しい。


9月13日の御言葉 「わたしは主によって喜び」

「しかし、わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。」 ハバクク書3章18節
 
 1節に「預言者ハバククの祈り」という表題がありますが、祈りというよりも、これはむしろ賛美です。「シグヨノトの調べに合わせて」という言葉や、「セラ」という記号が3回出てくること、最後の「指揮者によって、伴奏付き」という言葉などから、これはまるで、詩編の詩といってもよさそうです。
 
 「シグヨノト」は、アッカド語との関連で「悲しみの歌、挽歌」という意味ではないかと、聖書辞典に記されていましたが、それがどのようなものか、よく分かりません。また、詩の内容も、悲しみというものではありません。
 
 ハバククは、神の助けを求めて叫びました(1章2節)。その叫びに、神はお答えになりました(1章5節以下、2章)。さらに、神がハバククに語りかけ、あるいは幻を見せられたのでしょう。それは、「神はテマンから、聖なる方はパランの山から来られる」というものでした(3節)。
 
 「テマン」とは、エドム人の一部族ですが(創世記36章11節)、エサウの長子の長子ということで、その名でエドム全体を指すこともあります(アモス書1章12節)。「パラン」とは、シナイ半島の中央部に広がる荒れ野のことですが、申命記33章2節との関連で、「パランの山」とはシナイ山のことではないかと考えられます。
 
 かつてイスラエルの民は、シナイ山で神の臨在に触れ、契約の板を授かりました。そのことについてここで言及されるということは、神がイスラエルを憐れみ、再びイスラエルの民に顕現され、救いを示して下さるということです。
 
 13,14節に、「あなたは御自分の民を救い、油注がれた者を救うために出て行かれた。あなたは神に逆らう者の屋根を砕き、基から頂に至るまでむき出しにされた。あなたは矢で敵の戦士の頭を貫き、彼らを嵐のように攻められた」と記されていますが、これが、神がハバククに見せられた幻でしょう。
 
 2章2節で、「幻を書き記せ」と言われたとおり、その言葉に従って、ハバククはここに書いています。この幻が、いつ、どのようにして実現するのか、まだ分かりません。そのような兆しがあるわけでもありません。むしろ、ハバククの目には、厳しい現実が見えます。「いちじくの木に花は咲かず、ぶどうの枝は実をつけず、オリーブは収穫の期待を裏切り、田畑は食物を生ぜず、羊はおりから断たれ、牛舎には牛がいなくなる」のです(17節)。
 
 これは、天変地異による不作と考えることも出来ますが、あるいは1章6節で語られているカルデア人に蹂躙された結果、田畑を耕すことも家畜を養うことも出来なくなる、と考えることも出来るでしょう。その意味では、不法がはびこり、暴虐が地に満ちている上に、バビロンによる破壊、捕囚が襲うということは、まさに「泣き面に蜂」というところです。
 
 けれども、冒頭の言葉(18節)にあるとおり、「しかし」です。現実がどうであれ、予見される状況がどうであれ、「わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る」ことが出来るのです。
 
 先には、「いつまで、あなたは聞いてくださらないのか」と訴えていたハバククです。しかし、ハバククは今、神の幻を見ました。神に逆らう者、暴虐をなす者に災いを下し(2章5節以下)、イスラエルの民に神がご自身を現わされるという幻です。今や、ハバククは勝利の主を信じて喜ぶことが出来ます。
 
 これこそ、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」(第二コリント書4章18節)、「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです」(同5章7節)とパウロが語っているところであり、ヘブライ書の記者が、「信仰とは、望んでいること事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ書11章1節)と記していることでしょう。そして、主を喜び祝うことこそ、私たちの力の源なのです(ネヘミヤ記8章10節)。

 主よ、御言葉を感謝します。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」。常に信仰に立ち、御言葉に従うことができますように。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する信仰で歩ませてください。 アーメン

大牟田・熊本ブロック教役者会


教役者会019月7日午後、山鹿伝道所で大牟田・熊本ブロック教役者会が開かれました。

第一部は礼拝で、山鹿伝道所の船越先生にメッセージを語っていただきました。
聖書は、列王記上19章7~9節、説教題は示されませんでしたが、先生が強調されたのは、「エリヤよ、ここで何をしているのか」という箇所でした。

読み方によって叱責にもなれば、励ましを与えたり、私たちに大切なことを気づかせる言葉ともなります。

先生のメッセージを伺いながら、あらためて主の御言葉に耳を傾け、自分が立つべきところ、自分に与えられている使命とは何か、考えさせられました。

そして、説教後の分かち合いで船越夫人が、牧師には命の御言葉を語るという尊い使命が与えられているので、「何をしているのか」と問われるのだろうと仰った言葉が心に留まりました。


教役者会02その後、南九州バプテスト大会の反省や、有明教会から出された研修会依頼についての意見交換などを行いました。

写真のとおり、今回は少し集まりが悪かったのですが、その文和気藹々と色々な方面に話が弾み、心和んだ一時でした。

次回は11月16日(月)、熊本南教会を会場に行うことを決めて、散会となりました。


追伸
電子アパルームを開いたら、今日の箇所は、列王記上19章1~18節でした。

 「(エリヤは)自分の命が絶えるのを願って言った。『主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。』」 列王記上19:4
 
 私は職を失いました。6ヶ月の求職活動の後、家から4,000 キロも離れたところに職を見つけました。妻と子供たちは、この仕事が続くかはっきり分かるまでここに留まることになりました。一人暮らしの初めの3ヶ月は悪夢のようでした。新しい仕事を頑張らなくてはいけない時でしたが、家族が恋しくてなりませんでした。私は孤独と挫折を感じ、絶望感の中で泣きました。
 
 こんな時だからこそ、私はエリヤを自分のことのように理解することが出来ます。エリヤは死んだ子供を生き返らせるため、雨を止めるため、火を天から降らせるために神によって力を与えられましたが、その後イゼベルはエリヤを殺すことを誓いました。
 
 恐怖と重圧がエリヤにのしかかりました。絶望の中にある偉大な預言者を見、エリヤの物語の終わりを知るとき、この話は、私にとっての希望を意味していることに感謝します。金銭問題、家族の病気、仕事のストレス、心の中の葛藤などの抑圧が私に挫折感を与えるとき、私たちはエリヤの話と、そこで神がどのようにエリヤを優しく見守られたかを思い出すことが出来るのです。
 
 そのための一つの方法は、日々聖書を読むことです。それによって私たちは勇気づけられ、もっと神の声に耳を傾けるようになります。私たちが祈りの中で傷みを訴え、クリスチャンの友を求める時、神は憂鬱の暗い谷を歩む私たちを助けて下さいます。エリヤは復帰して再び神に仕えるようになりました。絶望を感じるとき、私たちも神にすがり、希望を見出すことが出来ます。

祈祷:主よ、私たちが打ちひしがれている時、あなたの臨在を感じるようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想 問題によって重圧を感じることがありますが、神は打ちひしがれることはありません。 トム・スミス(ユタ州)

祈祷の焦点:神に寄り頼むために


神の導きを感じました。

9月6日の御言葉 「へりくだって神と共に歩む」

「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」 ミカ書6章8節
 
 6章には、裁判所での裁判の様子が描かれているようです。原告は神、その代理人・弁護士は預言者ミカ、山々、峰々が裁判官・証人、そして被告はイスラエルです。
 
 3節に、「わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか」という神の訴えがあります。この言葉から、イスラエルの民が神にはついて行けない、もう疲れた、と言っているということが想像されます。この背景には、度重なるアッシリアの攻撃があり、神がアッシリアの脅威を取り除いて下さらないことに対する不信、不満があるのではないかと思われます。
 
 それに対して、「わたしはお前をエジプトの国から導き上り、奴隷の家から贖った。また、モーセとアロンとミリアムを、お前の前に遣わした」(4節)と、神がイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放したこと、「わが民よ、思い起こすがよい。モアブの王バラクが何をたくらみ、ベオルの子バラムがそれに何と答えたかを。シティムからギルガルまでのことを思い起こし、主の恵みの御業をわきまえるがよい」(5節)と、シナイの荒れ野から約束の地に導き入れたこと、その間、神が与えた恵みを思い起こせ、と訴えています。
 
 6,7節は被告の反問で、ではどんな犠牲をささげればよいのか、と問いかけます。当歳の子牛をささげればよいのか(6節)と問うた後、幾千の雄羊、幾万の油の流れ(7節)と量を増やし、最後に、長子、胎の実をささげるべきかと言います。北イスラエルが滅亡する直前、子どもを火で焼いて犠牲にすることが流行りました(列王記下16章3節、17章16節)。
 
 最も高い犠牲を払って、国難を去らせようとしたと考えられます。しかしながら、それは神の忌み嫌われる、モレクという異教の神に対して行う儀式でした(レビ記18章21節、20章2~5節、エレミヤ書7章31節など)。そうしたことをどうして神が喜ばれるでしょうか。
 
 それに対して、冒頭の句が述べられました。神の求めは、いけにえをささげることではありません。「正義」と「慈しみ」と「へりくだり」、即ち、悔い改めて神と共に歩むことです。これは、申命記で、「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか」(10章12,13節)と語られている言葉と同様です。
 
 また、預言者サムエルがサウル王に告げた、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)という言葉を思い出します。
 
 9節以下は神による告発で、いかに「正義」と「慈しみ」と「へりくだり」が欠如しているかが述べられ、それゆえに滅びを刈り取らなければならないと告げられます。
 
 こうしてみると、イスラエルがエジプトの奴隷の苦しみから解放されて以来、神は一貫して同じことを民に求めておられ、それに対してイスラエルの民は、神を畏れず、不正を行い、偽りを語り、異教の神に心迷わされ続けて来たわけです。
 
 この言葉を聞いて、私たちはどうしたらよいのでしょうか。それはまず、神の恵みを数え、感謝をささげることです。また、神を愛し、隣人を愛することです。そして、怠惰と不従順を悔い改めることです。思い上がらず、主に従って歩み、顔を上げ、胸を張り、誠心誠意働かせていただきたいと思います。


 主の、御名が崇められますように。主を信じ、主に仕える者たちによって、御心が地の上に行われますように。御言葉が聖であること、御言葉の内に命があることを、たえず悟らせて下さい。日々主と共に歩む喜びと平安を味わうことが出来ますように。 アーメン
プロフィール

pastabco

記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • バプテスト静岡教会の集会再開のお知らせ
  • 3月21日(日)主日礼拝説教
  • 3月21日(日)主日礼拝案内
  • 3月14日(日)主日礼拝説教
  • 3月14日(日)主日礼拝案内
  • 3月7日(日)主日礼拝説教
  • 3月7日(日)主日礼拝案内
  • 2月28日(日)主日礼拝説教
  • 2月28日(日)主日礼拝案内
  • 2月21日(日)主日礼拝説教
  • 2月21日(日)主日礼拝案内
  • 2月14日(日)主日礼拝説教
  • 2月14日(日)主日礼拝案内
  • 2月7日(日)主日礼拝説教
  • 2月7日(日)主日礼拝案内
楽天市場
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ