風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2009年03月

桜レポートその三


桜123月27日(金)、一段と開花が進みましたが、寒さのためか、まだ満開にはなっていません。





桜133月31日(火)、大牟田に戻って来て見ると、この状態です。
ほぼ満開になりました。





桜14目線を少しずつ上にずらします。






桜15上から見下ろしてみました。






桜16写真をクリックすると、大きなサイズで見ることが出来ます。
月末にはかなり散っているのではないかと思っていましたが、この分だと、入園式にも少しは花が残っていそうですね。

暫く留守を


桜10一日で7分咲きを超えてしまったような感じですね。
この分だと、週末を待たず、満開ということになりそうです。
教会の桜でお花見を考えておられる方は、明日の祈り会の折りにでも、お茶とお弁当を持っておいでになってはいかがでしょうか。

さて、今日は娘の27回目の誕生日のはずですが、週末に結婚式を挙げることになっています。
そのため、私たちもこれから一週間、東京に出かけ、引っ越し、式の準備の手伝いに行きます。
暫く、HP、ブログの更新が出来ません。
ご容赦下さい。
帰って来たら、土産話がある・・・かな。
父親として涙している姿をお目にかけることになるかも。
では、また。

桜レポートその二


桜0721日(土)薄曇り。
だいぶ花が開いてきた。
実際には、まだ3分の1程度だろうけど。
この調子だと、月末までには満開を迎えるかな。



桜0823日(月)気持ちのよい青空。
随分花が開いた感じ。
上半分にはかなり蕾が残っているけど、下の方はもうすっかり開いてしまった。
散り始めたところもある。


桜09下の方の枝に咲いた花。
もう、若葉が出始めている。
今年はやっぱり、例年に比べて暖かいんだなと思う。
入園式に、花がどれくらい残っているだろうか。

3月22日の御言葉 「自らの苦しみの実りを見」

「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら背負った。」 イザヤ書53章11節

 52章13節から53章12節までが、「主の僕の歌」シリーズの最終、第4歌です。
 
 この歌は、「見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる」(52章13節)という言葉で始まりますが、その言葉とは裏腹に、「彼の姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない」(同14節)と言われ、2節でも、「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」と言われて、むしろ、栄光を失ってしまったかのようです。そのため、「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ」(3節)ます。人々はその姿を見て、「神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ」(4節)と考えたのです。
 
 けれども7節には、「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれていく小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」と記されて、ここに、この僕が自分の置かれた境遇を甘受し、黙々と歩んでいる様子が描かれています。
 
 「彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた」(9節)のは、「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は臨まれ、彼は自らを償いの献げ物とした」(10節)からであると説明されます。つまり、主の僕の苦しみは、主なる神の御心によることであり、僕の死は、多くの人々の罪の償いの献げ物となるためだったというのです。
 
 この「僕」について、学者たちの間に様々な議論がありますが、キリスト教会は伝統的に、この僕こそ、主イエス・キリストである、と考えて来ました。主イエスは神の独り子であられますが、人となってこの地上に来られ、私たち人類の罪の身代わりに、十字架にかかって死なれました。
 
 当時のユダヤの指導者たちは、ゲッセマネの園で主イエスを捕らえた後(マルコ福音書14章43節以下)、大祭司カイアファの屋敷に連れて行き、そこで主イエスが神を冒涜する者であると断じ、死刑判決を言い渡しました(同53節以下、64節)。その後、ローマ総督ピラトは、「十字架につけろ」と叫ぶ群集の声に負けて、無罪の主イエスを十字架につけることに同意しました(同15章14,15節)。

 主イエスは、二人の強盗と共に朝の9時に十字架につけられ(同25,27節)、午後3時過ぎに息を引き取られました(同34,37節)。そして、アリマタヤ出身のヨセフというサンヒドリンの議員の墓に葬られました(同43,46節)。
 
 主イエスの弟子たちは、主イエスを見捨てて逃げてしまいました(同14章50節)。主イエスが十字架で死なれたとき、それが私たちの背きの罪のため、身代わりとなってその呪いを身に受けて下さるためだったと理解出来た者は、誰もいなかったのです。それはまさに8節で、「彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」、と言われている通りです。
 
 しかし、「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(5節)のです。今日、地の果ての日本に福音が伝えられ、主イエスを信じる信仰に与る者が起こされているのは、「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する」(11節)とあるように、甦られた主がそれを御覧になりたいと望まれたからであり、そして、その結果を喜んでいて下さるからです。主イエスをお喜ばせするため、福音を宣教する働きにさらに励んで参りましょう。

 主よ、私たちが救いに与り、約束された聖霊の力に満たされるため、御子キリストが罪の呪いを身代わりに受けて下さいました。この驚くべき恵みに心から感謝しています。この恵みを無駄にせず、伝道する教会、伝道する信徒として用いて下さい。 アーメン

連合総会


連合総会013月20日(金)春分の日、鹿児島は伊集院教会を会場に、09年度の連合総会が開催されました。
連合史上初、レイマンで連合会長に選出された島村保夫氏の開会礼拝メッセージで、総会がスタートです。

1876年1月30日、「主我を愛す」、「千歳の岩よ」の賛美がなされ、ヨハネ10章7~9節より「羊の門」と題する説教が語られて、「奉教趣意書」に35名が署名し、熊本バンドが結成されましたが、その原動力となったのが、県に招請されて熊本洋学校の教師として来熊したL.L.ジェーンズ師の信仰だったという、熱いメッセージでした。
 
連合総会02総会では、08年度の活動報告、決算見込み、09年度の活動計画、予算案が承認されました。
特に、今年7月に熊本・火の国ハイツで開催予定の南九州大会について、テーマ、講師などが紹介され、その方針が承認されました。
これから、連合三役に大牟田・熊本ブロック教役者を加えた拡大委員会が中心となって、具体的な準備が進められます。

連合総会03閉会礼拝において、小羊会が手話などを交えて賛美をすることが、最近の恒例行事となりました。
今回は、典礼讃美歌30番「かみさまのあいはしみとおる」でした。
URL http://tenreiseika.romaaeterna.jp/antiphon/ten030.html
このアドレスをクリックすると、歌詞を見ることが出来ますし、「MP3再生」のボタンを押すと、曲を聴くことが出来ます。
 
連合総会04最後に、昨年秋に人吉教会に着任された永渕一隆牧師が、連合ニューフェイスとして紹介されました。
人吉教会の皆様が、永渕牧師の就任を本当に喜んでおられるのを、今回も見せていただくことが出来て、私たちも大変嬉しい気持ちになりました。
一方、連合を去られる先生もあります。
宮崎・延岡教会の松藤牧師が辞任され、呉に移られます。
後任は既に決まっていて、北九州で牧師をしておられた中村先生が4月に着任されるということでした。
延岡教会と離任される松藤牧師、着任される中村牧師の祝福をお祈り致します。

大牟田教会のサイトの「フォトレポート」もご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0315.html

桜レポートその一


桜04昨日は幼稚園の卒園式。
少し開いた桜の花の下を、37名の卒園生たちが巣立っていきました。





桜05今日は終業式。
また少し花が開きました。

この勢いで開いていけば、来週中には満開になるのかな。



桜064月にやって来る新入園児たちは、この花を見ることが出来ないかも知れない。
ちょっと残念。
でも、花は誰が見ても見なくても、与えられた場所で精一杯咲いています。
その健気さにいつも感動します。

教会においでになる方、幼稚園の子どもたち、それぞれ、自分の花を精一杯咲かせることが出来るように、神様の恵みと導きをお祈り致します。

確定申告

今日、確定申告をした。
教会と幼稚園の両方から給与が支払われているので、必ずしなければならない。
大牟田に来て5回目になる。
福岡で1度したことがあるから、人生で6度目ということに。

初めは、緊張して書類を作り、税務署に持って行ったけど、源泉徴収票などの資料さえそろえておけば、書類造りを含め、申告はあっという間に終わる。
今日は確定申告の最終日でたくさんの人が来場しているためなのか、税務署の人の対応もとてもあっさりしている。
後できちんと算盤を入れるつもりだからだろうけど、数字が合っているかどうかチェックしないし、医療費控除のために持っていった領収証など、見せることもなかった。
不正をしているわけではないから、後から監査に来られて困ることもないので、簡単な対応ですむのは有難いといえば有難い。

不足の22,700円を納付して、今回の確定申告は無事終了。
来年は、娘が扶養家族でなくなるので、もう少し税金を多く払うことになるため、大牟田の税収増にごく僅か協力出来るかな。

3月15日の御言葉 「わたしが担い、背負い、救い出す」

「同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」 イザヤ書46章4節

 1節に、「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す」という言葉があります。ベルとは「主」という意味で、バビロンの主神マルドゥクのことです。ネボとは「告知者」という意味ですが、主神マルドゥクの子で、バビロンの守護神とされています。だから、ナボポラッサル、ネブカドネザル、ナボニドスなど諸王は、ネボ神の名を冠しているわけです。

 「かがみ込み」、「倒れ伏す」とは、これらの神々が威厳を失い、滅びるさまを表しています。バビロンが隆盛を極めていたころ、春の新年祭に、これらの神の像が担われて町を行進していました。すなわち、これらの神々によってバビロンに神の栄光があらわされ、勝利と繁栄が授けられたと考えられていたわけです。
 
 けれども、勝利と繁栄をもたらした神々が、いまや「重荷となって疲れた動物たちに負わされる」とまで言われます。ところが、ペルシアの王キュロスの手からこの神々の像を守るために、「獣や家畜に負わ」せて町から運び出さなければならなくなったのです。つまり、神々が町を守るどころか、人々に守られなければならないというわけです。しかも、それが重荷となって動物たちが疲れ果て、結局、運び出そうとした人々も捕えられてしまうのです(2節)。
 
 それに対して主なる神は、ヤコブの家、イスラエルの家の残りの者に向かって、「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた」と言われます(3節)。「生まれた時から負われ」とは、イスラエルの民を「鷲の翼に乗せて」(出エジプト記19章4節)エジプトからシナイ山へ、そして約束の地カナンへと運ばれたことを表していると言ってよいでしょう。
 
 そして、誕生のときを描いたので、続く4節では、「同じように、わたしはあなたたちの老いるまで、白髪になるまで、背負って行こう」と、人生の終わりを描きます。こうして神は、イスラエルの民を最初から最後まで、変わることなく守り支えて下さるというのです。
 
 「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」とは、力強い神の御心の宣言のようです。4節には、「わたし」(アニー)という言葉が、計5回出て来ます。ヘブライ語の動詞は、人称によって語尾が変化するので、代名詞をつけなくても意味は十分通じます。それをあえて、人称代名詞を用いているということは、そこに強調点があるということです。つまり、イスラエルを造り、それゆえに担い、背負い、救い出すのは、主なる神のほかにはいないということであり、主なる神こそが唯一の主、主の主、王の王なるお方であるということです。
 
 ここに、人を造られた神と、人によって造られた神々の違いが明確に示されます。人を造られた神は、ひとを担い、背負い、救い出されます。一方、人によって造られた神は、命がありませんから、人や動物たちによって運ばれなければなりません。ですから、他者を救うことなど、出来るはずもないわけです。
 
 ここに、人の手によって造られ、人に運んでもらわなければならない偶像の神と、目には見えませんが、人を造り、持ち運び、救って下さる主なる神とが、目の前に置かれています。あなたはどちらを選びますか。どちらがよいでしょうか。
 
 かつてイスラエルの民は、まことの神を捨てて、異教の偶像を祀り、礼拝を捧げてきました。それで神の怒りを招き、バビロン捕囚の苦しみを味わうことになったのです。
 
 イザヤは、ここにもう一度、まことの神に聴くように、その御声に従うように、そのためにまず罪を悔い改め、神の恵みを思い起こせと、憐れみをもって語っているわけです(8,9節)。

 主よ、あなたの憐れみのゆえに感謝致します。いつも最善をなして下さる神様、あなたを礼拝します。あなたの計画は必ず成り、主が望まれることはすべて実行されるからです。絶えず御言葉に聴きしたがうことが出来ますように。 アーメン

桜の開花


桜01昨日(13日)、全国に先駆けて福岡で桜の開花宣言が行われた。
例年より13日早いということだった。

大牟田教会の桜はまだかなと思っていたら、今日、3輪開いていた。
その他の蕾もだいぶ開いて来ているので、18日(水)に予定されている光の子幼稚園の卒園式の時には、ちょっと楽しめるかも知れない。


桜02もっとも、園庭の桜の若木は3月1日には開花していて、現在は左の写真の通り、かなり散ってしまっている。
これも、暖冬の影響なのだろうか。




桜03因みに、これは3月4日に撮った写真。
ほぼ満開の状態。
この週は毎日、メジロが桜の枝に来て、花をついばんでいた。

寒いのが苦手な僕には、有難い話なのだが、温暖化の影響だとすると、手放しで喜ぶわけには・・・

ブロック教役者会


牧師会01大牟田・熊本地区にあるバプテスト教会・伝道所の牧師たちが集まるブロック教役者会が、大牟田フレンドシップ教会で開かれました。
今回の参加者は、11名です。

開会は、会場教会の叶牧師の説教です。
第二ペトロ書3章から、終末を生きる教会、クリスチャンは、伝道しなければならないと、鋭く迫って下さいました。

牧師会02後半は、春分の日に開催される南九州連合総会に提案される人事案件の報告があり、続いて、この夏に予定されている南九州バプテスト大会の競技を行いました。

大会には、南九州連合(大牟田・熊本、宮崎、鹿児島)に属するバプテスト教会・伝道所から、百名を超える信徒たちが集まります。

今夏の大会会場は、熊本の火の国ハイツです。
3年前にも、同じ会場で開催する運びになっていましたが、集中豪雨で道路が冠水するなどして、大会に参加出来ない教会・伝道所があって、やむなく中止をしました。

リベンジということでもありませんが、前回にもましてよいプログラムで、参加者をお迎えしたいと願って企画を練りました。
大会のテーマは“賛美”です。
そのため、東京からスペシャルゲストを招きます。
今から、当日が楽しみです。

次回5月18日に、ブロックの教役者に南九州バプテスト連合の三役を交えて拡大役員会を開き、最終調整を行うことになりました。
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