風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2009年01月

「償いへの家造り~ルワンダ・集団殺戮からの模索~」

頂いたメールを、ブログ管理者の責任でここに掲載致します。

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諸教会の皆さまへ 昨秋放映したドキュメンタリー番組を以下の日程で再々放映するとの連絡がNHKからありましたので、お知らせいたします。
皆さまの教会でも、週報などでご紹介いただけると幸いです。

NHK衛星第一放送BS世界のドキュメンタリー
<シリーズ和解への苦悩>
"償い"への家造り~ルワンダ・集団殺戮からの模索~

再々放映予定
 2月 8日(日)22:10~23:00
 2月15日(日)10:10~11:00


以上


佐々木さんを支援する会世話人代表 金子敬

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佐々木さんとは、日本バプテスト連盟からルワンダに派遣されているボランティア宣教師・佐々木和之さんのことです。
佐々木さんを支援する会・公式サイト
URL http://rwanda-wakai.net/

2月1日(日)NHK教育「心の時代」

送られてきたメールを、ブログ管理者の責任でここに転載します。

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主の御名を賛美します。
 昨年、福音功労賞を受賞された、精神科医で聖学院大学大学院教授の平山正実先生が、

 2月1日(日)午前5時~6時「こころの時代」(NHK教育テレビ)

に出演されます。


「響きあういのち つないで 何が人の心を支えるのか 自ら命を絶とうとする人々に寄り添う日々」という題で、平山先生が長年取り組まれている自殺や自死家族のことについて、お話しされる予定です。

NHK教育テレビ「こころの時代」
URL http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-02-01&ch=31&eid=15718 NPO



グリーフケアサポートプラザ(平山正実先生が代表の自死家族サポートのNPO)
URL http://www12.ocn.ne.jp/~griefcsp/

以上、ご参考までに。



日野神明キリスト伝道所牧師:篠原健治

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2月8日(日)午後2時~3時 NHK教育、デジタル教育1で再放送されます。
番組をご覧下さった方、よろしかったらコメントを寄せて下さい。

1月25日の御言葉 「戸を開いたときには」

「戸を開いたときには、恋しい人は去った後でした。恋しい人の言葉を追って、わたしの魂は出て行きます。求めても、あの人は見つかりません。呼び求めても、答えてくれません。」 雅歌5章6節

 雅歌5章10節以下に、おとめが恋人の若者を讃える言葉があります。これは、4章で、若者がおとめを讃えた言葉に呼応した形で歌われているものですが、そこには、「手はタルシシュの珠玉をはめた金の円筒、胸はサファイアをちりばめた象牙の板、足は純金の台に据えられた大理石の柱」(14,15節)など、かなりオーバーな表現が見られます。

 11節以下、「頭、髪、目、頬、唇、手、胸、脚、姿、口」と、10のほめ言葉があります。10も完全数なので、若者の美しさは完全という表現です。そして、「なにもかもわたしを魅惑する」(16節)と語っています。美しさに参ったということもありましょうけれども、若者に引かれて、すべてのものが美しく見えるということでもあると思います。

 こういうことはしかし、何も恋をしている若者の特権ではないでしょう。私たちは自分が完璧でないことを知っています。けれども、相手の良いところを数え上げることは出来ます。20年、30年、40年と連れ添った夫婦が、互いに尊敬し合い、愛し合っている姿を拝見すると、私たちも幸せな気持ちになります。

 私たち日本人は謙遜を美徳とする民族で、家族、身内をほめる言葉をほとんど持ちません。けれども、互いに尊敬し、愛しているという思いを伝え合うのは、大変素晴らしいことです。愛は、相手に示され、受け止められてこそ、意味のあるものでしょう。

 2節以下の「おとめの歌」の段落で、最初に、「眠っていても、わたしの心は目覚めていました」とあります。分かったような分からないような言葉です。夢うつつだったということでしょうか。あるいは、夢の中のことだけれども、はっきりと覚えているということでしょうか。

 寝床の中におとめはいました。そのとき、若者がおとめのところにやってきました。「開けておくれ」と戸を叩きます(2節)。けれども、自分は寝床に入っています。3節は、おとめらしいためらいの表現でしょう。けれども、若者の声、戸を開けようと隙間から手を差し込む様子に、おとめの胸は高鳴り(4節)、戸を開けるために起き上がります(5節)。「わたしの両手はミルラを滴らせ」は、ミルラ(口語訳は「没薬」)とは香油のことで、身だしなみに香油をつけたということでしょう。

 ところが、冒頭の言葉(6節)のとおり、化粧して戸を開けたところが、「恋しい人は去った後でした」。「彼の言葉を追って」を直訳すると、「彼が話したとき」となります。「わたしの魂は出て行きます」は、「気を失う」といった意味でしょう。これは、おとめが戸を開けてくれるのを待ちきれず、若者が捨て台詞をはいて立ち去ったということでしょうか。お互いに思いの届かないもどかしさ、苛立ち、失望、悲しみといった心の状況を思い浮かべます。

 ところで、若者がキリスト、おとめがキリストの花嫁なる教会、教会を構成する信徒ひとりひとりと考えると、もしもキリストが尋ねてこられたときに戸を開けかねて、ようやく、戸を開けたときにはキリストが立ち去られた後だったということになったら、どうしましょう。

 「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブライ書3章7,8節、詩編95編7,8節)と言われているとおり、神の声に反抗して、永遠の安息に入り損なうことがないように、神の言葉を信仰によってしっかりと受け止めましょう(ヘブライ書3章12~14節、4章2節参照)。心を開いて主イエスを心の中心にお迎えし、御言葉に従って歩みましょう。

 主よ、私はふつつかな僕です。知らなければならないほどのことも知らず、なすべきことのどれほども実行することが出来ません。憐れみ助けて下さい。御言葉に立ち、信仰によって歩むことが出来ますように。信仰がなければ、あなたに喜ばれることが出来ないからです。 アーメン

永渕牧師の就任式


就任式01今日、人吉教会で永渕一隆先生の牧師就任式が開催されました。
司会は、代表執事の早田貢兄です。
半年の無牧師の間、交代で牧師館に寝泊まりし、教会を守って来られました。


 
就任式02招聘の辞を述べられる永渕一隆先生です。
その誠実なお人柄が、招聘の辞にも表われていました。
1995年に高知伊勢崎教会の牧師となられて以来、存じ上げている先生が人吉教会に着任され、大変嬉しく思っています。
先生のご活躍を祈ります。


就任式04就任式のメッセージを語られた大牟田フレンドシップ教会の福井正躬先生です。
永渕先生は、福井先生が佐賀教会の牧師をされていたときに導かれて西南学院大学神学部に学ばれるようになり、牧師として立てられたそうです。
福井先生のメッセージを通して、あらためて永渕先生の御言葉と祈りを大切にしておられる姿勢を伺うことが出来ました。

就任式03福井先生のメッセージの前に聖書朗読をされた永田伸継兄です。
永田兄は数年前、不慮の事故で頭部に損傷を受けられましたが、生命が守られただけでなく、こうして、講壇に立って聖書を朗読されるお姿を拝見出来たのは、当に主がなさった大いなる奇跡です。
それはまた、看守って来られた奥様はじめご家族の皆様のご苦労の賜物です。
また、全国で永田兄の事故を知って回復を願って祈って下さった多くの方々の祈りの賜物です。
永渕先生の牧師就任の喜びに、永田兄の回復の喜びが加わり、本当に感動でした。

教会HPのフォトレポートもご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0118.html

1月18日の御言葉

「死んだ蠅は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。わずかな愚行は知恵や名誉より高くつく。」 コヘレトの言葉10章1節

 10章は、まるで箴言を読んでいるかのように格言が並んでおり、これまでのコヘレトとは別人のような語り口になっています。9章18節の「知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう」という言葉に啓発されて、知恵の言葉をここに示しているようです。

 そのはじめに、「死んだ蠅は香料作りの香油を腐らせ、臭くする」という冒頭の言葉(1節)が記されています。香料を作っている工程のどこかで、一匹の蠅がそこに入り込み、死んでしまいました。早く気がついてそれを取り除かなければ、それがもとで高価な香油を全部台無しになってしまいます。

 ここで、香油が知恵や名誉、そして、死んだ蠅は愚かな行為を表しています。これくらいなら、かまわないだろうという小さな油断、落とし穴、愚かな行為が、その人の一生のよい働きを台無しにしてしまうということです。

 ある鉄道会社の駅長さんが、釣銭をごまかして着服しました。最初はすぐに返すつもりだったのでしょうけれども、誰にも咎められず、そのままになってしまいました。それに味を占めたのか、そういうことを何度か繰り返しているうちに、ついに発覚。それが駅長の犯行と分かり、すぐさま懲戒免職となりました。

 地位も名誉も、そして退職金もふいにし、老後の計画が水の泡となってしまったことでしょう。なぜ、そんな馬鹿なことをしてしまったのでしょうか。まったく割の合わない話ですけれども、これは時折聞く話です。

 額が小さかったから、罪の意識も小さかったわけです。このごく少額の釣銭のごまかし、その罪意識の小ささが、まさに、知恵や名誉よりも高くついてしまったわけです。

 誰も、自分のことを自分で言うほどに愚か者だと考えている人はいないでしょう。自分の行いを愚行とは考えないでしょう。むしろ、賢いとさえ考えています。

 3節に、「愚者は道行くときすら愚かで、だれにでも自分は愚者だと言いふらす」とありますが、私は今まで、「自分は愚者だ」と言いふらす愚者に出会った経験はありません。むしろ、「私は知者だ」と言いふらす人や、「ほかの者は皆愚か者だ」と言いふらす人のことを、知恵の足りない人だと考えます。

 その意味で、自分は愚者だと言いふらすことにならないようにするためには、まさに、私は知恵が足りませんから、教えて下さい、と謙遜に語ることです。思いあがっているときには注意散漫になり、思わぬ失敗をするものです。

 私は口数が多く、言葉の上で何度も失敗しています(13,14節参照)。その度に、とても恥ずかしい思いをしてきました。周囲の人々にも、どれだけ迷惑をかけたことでしょうか。確かに、私には知恵が足りません。もっともっと身の程を知る必要があります。

 ヤコブ書1章5節に、「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます」、という言葉が記されています。

 箴言に、「知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら、・・・あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう。知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える」(2章2,5,6節)という言葉もあります。

 憚ることなく主の御前に進み、日々主の御言葉に耳を傾け、その口から出る一つ一つの言葉に従って生きる者とならせて頂きましょう。

 主よ、あなたは創造者であり、すべてを形づくり、確かにされる方です。あなたは、「わたしをを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」、と言われました。絶えず、あなたを呼び求めます。御心を示し、それを実行する知恵と力とを授けて下さい。 アーメン

阪神・淡路大震災記念日

14年前(1995年)の今日、午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。
マグニチュードは7.3。
兵庫県南部で初めて震度7の激震を記録しました。

神戸を中心に、震災が阪神間の人口密集地を直撃し、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となりました。
自宅を失なって避難した人は23万人、死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると6千人を超え、負傷者は約4万2千人、倒壊家屋は約40万棟。
被害総額は10兆円にも登ると言われました。

14年前、福岡で第15回九州リバイバル聖会が開催されていました。
朝7時過ぎ、会場に向かうため走らせていた車のラジオで、地震のニュースを聞きました。
初めのうち、それほど大きな震災になるとは思っていませんでした。

14年前の聖会の講師の一人は、中野雄一郎先生でした。
先生は、聖会の前日まで、神戸におられました。
それは、ハワイからの宣教師の結婚式に招かれてのことでした。
披露宴で食事が始まるというとき、滝元先生から九州リバイバル聖会の講師に欠員が出たので、応援して欲しいという連絡が入り、先生は、すぐにそれに応え、福岡に来られたのです。
先生が泊まることにしていた神戸のホテルは、震災で崩壊し、宿泊客は全員亡くなられたそうです。

もしも、聖会の応援に福岡に駆けつけることがなければ、中野先生は瓦礫の下で命を落とされていたかも知れません。
そう考えると、神は、中野先生を助けるために、聖会講師に欠員を出し、滝元先生に中野先生を呼ばせられたのです。

先生の他にハワイから結婚式に招かれていた人々も、そして新郎新婦とそのご家族も、奇跡としか言いようがないような不思議な方法で皆命が守られたと、今回の聖会メッセージの中で語られました。


神戸の町は、もう殆ど地震の傷痕を見ることが出来ません。
すっかり回復したかのように見えます。

けれども、「震災は終わっていない」と言われる人々がいます。
それは、復興後、自分の住んでいた場所に戻れなかった人々、震災前の職場や地域の人間関係を回復出来ない人々です。
震災で家族を失った方々もそうでしょう。

被災を免れた中野先生と共に今回も九州リバイバル聖会を開催することが出来たのは、今なお震災を引きずっている方々の復興・リバイバルを祈り願うためでもあると思います。

主の祝福、恵みと平安が、阪神淡路大震災のすべての被災者の上に、今から後、常に豊かにありますように。 アーメン

家内の誕生日

1月15日は家内の誕生日。
何人かの人からも、誕生日を祝って頂きました。

つい先日、ライフセンター福岡店の森本さんと話をしていたときのこと、「永六輔さんが、誕生日が同じ淀川長治さんに、誕生日を一緒に祝おうと誘ったら、『私は母といっしょに過ごします。誕生日というのは、お母さんに感謝する日です。』と断られた」というエピソードを教えて頂きました。

ネットで調べてみたら、確かに永さんが淀川さんの一周忌に、そのエピソードを紹介しておられる文章を見つけました。

「皆さん、こんにちは。今日(1999年11月11日)は淀川長治さんの一周忌です。
淀川さんはの誕生日は4月10日でした。実はぼくも誕生日は4月10日。さだまさしも4月10日。和田誠も4月10日。で、あるとき、我々4月10日に淀川さんを招待しようとしました。でも、断られました。その時の理由・・・
“私は母といっしょに過ごします。誕生日というのは、自分が祝ったり祝われたりする日ではありません。お母さんに感謝する日です。母と過ごすなり、いなければお墓に行くなりする日です。”
我々は、それから、淀川さんの言葉に従っています。皆さんも従ってください。(笑)」


家内の母親は、私たちが結婚する前の年に、父親はその5年前に、天に召されました。
お墓には行きませんが、天国にいる家内の両親に、そして主なる神に感謝致します。

九州リバイバル聖会レポート


聖会昨日まで、第28回九州リバイバル聖会が、休暇村・志賀島で開催されました。

毎回思うことですが、今回がこれまでで最高の恵みを感じる集まりになりました。

その様子を教会HPのフォトレポートに掲載致しましたので、ご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto01112.html

三日間、雪を心配していましたが、ちらほらと雪は舞ったものの、聖会には何の影響もありませんでした。
天候がどうであれ、また経済的に不況の嵐が吹き荒れていても、九州、全日本のリバイバルを願い求める人々が集められ、共に熱く燃やされる聖会となりました。

写真は二日目のお昼、陽は射しているものの冷たい風が吹き付ける海岸端ですが、皆、神の恵みに満たされて、喜び溢れる笑顔を見ることが出来るでしょう。
ただ、少々画質が荒いので、確認出来ますかどうか。

1月11日の御言葉 「神はすべてを時宜にかなうように造り」

「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」 コヘレトの言葉3章11節

 1節に、「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」とあり、2節以下に14組の「時」が示されます。それは、一組ずつ、「生まれる時」と「死ぬ時」(2節)、「戦いの時」と「平和の時」(8節)など、様々な場面の両局面を登場させ、完全数「7」の2倍の組を掲げることで、私たちの人生のあらゆる出来事、場面がそこに含まれることを示しています。

 著者は、私たちの「時」というものは、過去から未来に直線的に動いているのではなく、それぞれの「時」を行ったり来たり、ちょうど振り子が振れるように行きつ戻りつする、あるいは円運動のように同じところをぐるぐると周っていると考えているわけです。

 だから、15節でも、「今あることは既にあったこと、これからあることも既にあったこと」、と語っているのです。ということは、コヘレトにとって重要なのは、どこからどこへ行こうとしているのかという方向性や到達目標などではなく、今はどういう「時」なのかということを正しく判断すること、ということになります。

 12節に、「わたしは知った、人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と」と言っています。この発言には、素直に肯けます。その言葉に続いて、「人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ、と」(13節)と言います。これは2章24節に似ています。「飲み食い」を喜び楽しむというのは、贅沢をするということではないでしょう。毎日、三度の食事を喜び楽しむということです。「労苦に満足する」というのは、働く苦しみを喜び楽しむということでしょう。

 ですから、「喜び楽しんで一生を送る」というのは、昨日も見たように、刹那的に快楽を追い求めて生きる生き方とは無縁で、あらゆることをその時々に喜び楽しむということ、今自分が置かれているところで、自分に与えられた時、その状況を精一杯楽しむ、出来事、事柄に誠実に向き合う、誠心誠意関わるということでしょう。今がどんなときかを判断し、今必要なこと、今すべきことを一所懸命行うということです。

 9節に、「人が労苦してみたところで何になろう」という言葉がありますが、これは、12節との関連で考えれば、労苦した結果、得られるものに期待するな、ということになります。別の言い方で言えば、今このときを楽しみながら、精一杯働き、歩んで来たならば、その結果がどうなってもよいではないか、と言っていることになります。

 著者は冒頭の言葉(11節)で、「神はすべてを時宜にかなうように」造られた、と言います。これは、神がその時々にふさわしいことを行って下さっているということです。たとい苦難が襲って来ていても、それは神の定められたときで、その背後に神の御計画、隠された意図があるのです。恵みの神を信頼し、すべてが神の御手の中に握られ、すべての時が神によって定められていると信じているからこそ、今このときを精一杯楽しむことが出来るのです。

 パウロが、「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを倣い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても空腹であっても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ書4章11~13節)と言っているのも、同じことでしょう。

 瞬間瞬間、状況に振り回されるのではなく、時を定め、すべてを御手の内に握っておられる主の御前で心静かに御言葉に耳を傾け、導きに従って祈りつつ、御業に励ませて頂きましょう。

 主よ、私たちの心の目を開いて、あなたをさらに深く知ることが出来るようにして下さい。主にあって強められ、今この時、自分の置かれた境遇に満足し、委ねられた務めを一所懸命果たすことが出来ますように。ご自身の栄光の富に応じて、私たちに必要なすべてのものを豊かに満たして下さる主に、栄光が世々限りなくありますように。 アーメン


九州リバイバル聖会

明日から、九州リバイバル聖会が開催されます。


第28回九州リバイバル聖会

とき 1月11日(日)午後7時~13日(火)11時

ところ 福岡・休暇村志賀島

講師 中野雄一郎師(マウント・オリーブ・ミニストリーズ代表)
    滝元 明 師(全日本リバイバルミッション主幹)


この聖会の特徴は、①新しい年の初めに開催され、明確な信仰のビジョンが与えられること、②最高の講師陣による、単純明快な聖書のメッセージが素晴らしいこと、③日本のリバイバルのために、朝早く野外で全身全霊を込めて祈る早天祈り会の感動、④講師の諸先生方と参加者が一つところで宿泊、食事を共にして語り合う、信仰の交わりのすばらしさ、等です。

聖会に参加して、主の御用のために信仰を熱くされたいと願っています。


週間天気予報で、今日から13日まで、福岡は雪マークがついています。まだ雪にはなっていませんが、確かに冷え込んではいますので、参加される方々が、天候に妨げられることがないように、交通事故などに巻き込まれることがないように、神の守りと導きをお祈りしています。
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