風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2008年12月

あと何時間かでお正月

2008年、366日目もあと残り6時間ほどとなりました。

山あり谷あり、大変なところを通ったような気もするし、でも、今振り返ると、何が大変だったのか、よく分らないようなところもあります。

色々慌ただしくて、体調管理もうまく行かずに、10月半ばから、持病の癪が出てイタタタタ・・・ではありませんが、持病が少々悪化して難儀しておりました。

それが、ここに来て、お陰様で体調が回復して来ました。

知恵も力も足りない者が、牧師と園長という二足のわらじを履くようなことをしておりますので、教会員はじめ、園の子どもたち、保護者の皆様、教職員が気遣い、執り成し祈っていて下さるお蔭です。

勿論、祈りを聞いていて下さる神様のお蔭です。

つくづく、お祈り下さる方々がいて下さるというのは、有り難いこと、嬉しいことだなあと思います。
共に祈り合える幸いを思います。

これから、除夜祈祷会に臨みます。
おいで下さる方々と、今年一年を振り返って、
感謝すべきを感謝し、反省すべきを悔い改め、
新しい年の恵みと導きを共に祈りたいと思います。

しばらくぶり

ここ10日ばかり、教会のクリスマス行事に幼稚園の終業式などがあって、日曜日の御言葉以外、ブログを書くゆとりがありませんでした。

ようやく一段落したので、明日一日はゆっくり骨休めしたいと思います。

今年のクリスマスで一つの発見は、NHK大河ドラマの篤姫が薩摩から江戸へ嫁入りした旅と、キリストの誕生を祝うために東方から来た博士たちの旅、その距離がほぼ同じだったということです。

およそ1700kmほど。

篤姫の旅は、1853年8月に鹿児島を出発して、江戸の薩摩藩邸に入ったのが、10月ということだから、およそ2ヶ月の旅ということになります。

大河ドラマでは、篤姫は瀬戸内海を舟で移動していました。
島津の殿様が参勤交代で江戸に向かう時、初めは海路を利用して、40日ほどで江戸に着いたのだそうですが、旅費を節約するために途中から陸路を行くようになったそうで、篤姫の一行も、陸路で山陽道を進んだようです。

実は、山陽道の宿場だった岡山県矢掛町の矢掛本陣(国指定重要文化財)に宿泊したことを示すとみられる古文書が今年11月に見つかりました。
同町のやかげ文化センター古文書室長の渡辺和夫さん(75)が、矢掛本陣を代々運営していた石井家から県立博物館に寄託された古文書群の中から発見したそうです。

渡辺さんによると、本陣の宿泊記録である「宿方御休泊留」の1853年9月のところに「中将様御娘也 薩州御姫君様 御登 御泊 御拝領銀三枚」と記され、50人余りの武士や女中が同泊したことが書かれてたそうです。

従来から存在を知られていた本陣周辺の宿の宿泊記録にも、同月の部分に「薩州御姫様御泊り」とあり、33軒に200人余りの家来が宿泊したことが記されていました。

島津藩の参勤交代は、2000人という大集団だったそうですが、大名の姫君の上京ということで、警護のためにお供する者も大勢いたことでしょう。

一方、キリストの誕生を祝うために東方からやって来た博士たちも、彼らはキリストをユダヤ人の王としてお生まれになった方と考えて王宮を訪ね、ヘロデ大王に謁見していることから、国賓として扱われていると考えられますし、皇太子の誕生に贈る品とすれば、黄金、乳香、没薬も、半端な量や質ではなかったのではないでしょうか。

そして、彼らの警護のためにも、200名といったお供の軍勢がいたかも知れません。そして、星の道案内ということでは、夜に限っての移動ということになりそうですから、通常よりも時間がかかったのかも知れません。

であれば、篤姫の旅よりも長い時間がかかっただろうと想像されます。
ヘロデ大王がキリストの誕生を知って、ベツレヘム周辺の2歳以下の男児を殺させますが、それは、博士たちの到着が、キリストが誕生した時からかなりの時間が経過していたためだと考えられます。

他所の国の皇太子が誕生したことを祝うために、それだけ時間をかけ、非常に高価な贈り物をしたのは何故でしょうか。「占星術の学者」と言われる彼らが、星占いでユダヤ人の王の誕生を知ったからといって、わざわざ出かけて来るほどのことになるでしょうか。

そう考えれば、彼らがやって来たのは、彼らの側に理由があったというよりも、むしろ神が彼らにキリストを礼拝させ、占いに頼るのではなく、神に従って生きるという新しい道を知らせようとして、彼らを星によって招かれたのではないかなあと思われます。

だから、キリストに会った後、彼らは、天使の御告げを受けて、来た道とは違う、新しい道を通って帰って行ったのでしょう。

私たちが迎えようとしている新しい年が、神の導きに聴き従い、新しい恵みを味わい続ける一年となるよう、主の恵みと導きを祈っています。

12月28日の御言葉  「聞く耳、見る目」

「聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた。」 箴言20章12節

 箴言に繰り返し語られる教えの一つに、怠け者について語って、勤勉を説く教えがあります。4節に、「怠け者は冬になっても耕さず、刈り入れ時に求めるが何もない」とあり、13節には、「眠りを愛するな、貧しくならぬために。目を見開いていれば、パンに飽き足りる」と言われています。

 「目を見開いていれば、パンに飽き足りる」とは、文字通り、目を見開いてさえいればよいというのではなく、目覚めて勤勉に働けば、ということです。6章6節には、「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」と記されていて、蟻とキリギリスの話は、ここから作られたのではないかとも思わされます。

 勤勉を教えるための最も効果的な方法は、親が子に、自ら勤勉に働いている姿を見せることでしょう。外の仕事だけでなく、家事においてもマメに働いている親の姿は、子どもの目に美しく映ると思います。

 さらにもう一つ、その親が、神の御前に忠実にひざまずき、御言葉に聴き従う姿を見せたいですね。冬に耕し、春に種を蒔かないで、秋の収穫を期待する農夫はいないでしょう。私たちの信仰における恵みの収穫も同じです。神の御心を悟ろうとして御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩むとき、心が深く耕されて主の恵みが花を咲かせ、努力した100倍も豊かな実を稔らせるでしょう。

 冒頭の言葉(12節)に、「聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた」とあります。主なる神が人間を創造されたのですから、それはその通りだということになります。あらためてそれが言われているのは、この箴言に語られている知恵を得るための手段として、神が人に耳と目を与えて下さったのだと教えているわけです。

 ソロモン王が、「あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することが出来るように、この僕に聞き分ける心をお与えください」と願ったとき(列王記上3章6節以下、9節)、それを喜ばれた神が、「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える」と約束されました(同10節以下)。

 イスラエルの民をエジプトから導き出すために神がモーセを呼び出したとき、モーセは、「わたしは弁が立つ方ではありません。・・全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」と言いました(出エジプト記4章10節)。口が重いというのは本当かもしれませんが、それは言い訳で、実際には気が重かったわけです。

 それに対して主は、「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」と言われています(同11,12節)。

 私たちが見るべきものを見、聞くべきものを聞いていれば、そこから悟りを得ます。特にそれが神の御言葉で、神が、ほかの誰でもないこの私に語りかけて下さっている御言葉に耳を開くことが出来れば、私の語るべきこと、なすべきことがはっきりと示されます。
そのために、耳を造り、目を造られたと言われているわけです。

 今日も憚らずに神の御前に進み、その御言葉に耳を傾けましょう。主イエスの後ろから、その背に目を向けつつ御足跡に踏み従って歩みましょう。かくて真の知恵に与り、主の御心を行う者とならせていただきましょう。

 主よ、私たちの耳を開いて下さい。あなたの御声をさやかに聴くことが出来ますように。主よ、私たちの目を開いて下さい。主の御顔を拝し、御足跡に従ってまっすぐに歩むことが出来ますように。 アーメン

12月21日の御言葉 「富んでいると見せて」

「富んでいると見せて、無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。」 箴言13章7節

 冒頭の言葉(7節)は、その文字面を眺めていると、確かに「人は見かけによらない」という思いが伝わって来ます。ぼろを着てても大金持ちかもしれないし、きらびやかな服を着てすごい車を乗り回していても、台所は火の車かもしれません。でも、私たちはその外見で人を判断します。だから、私たちも外見を飾ろうとします。なのに、自分の内面の貧しさに気づかないでいたりします。

 経済のことでなく、精神的なこと、霊的なこととして考えて、自分が内面の貧しさに気づけば、豊かになろうとして努力するでしょう。謙虚になって、謙遜になって学ぼうとすると、どんなことからも豊かに学ぶことが出来ます。貧しさを自覚するからこそ、熱心に学ぼうとし、そうすると、本当に心豊かに生きることが出来るでしょう。

 水戸黄門は、ちりめん問屋のご隠居という姿で世直しの旅をします。行く先々の悪を懲らしめます。「この紋所が目に入らぬか」と印籠を出したところから、ちりめん問屋のご隠居が天下の副将軍に戻ります。その圧倒的な権力の前に、悪人が平伏します。勧善懲悪の単純なドラマが視聴率を稼ぐというのは、世の中に様々な悪が、それも権力者による悪がはびこっているからでしょう。

 権力を持っている者が、将来を見通す見識を持って、正しい政治を行い、経済を導くなら、黄門様はいなくてもよい、ということになるでしょう。権力者だけじゃなくて、私たちは、明日が見えるでしょうか。明後日が見えるでしょうか。

 私たちが持っているもので幸福か不幸かが決まるなら、誰もが幸福になれるものを手に入れようと躍起になるでしょう。それを手に入れ損なった人は、不幸が確定するというような図式になりますね。でも、私たちに幸福を約束してくれるモノなど、ありません。確かに、欲しいと思っていたモノが手に入ったとき、嬉しいです。長い間待ち続けてやっと手に入れたときなど、その喜びは一入です。けれども、そんな喜びや感動は、時とともに失せ去ります。モノが与えてくれる喜びは、その程度のものでしょう。

 人間関係を考えて見ましょう。お互いに生きている者同士ですから、自分の思い通りになる関係などあり得ません。互いに山あり、谷ありです。順風のときも逆風のときもあります。笑うとき、涙するとき、悲しいとき、憤るときなど、様々な思いや感情をその時々に共有しながら、共にすごした長い年月が、やがて思い出となり、かけがえのない宝となります。

 聖書が語る豊かな「命」とは、まさにそのような、呼べば答える、打てば響く、生きた関係を指しています。呼んでも返事しない、反応しない、相手を無視してしまうなら、その関係は死んでいます。命がないわけです。お互いの関係を喜び合うために知恵を出し、我慢したり忍耐したり、時には少し諦めたりしながら、工夫して共に過ごすことをしなければ、深い豊かな関係、喜びや満足は生まれて来ません。

 そう考えてみると、神様は、私たちを神の子として喜び迎えるために、独り子キリストを犠牲にして、なんと長い間我慢を重ね、忍耐していて下さることでしょうか。神様の深い愛と憐れみがあればこそ、その強い思いがあるからこそ、私たちは今、主イエスを信じる信仰に導かれ、救いの恵みをいただくことが出来たのです。神ご自身が、とことん自分のものを与え尽くして貧しくなられたお蔭で、私たちは豊かさを味わわせて頂いているわけです。

 神様との関係をいよいよ豊かにするために、絶えず主の呼びかけに応答出来るよう、御言葉を聴き、信仰の祈りと賛美をささげたいと思います。

 主よ、私たちはあなたによって人生の真の目的を知らされ、希望と平安に与り、キリストにある悔いのない生涯を歩ませて頂いています。そのためにあなたが払われた犠牲を思うと、どれほど感謝しても、感謝しきれるものではありません。ただ、あなたが望まれる人生を、まっすぐ歩み通すことが出来るように、日々御言葉に耳を傾けます。導いて下さい。 アーメン

娘の婚約式


婚約式01昨日は、娘の婚約式を教会で行いました。
お相手は、東京で仕事をしている男性で、二人は、娘が神奈川の大学に通っているとき、相模の教会で出会いました。
なかなか好青年です。

二人の交際で驚かされているのは、ともかく毎日聖書を読み、そこから受けた恵みを毎日伝え合っていることです。
現在は、スカイプという道具があって、無料で通信し合えるし、携帯電話が海外でもつながることもあって、彼が海外への長期出張中というときも、また、私たちが家族で旅行している間でも、必ず通信し合っていました。

娘には、小さいときから、ともかく聖書を読むようにと教えていましたが、なかなか続けて読むことが出来ませんでした。
楽しみになる前に、読んでて眠くなるというパターンです。
ところが、いつ、どのようにして始まったのか分りませんが、二人の間で今もそのように、御言葉が読まれ続けているのです。
当に、奇跡を見ているようです。


婚約式03二人を通して、御言葉の恵みがさらに豊かにされ、広げられることを願っています。
負うた子に教えられるというときが、もうすぐそこに来ているのかなとも思います。

二人がキリストにつながり、彼らの内にキリストの御言葉が豊かに宿り、互いに信頼し、尊敬し合う、キリストの恵み溢れる家庭が主にあって築かれるよう、祝福を祈っています。

リンク集

大牟田教会HPのリンク集について

*日本バプテスト連盟所属教会関係
・南九州の「種子島新生キリスト教会」がホームページを開設されました。リンク集に貼り付けておりますので、是非ご覧頂きたいと思います。
種子島新生教会公式サイトのアドレス
URL http://www10.ocn.ne.jp/~kyokai/
「東熊本教会」は、サイトの模様替えをしておられます。
URL http://www.ne.jp/asahi/higashikumamoto/church/index.html ここは、よく模様替えが行われます。

・福岡の「福岡南教会」は、サイトを閉じられたようです。
リンク集から外しました。

・東京は「新小岩教会」のサイトは、表紙が何故か非常に重そうで、開くのに相当時間がかかります。
ご覧になりたい方は、辛抱強くお待ち下さい。

・北海道の「平岸教会」のサイトは、開けないことはないのですが「コンピューターに損害を与える可能性がある」とされています。
Googleなどで「平岸バプテスト教会」を検索されれば、上記の表示を見ることが出来ます。
このようなサイトにアクセスすると、気付かないうちに、また許可なく不正なソフトウェアがインストールされ、コンピュータのデータが削除されたり、パスワードやクレジット カード番号などの個人情報が盗用されたり、検索結果が改ざんされる可能性があるというのです。
安全性が確認されるまで、平岸教会をリンクから外しておきます。

*教会音楽関係
「新生讃美歌」のサイトが開けません。
リンク集から外しておきます。

*総合サイトの欄にある「Gospel Japan」のサイトがリニューアル工事中という関係で、「久米小百合」さんのサイトが閉じられています。リンク集から外します。

*その他
 ・「子どもNPOセンター福岡」 URL http://www3.ocn.ne.jp/~kodomocf/
「NPO子どもとメディア」 URL http://www16.ocn.ne.jp/~k-media/index.html
「子ども劇場福岡県センター」  URL http://www17.ocn.ne.jp/~f_kodomo/

子どもを取り巻く様々な問題に取り組んでいる団体のサイトです。ご覧下さい。

因みに、大牟田教会のリンク集のアドレスは、URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/link.html です。

12月14日の御言葉 「父の戒め、母の教え」

「わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。それをいつもあなたの心に結びつけ、首に巻きつけよ。」 箴言6章20,21節

 新共同訳聖書で冒頭の言葉が含まれる段落には、「父の諭し(8)」という小見出しがつけられています。子を諭す父の教えという設定の段落で、それがここで8回目になるいうわけです。子どものことを思って繰り返し、「わが子よ、父の教えを守れ。母の教えをおろそかにするな」(20節)、と語り続けているのです。

 こういう高圧的な表現には、「偉そうに、父親風吹かすな」という反発する思いが湧いて来るかもしれません。そして、そういう思いもまた、子どもが成長する段階で必要なことかもしれません。

 しかしながら、誰がなんと言おうと思おうと、親は親、子は子です。そこに理屈はありません。親だからこそ、言わなければならないことがありますし、子がそれをどう思おうと、分かっていてもらいたいと思うことがあります。だから口うるさくなりますし、くどくもなります。

 「百聞は一見にしかず」という言葉があります。象がどのような姿をしているか、目の見えない人が、ある人は足、ある人は尻尾、ある人は耳、ある人は腹をさわって、象はこういうものだと百回語って聞かせるよりも、全身を一回見せる方が正確に伝えられる、といった説明がなされます。確かに、一面の真理を表してはいます。見せて伝えなければならない情報もあるでしょう。

 しかし、それで分かるのは外観だけです。足の質感、耳の皮膚など、触ってみなければ分からないことがたくさんあります。象を一度見せて分からせたつもりになっていることと、象のあちこちに触れた感触について百回語って聞かせる人の気持ちと、どちらが子どもの心を動かすでしょうか。

 全身を見たこともないくせにと馬鹿にされようが、触っただけで分かったつもりなのかと言われようが、それを伝えたくて何回も何十回も語ろうとする思いにまさるものは、何もありません。

 親が子を思って語ることもそうでしょう。子どものことが全部分かるわけでもありませんし、これから子どもと自分の身に何が起こるのかなど、殆ど何も分かりません。でも、伝えたいことはうるさがられても、嫌がられても伝える、それが親です。

 主イエスは、祈るとき、神様を「天の父」と呼ぶように、教えて下さいました(マタイ福音書6章9節)。「父」とは、名前ではありません。関係です。私たちが神の子であり、神が私たちの父であるということです。

 キリストがこの世に来られたのは、私たちを神の子とするためだというのです。そして、私たちが子であることは、神が「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を私たちに心に送って下さった事実から分かる、と言われています(ガラテヤ書4章5,6節)。

 聖書中に、「愛」という文字が500回以上、「慈しみ」という文字も200回以上出て来ます。神が私たちをどんなに思っているのか、その言葉の数以上に、独り子キリストを私たちのもとに遣わし、十字架に贖いの供え物とされるという仕方で示されました。考えられないことですが、真実です。

 全身を私たちにあずけるように愛と慈しみを示されました。主が私たちに与えたのが、キリストが私たちを愛したように、私たちが互いに愛し合うように、という戒めです(ヨハネ福音書13章34,35節、15章12,17節、第一ヨハネ書3章11,23節など)。

 神が私たちを父親のように愛して、繰り返し語りかけていて下さる愛の言葉、恵みの言葉を、心に結び、首に巻きつけるようにいつも思い浮かべ、口ずさむようにして、神の御心を心として歩む者とならせていただきたいと思います。

 主よ、御名を崇めて賛美します。私はあなたからそのように愛を注いでいただく値打ちも資格もありません。そして、そのように熱い、深い豊かな愛にこたえる術もありません。ただ、あなたが語りかけて下さる言葉に耳を傾け、それを行わせて下さい、と祈るだけです。御名が崇められますように。 アーメン

幼稚園のクリスマス

今日、光の子幼稚園のクリスマス音楽祭が開催されました。
その様子の一端を、園のブログでご覧ください。
URL http://blog.livedoor.jp/hikarinokoyouchien/archives/276673.html

可愛らしくも真剣に演技する子どもたちの様子が覗えるでしょうか。
リハーサルまでは、舞台に立っていることも出来なかったあの子が、今日はちゃんと演技しているよといった、一人一人に感動のストーリーがあります。
神様が一人一人に、成長という、素晴らしいクリスマス・プレゼントを下さったのでしょうね。

ところで、今日は、「正月事始め」というのだそうです。
これは、正月を迎える準備を始める日のことです。
また、雑煮を炊くための薪や門松を作るための松を切りに山へ行く「松迎え」の日、新年を迎えるために大掃除をする「煤払い」あるいは「煤掃き」の日でもあるそうです。

今日、どこでもクリスマスを祝う習慣が定着しているため、正月事始めはクリスマス後という家が多いのではないでしょうか。

考えてみるまでもなく、ウチはそもそも異教の風習である門松など立てないし、掃除は家内に任せっきりなので、私の「正月事始め」は、ないことになっています。

今年の世相漢字は「変」

今年の世相漢字を日本漢字能力検定協会が発表しました。
今年は、11万1208人が応募した中から、6031票(5.42%)を獲得した「変」が選ばれました。

「変」が選ばれた理由は、5つに分類されるということでした。

1.日米の政治変化
 日本では昨年に引き続き短期間で首相が変わった一方で、アメリカでは「change(変革)」を訴えたオバマ氏が次期大統領に決定したこと。

2.世界的な金融情勢の変動
 アメリカのサブプライムローン問題、リーマンブラザーズの倒産に端を発した世界的金融恐慌、株価暴落や円高ドル安などの変動など。また金融不安の影響による派遣切りや内定取り消しなどの雇用状況の変化などもその理由の一つ。

3.生活に不安を覚えた一年
 餃子、事故米、有害物質入り食品問題などが発覚し、食に対する安全性について意識が変わったこと。また、ガソリンの価格変動に一喜一憂したり、物価が上昇して、生活が苦しい方向に変わったこと。さらに、秋葉原の無差別殺人のような凶悪で変な事件が頻繁に起こったことなど。

4.世界的な気候異変
 世界的な気候異変による地球温暖化問題の深刻化したこと。また日本の東北地方、中国四川省の地震をもたらした地殻変動やゲリラ豪雨にみられる天変地異など。

5.明るい未来に期待をこめて
 平成生まれのスポーツ選手の活躍や日本人のノーベル賞受賞など、様々な分野で時代の変化を感じたこと。

このように、いい意味でも悪い意味でも変化の多い一年でしたから、明るい未来を期待して、よい変化を求める思いが、世相漢字に「変」を選ばせたようです。

私自身は、アメリカ大統領選挙やアメリカ発の金融危機、それに事故米の被害などで、「米」が選ばれるのかなと思っていました。
あなたはどうでしたか?

12月7日の御言葉 「主の慈しみに生きる人」

「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。」 詩編149編1節

 詩篇149編も、「ハレルヤ」で始まり、「ハレルヤ」で閉じられる「ハレルヤ詩編」(146~150編)です。

 まず、イスラエルの民を賛美へ招きます(1~3節)。冒頭の言葉(1節)に、「主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ」とあります。「主の慈しみに生きる人」とは、主の慈しみなしには生きられない、主に依り頼んで生きる人ということです。ということは、神の御前に謙って歩む者ということになり、それは、主イエスが山上の説教で語られた、「心の貧しい人々(リビングバイブル「自分の貧しさを知る謙遜な人)」のことといってもよいでしょう。だから4節に、「主は御自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる」と言われているわけです。
 
 続く2節に、「シオンの子らはその王によって喜び躍れ」と言われていますが、ここで「王」というのは、前の行の「イスラエルはその創り主によって喜び祝い」という言葉から、かつてイスラエルに君臨したダビデ家の王たちではなく、天地を創り、イスラエルを統べ治められる万軍の主なる神を指しています。
  
 1節の「主の慈しみに生きる人」を、2節で「イスラエル」、「シオンの子ら」と言い換え、主なる神が造り主として、また王として、御自分の民に慈しみをお与えになるがゆえに、4節の言葉でいえば、「貧しい人を救いの輝きで装われる」ので、喜び祝い、喜び躍ることが出来るというのです。
 
 5節以下には、「主の慈しみに生きる人」に与えられる装いについて、述べられています。6節に、「口には神をあがめる歌があり、手には両刃の剣を持つ」と語られます。「両刃の剣」は、「国々に報復し、諸国の民を懲らしめ」(7節)、「王たちを鎖につなぎ、君侯に鉄の枷をはめ」(8節)るために与えられるのですが、9節では、「定められた裁きをする」と言われていますので、これは、神の裁きの言葉ということです。神が、イスラエルを苦しめ、悩ませた国々の民らを裁かれるというわけです。

 両刃の剣と言えば、ヘブライ書4章12節でも、「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる」と言われております。

 勿論それは、神の裁きの言葉をもって、誰彼となく切りつけて報復してよいということではありません。
 
 エフェソ書6章10節以下に、悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように、神の武具を身につけよと命じられています。その中に、「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」(同17節)という言葉があります。この剣は、敵を成敗する正義の刃などではありません。同14節に、「正義を胸当てとして着け」と言われています。つまり、正義は私たちの命を守る胸当てであって、剣ではないのです。
 
 同19節に、「わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように」といい、さらに20節で、「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に語れるように」と言っています。すなわち、私たちが身につける霊の剣、神の言葉とは、救いの恵みを与える福音の言葉、人を生かす命の言葉ということになります。
 
 実に主イエスは、私がまだ罪人であったとき、、不信心な私のために死んで下さいました。むしろ神の敵であったのに、私たちに愛を示し、命を与え、救って下さったのです(ローマ書5章6節以下)。神によって裁かれるべき私が、救いの衣を着せられ、神の子とされたのです。
 
 それゆえ、「主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み、伏していても喜びの声を上げる」(5節)のです。伏しているのが病いの床であっても、悲しみの床であっても、主イエスはそこから立ち上がらせ、喜びをお与え下さるのです。

 主よ、私たちはキリスト・イエスにあって、新しく造られたものです。古い自分に死に、神の子として生きる道を歩ませて頂いています。主とその御言葉に従って歩むことを通し、主から授けられた新しい歌で賛美することを通して、力強く主を証しさせて下さい。すべてを益に変えて下さる主を信じ、御名を崇めます。 ハレルヤ! アーメン!
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