風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2008年11月

キリストの平和を生きる

連盟総会の中でもたれた礼拝プログラムを紹介します。


総会04賛美 「キリストのへいわ」
 1.キリストのへいわが わたしたちのこころの
   すみずみにまで ゆきわたりますように
 2.キリストのひかりが わたしたちのこころの
   すみずみにまで ゆきわたりますように


交読 「戦争責任に関する信仰宣言」を想起しつつ
*司会者 日本バプテスト連盟に連なる私たち教会・伝道所は、1988年の第42回定期総会において、アジア太平洋戦争に荷担したキリスト教会の過ちを悔い改め、自らの戦争責任を告白し、「平和を造り出す者」としての生き方を決意しました。
*会衆 あの信仰宣言から20年。主よ、私たちは今、あなたと隣人の前で再び自らを吟味します。主告白を貫けただろうか。罪責と赦しを心に受け止める者であれただろうか。隣人を貪らず、恵みを分かちあい、平和を造り出す者として生きることが出来ただろうか、と。
*司会者 世紀をまたいだ20年。冷戦構造は崩れましたが、新たな武力支配が世界を席巻し、また各地で戦争・紛争が起こり、テロ事件とそれへの報復という暴力の連鎖に包まれています。そして日本は、自国の軍隊を海外には兵士、いまや、平和憲法を改悪し、「戦争のできる国」への転換を図ろうとしています。
*会衆 主よ、私たちを再び招いてください。「罪責」を生きる誠実なものへと。主よ、私たちを導いて下さい。「平和を造り出す者」としての生き方へと。主よ、私たちに授けて下さい。「キリストの平和」に生きるための勇気と祈りと務めを。主よ、私たちと共にいてください。

賛美 「キリストのへいわ」
 3.キリストのいのちが わたしたちのこころの
   すみずみにまで ゆきわたりますように

発言 「戦争責任に関する信仰宣言」から20年

交読 「平和に関する信仰的宣言」より
*司会者 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
*会衆 私たちは、主イエスの御顔をのみ仰ぎ見る。私たちは御声をのみ聴く。私たちは自らを誇ることをせず、十字架の主イエスを誇る。私たちは御心のままにと祈る。私たちは主イエス以外を知らない心貧しき者として生きる。私たちはこの生に平和を見出す。
*司会者 主イエスに従う私たちは殺さない。主イエスによって解放され、生かされた私たちは、もはや殺すことが出来ない。もし殺すなら、私たちは服従してはならないものに服従するのであり、主の恵みを否定するのである。
*会衆 主によって解放され、生かされた私たちは、もはや赦すこと、愛すること、分かち合うこと、生かすことしか許されてはいない。教会はただそれらのことに置いて主に服従し、主の恵みを喜ぶ。
*司会者 主イエスの十字架の和解はすでに成し遂げられた。絶望の闇はこれに勝たなかった。
*会衆 私たちは復活の命に与り、平和を創り出す。主は世の終わりまでいつも私たちと共におられる。

賛美 「世界は素敵」

発言 「憲法改悪を許さない私たちの協働アクション」

交読 「夜明けを待ち望み」
*司会者 夜が終わり、朝が来ることを、いつどのように知ることが出来ると思うか。
*会衆 遠くにいる動物が、羊か犬か、見分けがつくときではないでしょうか。
*司会者 いや、そうではない。
*会衆 それでは、遠くに立っている木が、イチジクの木か桃の木か、見分けがつくときでしょうか。
*司会者 それも違う。
*会衆 では、夜明けが訪れるときを、いつ知ることが出来るのでしょうか。
*司会者 他の人間の顔を見て、それが自分の兄弟・姉妹だということが分かるときだ。

賛美 「キリストの平和」

黙祷


このプログラムを通して、キリストの平和を思い、キリストの平和を生きようと願う祈りが絶えず起こされていくようになりたいと思います。  


天城山荘から

おはようございます。
天城山荘のパソコンから、書き込んでいます。
さすがは山の中で、空気は澄み切り、そして、しっかり冷え込んでいます。

昨日から、連盟の宣教会議が開催されています。
とても刺激的で、様々なことを考えさせられています。

宣教会議02宣教研究所の濱野先生から、これから連盟の目指すものとして、「全被造物と共に礼拝者として生きる」という言葉が示されました。
そのような礼拝者となっていくために、何をしたらよいのかという議論だったわけですが、この言葉を、どれほど豊かなものとして受け、その内容をいかに深めることが出来るかというところが理屈抜きに問われているわけです。

神を神として礼拝する、そのことが私たちの原点です。

宣教会議03礼拝が豊かであれば、そこから豊かなものが生み出されるでしょう。
み言葉を神の言葉として聴き、信仰をもって応答する。
それが祈りであり、賛美であるような礼拝。
霊と真実によって礼拝するまことの礼拝者となっていきたい。


神様が私たちの進むべき道を明らかにしてくださったのだと思いました。

ミカン狩り


野の花01昨日、午後2時過ぎに上内の密柑山に、総勢11人でミカン狩りに行きました。
下見に行かれた方が、コンテナ2ケース分(4~50kg)くらいかなと言っておられたのですが、実際には、7ケースにいっぱい(180kgほど)になりました。

あ、蜜柑を穫ることに夢中で、写真を撮ることを忘れていました。



野の花02その帰り道、道端に花が咲いているのを携帯電話のカメラで撮りました(毎度のことながらピンぼけでゴメンナサイ)。

名前も知らない花ですが、誰が見てくれなくても、根を下ろしたその場所で精一杯咲いている野の花の美しさは、確かに、着飾ったソロモン王にも勝っているといってよいでしょう。



野の花これは、野の花ではありません。
綿花です。
あまり見る機会がないので、写真を撮っておきました。

それはそうと、明日から14日まで、静岡は伊豆天城峠の天城山荘まで出かけて来ます。
しばらく、ブログもホームページも更新できませんので、ご了承下さい。

11月9日の御言葉 「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」 詩編121編1,2節

 冒頭の言葉(1,2節)で、「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」とありますが、このように詠う詩人の心境とは、どのようなものでしょうか。「わたしの助けはどこから来るのか」という言葉から、いくつかのことが考えられます。まず、「山々」とは、自分の行く手を阻むさまざまな問題を象徴しているもので、具体的には、山賊や肉食獣などの潜む危険な場所を示しており、詩人が不安な面持ちでそれらを眺め、「わたしの助けはどこから来るのか」と声を上げているといった様子を思い浮かべます。そして、その声を聞いてその危険な場所で詩人を助けて下さるのは、天地を造られた主だと詠っています。

 「天地を造られた」というのは、創世記1章にあるように、天と地にある一切のものを造ったという表現です。であれば、山々を造られたのも、そこに潜むすべてのものを造られたのも、主なる神なのですから、当然、行く手を阻むものの手から詩人を守ることが出来るというわけで、そこに希望を見い出し、平安を得て進むことが出来た、ということになります。

 あるいは、旧約聖書において、「山々」に象徴される高いところは、「聖なる高台」と呼ばれて、神を礼拝する場所でした。列王記上11章7節などには、異教の偶像を祀る場所として聖なる高台が設けられたことが記されています。高い山で天との距離の近さを思うのでしょう。いずれにせよ、イスラエルの民はそれら聖なる高台に祀られる異教の偶像に惑わされ続けていました。

かつて、カルメル山の上で預言者エリヤがイスラエルの民に呼びかけて、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え」と尋ねたことがあります(列王記上18章21節)。それゆえ、詩人は山々に祀られる神々の中で、だれが私を助けてくださるのかと自問し、助けは天地を造られた主なる神のもとから来ると、自ら答えているというわけです。

 もう一つは、「山々」がエルサレムとその周囲の山々を指しているという考えです。125編2節には、「山々はエルサレムを囲み」という言葉もあります。「都に上る歌」という表題が示すように、旅の間、詩人はずっとエルサレムのことを思い続けているということでしょう。「わたしの助けはどこから来るのか」というのは、「天地を造られた主のもとから」と語りたいための絶妙な詩的表現です。そして、天地万物の創造主なる神は、シオンの山々におられる。今私はそこに一歩一歩近づいている。何かワクワクするような思いで語っている感じですね。

 どれが正しいのかということではなくて、私たちの人生には、いずれの要素もあるのではないか、と思わせられます。不安や恐れに囲まれているように感じるときがあるでしょう。どれが自分の進むべき道か、はたまた、神はほんとうにおられるのかと惑うときもあるでしょう。しかし主は、不安なときには安らぎを、惑っているときには確信を授けて下さいます。そうして、私たちがはっきりと、「私を助けて下さるのは、天地を創造され、私のために贖いの御業を成し遂げて下さった主なる神である」と告白することが出来るように、助け導いて下さるのです。

 パウロが、「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神のすがたであり、すべての者が造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです」(コロサイ書1章13節以下)と言っているのは、そのことです。常に主イエスを仰ぎ、絶えずキリストの愛と平和に満たして頂きましょう。

 主よ、どうか足がよろめかないように私を助け、まどろむことなく眠ることなく、私を見守って下さい。キリストの平和が私の心を支配し、キリストの言葉が内に豊かに宿りますように。そして、感謝して心から御名をほめたたえ支えて下さい。 アーメン

「見事な死」


「見事な死」昨日購入した「見事な死」(文藝春秋編、文春文庫)という本の中に、38人の方々の最期が紹介されています。
そこに、後藤田正晴氏の名がありました。
紹介者はご長男の後藤田尚吾氏。
幾つかの文章を抜粋します。

 「普段から、『人間は死んだら無』と言っていた父でしたが、政治家として後世に何かを遺したいという気持ちも強く、もし遺せるとするなら、それは日本の平和や憲法のあり方について発言を続け、その思いを伝えることだと考えていました。」

 「戦後60年間、日本は武装部隊によって外国人を殺したことも、外国の武力によって殺されたこともない。この今の憲法の大きな役割は残していくべきである。しかし、専守防衛の自衛隊をイラクへ派兵するなど、今政府がやっていることは憲法の尊厳性、信頼性を失わせてしまうものではないか。父は憲法改正自体に反対ではないが、論議の方向性が間違っていると心配しておりました。」

 「最晩年には、憲法改正は日本の歴史や伝統的価値である『和』を大切にし、歴史に正対する勇気と道義性をもって、40年50年先を考えたものであって欲しいと語っていました。」

 「父が最後まで語り遺したかった考えは、『戦後の平和な日本を形作った憲法を改正するなら、先の戦争に至った要因や敗戦で得た教訓を忘れず、人や時代が変わっても、政府の勝手な解釈や独走が出来ないよう歯止めをかけられる姿にして欲しい。このことが21世紀の国家像を世界に発信し、国際的にも近隣諸国にも、日本をより一層、理解してもらう原動力に繋がる』というものだと思っております。」


後藤田氏がこのような護憲派としての立場から発言しておられたことを、今までついぞ知りませんでした。
現在、政界を引退された野中広務氏と共に、自民党にも人物が居たのだなと思います。
このような後藤田氏の遺言を、自民党の改憲論者たちもちゃんと耳を傾けて欲しいと思います。
また、私たちも現行憲法の意義を正確に捉え、政府に対して憲法をきちんと守り行うよう、要求していきたいと思います。

甘木山へ


甘木山01甘木山に行きました。
時折、山の上から大牟田の町を見下ろして、町の祝福、住む人々の祝福をお祈りしています。
この方向に、わが教会の建つ町があるはずですが、今日は雨のために、白く霞んで何も見えません。
「五里霧中」という言葉もあり、なんだか現在の自分の心境を映しているようだなと思わないでもありませんでした。

しかし、聖書に、祭司たちが楽器をかき鳴らして「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と主を賛美したとき、雲が主の神殿に満ちたという言葉があります(歴代誌下5章13節参照)。
これは、神様が大牟田の町を聖霊の雲で覆い、御自身の臨在を表して下さっているのではないかなと思い直して、この町に住む13万の大牟田市民に神様の祝福が豊かにあるようにとお祈りしました。

宮崎から無事帰宅


研修会01夕方、宮崎から無事戻って来ました。
今回は、「青島の隠れキリシタン」について、宮崎教会・青島伝道所の野中先生が研究しておられるところを発表して下さいました。
宮崎の青島は、伊東飫肥藩によって設けられたキリシタンの聖地だったのではないかというのが、先生の立てられた仮説で、それは、郷土史家にとっても大変興味深く傾聴すべきものという評価を受けたということでした。
この仮説が正しいのかどうかは、これからの研究ということになるそうです。

研修会02これは、青島地区南端の伊比井石塔群の中にある墓石の一つです。
小さくて分りにくいかも知れませんが、キリシタンの墓です
それは、墓石の上端が十字架に見えるように削られていること、墓石上部に円が掘られていること(これは、天や宇宙を指すそうです)、下部に蓮の花に似せてシュロの葉が描かれていること、その下に小さい丸があること(十字架に釘づけられた釘の痕を示しているそうです)などによって、はっきり断定出来るということでした。
このようなキリシタン遺跡を何箇所か見て回り、色々なことを教えられ、考えさせられました。
豊臣秀吉、徳川家康、家光という絶対権力者による禁教にも拘わらず、それを守り通した信仰の力、勇気、その知恵に、あらためて敬意を表します。

研修会03特に思わされたのが、墓石に信仰を示すものをつけているということは、代々その信仰をしっかりと受け継いでいるというしるしで、私たちもそれに倣って、信仰の継承ということを真剣に祈り、考え、行動していかなければならないということです。
今回の研修会が企画され、それに参加出来たことを、神様に感謝しています。
(写真をクリックすると、拡大写真を見ることが出来ます。これは、蓮池先生ご夫妻が不在の時に撮影されたものです。決して他意はありません。ご勘弁を! 写真の中央にいるのは、ホテルの看板犬のロッキーです。なかなか賢い犬でした。)

11月2日の御言葉 「イスラエルは神が治められるものとなった」

「ユダは神の聖なるもの、イスラエルは神が治められるものとなった。」 詩編114編2節

 詩編114編は、ハレル詩編歌集(詩編113~118編)の第2のもので、神がいかにして、エジプトの奴隷であったイスラエルの民を、ご自身の宝の民とされたかということについて物語っています。

 この詩は、2節ずつ4つの段落に分かれ、第1段落と第4段落、第2段落と第3段落が対応とするという対称形になっています。さらに、各段落の前節と後節が対をなしていて、短い詩ながら、技巧を凝らした構造になっています。

 第1段落(1~2節)は、イスラエルがエジプトを脱出したことと、ユダの地を選んでそこを御自分の聖所とされたことが記されています。それと対になる第4段落(7~8節)は、全地の民が主なる神を畏れる(主の御前に身もだえする)ことと、その方は、岩を水のみなぎり溢れる泉とされる方であることを記しています。

 第2段落(3~4節)は、海とヨルダン川が退いたことと、山々と丘が踊ったことが記され、第3段落(5~6節)は、海と川、山々と丘がそのように振舞うとはどうしたことかと問う言葉が記されています。

 海が退いたとは、葦の海(紅海)が二つに分かれて、イスラエルの民が乾いた地を渡ったこと(出エジプト記14章21,22節)、ヨルダン川が退いたとは、同様にヨルダン川の水が上流でせき止められて、民が干上がった川床を渡ったこと(ヨシュア記3章15~17節)を指しています。また、山々と丘が踊ったとは、イスラエルの民に十戒を授けるために神がシナイ山の上に降られた時、山全体が煙に包まれ、激しく震えたこと(出エジプト記19章16,18,19節)を指しています。ここには、海や川、山や丘を支配される神が詠われているわけです。

 そしてそれは、イスラエルの民がエジプトを脱出して、カナンの地に向けて進むときに起こりました。つまり、3~6節で言われていることは、1節と2節の中間に起こった経過報告になります。神の力強い御腕をもってイスラエルの民をエジプトの地から連れ出され、ユダの地を聖所として選び、イスラエルを治められる神は、それゆえに、全地の民に恐れられるお方であられます。そしてまた、海や川を退かせ、山々と丘を震え上がらせて全地を支配される神は、岩を水のみなぎるところとし、それによって荒れ野を旅するイスラエルの民に飲み水を供与されるお方なのです(出エジプト記17章6節、民数記20章8~11節)。

 こうして詩人は、全地を支配される神が、奴隷の苦しみの中にあったイスラエルの民を憐れみ、彼らをその苦しみから救って約束の地を得させるために、驚くべき御業をなさったことを、この短い詩の中に見事に描き出しています。どのような苦境にあるときにも、この詩を歌うことで、慈しみ豊かな神への信仰に目覚め、そこに堅く立つことが出来るようにされたことでしょう。信仰に立って賛美と祈りがささげられるとき、主なる神が親しく聞いて、民の苦しみを取り除き、その縄目から解放して下さるのです。

 これまで何度も学んだように、神はイスラエルの民を御自分の聖なる民、全地のすべての民の中から選び出された宝の民とされました。それは、彼らが他のどの民よりも貧弱だったから、神の愛のゆえにその恵みに与ったのです(申命記7章6~8節)。

 その愛のゆえに、異邦人である私たちも選ばれて神を礼拝する宝の民として頂くことが出来ました(第一ペトロ書2章9,10節)。イスラエルの救いのために大自然に働きかけられた神は、私たちを神の民とされるため独り子イエスをお与え下さったのです(ヨハネ福音書3章16節)。ここに神の愛があります。

 天のお父様、あなたの深い愛と憐れみのゆえに、心から感謝し、賛美をお献げ致します。かつては神の民ではありませんでしたが、今は神の民であり、以前は憐れみから漏れていましたが、今は憐れみを受けています。私たちを暗闇から驚くべき光の中に導き入れて下さった主の愛と恵みを、広く証しし、福音を宣べ伝えることが出来ますように。 アーメン

牧師家族研修会

今日は、宮崎は青島で、牧師家族研修会が行われます。
宮崎でのキリシタンの殉教について学ぶ予定です。
楽しみにしています。
そのため、午後2時半過ぎに大牟田を出発します。
戻って来るのは、明日の夜になります。
報告記事などを書くのは、もう少し後のことになりそうです。

まずは、これから教会学校、礼拝を守り、その後、CSリーダー会が待っています。
聖霊の導きを祈りながら、レッツ・ゴー!

点字記念日

11月1日は、点字記念日です。
点字は、視覚に障害を持つ人のために、平仮名に数字、ローマ字などを、六つの点で表記するものです。
日本語用の点字が定められたのは、今から118年前の1890年(明治23年)のことです。
それまでは、欧米の点字を利用したローマ字綴りによって表記されていたそうです。

当時、官立東京盲唖学校長・小西信八が、かな文字にあった点字の研究を教員や生徒らに依頼したところ、三つの案が出されました。
それらを検討した結果、東京盲亜学校の教員・石川倉次が考案した6点式点字案が、満場一致で正式に日本語の点字として採用されました。
その選考会が開かれたのが、今日なのです。

石川倉次先生はその後、点字器や点字タイプライターを開発し、「日本点字の父」と言われるようになりました。


私は20年ほど前に点字を習い、点字器を使い始め、2年後には点字タイプが打てるようになりました。
6点式点字は、実によく出来ています。
三つの点で母音を、三つの点で子音を表わします。
母音と子音の組み合わせということでは、ローマ字的というか、ハングル文字的といってよいでしょう。

興味のある人は、ウィキペディアの「点字」のページに、50音の点字表がありますので、下記をクリックして、ご覧になって下さい。
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E5%AD%97

点字器を使って点字を打つときは、鉄筆を使って紙に凹みをつけます。
点字を読むときは、その紙を裏返して、凸部を読みます。
そのため、書くときと読むときは、左右が逆転します。
書くときは、右から左に書きますが、読むときは、左から右に読むのです。
初めはごちゃごちゃにもなりましたが、じきに慣れて、読みと書きを正確に使い分けることが出来るようになりました。

点字は、指で触って読むものですが、目が見える人が点字を触っても、先ず読めるものではありません。
視力に障害のある人は、視覚を補うために聴覚や嗅覚、耳や鼻、皮膚感覚、記憶力などが非常に発達するようです。

かつては、栄養不足や病気などで、生まれながら、あるいは幼くして目が不自由という人が多くありましたが、現在は、栄養の摂り過ぎによる病気や事故などにより、中高年で失明されるケースが増えており、けれどもそういう人が指で点字を読めるようになるのは、なかなか困難でしょう。
目の不自由な人が糖尿病になって、指先の感覚が鈍くなり、点字が読めなくなったという話も聞きました。

皆様、食べ過ぎ、飲み過ぎにはお互い、注意しましょうね。
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