風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2008年08月

壮年大会に行って来ました

29~30日、第43回全国壮年大会が福岡は西南学院大学チャペルで開催されました。500名を目標に準備された大会でしたが、最終的に650名という、実行委員会の予想を大幅に超える人数で、大成功といってよいでしょう。
 
西南中ブラバン今回、西南中学ブラスバンドの演奏で大会が始められたのですが、九州の吹奏楽の大会で金賞を取ったというその演奏は、会の冒頭から聖霊の充満を思わせる素晴らしいものでした。

開会礼拝に続いて行われた総会では、懸案であった神学校献金についての連盟と全国壮年会連合との覚書きについて、ようやく決着を見ることが出来ました。これで、これまで以上に一致協力して献金を推進することが出来ると期待されます。
 
青野先生二日目の目玉は、神学部教授による模擬授業でした。私は、恩師・青野太潮先生の授業に参加しました。

今回、先生は、ギリシア語原典を読む面白さを説くために、「十字架につけられてしまったままのイエス・キリスト」(ガラテヤ書3章1節など)という箇所を取り上げられました。新共同訳聖書では、「イエス・キリストが十字架につけられた姿で」と、過去形で訳されています。それを、「十字架につけられてしまったまま」とするのは、この箇所の動詞は、実際には現在完了形の分詞が用いられているからです。つまり、ガラテヤ書著者のパウロは、死んで葬られた後、三日目に甦られ、天にお帰りになった主イエスが、今も十字架につけられたままでおられると記していることになるのです。それは、いったいどういうことなのでしょうか。それを考えるところに、原典を読む面白さがあるというわけです。
25年前、初めて先生の授業を受けたときのことが思い出され、初心に返って、原典をしっかり読みたいと思いました。
 
野中先生派遣礼拝の説教者は、福岡地方連合会長の野中先生でした。ヨハネ福音書16章25節以下の御言葉を通して、「壮年よ、高尚なる生涯を生きよう!」と語って下さいました。これは内村鑑三の「後世への最大遺物」という説教から採られたもので、内村はその説教で「私たちだれもが後世に残せる最大の遺物は、勇ましく高尚なる生涯だ」と説いているというのです。

「勇ましく高尚なる生涯」とは、この世は神の支配のもとにあり、よって失望ではなく希望の世の中であることを信じ、悲嘆ではなく歓喜の世の中であるという考えを生涯に実行し、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去る、そのような生涯を送ることです。つまり、私たちと共にいて下さる主イエスを信じる信仰によって生きる生き様そのものです。

確かに、今こそ信仰を働かせ、私たちがその生き様を通して、主の恵みを証しすべきときです。「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と仰って下さった主イエスの御言葉を信じて、自分の務めをしっかり果たすものでありたいと思いました。

なお、野中先生は、来秋の特別伝道集会の講師として、我が大牟田教会にお迎えすることになっています。 沢山の恵みを頂いて、帰って来ることが出来ました。主の導きに感謝致します。 (写真をクリックすると、拡大版を見ることが出来ます)

 大牟田教会HPのフォトレポートもご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0824.html

明日から福岡で全国壮年大会

明日から、福岡は西南学院大学のチャペルを会場に、日本バプテスト連盟に属する全国の諸教会から、壮年たちが集まり、全国壮年大会を開催します。
壮年大会といいながら、女性も多数参加して、参加者数が600名を超えたという話です。
大会の目的の一つは、西南学院大学神学部に学ぶ神学生に奨学金を提供するための神学校献金の推進方について話し合うことです。
有意義な協議が為されることを期待しています。
今回は、西南学院大学が会場なので、集まってくる壮年たちが、神学校の授業を体験します。
私も結構楽しみにしています。
むしろ、大変なのは先生方のほうでしょう。
記憶力、思考力共に心許なくなってきた壮年たちに、難しい神学用語などを用いず、どれだけ平易な言葉で、神学の面白さを分からせることが出来るかというところが、先生方の腕の見せ所というわけです。
オプションで、大学構内の聖書植物園巡りや神学寮ツアー、西南学院の博物館見学などが提供されています。

二日間教会を留守にすることになるので、火曜日から原稿作りのため、パソコンの前に座り続けています。
ようやく、幼稚園の月報や教会の週報などの原稿を仕上げることが出来ました。
ホントはブログ書いてる場合じゃないのに、なんて思いながら、でも、背後で祈って下さる方々の思いに支えられていますので、近況報告を続けたいと思ってます。
重ね重ね、宜しくお願い致します。

南へ北へ

朝は、教会関係のことで南は熊本へ出かけ、夕方は、幼稚園関係のことで北は太宰府へ出かけた。
今日の走行距離は、約230㎞。
途中でガソリン満タンにしたけど、少し前まで3000円を超えることは殆どなかった。
今は5000円持ってないと不安。
ただ、熊本市郊外はガソリンが安い。
会員だと1リットル175円という店もある。
そこに寄って現金で入れたら、178円だった。
大牟田よりは5円近く安い。
何故だろう?
理由は分らないが、嬉しい。
でも、そのためにだけ、熊本までは行けない。

学生時代、井上陽水の「東へ西へ」という歌がラジオでよくかかっていたのを思い出した。

 昼寝をすれば 夜中に眠れないのは どういう訳だ
 満月 空に満月 明日は愛しいあの娘に逢える
 目覚まし時計は 母親みたいで 心が通わず
 頼りの自分は 睡眠不足で
 だから ガンバレ みんな ガンバレ
 月は流れて東へ西へ


いつの間にか覚えて、時折口ずさんでもいた。
何だろう、特に意味があるとか、共感するものがあるということでもないのに。
1970年代半ばというのが、安保闘争に疲れ、学生運動が悲惨な形で終焉を迎えて、当時の若者は、無気力、無責任、無関心という三無主義、それに無感動を加えた四無主義という言葉で表現された。
それで、こういう現実を超越しているような歌が生まれて来たのだろうか。
その世代が今、世の中の責任ある地位についている。
あるいは、そろそろリタイアの時期を迎えている。
三無主義、四無主義を乗り越え、しっかり責任を果たせる壮年になれたのだろうか。

南へ北へ、よく走ったなあと思っていたら、こんな日記になった。

首里教会

無事、旅を終えて帰って来ました。

首里教会今回の主要目的は、首里教会を訪ねることでした。
首里教会は、2年前に宣教開始50周年を迎え、会堂を新しく建て直されていました。
1階は幼稚園舎、2階に礼拝堂という作りです。
斜面を利用しているので、礼拝堂が2階といっても、前の道路から駐車場を経て、まっすぐ礼拝堂に入ることが出来ます。

斜面利用幼稚園舎には、後ろの道路から、これまた階段などを使わずに入って来れるようになっています。
礼拝堂が階上にあるので、天井を高くすることが出来、また、天窓から明るい光が差し込むので、電気代を節約することが出来たそうです。
調先生の時代から使われている井戸が今も健在で、渇水のときにも涸れることがないので、本当に助かるとのことでした。

1階:園舎 2階:礼拝堂
建築委員長の中城兄が、会堂建築にチャレンジして、人の思いを超えた神の導きに与ったと言われていました。
大変なこともあったのだと思いますが、それだけに成し遂げることが出来て喜びも一入だったことでしょう。
何よりも、そのことで神の恵み、神がおられて、自分たちを助けて下さったという経験をされたことは、本当に素晴らしいことだったと
礼拝堂思います。
また、礼拝堂が新しくなって、以前からの教会員に加え、新しく教会に来られる方が増えたと、玉城牧師が仰っておられました。
新会堂建築に臨もうとしている私たちの背中を、神が優しく押しておられるような、そんなお話を伺うことが出来、まさに神の導きを感じさせられています。

(写真をクリックすると、拡大版を見ることが出来ます)

旅の始まり

旅に出るというほどの長旅ではありませんが、しばらく留守をします。
考えてみると、私の子どもの頃、家族で旅行したというのは、北九州から名古屋に引っ越すときの夜行列車の旅ぐらいでした。
父と汽車に乗った記憶は、父方の祖父が亡くなったとき、母との旅行は、母方の祖父が亡くなったときで、それ以外にはないような。
小さい頃、両親の里・鹿児島に行くのは、大学生の叔父や叔母の帰郷にお供するという状態でした。
そうそう、1年生の頃だったか、着ていた青いポロシャツのワッペンを見て、アメリカ人が敬礼をしてくれたことがあります。
なんでもそれは、騎兵隊の軍曹の位を示すものだったそうです。
ただ、そのとき自分は、誇らしげなどという心境とはほど遠く、青い目の大男が怖くて、早くどこかに行って欲しいというような思いでいたのではないか、と思いますが。
今回は、どんな経験が待っているでしょうか。
楽しんで来たいと思います。
では、行って参ります 


初メール

初めて、携帯から書き込みをしてます。
やってみると、意外と簡単でした。
これから、色々な方法でブログ日記を綴っていけそうです。

実は、今日から一週間、夏期休暇を頂きました。
明日大牟田を離れて、しばらく楽しい時を過ごす予定です。
公式サイトの更新が出来なくなりますが、その間、こちらに報告を載せても良いかな、と思っています。
実行出来るかどうかは、私の心がけ次第なのですが・・・?!嶺

8冠達成おめでとう

マイケル・フェルプス選手(米国人)が、出場した8種目(200m自由形、100mバタフライ、200mバタフライ、200m個人メドレー、400m個人メドレー、400mリレー、800mリレー、400mメドレーリレー)すべて優勝し、金メダルを獲得するという偉業を成し遂げました。

これは、驚くべきことです。
なにしろ、予選、準決勝を含めて、9日間で17試合をこなさなければならなかったからです。
その秘訣は、疲労回復の早さにあり、血中乳酸値が他の選手の三分の一しかなく、通常1時間かかるところを、フェルプス選手は20分で回復出来ることになります。
人の2倍以上食べ、そしてよく眠るということも、それに関係しているのでしょう。

前回のアテネ・オリンピックでも8種目に出場して、6種目で金メダルを獲得し、2種目は銅メダルでした。
オリンピック1大会で金メダル8個、総獲得数14個というのは、いずれも史上第1位です。
次の大会では、6種目で3連覇がかかり、これまでと同様8種目にエントリーして、メダルを獲得すると、これはもう“どうにも止まらない”状態になります。
可能性は低くないのではないでしょうか。

また、今回出場した8種目のうち、100mバタフライはオリンピック新記録、他はすべて世界新記録での優勝です。
平泳ぎ以外の種目は世界のトップレベルという、実にアンビリーバボーなフェルプス選手です。

フェルプス選手が水泳を始めたきっかけは、お姉さんが水泳の選手だったからということもありますが、少年時代に注意欠陥・多動性障害(ADHD)と診断され、有り余るエネルギーのはけ口として、母親が水泳を始めさせたのだそうです。
障害が水泳の天才を生み出したのであれば、それは「障害」ではなく、むしろ才能、あるいは有為な個性と考えるべきではないでしょうか。

何にしても、フェルプス選手、本当におめでとうございます。

女子大生の日

8月16日は、女子大生の日だそうです。
それは、今から95年前の1913年のこの日、東北帝国大学(現・東北大学)が女子受験生3人の合格を発表したからです。
これが日本で初めての女子大生の誕生でした。
東北帝国大学は、東京帝国大学(1886年)、京都帝国大学(1897年)に続く、第三の帝国大学として、1907年(明治40年)に仙台の地に設立されました。
帝国大学の受験資格は、当初、旧制高校卒業生に限られており、それはすべて男子校だったので、自動的に、帝国大学の入学者は男子だけだったのです。
その後、受験資格が高等工業学校、高等師範学校の卒業生にも広げられたため、女子高等師範の卒業生が入学試験に臨めるようになったわけです。
当初、文部省は女子の入学を考えてはいませんでした。
3帝国大学の内、東北だけが女子の受け入れを表明し、受験が行われました。
特に、化学科は難関で、合格者はわずか11人だったそうですが、うち2人が女子でした。

そのうちの一人は、佐賀県出身で理学博士となった黒田チカでした。
黒田チカは、天然色素の紫根の研究が認められ、東京女子高等師範(黒田の母校、現・お茶の水女子大)の教授に、女性で初めて招かれました。
その後、英国留学を果たし、帰国して東京理化学研究所(理研)で紅花の研究に打ち込み、紅花の色素カーサミンの分子構造を解明した研究論文が認められ、1930年(昭和5年)、日本女性として2人目、化学の分野では初めて、理学博士の学位を手にしました。

黒田チカが身を置いていた理化学研究所は、研究成果の社会還元のために理化学興業株式会社を設立し、理研で発明されたものを商品化していました。
感光紙(コピー紙)もそのひとつです。
黒田チカの実兄が佐賀の醸造元吉村家に養子に行っていた関係で、吉村商会が理研陽画感光紙の九州地区総代理店となります。
吉村商会には市村清という商売上手がいて、非常な勢いで感光紙の販売を伸ばし、その後、吉村商会から総代理店の権利を譲り受けます。
市村はその後、理化学興業株式会社の感光紙部長に抜擢、1936年(昭和11年)理研感光紙(株)として独立、2年後の1938年に理研光学工業(株)となります。
これが、今日の(株)リコーの出発点です。

市村清は、理研光学工業(株)の代表権を持つ専務取締役となりました。
その後、おしゃれの店三愛をはじめ、三愛石油、リコー時計、日米飲料(後の北九州コカ・コーラボトリング)、日本リースなど業種の異なる企業を次々と創業しました。
市村創業の企業集団を、リコー三愛グループといいます。
三愛とは、市村の提唱した「人を愛し、国を愛し、勤めを愛する」という三愛主義から採られた名です。

現在、うちにはリコーのコピー機、印刷機がありますが、それが、今日8月16日の女子大生の日と少なからぬ因縁を持っていたことが、思いがけず判明したわけです。
なるほどね~。

憲法9条

63回目の敗戦記念日の今日、えーるピア久留米で開かれた「ちくご地区平和を造り出す集い」に、知人を誘って参加して来ました。80名余りの人で、会場は一杯でした。今回は、小さい子どもも何人か参加していました。この手の集まりで、小・中学生を見るのは初めてだと思います。それだけ、今回の講師くずめよしさんの話が興味深いものだったわけです。本人は、「くずめよし先生」などと呼んでくれるな、「ヨッシー」と呼んでくれ、「よしさん」までは許容範囲だとの仰せでした。

数年前から、日本国憲法第9条をTシャツにプリントして、それを色々な国の人々に配る働きをしていることは承知していましたが、その広がりについて、その意味について、初めて知りました。

よしさんは、その働きを「種蒔きプロジェクト」とよんでおられます。きっかけは、作家の大江健三郎さんらが2004年に結成した「九条の会」のアピールでした。改憲を阻むため、「一人ひとりができる、あらゆる努力を、今すぐ始めること」という呼びかけから、多くの人が着るTシャツに憲法9条をプリントすることがひらめいたそうです。

私たちは憲法9条のお蔭で、朝鮮動乱やベトナム戦争などの国際紛争に巻き込まれず、戦場に兵士として赴くこともなく、平和の内に発展を遂げることが出来たのです。国を守るのは、武器や軍隊ではありません。むしろ、武器を持ち、軍隊があるので、戦争が起こるのです。イラクが戦場となったのは、大量破壊兵器を持っていると考えられたからです。

第二次世界大戦後、兵器を持たず、どこにも軍隊を派遣しないで平和の内に経済発展を遂げたことで、日本は安全な国として信頼を獲得して来たのです。憲法9条は、他の国に誇ることの出来る我が国の宝であり、そしてそれは、世界に与えることの出来る大きな希望なのです。

今年5月、東京・幕張メッセで「9条世界会議」が開かれ、世界中から3万人を超える人々が集まって会議を開き、そして、9条世界宣言なるものが採択されました。そこでは、「日本国憲法9条は、戦争を放棄し、国際紛争解決の手段として武力による威嚇や武力の行使をしないことを定めると共に、軍隊や戦力の保持を禁止している。このような9条は、単に日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることが出来るものである。9条世界会議は、戦争の廃絶を目指して、9条を人類の共有財産として支持する国際運動を造り上げ、武力によらない平和を地球規模で呼びかける」としています。

国際社会が自分たちの宝として受け入れようとしている憲法9条を、戦争したがっている我が国の政治権力者たちの手で改悪されてしまわないよう、むしろ、憲法は、国がこれを守るように定めているものであることを確認して、自分たちに出来る平和を造り出す働きに参画していきたいと思いました。

下の写真が、よしさんデザインの9条Tシャツで、裏には英語で9条が記されています。この活動にカンパした人は、Tシャツを手に入れることが出来ます。問い合わせは、よしさん(092・873・8657)へ 教会のフォトレポートもご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0810.html
 
9条Tシャツ

お盆

今朝、九州自動車道が帰省ラッシュのために渋滞しているというニュースがあったようですが、現在、九州内の高速、一般道共に車の流れは順調のようです。
夏休みの取り方、お盆の過ごし方が多様化して来ている上に、ガソリンの高騰で車の使用を控える人が多くなっているためでしょうか。

ところで、お盆は、旧暦の7月15日を中心に行なわれる祖先の霊を祀る行事ですが、仏教行事と認識されているものの、仏教の教義では説明出来ない部分も多く、神道の行事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形になったと考えられています。
「盂蘭盆」とはインド・サンスクリット語のウランバナ(「逆さ吊り」の意)を漢字音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味になりました。
お盆の行事は、釈迦の弟子の一人、目連尊者が母を救う、以下のような話に由来しています。
目連尊者は、自分の亡き母が餓鬼道(地獄)に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいることを知りました。
そこで、どうしたら母親を救えるのか釈迦に尋ねたところ、「夏の修行の終わる7月15日に僧侶を招き、供物をささげて供養すれば、母親を救えるであろう」と、釈迦は答えました。
目連尊者がそのとおりにすると、母親は無事、極楽往生を遂げたということです。
以来、旧暦の7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となったわけです。
とはいえ、この行事は元もと、釈迦が考えたものではないようです。
盂蘭盆のよりどころとされている「盂蘭盆経」は、「父母恩重経」や「善悪因果経」などと共に、中国で成立した偽経と考えられているからです。
もともと、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて祖先の霊を供養する行事となり、儒教の孝の倫理の影響を受けて、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう、ということです。
つまり、仏教が中国に伝わり、日本に採り入れられる過程で、様々な教えが混交してきたわけです。
その意味では、釈迦が日本のお盆の行事を見ると、びっくり仰天するのかも知れません。

ただ、彼岸や盆、正月といった節目のときに家族、親族が共に集い、安否を確認して互いの健康や幸せを祈ると共に、親や祖先に感謝することは、宗教などに関わりなく、大切にしてよい風習ではないでしょうか。
聖書には、「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」(出エジプト記20章12節、マタイ15章4節、19章19節など)という言葉があります。
親を殺した、子を殺したという事件を、もうそんなに驚かずに聞くようになった昨今、その大切さは重さを増しているとさえ思います。
命を大切にすべきこと、お互いに愛されるべき存在であることを、こうしたときにしっかりと確認し合いたいと思います。
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