「王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。」 歴代誌下10章15節

 ソロモンの死後、息子レハブアムがイスラエル4代目の王として即位しました(9章31節)。そこへ、ネバトの子ヤロブアムがやって来ました(2節)。彼は、ソロモンがイスラエルの民に課した苛酷な労役、重い軛を軽くしてくれるようにと願いました(4節)。
 
 レハブアムは先ず長老と相談しました(6節)。長老たちは、願いを聞いてやれと進言します(7節)。次にレハブアムは、自分に仕える同期の若者に尋ねます(8,9節)。若者たちは、もっと厳しくしてやれと言います(10,11節)。レハブアムは長老たちの勧めを捨て、若者の意見を採り入れて、ヤロブアムに厳しい回答を与えました(12節以下)。
 
 その結果、ユダとベニヤミンを除く10部族がヤロブアムと行動を共にするようになりました(16節)。それを見て、労役の監督ハドラムを遣わしますが、イスラエルの人々が彼を石で打ち殺したため、恐れをなしたレハブアムは戦車に乗り、エルサレムに逃げ帰ります。「わたしの小指は父の腰より太い。父が重い軛を負わせたのだから、わたしはさらにそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる」と豪語したレハブアムはどこへ行ったのでしょう。
 
 ここで、レハブアム王は何故、ヤロブアムの願いを聞き入れなかったのでしょうか。聖書はそれを、冒頭の言葉(15節)の通り、「神の計らいによる」と語っています。つまり、神御自身の手によって、長老たちの意見を採用しないよう、レハブアムの心が頑なにされ、若者の意見を採用するという愚かな判断に導かれたわけです。ということは、初めからイスラエルを二つに分裂させるおつもりだったということになります。
 
 何故神は、イスラエルを二つに裂くようなことをなさるのでしょうか。小国イスラエルが二つに分かれて争っていては、外敵に当たることは出来ません。主イエスも、「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまう」と仰っておられます(マタイ12章25節)。これは、神がそのようになさったのは、ソロモンが神の教えに聴き従わなかったからでした(列王記上11章9節以下)。主なる神は、二度も御自身をソロモンに現され、他の神々に従ってはならないと戒められたのですが、ソロモンはそれに従わなかったのです。
 
 ソロモンは主なる神より、契約と掟を守らなかったから、王国を裂いて取り上げると告げられておりました(同11節)。神が出されたこのイエローカードの告知を、ソロモンが悔い改めて神に立ち帰っていたならば、ヤロブアムが反旗を翻す事態になることはなかったかも知れませんし、また、ヤロブアムに背かれたときに神の御前に謙り、国が分裂しないで済むよう神に懇願したのではないでしょうか。けれども、ソロモンは、悔い改めすることが出来ませんでした。
 
 そこで神はヤロブアムにイスラエル10部族を託し、彼がダビデと同じように主に聴き従って主の道を歩むことを期待されたのです(同11章30節以下、38節)。つまり、神のご計画は、イスラエルを内部で分かれ争わせて滅ぼしてしまおうというのではなく、ヤロブアムによってイスラエル10部族をご自身に従わせることだったのです。
 
 預言者エレミヤが告げるとおり、神のご計画は災いではなく、平和の計画であり、将来と希望を与えるものなのです(エレミヤ書29章11節)。主を呼び、主に祈り求めるなら、主は聞かれ、主を尋ね求めるならば、主に会うことが出来ると約束して下さいました(同12,13節)。

 どのようなときにも主を求め、主に従って歩みましょう。わたしたちに救いをお与え下さるのは、主イエスのほかには、おられないからです(使徒言行録4章12節)。

 
 主よ、ソロモンの場合、地位や名誉、体面などが御前に謙ることの妨げになったようです。どんなときでも謙遜に御前に進み、その御言葉に耳を傾け、導きに素直に従うことが出来ますように。あなたのなさることが最善であり、主によってどんなマイナス状況も益とされ、将来と希望を与える平和の計画が実現するからです。 アーメン