風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

12月3日(日) 民数記27章

「あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。」 民数記27章20節

 12節以下の段落は「モーセの後継者ヨシュアの任命」について記しています。主はモーセに「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えた土地を見渡しなさい。それを見た後、あなたもまた兄弟アロンと同じように、先祖の列に加えられるであろう」(12,13節)と言われました。

 モーセは、兄アロンと共にイスラエルの民をエジプトから連れ出した後、40年に亘って荒れ野を導いて来ました。けれども、アロンもモーセも、また女預言者であった姉ミリアムも、約束の地に入ることは出来ませんでした。ミリアムはカデシュで死にました(20章1節)。アロンはホル山で息を引き取りました(同28節)。二人してモーセに不平を言ったことが、その理由でしょう。

 モーセは、メリバで民に水を与える際、神の御言葉を注意深く聞かず、主が「岩に向かって、水を出せと命じなさい」(同8節)と言われたのに、岩を二度打ちました(同11節)。それで主なる神は「イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」(同12節)と言われていました。

 そして、いよいよモーセにも、最期の時が近づいて来ました。ただ、モーセには、約束の地を見渡すことが許されました(12節)。アバリム山から約束の地を見渡したら、それがモーセにとって、地上の生の最期になるわけですが(13節)、モーセは反発するわけでもなく、取り乱すでもなく、素直にその御言葉を受け入れています。

 その上で、「どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください」(16,17節)と主に求めました。モーセは、どこまでも民の指導者としての使命を果たそうとして、自分が召された後の心配をしているわけです。

 主はその願いにすぐに応えられました。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エレアザルと共同体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい」(18,19節)と言われます。

 ここで、「霊に満たされた人」(イーシュ・アシェル・ルーアッハ・ボー)は、「霊がその人の内におられる」(a man in whom is the spirit)という言葉です。つまり、モーセが手を置いて自分の後継者として職に任じる前に、既に主ご自身がヨシュアを選び、その務めを果たすために必要な賜物を与えるため、彼の内に霊においてお住まいになっていたということです。

 主は、続けて冒頭の言葉(20節)で「あなたの権威を彼に分け与えなさい」と言われます。ここで、「権威」(ホード)という言葉は、普通「神の威光、尊厳」という意味で用いられるものです。それがここで「あなたの権威(ホード)」という言い方がなされるのは、モーセの有していた権威が神の権威、威光を表わすものであったということを示していると言ってよいのではないでしょうか。

 そのすべてをヨシュアに与えるというのではありません。原文は「あなたの権威から与えよ」(ナータッター・メー・ホーデハー)という言葉で、与えられるのが一部であることを示しています。だから、「権威を彼に分け与え」と訳されているのです。

 確かにヨシュアも傑出した指導者で、既に、エフライム族の長としてカナン偵察に派遣され(13章8節)、信仰に立って語り(14章7~9節)、約束の地に入る恵みを得ました(同30節)。

 しかし、「主は人がその友と語る王に、顔と顔を合わせてモーセと語られ」(出エジプト33章11節)ますが、ヨシュアは祭司エルアザルを通してウリムによる判断を聞かなければならないのです(21節)。

 これは、モーセのような指導者は、再び現れないということでしょうか。そうかも知れません。そしてそれは、一人の指導者によって導かれるのではなく、主に従う一人一人にその役割が分け与えられるというしるしなのでしょう。

 主なる神は私たちのために、神の御子イエスをお遣しになり、神の御心を教えてくださいます(ヘブライ書1章2節)。また、聖霊が私たちを導いて真理を悟らせてくださいます(ヨハネ16章13節)。それは、私たちがキリストに従い、福音宣教の使命を全うするためなのです(マタイ28章18節以下、ヨハネ15章16節)。

 聖霊に満たされ、霊の賜物とその力を頂いて、めいめいの使命を全うすることが出来るよう、御言葉と御霊の導きを祈り求めましょう。

 主よ、あなたは御子によって天地を創造され、力ある言葉によって万物を支えておられます。その御子が私たちの身代わりとして十字架に死なれ、私たちはその贖いによって活かされています。その深い恵みのゆえに、主に委ねられた使命を全うすることが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン



12月3日(日)主日礼拝説教

12月3日(日)主日礼拝には、教会員12名、来賓13名(子ども2名を含む)がお見えになりました。礼拝後の昼食会にも12名が参加されました。感謝です。

主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「主を待ち望む」
聖書 ルカ福音書7章18~35節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。

 

12月3日(日)主日礼拝案内

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12月3日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・ルカ福音書・主イエスの誕生物語から、共に聖書の学びと交わりを行います。

主日礼拝を10時半から行います。
11月26日(日)から12月3日(日)まで、世界バプテスト祈祷週間で、世界宣教を覚えて祈り、献金します。
礼拝では、世界祈祷週間のアピール、祈りが行われます。
また、ルカ福音書7章18~35節より「主イエスを待ち望む」と題して原田牧師の説教を頂きます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。



キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、昼食会(300円・自由参加)を行います。
初めておいでになった方は無料サービスです。
 

昼食会後、CSリーダー会を行います。



12月2日(土) 民数記26章

「その中には、モーセと祭司アロンがシナイの荒れ野でイスラエルの人々を登録したときに登録された者は一人もいなかった。」 民数記26章64節

 26章には「第二の人口調査」が記されています。それは主がモーセと祭司エルアザルに「イスラエルの人々の共同体全体の中から、イスラエルにおいて兵役に就くことのできる二十歳以上の者を、家系に従って人口調査しなさい」(2節)と命じて行わせたものです。

 1章に記されていた「最初の人口調査」では、部族ごとの家系の長の名が挙げられて、登録者数が記されていました。26章では、家系の長の代わりに氏族名が挙げられています。1章と26章で、数えられた部族の順番は、マナセとエフライムが逆転した以外に違いはありません。登録者総数は、一回目が603,550人だったのに対し、今回は601,730人でした。若干の減少というところです。

 部族毎に比較すると、最大部族は、ユダ族で1,900人増えています。第2位はダン族で、1,700人の増加になっています。一回目第3位だったシメオン族は37,100人減少させて最小部族になりました。

 シメオン族が数を減らした背景に、創世記34章のディナにまつわる事件や49章のヤコブの呪いがあります。また、人口調査の直前、ペオルのバアルを慕ったかどで災害が生じた際(25章1節以下)、ミディアンの女に惑わされたシメオン族の指導者ジムリが討たれたこと(同14節)もあるでしょう。

 一方、一回目最小だったマナセ族が20,500人増加して第5位になりました。増加率は断然トップです。マナセが増加した明確な理由を見いだすことは困難です。その時々に神に対して、また隣人に対していかに振る舞い、語ったかによって、登録された者の数に影響が出たということです。

 十戒の中で「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(出エジプト20章5,6節)と約束されている通り、自分の言動が自分だけでなく、子々孫々にまで影響を及ぼすわけです。

 同時に53節以下で、人数の多い部族には多くの、少ない部族には少しの嗣業の土地を与えよと言われており、今回の人口調査が、兵役のためだけでなく、嗣業の土地分配のためであることを表わしています。荒れ野の生活の中で神に祝され、その数を増した部族が、より多くの嗣業の地を取ることが出来るということになりました。

 冒頭の言葉(64節)は、この人口調査の結語です。驚くべきことに、40年前、シナイの荒れ野で登録された者は、一人もいないと言われます。40年前にも20歳以上50歳以下の者が登録されたわけですから、40年経った今、その人々は60~90歳になっています。「兵役に就くことができる」という条件があるので、二度目に登録される者が一人もいないというのは、当たり前なのです。

 けれども、一人もいないという報告は、60歳から90歳までの男性が、本当はいるけど登録されなかった、抹消されたというのではなくて、「主が、彼らは必ず荒れ野で死ぬと言われたから」(65節)と記され、「ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアを除いて、だれも生き残った者はなかった」ということですから、その世代の男性が実際にその二人しかいないというのです。

 これは、神に背いた古い世代が一掃されたということ、イスラエルの民が約束の地を嗣業の地として受けるという神の御計画に変更がないことをを示しています。そして神は、神の約束の地を受け継ぐ新しい世代のイスラエルの民が、神を愛し、その戒めを守ってあゆむように、期待しておられるのです。

 その民の中に、カレブとヨシュアがいます。約束の地を探る斥候の中で。この二人だけは、主が共におられ、必ず約束の地を与えてくださると主張しました(14章6節以下)。この信仰が彼らを救ったのです。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ書11章6節)。

 ヨシュアが、モーセの後継者として、イスラエルの民を約束の地に導き入れます。そして、先に召されたアロンに代わり、新しい世代の一人であるエルアザルが大祭司としての役割を受け継ぎ、モーセと共に登録者を数え上げました。

 絶えず主を仰ぎ、御言葉に信頼して歩みましょう。

 主よ、荒れ野の試みにおいて、多くの人々は不信仰、不従順のゆえに約束の安息に入ることが出来ませんでした。私には、ヨシュアやカレブのように信仰に立って行動出来るという保証はありません。だからこそ、あなたに依り頼みます。あなたから離れては何も出来ないからです。どうか、試みにあわせず、悪しきものからお救いください。 アーメン




12月1日(金) 民数記25章

「彼と彼に続く子孫は、永遠の祭司職の契約にあずかる。彼がその神に対する熱情を表し、イスラエルの人々のために、罪の贖いをしたからである。」 民数記25章13節

 25章には、モアブの野のシティムと呼ばれる場所でペオルのバアルという神を礼拝した物語が記されます。イスラエルの民がモアブの娘たちに惑わされ、主に背く行為をしたというのです。

 異邦人預言者バラムに主の御言葉が聞こえ、幻を見、聖霊の力に与ることが出来たのに(22章9節以下、24章3,4節、15,16節)、神に選ばれたイスラエルの民には、神の御告げが聞こえませんでした。ここにも、バラムとろばの関係に似た皮肉があります(22章22節以下)。

 出エジプト以来、偶像を拝んで神に背いたというのは、これが二度目です。最初は、十戒授与のためモーセがシナイ山に登っていて不在のおり、アロンが金の雄牛像を造ってそれを神として拝んだという出エジプト記32章の記事です。

 そのとき、モーセの召集令に応じたレビ人が(同26節)雄牛像を拝み、踊っていた民を打ち、3千人ほどの者が倒れました(同27,28節)。そして主は「わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する」(同34節)と言われました。

 イスラエルの民は、モアブの娘たちが神々に犠牲をささげるための食事に加わり、ペオルのバアルを慕うようになりました(2,3節)。18節の主の御言葉によれば、背後にミディアン人がいて、モアブの女性を利用してイスラエル人を巧みに惑わし、そうしてペオルの事件が引き起こされたものとされています。

 モーセに不満を抱いていた人々が、その惑わしに乗ってしまったということでしょうか。民の背きに憤られた主が、モーセに「民の長らをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日のもとにさらしなさい」(4節)と言われています。ということは、民の長たちだけではなく、多くの人々がその背きに加担していたわけです。だから、民の代表として長たちが捕らえられ、処刑されるのです。

 神の裁きが実行されようとして、共同体全体が主の御前に嘆き、悔い改めているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて入って来ました(6節)。それを見た祭司ピネハスがすぐさま立ち上がり、槍を手に取ってその二人を突き殺します(8節)。

 男はシメオン族のサルの子ジムリで、家族の指導者でした(14節)。女はミディアン人の部族の父祖の家の長ツルの娘コズビです(15節)。いわば、イスラエルに罪を犯させた首謀者の一人であったコズビが、シメオン族の指導者の一人であるジムリと共に処刑されることで、イスラエルを襲って既に2万4千人もの死者を出していた主の災いが、治まることになったわけです(8節)。

 かくて、主の憤りを治める働きをした祭司ピネハスに対して、冒頭の言葉(13節)の通り、その働きを、「彼がその神に対する熱情を表わし、イスラエルの人々のために、罪の贖いをした」と主は喜ばれ、①主の平和の契約を授ける(12節)、②彼とその子孫は、永遠の祭司職の契約に与る(13節)と約束されています。

 詩編106編28節で「彼らはバアル・ペオルを慕い、死者にささげた供え物を食べた」と、ペオルの事件に触れ、同30節に「ピネハスが立って祈ると、疫病はとどめられた」と記しています。ここに、神によってもたらされた「災害」(9節)を「疫病」といい、バアルを慕った者を討ち、悪を取り除こうとした祭司ピネハスの行為(7,8節)を「祈り」といっています。

 詩の作者は、神のために熱心に働くことを、神への祈りと告げているわけです。その働きにより、イスラエルの災害は治まり、民に平和がもたらされました。すなわち、祭司は祈りによって、イスラエルの平和に仕える働きをするわけです。平和の契約を授けるとは、そのことでしょう。

 また、「永遠の祭司職」について、詩編110編4節に「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司メルキゼデク」と記されています。その御言葉を引用しながら、ヘブライ書の記者は、主イエス・キリストこそ、永遠のメルキゼデクに等しい大祭司であると言います(同5章10節、6章20節など)。

 私たちは、キリストの贖いによって、神と和解することが出来ました。すべての罪が赦され、神の子とされ、永遠の命に与りました。神と和解することが出来た私たちには、和解のために奉仕する任務が授けられています(第二コリント6章18節)。神から頂いた恵みを無駄にせず、主に結ばれてしっかり立ち、主の業に常に励みましょう(第一コリント15章52節)。

 主よ、キリストの贖いにより救いに与ったことを感謝致します。そして、和解のために奉仕する任務が授けられたことを感謝します。私たちが今日あるのはすべて、主の恵みです。その恵みを無駄にせず、使命を全うすることが出来ますように。霊の力を受け、御言葉に従順であることが出来ますように。 アーメン






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