風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

ハッピー・イースター案内

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4月9日(日)から15日(土)まで受難週、16日(日)がイースター(キリストの復活祭)です。

14日(金 Good Friday)10時半より受難日礼拝、16日(日 Easter Day)10時半よりイースター礼拝・祝会(愛餐会を含む)を行う予定です。


写真をクリックするとPDFファイルが開きます。

ご覧ください。



 

4月16日(日)イースター礼拝案内

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4月9日(日)から受難週に入りました。

*14日(金・Good Friday)10時半より受難日礼拝を行います。
礼拝では、ヨハネ19章16~30節より「救いの完成」と題して説教を頂きます。

*16日(日・Easter Day)10時半よりイースター礼拝を行います。

礼拝では、ヨハネ20章11~18節より「なぜ泣いているのか」と題して説教を頂きます。

礼拝の中で「イースター・ストーリー」の劇があります。

礼拝後、愛餐会を含む祝会を行います。




 

4月15日(土) エフェソ書4章

「主は一人、信仰は一つ、洗礼(バプテスマ)は一つ。」 エフェソ書4章5節

 主を深く知り、その愛に満たされる祈りに導かれた教会に、4章から具体的な信仰の勧めを与えます。その勧めの基本は、「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み」(1節)と言われていることです。原文に「神から」はありませんが、敢えて意訳されています。

 「招き」(クレーシス)は「召し、召命」と訳される言葉です(口語訳など参照)。これは、特定に任務への招き、召しというのではなく、救いに導かれたことを指します。「招きにふさわしく」とは、主イエスの救いに与った者としてということです。それを「招き」というのは、呼び集められて教会を形作るためです。ここに述べられるのは、教会生活上の勧めと言うことになります。

 そこで先ず、「一致を保つように努めなさい」(3節)と言われます。主の広く、長く、高く、深い愛に根ざし、その愛に基づいて生活する教会が、分裂するはずはないからです。しかし、小さなすれ違いや誤解が分裂の種になります。どうしても馬が合わないという人もいます。

 そこで、「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保ちなさい」(2,3節)という言葉になるわけです。勿論それは、一致のための一致ではありません。私たちは主イエス・キリストによって贖われ、罪赦されて神の子となり、神の家族としていただいたのです。

 私たちが兄弟姉妹の絆で結ばれたのは、神の愛のゆえです(コロサイ3章12節参照)。私たちの内にキリストが住まわれ、永遠の命を与えていただいているのですから、同じ命に生かされている兄弟姉妹が愛し合うのは当然です。むしろ、喜びです。

 表現が適切でないかもしれませんが、私たちは主の命を移植されて生かされた兄弟姉妹なのです。共に主によって生きる者としていただいていることを喜び合う、そのために、謙遜、柔和や寛容、愛を伴う忍耐をもって「平和」に過ごすのです。それは、キリストこそ、平和だからです(2章14節)。それを「霊による一致」というのは、人間的努力で成し遂げることは出来ないということでしょう。

 4~6節は、「霊による一致」(3節)を勧告する根拠を示しています。この箇所は初代教会の讃美歌ではないかという注解者がいます。そこで「体は一つ、霊は一つ」(4節)と言い、冒頭の言葉(5節)で「主は一人、信仰は一つ、洗礼(バプテスマ)は一つ」(5節)、そして「すべてのものの父である神は唯一」(6節)。ここに「一つ」が連呼されます。

 「体は一つ、霊は一つ」(4節)は、キリストの体としての教会と聖霊の一致を示します。

 そして、冒頭の言葉を原文で見ると、「一つ」の男性形「ヘイス」、女性形「ミア」、中性形「ヘン」がそれぞれ、主(キュリオス)、信仰(ピスティス)、バプテスマ(バプティスマ)にあてられています。この用語法で、すべてのものが一つに結ばれていることを、象徴的に言い表しているようです。

 6節の「父である神は唯一」の「唯一」は5節の「一人」と訳されているのと同じ「ヘイス」です。それを「唯一」と強調された訳文になっているのは、イスラエルの基本的信仰告白の「我らの神、主は唯一の主である」(申命記6章4節)に合わせたのでしょう。

 かくて、4節に聖霊、5節に主イエス・キリスト、6節で父なる神と、三位一体なる神が教会の一致の根拠であるというのです。私たちを愛し、深く憐れんでくださった唯一の神が、私たちのために独り子イエスを遣わし、贖いの業を成し遂げられました。そして、聖霊によって主イエスを信じる信仰に導かれ、そうして私たちは救われました。

 洗礼=バプテスマは、私たちが古い自分に死に、主イエスの新しい命の中に浸されたことを象徴するものです。まさしく、唯一の神の愛により、神の独り子、主イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは一つの命につながるものとされたのです。

 一つの命につながり、一体となったということは、顔かたちがみんな同じになったということではありません。皆が同じことをしなければならないということでもありません。

 顔に目があり、鼻があり、耳があり、口があり、体に手があり、足があり、おなかがあり、背中があるというように、各々の形も機能も違います。私たちは互いに、キリストを頭とする体の一部分(第一コリント12章27節)、キリストを幹とする枝なのです(ヨハネ15章5節)。

 互いに違うことを認め、場合によっては馬が合わないことを認め合いながら、しかし、キリストを信じる信仰と聖霊の導きによって主の御業ために協力し合います。祈り合います。助け合います。神の愛と平和がダイナミックに働く教会となるように、主の恵みと聖霊の導きを祈りましょう。「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです」(ローマ書11章36節)。

 主よ、私たちは違いが気になります。外面の違いによって一致が阻まれます。どうか目を開かせてください。主イエスを信じる信仰により、同じ命に生かされている兄弟姉妹であることを喜び、平和の絆で結ばれ、聖霊による一致に導いてください。それによって私たちが神の招きに相応しい歩みが出来るようになるためです。栄光が永遠に主にありますように。 アーメン






コンテンポラリーダンス公演

静岡市文化・クリエイティブ産業振興センター企画のコンテンポラリーダンス公演&トーク、ワークショップの告知のお手伝いをします。


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*4月15日(土)19時~ コンテンポラリーダンス公演『暁ーDAWN』

 SWEDEN × SHIZUOKA Performing Arts Exchange Program in CCC

 第一部 公演『暁ーDAWN』『Neptune』『Requiem』

 第二部 ポストトーク「ヨーロッパでダンサーになるということ」

 会場 MIRAIEリアン・コミュニティーホール七間町(静岡市葵区七間町12-4)

 開場:18時半 開演:19時

 入場無料・予約不要

 出演:織田きりえ、ルーバ・ヘルグレン



*4月16日(日)18時~ コンテンポラリーダンス・ワークショップ

 会場 静岡市民文化会館リハーサル室

 定員 20名

 参加無料・要予約


 主催 静岡市文化・クリエイティブ産業振興センター(CCC)

 協賛 The Swedish Arts Grants Committee's International Dance Programme for Dance Artists(ダンスアーティストのためのスウェーデン芸術補助金委員会国際ダンスプログラム)

 企画協力 (株)オフィススノド(スノドカフェ)



※写真をクリックするとPDFファイルが開きます。ご覧ください。
 



 

4月14日(金) エフェソ書3章

「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ち溢れる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」 エフェソの信徒への手紙3章19節

 3章は、使徒パウロの異邦人伝道にかけたその使命を確認し(1~13節)、読者のための執り成しの祈り(1~19節)と頌栄(20~21節)をもって、手紙前半の教理的な部分(1~3章)をまとめ、後半の実践的な部分(4~6章)へとつなぎます。

 12節で「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」と言いますが、「神に近づく」というのは、2章18節に既に語られていた、教会の信仰の主要なテーマです。

 「主キリストに結ばれており」というのは、「エン・ホー:この方(主キリスト)において、この方の中で」という言葉です。キリストという大きな器の中に入れられているような、主イエスという衣を着せていただいているような状況を思い描きます。

 「キリストに対する信仰により」というのは、「ディア・テース・ピステオース・アウトゥー:彼(主キリスト)の信仰によって」という言葉です。これは「キリストの真実のお蔭で」という意味にも、「キリストを信じる信仰によって」という意味にもとれます。その両方の意味を受け止めて、「キリストの真実のゆえに、キリストを信じる信仰に導かれたお蔭で」と読みたいと思います。

 キリストの恵みの真実を味わい、キリストを信じる信仰に導かれ、キリストの内に、キリスト共に住まうならば、私たちははっきりとした「確信をもって」生きることが出来るでしょう。その確信があれば、「大胆に、神に近づくことができます」。
 
 パウロはキリストを信じ、熱心に福音を宣べ伝えました。その結果、何の不自由もない生活が出来るようになったというのではなく、むしろ様々な迫害を受け(第二コリント書11章23節以下)、最後は殉教の死を遂げることになります。

 パウロは牢の中で自由を奪われ、苦しめられていながら、死を目前にしていても、その心はキリストに結ばれて、キリストの真実を感じて、ますますはっきりとした確信に導かれていたのです。鎖に縛られ、番兵に囲まれて身動き出来ないような状態に置かれていても、その心は、大胆に神に近づくことが出来て、平安と喜びに包まれていたのです。

 ローマ総督やアグリッパ王の前で自分の回心の経験に基づき、キリストによる復活の希望を大胆に語り(使徒言行録26章参照)、そして、ローマ皇帝の前での裁判を望んでローマ送りにされたパウロですから(同25章11節)、どこでも誰に対しても福音を語り続け、常に信仰によって喜び、祈り、感謝していたことでしょう(第一テサロニケ書5章16~18節、使徒言行録16章25節参照)。

 14節以下に、この手紙で二つ目の祈りが記されています。これらの祈りを自分のための祈りとして学びたいと思います。「あなたがた」を「わたし」、あるいは「自分の名前」と置き換えて読むのです。

 「どうか御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもって私の内なる人を強めて、信仰によって私の心のうちにキリストが住まわれ、私を愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、私がすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超える愛を知るようになり、そしてついには、神の満ち溢れる豊かさに与り、それによって満たされるように」という祈りを神にささげるわけです。
 
 16節で「その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて」と聖霊の力を受けること、17節で「心のうちにキリストを住まわせ、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」とキリストにあって愛の実践者とされること、19節で「神の満ち溢れる豊かさのすべてに与り、それによって満たされるように」と神の充満を求めるという内容になっています。

 愛を知るということについて、18節に「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」と記されています。

 どんなものも受け入れるという神の愛の広さ、いつまでも愛し続け、顧み続けているという愛の長さ、そして、私たちを清め、天の御国の栄光を授けるという愛の高さ、黄泉にまでくだり福音を伝えられるという愛の深さ、これらは、神の愛から漏れる者など一人もいないということを、明確に示しています。

 そして、愛とはそういうものだと知的に理解するのではなく、まるでその愛の対象が自分一人であるかのように、私に注がれてくるものとして、神の愛を味わうことです。冒頭の言葉(19節)で、「人の知識をはるかに超える愛を知るようになり」と言われるのはそのことです。

 「神の満ち溢れる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」という言葉を直訳すると、「神の充満のすべてへと満たされるために」(ヒナ・プレローセーテ・エイス・パーン・ト・プレローマ・トゥー・セウー)となります(岩波訳参照)。これは、キリストの愛を知るとは、神の豊かさの中に浸され、満たされることであると知らされます。

 キリストは、私たちを神の豊かさのすべてを持って満たそうと、私たちに愛を注いでおられるのです。放蕩息子の父が兄息子に、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と語ります(ルカ福音書15章31節)。この言葉を、神はキリストを通して私たち一人一人に語っておられるのです。

 私たちが神の充満のすべてに与り、それに満たされるようにという祈りは、私たちのしたい放題のことが出来るようにということではありません。神のうちに充満しているものは、すべてを受け入れる広い愛、いつまでも変わらない長い愛、そして御国の栄光を授ける高い愛、黄泉にまでくだって福音を伝える深い愛です。

 そしてその愛が私たちに届くように、独り子を私たちの贖いのためにこの世に遣わすという、考えられないほどの愛です。その愛に満たされることが、霊の力を受けて内なる人が強くされることであり、キリストが心の内に住み、愛に根ざし、愛を基とした生活をすることなのです。ここに、三位一体なる神の本質が示されます。「神は愛だからです」(第一ヨハネ書4章8節)。

 この祈りをとおして、神の満ち溢れる豊かさのすべてに与り、それによって満たしていただきましょう。

 主よ、あなたは私たちの内に働く御力により、私たちが求めたり思ったりすることすべてをはるかに超えてかなえることがお出来になります。教会により、またキリスト・イエスによって、主なる神に栄光が世々限りなくありますように。 アーメン


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