風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2月6日(火) ヨシュア記22章

「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。あなたたちは主に対してこの背信の行為をすることなく、イスラエルの民が、主の手にかけられるのを免れさせた。」 ヨシュア記22章31節

 ヨシュアは、ルベン、ガド、マナセの半部族、即ち、先にヨルダン川東部のギレアド地方に嗣業の地を得ていた部族の人々を集め、ギレアド地方の自分たちの所有地に帰るよう指示を与えました(1節以下、4節)。それは、主が約束されたとおり、同胞に安住の地をお与えになったからです。

 ルベン、ガド、マナセの半部族の人々は、約束の地カナンに入る前、ギレアドを所有地として与えて欲しいと願い、モーセによってそれが許可されました(民数記32章)。そのときに出された、ギレアドの地の所有を認める条件は、彼らが武装して、他部族の者たちと共にヨルダン川を渡り、カナンを征服するために共に戦うということでした(同17,20節以下)。

 21章までにカナンの地の征服が完了し、土地の分配も終わったので、ここにヨルダン川東部のそれぞれの所有の地に帰る許可が出たわけです。

 帰る途中、彼らは、ヨルダン川を渡る前、ゲリロトに一つの祭壇を築きました(10節)。それを知った他の部族の者がシロに集まって協議し、彼らに軍を差し向けることにしました(12節)。21章44節に、「彼らに立ちはだかる敵は一人もなくなった。主は敵を一人残らず彼らの手に渡された」と記されていましたが、今ここに、新しい敵が出現したのでしょうか。

 イスラエルの人々は、先ず、祭司ピネハスとイスラエル各部族から1名ずつ、計10名の家系の長を遣わしました(13,14節)。それは、外国人のためではありません。ルベン、ガド、マナセの半部族がゲリロトに祭壇を築いたのは、異教の神々に仕える祭壇をゲリロトに築いたためではないかと考えたのです。それを確認するための祭司ピネハスの派遣でした。

 というのも、彼らが異教の神々を礼拝するために祭壇を築いたのであれば、それは、イスラエルの民全体の不幸を招く恐れがあるからです。かつて、シナイの荒れ野を旅していたとき、ペオルでバアルを礼拝して神を怒らせ、2万4千人が打たれて死ぬという災いを経験していました(17節、民数記25章参照)。

 また、アカン一人の背きが、イスラエル全体の苦しみとなり、そのために死んだ者も、アカン一人にとどまりませんでした(20節、7章1節以下)。ここに、またもや神に敵対する行為で神を怒らせ、神を敵に回すことになるのではないかと心配したのです。

 それに対して、ルベン、ガド、マナセ半部族の人々は、自分たちが祭壇を築いたのは、異教の神々を礼拝するためなどでなく、ギレアドに住む自分たちの子らと、カナンの地に住むイスラエルの子らとの間柄を示す証拠とするためであると答えました(24節以下、27,28節)。

 そもそも、ヨルダン川東部のギレアドの地、即ち自分たちの所領の側にではなく、西岸のゲリロトに祭壇を築いたのは、自分たちがそこでいけにえをささげて、神を礼拝しようとするものではないという思いを表わそうとしていたのでしょう。

 背景に、ギレアドの地はもともと約束の地ではなく、それを嗣業の地としたために、後に自分たちの子孫が社会的宗教的な差別を受けるのではないかという懸念があったのではないでしょうか。

 祭司ピネハスが「もしもお前たちの所有地が汚れているなら、主の幕屋がある主の所有地に渡って来て、わたしたちの間に所有地を持つがよい」(19節)と語った言葉の背後に、ギレアドの地のことを、異教の民が住んでいる汚れた地と見なす思いが滲んでいるようです。

 しかるに、祭司ピネハスとイスラエルの家系の長は、ギレアドに住む者らの答えに納得が行き、冒頭の言葉(31節)のとおり「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った」と言います。

 もしも、ギレアドに住む者らがゲリロトに祭壇を築いたことを神が咎めておられるなら、自分たちから神が離れてしまわれたことでしょう。だから、「主がわたしたちの中におられることを知った」というのは、ギレアドに住む人々の行為を主がよしとされたということを表わしています。

 さらには、「わたしたち」がカナンの地に住む10部族のことというより、イスラエル全家のことを指していると考えられるので、カナンの地に嗣業の地を得た自分たちだけでなく、ギレアドの人々の中にも、主がおられることを知ったという意味にもなります。

 そもそも、ギレアドを嗣業の地として求めたのは、ルベンとガドの2部族だったのですが(民数記32章1~5節)、モーセはそれに加えて、マナセの半部族にも領地を得させました(同33節)。

 その理由が明らかにされていなかったのですが、マナセ族がヨルダン川の東と西に別れて領地を持つことで、ギレアドの人々はイスラエルの民ではない、ギレアドは約束の地ではないと非難するのは誤りであるということを、それによって確認させようとしたのではないかと、今ここで示されます。

 主イエスが弟子たちの足を洗われたとき、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われました(ヨハネ13章7節)。神のなさっていることが今すぐには分からなくても、後から、「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った」という恵みに与る日が必ず到来することでしょう。

 主を信じ、御言葉を信じて、日々着実に歩ませて頂きたいと思います。 

 主よ、あなたのなさることはときに適って美しく、いつも最善であることを信じて感謝します。時に、そのことが分からず、主に向かって呟き嘆く者ですが、あなたはそれを感謝と喜びに変えてくださいます。見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎ、主がわたしたちの中におられることを常に知ることが出来ますように。 アーメン

 

2月5日(月) ヨシュア記21章

「主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。」 ヨシュア記21章45節

 21章には、レビ人に与えられる町と放牧地が記されています。これは、民数記35章で、主から命じられていたものです。その規定に従えば、レビ人の町は、およそ1千アンマ(約450m)四方の居住地の外側に幅1千アンマの放牧地があるというものです(同35章4,5節)。そのような町が48、各部族から与えられることになります(同7節)。

 レビ族は12部族中最小で、生後1ヶ月以上の男子が2万2~3千人というのですから(同3章39節、26章62節)、女性と合わせても5万人いるかいないかというところでしょう。ということは、48に分かれると、一つの町におよそ千人ずつ入るといった勘定です。

 そのようにレビ人の町が設けられたということは、彼らは、各部族の嗣業の地の中の割り当てられた町で、寄留民のような生活を送ることになったわけです。それはしかし、散らされた町々で、宗教家集団としての役割を果たすことが期待されているということでしょう。

 レビ人に割り当てられる48の町の内訳は、ケハトの諸氏族のうち、祭司アロンの子らには、ユダ、シメオン、ベニヤミン、つまり南ユダの諸部族から13の町(4,13節以下)、その他のケハトの子らには、エフライム、ダン、マナセ半部族から10の町が与えられます(5,20節以下)。

 また、ゲルションの子らには、イサカル、アシェル、ナフタリと、ヨルダン川東側のマナセ半部族から13の町(6,27節以下)、メラリの子らには、ゼブルンと、ヨルダン川東側のルベン、ガドから12の町(7,34節以下)で、合計48の町になります。

 レビ人の任務は、掟の幕屋の奉仕、幕屋や祭具の管理、運搬、警護などでしたが(民数記1章50~54節、18章22節)、彼らにあてがわれた48の町のうち、6つは「逃れの町」でもあります(13,21,27,32,36,38節、20章7,8節)。ということは、逃れの町に割り当てられたレビ人は、故意でない殺人を犯した人々を保護監督する役割をも担うことになったわけです。

 臨在の幕屋がシロに設置されてイスラエルの中心聖所となったので(18章1節)、幕屋の祭具などを運搬する任務は必要でなくなりました。イスラエルの全域に居住地が散らばることになるので、幕屋の警護を務めとするケハトの人々(民数記3章28節)以外は、シロの幕屋で働く務めに携わることもなくなるということでしょう。

 だから、祭司アロンの子ら以外のケハトの人々のために、シロの聖所のあるエフライムと隣接のマナセに割り当ての町を与えられたのでしょう。北方のダンから四つの町が与えられるのは、その理由に当てはまりませんが。

 このように、レビ族独自の嗣業の地が与えられず、イスラエルの各地に散らされて居住地に住み、その結果、レビ人の多くが神の幕屋の務めから解かれてしまうことも、ヤコブがシメオンとレビについて、「わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」(創世記49章7節)と、呪いを込めて語った祈りの言葉の実現なのでしょう。

 しかし、主なる神はこの呪いを逆手にとり、レビ人をイスラエルの間に散らすことで、逃れの町の管理運営、そこに逃れて来る人々の保護監督というような、神の御言葉を守り行うために仕える務めを、イスラエル各地で展開されるようになさったのではないでしょうか。勿論、神の御言葉を教え、信仰の指導をするといったことも、それぞれの町で、また、その町周辺の地域でなされたことでしょう。

 こうして、12部族にそれぞれ嗣業の地があてがわれ、レビ人もその任地が定まり、ここに、荒れ野を旅する生活が完全に終結することとなりました。ヨシュア記の著者は、冒頭の言葉(45節)のとおり、「主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した」と告げています。

 エジプトを脱出したイスラエルの民は、困難に出会う度に神の約束を疑い、何度、荒れ野で死ぬよりは、エジプトで奴隷をしていた方がましだったと嘆いたことでしょうか。何度、主なる神に背いて、異教の神々に頼ろうとしたことでしょうか。

 勿論、私には、そのようなイスラエルの民を責める資格はありません。思いがけない試練や苦しみを経験するとき、パニックを起して同じように御言葉を疑い、ぶつぶつと呟き、自分の不幸を嘆く者だからです。

 その意味で、、主がイスラエルに告げられた恵みの約束がすべて実現したというのは、文字通り、主の恵みです。イスラエルの民の不真実にも拘らず、神は、真実をもって行動されたのです(ローマ書3章3,4節)。

 パウロが語る通り、神がキリスト・イエスにおいて私たちに望んでおられる、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する信仰に、主の恵みによって、常に与らせて頂きましょう(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 主よ、おとめマリアが「お言葉どおりこの身に成りますように」と御言葉を信じ受け入れたように、御言葉は必ず実現すると信じる幸いを私たちにも授けてください。神に仕えるレビ人が全地に散らされて御言葉の奉仕をしたように、私たちをいたるところに遣わして、御言葉の恵みを証しさせてください。 アーメン




2月4日(日) ヨシュア記20章

「イスラエルの人々に告げなさい。モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、意図してでなく、誤って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。」 ヨシュア記20章2,3節

 イスラエル全部族への嗣業の地の割り当てが終了した後、冒頭の言葉(2節)のとおり、「逃れの町を定めよ」と、主がヨシュアに仰せになりました。

 逃れの町を定めるのは、過失によって人を死なせてしまった者が、正当な裁判を受ける前にその遺族から復讐され、「罪なき者の血」を流すことがないよう、保護するためです(3節)。それはたとえば、振り上げた斧の柄からその頭が抜けて隣人に当たり、死なせてしまったというような、過失による殺人の場合です(申命記19章5,10節)。

 逃れの町を定めることについては、出エジプト記21章13節、民数記35章6節以下、申命記19章1節以下に既に語られていました。主なる神がモーセに命じられていたことを、今ここでヨシュアによって実行させようとしておられるのです。

 ヨルダン川東側のギレアドの地には、三つの町が既に選ばれていました(申命記4章43節)。今回は、ヨルダン川西側のカナンの地に三つの町を選びます。それは、ナフタリ山地のケデシュ、エフライム山地のシケム、ユダの山地のキルヤト・アルバで、北部、中部、南部から一つずつ、その町が選ばれました。

 ほぼ60キロメートルおきに,逃れの町が置かれることになりました。徒歩で二日程度の道のりというところでしょうか。ということは、イスラエルのどこにいても、約1~2日あれば、逃れの町に辿り着くことが出来るということになります。

 逃れの町は、レビ人の居住する町でもあります(民数記35章6節)。そこには、神を礼拝するための聖所、いけにえをささげるための祭壇があったでしょう。

 ケデシュは、そもそも「聖所」という意味で、イスラエル国内に幾つもその名で呼ばれる町があったようです(ヨシュア記15章23節:ユダの地、カデシュ・バルネアのことか。歴代誌上6章57節:イサカルの地。歴代誌上6章61節:「ナフタリ族からはガリラヤにあるケデシュ」など)。

 シケムは、後にヨシュアがイスラエルの全部族を集め、イスラエルの民との間に契約を結び、掟と法を定めたとき(24章1節以下、25節)、「ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て」(同26節)ました。アブラハム以来の聖所がそこにあったのです(創世記12章6節)。

 そして、かつてキルヤト・アルバと呼ばれていたヘブロンは、甥ロトと別れたアブラハム夫婦が住み着いた町で、創世記13章18節に「ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた」と書かれています。マムレの樫の木は、シケムとの類比で、ヘブロンの聖所だったと考えてもよいでしょう。そこに、アブラハムが祭壇を築いて主の名を呼んだのです。

 主の聖所、祭壇のあるところが、逃れの町になるというのは、なかなか意味深いことです。出エジプト記21章13節に「故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合」という言葉があり、偶発的な事故を「偶然、彼の手に神が渡された場合」と言い、その人は神の定めるところに逃れ、神の保護が受けられるというのです。

 列王記上1章50節に「アドニヤもソロモンを恐れ、立って行き、祭壇の角をつかんだ」とあります。祭壇の角をつかんだのは、神の守りを願ったということでしょう。詩編61編5節の「あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り、あなたの翼を避け所として隠れます」という言葉からも、神の幕屋、聖所は、神の御翼の下、その庇護を受けることの出来る場所であるというように見ることが出来ます。

 そして、「彼は、共同体の前に出て裁きを受けるまでの期間、あるいはその時の大祭司が死ぬまで、町にとどまらねばならない。殺害者はその後、自分の家、自分が逃げ出して来た町に帰ることができる」(6節)とされます。裁きによって無罪が言い渡された場合の他、大祭司の死後、逃れの町を出て自分の家に帰ることが許されました。大祭司の死によって、故意ではない殺人の罪が贖われたと考えられたのです。

 この恵みは、主イエスの血による新しい契約において、さらに拡大されました。どのような人も、神の許に逃れ場を得、御子キリストの十字架の贖いにより、罪の赦しに与ることが出来ます。そこには、故意、偶然の区別はありません。

 それは、私たちの身代わりに、主イエスが十字架で私たちのすべての罪の罰を受けてくださったからです。主イエスは、神によって立てられた永遠の大祭司なのです(ヘブライ書4章14節以下、5章9,10節)。

 十字架の主の許に行くために、一日の道のりを歩く必要はありません。主は、十字架に死なれましたが、三日目に甦られました。今も生きて、私たちと常に共におられます。

 主イエスは、「インマヌエル」(私たちと共におられる神)という名で呼ばれるお方です(マタイ福音書1章23節)。そして、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(同28章20節)と約束してくださっています。

 共におられる主イエスに向かい、その罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、すべての罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださるのです(第一ヨハネ1章9節)。「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくため、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ書4章16節)。

 主よ、罪人の私たちのために、罪のない独り子が身代わりに罪を負い、十字架にかかって死んでくださいました。御子の命によって贖われた私たちです。その召しに相応しく整え、御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン






2月4日(日)主日礼拝説教

2月4日(日)主日礼拝には、教会員12名、来賓11名(子ども2名を含む)がお見えになりました。
礼拝後、12名の参加で第7回一日愛修会を行いました。
恵み豊かな一日を過ごすことができて感謝でした。


主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。
 
説教 「神の御業」
聖書 ルカ福音書8章26~39節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。





2月4日(日)主日礼拝案内

02
2月4日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・マルコ福音書から、共に聖書の学びと交わりを行います。

主日礼拝を10時半から行います。
礼拝では、ルカ福音書8章26~39節より「神の御業」と題して、原田牧師の説教を頂きます。

写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。

キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


教会学校、主日礼拝を通して、皆様に主の恵み、導きが豊かに広がりますように。

 
礼拝後、第7回静岡教会一日愛修会を行います。






 
livedoor プロフィール
記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • 2月18日(日)主日礼拝説教
  • 2月18日(日)主日礼拝案内
  • 第51回思想と信教の自由を守る静岡市民集会
  • 2月11日(日)主日礼拝説教
  • 2月11日(日)主日礼拝案内
  • 2月4日(日)主日礼拝説教
  • 2月4日(日)主日礼拝案内
  • 2月の御言葉
  • 1月28日(日)主日礼拝案内
  • 1月21日(日)主日礼拝説教
  • 1月21日(日)主日礼拝案内
  • 1月14日(日)主日礼拝説教
  • 1月14日(日)主日礼拝案内
  • 1月7日(日)主日礼拝説教
  • 1月7日(日)主日礼拝案内
livedoor 天気
J-CASTニュース
楽天市場
Amazonライブリンク
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ