風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

父の入院


入院の朝今年83歳の父が、先日、入院した。
写真は、その朝、診察に向かう父。

以前から心臓の具合が悪くて、10年前に不整脈のためにペースメーカーをつけてるし、弁膜症で人工弁に取り替えた。
動脈乖離という血管の内側が裂ける症状も出た。
首の下のところには大きな動脈瘤が出来ていて、いつお召しが来てもおかしくないという状態でここ数年過ごしている。

最近になって腎臓の働きも悪くなり、尿酸を排出出来ないのだそうな。
それで手足が腫れて痛みがあって、トイレに行くのも、ひどいときには這って行くような有様。
痛風みたいなことらしい。
家族としては、そろそろ最期のときが近づいたので、覚悟しろということなのかな、と思っている。
昨日は、両膝のみずを抜いてもらい、リハビリをしたら、楽になって、歩いてトイレに行くことも出来たと喜んでいた、と妹から連絡が来た。
各地で兄弟や信仰の友が祈ってくれているお蔭だと言ってたそうな。

旧約聖書に、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ記1章21節)という言葉がある。
何があっても、何がなくても、神様はほめ讃えられるべきお方。
父に何があっても、主なる神をほめ讃えよう。

南へ北へ

朝は、教会関係のことで南は熊本へ出かけ、夕方は、幼稚園関係のことで北は太宰府へ出かけた。
今日の走行距離は、約230㎞。
途中でガソリン満タンにしたけど、少し前まで3000円を超えることは殆どなかった。
今は5000円持ってないと不安。
ただ、熊本市郊外はガソリンが安い。
会員だと1リットル175円という店もある。
そこに寄って現金で入れたら、178円だった。
大牟田よりは5円近く安い。
何故だろう?
理由は分らないが、嬉しい。
でも、そのためにだけ、熊本までは行けない。

学生時代、井上陽水の「東へ西へ」という歌がラジオでよくかかっていたのを思い出した。

 昼寝をすれば 夜中に眠れないのは どういう訳だ
 満月 空に満月 明日は愛しいあの娘に逢える
 目覚まし時計は 母親みたいで 心が通わず
 頼りの自分は 睡眠不足で
 だから ガンバレ みんな ガンバレ
 月は流れて東へ西へ


いつの間にか覚えて、時折口ずさんでもいた。
何だろう、特に意味があるとか、共感するものがあるということでもないのに。
1970年代半ばというのが、安保闘争に疲れ、学生運動が悲惨な形で終焉を迎えて、当時の若者は、無気力、無責任、無関心という三無主義、それに無感動を加えた四無主義という言葉で表現された。
それで、こういう現実を超越しているような歌が生まれて来たのだろうか。
その世代が今、世の中の責任ある地位についている。
あるいは、そろそろリタイアの時期を迎えている。
三無主義、四無主義を乗り越え、しっかり責任を果たせる壮年になれたのだろうか。

南へ北へ、よく走ったなあと思っていたら、こんな日記になった。

首里教会

無事、旅を終えて帰って来ました。

首里教会今回の主要目的は、首里教会を訪ねることでした。
首里教会は、2年前に宣教開始50周年を迎え、会堂を新しく建て直されていました。
1階は幼稚園舎、2階に礼拝堂という作りです。
斜面を利用しているので、礼拝堂が2階といっても、前の道路から駐車場を経て、まっすぐ礼拝堂に入ることが出来ます。

斜面利用幼稚園舎には、後ろの道路から、これまた階段などを使わずに入って来れるようになっています。
礼拝堂が階上にあるので、天井を高くすることが出来、また、天窓から明るい光が差し込むので、電気代を節約することが出来たそうです。
調先生の時代から使われている井戸が今も健在で、渇水のときにも涸れることがないので、本当に助かるとのことでした。

1階:園舎 2階:礼拝堂
建築委員長の中城兄が、会堂建築にチャレンジして、人の思いを超えた神の導きに与ったと言われていました。
大変なこともあったのだと思いますが、それだけに成し遂げることが出来て喜びも一入だったことでしょう。
何よりも、そのことで神の恵み、神がおられて、自分たちを助けて下さったという経験をされたことは、本当に素晴らしいことだったと
礼拝堂思います。
また、礼拝堂が新しくなって、以前からの教会員に加え、新しく教会に来られる方が増えたと、玉城牧師が仰っておられました。
新会堂建築に臨もうとしている私たちの背中を、神が優しく押しておられるような、そんなお話を伺うことが出来、まさに神の導きを感じさせられています。

(写真をクリックすると、拡大版を見ることが出来ます)

平和祈念資料館

沖縄本島南部の沖縄平和祈念資料館を訪ねました。
首里陥落後、沖縄守備隊の司令部を移し、最後の抵抗を行った場所、守備隊司令・牛島中将が自決した摩文仁の丘に、資料館は建てられています。
ここには、沖縄戦開戦以来、多くの沖縄住民が避難しており、そこに司令部が移されたため、多くの住民が地獄の苦しみを味わうことになりました。
首里が落ちるとき、降伏することも出来たはずですし、南部に司令部が移されてからでも、米軍は降伏するよう勧告していたのですが、徹底抗戦と決められていたので、軍人よりも多くの一般住民が犠牲者となったのです。
なぜ、降伏の道をとらなかったのかといえば、本土決戦に備えて時間稼ぎをするためという、つまり、本土を守るための捨石にされていたわけです。
「アメリカに一矢を報いるまでポツダム宣言の受諾は出来ない」と昭和天皇が考えていたため、沖縄をはじめ、広島、長崎も、大変な犠牲を負わされることになったのです。
なんと愚かなことでしょう。
日本軍は沖縄を守りませんでした。
むしろ、沖縄の住民の多くが、日本軍のために犠牲になったのです。
戦争という行為が、人間をいかに愚かにするでしょうか。
いえ、戦争を行う人間がいかに愚かであるか、と言いましょう。
人間の愚かさで、愚かな人間のために、多くの人々が犠牲になることがあってはなりません。
「殺してはならない」、「剣をとる者は剣で滅びる」と聖書は教えます。
すべての人を殺す道具を平和のための道具に作り変え、国境によって人々が分断され、別れ争うということのない平和な世界が築かれるよう祈念して、資料館を後にしました。

首里城

沖縄についてホテルに入った後、すぐにモノレールで首里へ行き、そこから徒歩で首里城へ。
モノレールは、一日乗り放題600円です。
首里城公園の入り口までは徒歩で5,6分というところでしょうか。
そこから、首里城正殿入り口まで10分ほどアップダウンしながら歩きました。

守礼門これはご存じ、守礼の門です。

正殿は、どこもかしこも漆が塗られ、創建当時の琉球の繁栄ぶりを示しています。

特に、正殿2階は大庫理(うふぐい)と呼ばれ、王の特別な催し事に用いられたようですが、その中央に国王の座る御差床(うすさか:玉座のこと)がありますが、それは美しい彩色が施されていました。


首里城正殿
首里城がいつ創建されたのか、正式な記録は残っていないようですが、これまで、沖縄戦による消失を含めて4回、建て直されて来たそうです。
現在の首里城は、1712年に建てられ、沖縄戦で消失したものを、様々な資料を発掘して復元したのだそうですよ。




御差床
その豪華さを見るにつけ、かつて交易によって繁栄をほしいままにしていた時代と、日本に「復帰」したものの、土地の大半を米軍基地に取られ、思うように産業を興せず、日本一貧しいままに、基地に依存することを強要されているような現在を比べると、沖縄の戦後はまだ始まっていないという感を強くしました。

あ、首里城の入場料は800円ですが、一日モノレール券を持っていると、640円で入れます。
そのことに、首里城から出てから気がつきました。
間抜けですね。
悔しいですね。
今度来た時には、気をつけよう!
今度はいつかな? それまで憶えていられるだろうか?
もちろん、自信はない。

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