風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

5月2日(水)の御言葉 「全地の言葉を混乱させ」

「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」 創世記11章9節


 ノアの洪水の後、全人類は世界全地に広がって行きました。その原因を説明しているのが、今日の箇所のように思われます。

 「シンアルの地」(2節)とは、バビロン(南メソポタミア)のことです。そこには、石がなかった代わりにアスファルトが大量にありました。そこで煉瓦を焼き、漆喰代わりにアスファルトを用いるようになりました(3節)。そこで人々は、煉瓦とアスファルトを用いて、自分たちの野望を実現しようとしました。それは、「天まで届く塔のある町を建て、有名にな」ることであり、それによって、「全地に散らされることのないように」することです(4節)。

 これは、「あなたたちは産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」(9章7節)と言われた主の御命令に背くことであり、そしてまた、自分たちの力を神の前に誇示しようとすることでした。神は、「人が心に思うことは、幼いときから悪い」(8章21節)と言われていましたが、確かに人々は、洪水前も洪水後も変わらず、神に従うことを良しとせず、自ら神のようになろうとするのです(3章5節以下参照)。

 主は彼らの振る舞いを御覧になり、「彼らは一つの民で、御名一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」(6節)と言われ、人々の言葉を混乱させ、互いの言葉を聞き分けられないようにされます(7節)。

 このことによって、一致することの大切さ、その力の強さを教えられます。それは、主なる神ですら妨げられないと言われるのです。人々はそれを知っており、逆に、一致が乱され、全地に散らされることを恐れます。それにより、野望が妨げられてしまうからです。

 この恐怖心は、今も存在します。隣国を脅威に思う心は、国内に強いナショナリズムを呼び起こします。東日本大震災と原発事故の対応も全く不十分な中、北朝鮮のミサイル発射のニュースが飛び込んで来て、その対応のために自衛隊が動き、迎撃態勢がとられました。

 今回のような挑発行為は、北朝鮮の国内事情によるものでしょうけれども、しかし、現政権をはじめ、右よりの人々に、戦争出来る国作りを推進する絶好の口実を与える結果になったと思います。これからの政治の動きを、しっかり注目しておく必要があります。北朝鮮の動きによっては、核武装をさえ言い出しかねないからです。実際、原子力政策を変更しようとしない根っこには、それがあるとしか思えません。

 人は、素焼き煉瓦とアスファルトを得て、天にまで達する高い塔を建て、「バベル」(神の門)という町を作ろうとしました。しかし、得られたのは、言葉の混乱(バラル)でした。これは、アダムとエバが、神のようになろうとして禁を犯した結果、神との関係が壊れ、夫婦関係もおかしくなったことを思い出します。

 人がいかに高い技術や知識を獲得し、それによって神のようになろうとしても、実際に神域を作り出すことは出来ないのです。恐怖心で人の心を縛り、一つになって突き進んでいるつもりでも、そこにはしかし、混乱しかないのです。

 言葉が乱されて、思いの通じなくなった人々は、町を建てることが出来ず、そこから全地に散らされて行きました。それはしかし、刑罰などではありません。そもそも人々は、「産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」と神に命ぜられていたのであり、それがバベルの塔の事件で実行されたということだからです。

 主イエスが十字架で人々の罪の呪いを身に引き受け、贖いの業を完成された後、聖霊が下り、120人の信徒たちに力を与えたとき、彼らは、聖霊が語らせるままに、様々な国々の言葉で話し出しました(使徒言行録2章4節)。彼らはあらゆる国の言葉で、神の偉大な業を語ったのです(同8節以下、11節)。

 これは、バベルの呪いが癒されて、神の御言葉が回復したしるしでしょう。ゼファニヤ書3章9節に、「その後、わたしは諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える」、という預言がありますが、ペンテコステの出来事は、この預言の成就ということが出来ます。

 聖霊の満たしと導きを得て、自分たちの言葉で主の恵みを力強く証しする、主の証人にならせて頂きましょう。

 主よ、私たちの家庭で、私たちの社会で、私たちの国の至るところで、御言葉が語られ、その権威が回復しますように。国の指導者たちが、人を恐れるのではなく、主を畏れ、主に仕える真実な心と考えをもって、国の将来に資する正しい政治を行う知恵と力を与えて下さい。私たちを聖霊に満たし、主の恵みを証しする力を与えて下さい。 アーメン




5月1日(火)の御言葉 「洪水の後」

「ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。」 創世記10章32節


 1節に、「ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである」と記されています。冒頭の言葉(32節)に、「地上の諸民族は洪水の後、彼から別れ出た」と語られているとおり、ノアの子孫が全世界に広がって行ったわけですから、この系図は、すべての民族、氏族が一つの家系から出たということを表わしています。

 それは、神が、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(9章1節)と祝福して下さった結果です。そしてまた、箱舟で神がノアと、その家族を守って下さったからです。

 三人の息子たちの系図について、ヤフェトの子孫(2節以下)は、パレスティナ北方、並びに地中海沿岸の国々に広がっています。ハムの子孫(6節以下)は、パレスティナの南方の国々に広がっています。セムの子孫(21節以下)は、「エベルのすべての子孫の先祖」と記されています。

 「エベル」とは、ヘブライ人(イブリー)を指しているということでしょう。もともとは、「渡って来た」という言葉で、海や川の向こう側から移住してきた人々を意味します。地域的には、パレスティナ東方に広がっています。また、「セム、ハム、ヤフェトの系図」と言っておいて、セムが最後に取り上げられています。これは、セムの系図が最も重要なものであることを示しています。

 とはいえ、目につくのは、ハムの系図です。一番大きな分量を占めています。特に、ニムロドに私たちの目を集めています。彼は、「地上で最初の勇士となった」(8節)、「主の御前に勇敢な狩人であり」(9節)と言われます。動物を屠って食べることが許されて(9章3節)、狩人を生業とする者が登場したわけです。

 「最初の勇士」、「勇敢な狩人」で連想されるのは、動物を狩って生計を立てる者というより、猛獣と戦って町を守るという人物像です。町を守る者というイメージは、やがて「王」を示すようになります。10節に、「彼の王国の主な町は」と記されているように、ニムロドは彼の王国の権力的支配者となっています。

 ニムロドの出身地クシュはエチオピアを指しますが、彼の支配地域は、「シンアルの地」(10節)即ちバビロニアです。そこから、「アッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、レセンを建てた」と言われます(11,12節)。これは、歴史的な事実というよりも、イスラエルを苦しめた存在として、エチオピヤや、バビロン、アッシリアなどの名が挙げられているのです。

 ニムロドに、「主の御前に勇敢な狩人」という形容詞がつけられているのは、アッシリア、バビロンの王が神の使いとしてイスラエルを苦しめるのが、主の御心であったという表現ではないかと考えると、これは大変興味深いところです。それは、シンアルの地が、11章でバベルの塔の物語と結び付けられているからです(10節、11章2,9節参照)。

 6節に、ハムの子孫として「カナン」の名が挙げられています。民族的には、カナンはセムの中に入れられるべきものですが、カナンがエジプトの支配下に置かれていたという政治的理由と、パレスティナの支配を巡ってイスラエルと争い、特に、カナン人のバアルやアシュラという異教の神を祀る偶像礼拝が、イスラエルの純粋な信仰を迷わせたという点でも、イスラエルを苦しめたグループに入れられているのでしょう。

 21節に、セムが「ヤフェトの兄であった」と記されています。敢えてハムの兄であることが伏せられているのは、9章20節以下の出来事、ノアによる呪いが関係しているのでしょう。それ以外に注目すべき点はありません。

 11章10節以下のセムの系図で、「アブラム(後のアブラハム)」(26節)が登場して来ますが、本章では、未だそこに光を当てていません。「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ福音書3章9節)と言われますが、確かに神は、血筋や能力などではなく、恵みによっておのが民を選び、イスラエルを作り出されたのです。そして、その恵みによって、私たちも選ばれたのです。

 洪水によってすべてが完璧になったとは言われません。不完全なままです。しかし、そこに慈しみ深き主なる神がおられ、私たちに恵みを与えていて下さいます。常に主を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、御心に従って参りましょう。


 主よ、エベルの子ペレグの子孫としてアブラハムが生まれ、そして、ダビデが生まれ、やがて、ダビデの子孫としてキリストが世に来られます。それは、人が心に思い計ることは生まれたときから悪いという判断に基づき、人を生かすためになされた恵みの御業でした。その恵みによって私たちも救いに与り、神の民として頂きました。その召しにふさわしく歩ませて下さい。 アーメン




4月30日(月)の御言葉 「永遠の契約に心を留める」

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なる者との間に立てた永遠の契約に心を留める。」 創世記9章16節


 神は、箱舟を出たノアとその家族を祝福して、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(1節)と語られます。これは、神が最初に人類を創造されたときに祝福して言われた言葉(創世記1章28節)とほぼ同じです。ここに神は、洪水後、世界を改めて祝福され、神の御旨にかなう、「極めて良かった」(1章31節)と評価される世界を、再創造されたということになります。

 ここで、もともと人と動物に与えられていた食物は、木の実や青草だけでしたが(1章29,30節)、9章では、初めて肉食が許され、「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える」(3節)と言われています。

 これは、かつてアダムと女を守り、生かすために動物が屠られ、その皮で衣を作って着せられたように(3章21節)、人は、他の生き物の命によって支えられ、生かされているということです。

 ただし、肉食は許されますが、「命である血を含んだまま食べてはならない」(4節)と、注意書きがついています。「命である血」で、命と血は同格です。つまり、血は、命そのものと考えられているのです。

 レビ記17章11節には、「血はその中の命によって贖いをするのである」と記されています。動物の肉を食べることは許されましたが、血は命そのものとして、それを創られた神に属していて、人がそれを侵すことは許されません。屠った動物の血を神に献げることで、贖いをしているというわけです。

 ですから、人が屠った動物の血を飲むことは許されませんし、人の血を流し、その命を奪うことも、勿論許されません(5節以下)。これは、エデンの園の中央にある善悪の知識の木の実を食するのが禁じられたことと同じく、神の主権に関わる事柄なのです。

 ノアの家族の祝福の言葉に続き、神は、契約の言葉を語られます(8節以下)。神は、6章18節で、「わたしはあなたと契約を立てる」と言われていました。ここに来て、その調印が行われるのです。契約の内容は、「わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」(11節)というものです。

 これは、神がノアたちに保護を約束するもので、神に対するノアたちの忠誠などは、ここに求められてはいません。その意味では、神が一方的に宣言された契約ということになります。

 そのためなのかどうか分かりませんが、5章29節に「ノア」の名が記されてから、この契約締結の段落(9章8~17節)まで、ノア自身は全く口を開かいていません。この間、ノアが何を考え、どのように感じていたのか不明ですが、神がノアとその家族を御心に留められ(8章1節)、箱舟を出たノアが祭壇を築いて献げ物をしたことなどから、嫌々の忍従ではなく、感謝と喜びをもって神に聴き従っていたということでしょう。

 神は、「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる」と言われました(13節)。虹は、神と私たちの間に契約が結ばれたという証拠、契約書に押された証印のようなものです。「虹」は、原語では、「弓」(ケシェット)という言葉です。神は、「わたしの虹」(13節)と言われ、御自分の武器である弓を雲の中に虹として置いて、この地を二度と滅ぼさない、と約束されたわけです。

 さらに冒頭の句(16節)では、「永遠の契約」という言葉が用いられます。二度と滅ぼさないという約束が、永遠のものであるということです。そして、「虹が現れると・・・永遠の契約に心を留める」と言われています。虹が現れるたびに神が契約に心を留められるというのは、神が忘れっぽいというようなことではなく、繰り返し契約を思い起こす必要があるほどに、私たちが神の命に従わない、むしろ神を悲しませ、また憤らせるということでしょう。

 然るに神は、虹を見て、憤りではなく、憐れみと慈しみの心で私たちを愛し、恵みをお与え下さるのです。私たちも契約のしるしである虹を見て、主の恵みに喜びと感謝の賛美と祈りを捧げましょう。


 主よ、あなたが御心に留めて下さるとは、人間は何者なのでしょう。人の子は何者なのでしょう。あなたが顧みて下さるとは。私たちは主の御顔を拝し、御業を仰ぎます。心から御名を崇めます。御名の栄光を表わしてください。 アーメン




4月29日(日)の御言葉 「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣・・に心を留め」

「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」 創世記8章1節


 はじめに主なる神は、地上に人の悪が増したのをご覧になって(6章5節)、地上のものをすべてぬぐい去ろうとお考えになり(同7節)、洪水を起こされました(7章6節)。

 40日40夜降り続いた雨で(7章12節)洪水が起こり(同17節)、水かさを増してあらゆる高い山の上15アンマの高さにまでみなぎった水は(同19,20節)、冒頭の言葉(1節)にあるとおり、主がノアたちに心を留められて、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始め、第7の月の17日に、箱舟がアララト山の上に止まりました(4節)。動力も舵もない箱舟がアララト山に漂着したのは、すべて神の導きです。

 それから40日後、ノアは、水が引いたかどうかを確かめようと、まず烏を放します(7節)。続いて、鳩を放しましたが、止まるところを見つけることが出来ずに戻って来ました(9節)。その7日後、再び鳩を放すと(10節)、夕方になって鳩がオリーブの葉をくわえて戻り、水が地上から引いたことが分かりました(11節)。

 雨の降り始めから1年と10日後の第2の月の27日、地はすっかり乾き(14節)、神はノアに、箱舟から出よと仰せになりました(15節以下)。そこで、ノアとその家族、獣、這うもの、鳥、地に群がるものなどすべて、箱舟から出ました。(18,19節)。

 箱舟を出たノアは、主のために祭壇を築き、焼き尽くす献げ物を献げました(20節)。「祭壇」(ミズベーハ)は、いけにえの動物を「屠殺する」(ザーバー)という言葉から来ており、聖書中に403回出て来ますが、ここで最初に用いられています。

 ノアは、そのようにすることをいつ、どこで学んだのか、あるいはそうせよと命じられたのか、詳細は全く分かりませんが、箱舟を出て飲み食いしたり、住み着く場所を探すよりも先に、神にいけにえをささげて礼拝したのです。主に従う人は、「何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ福音書6章33節)という御言葉を実践する者であることが、ここに明確に示されているわけです。

 焼き尽くす献げ物の芳しい香りをかいだ主が語られたのが、21節です。神は、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と言われました。それは、洪水を経験した人々が、徹底的に悔い改めて二度と悪を行わないという決意をしたから、などということではありません。というのは、「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」と記されているからです。

 「常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって」(6章5節)というのが、洪水によって人を滅ぼそうとお考えになった理由でした。しかし、洪水後も、「人が心に思うことは、幼いときから悪い」と言われるということは、人間は、洪水の前と後で何ら変わっていない、ということになります。それならばなぜ、「呪うことは二度とすまい」ということになるのでしょうか。

 その問いの答えはやはり、冒頭の「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め」という言葉にあります。もしも、神がノアとその家族に目を留め、心を留めて下さらなければ、カルヴァンが言うように、人間の心に思い計る悪のゆえに、毎日洪水によって神の裁きを受けなければならないでしょう。

 義なる神の御前に、自分一人で立つことの出来る人間など、存在しません。皆、神の憐れみを必要としています。即ち、神が、その憐れみによって私たちに御心を留めて下さるのでなければ、誰も生きられないということです。

 それは、ノアにとってもしかりです。神がノアを御心に留められ、風を吹かせられたからこそ、水が減り始めたのです(1節)。そうでなければ、永遠に大水の上を漂っていなければならなかったのかも知れません。

 時折、私たちの周りで、思いがけない出来事が起こります。災害に見舞われる人がいます。悲惨な事件に巻き込まれる人がいます。それはしかし、神の呪いや罰などではありません。神は、「呪うことは二度とすまい」と仰ったからです。むしろ、神はその被害を蒙った人やその家族を心に留め、愛のまなざしを向けて下さるのです。
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 忍耐と慰めの源であり、また希望の源である神に信頼し(ローマ書15章5,13節)、導きに従って共に歩みましょう。

 主よ、私たちにキリスト・イエスに倣って同じ思いを抱かせ、私たちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせて下さい。どんな時にも、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで私たちを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせて下さるように。 アーメン




4月28日(土)の御言葉 「水は勢いを増して更にその上15アンマに達し」

「水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った。」 創世記7章20節


 主なる神はノアに、「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている」(1節)と言われました。ここに、ノアとその家族が箱舟に乗り込める理由が語られ、それは、ノアが主に従う人だと主から認められているからであると示されています。ということは、ノアの妻子や嫁たちは、ノアの信仰によって救われるということになります(使徒言行録16章31節も参照)。

 命じられたとおり、ノアとその家族、動物たちが箱舟に乗り込んだ後、「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされ」ました(16節)。主が門番となり、主に認められた者以外は箱舟に入れず、そして、計画通りに乗り込みが終了した後、主がその戸を閉ざしてしまわれました。主がご自分の権威をもって、堕落の道を歩んでいる者たち、彼らによって不法に満ちているこの地を滅ぼしてしまおうとされているのです(6章11節以下)。

 箱舟に乗り込めなかったものは、襲ってきた洪水によってことごとく死んでしまいました(21節以下)。ここに、定められた「とき」の厳粛さを思います。

 第二コリント書6章2節に、「今や、恵みのとき、今こそ、救いの日」と記されています。ここに、「恵み、救い」という言葉が語られるということは、恵みがなければ生きられないというか、救いを必要とする状況があるとも考えられます。

 神の恵みがあるようには見えない、神の救いの御手が伸ばされているとは思えない状況だけれども、今こそ神を信頼して、手を伸ばそう、心を開き、神を信じよう、今、神は恵みを与え、救いをもたらして下さるというメッセージであるように思います。そして、神の救いの招きは、いつまでも無限にあるわけではない、戸が閉ざされる「とき」が来るということです。

 戸が閉ざされて一週間、ノアたちは雨が降るのを待ちました(4節)。ノアたちが箱舟に入り、戸が閉ざされたのを見届けた他の人々は、一向に雨が降り出さない、洪水が起こらないというので、ますますノアたちを馬鹿にしたことでしょう。舟に乗り込んだノアの家族にも動揺があったかもしれません。

 けれども、一週間後、「大いなる深遠の源がことごとく避け、天の窓が開かれ」ました(11節)。40日40夜雨が降り続き(12節)、洪水が地上を襲いました(17節)。舟の中の者は守られましたが、船に乗らなかった者は息絶えてしまいました。神の恵みを無駄にしないようにしましょう。

 雨が降り続き、押し寄せた洪水は箱舟を押し上げ、箱舟は水の面に浮かびました。水は地の上にみなぎり、すべての山は覆われました。どこにも地を見ることが出来なくなりました。冒頭の言葉(20節)に、「水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った」と記されています。一番高い山の上、「15アンマ」、即ち6.75メートルの高さに水面があるということです。

 この記事、考えてみると実に不思議な言葉です。そもそも、あらゆる高い山の上15アンマに水面があるという言葉に、どんな意味があるというのでしょうか。そして、それをいったい誰が測ったのでしょうか。

 勿論、意味のないことが聖書に記されているはずはありません。この状況で水の深さを測ることが出来るのは、神とその御使いたちだけです。神が無意味なことをされるはずがありません。

 箱舟は、高さが30アンマでした(6章15節)。喫水線は舟の中央よりも上にあるはずですから、水面から一番高い山の頂上までの水深が15アンマであるということは、箱舟がそこにさしかかれば、舟の底が山頂に引っ掛かるということです。主なる神は、初めから水の量を測って、ちょうど舟が山の上に止まるようにされたわけです。

 8章4節に、「箱舟はアララト山の上に止まった」と記されています。水が引いたら、たまたまイスラエルの人々が知っているこの地方の最高峰(標高5,144メートル)のアララト山だったというのではなく、初めからきちんとそこに漂着するように、主は計算しておられたということなのです。

 私たちの目に事柄がどのように見えているとしても、神は絶えずそこで私たちに配慮して最善のことをなし、私たちを恵みへ、救いへ導こうとしていて下さるのです。

 主よ、あなたの恵みと導きを感謝致します。あなたはいつも最善のことをなしておられ、最善以下のことはなさらないと信じます。慈しみの御手の下に絶えず私たちを守り導いて下さい。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン






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