風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

12月21日の御言葉 「富んでいると見せて」

「富んでいると見せて、無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。」 箴言13章7節

 冒頭の言葉(7節)は、その文字面を眺めていると、確かに「人は見かけによらない」という思いが伝わって来ます。ぼろを着てても大金持ちかもしれないし、きらびやかな服を着てすごい車を乗り回していても、台所は火の車かもしれません。でも、私たちはその外見で人を判断します。だから、私たちも外見を飾ろうとします。なのに、自分の内面の貧しさに気づかないでいたりします。

 経済のことでなく、精神的なこと、霊的なこととして考えて、自分が内面の貧しさに気づけば、豊かになろうとして努力するでしょう。謙虚になって、謙遜になって学ぼうとすると、どんなことからも豊かに学ぶことが出来ます。貧しさを自覚するからこそ、熱心に学ぼうとし、そうすると、本当に心豊かに生きることが出来るでしょう。

 水戸黄門は、ちりめん問屋のご隠居という姿で世直しの旅をします。行く先々の悪を懲らしめます。「この紋所が目に入らぬか」と印籠を出したところから、ちりめん問屋のご隠居が天下の副将軍に戻ります。その圧倒的な権力の前に、悪人が平伏します。勧善懲悪の単純なドラマが視聴率を稼ぐというのは、世の中に様々な悪が、それも権力者による悪がはびこっているからでしょう。

 権力を持っている者が、将来を見通す見識を持って、正しい政治を行い、経済を導くなら、黄門様はいなくてもよい、ということになるでしょう。権力者だけじゃなくて、私たちは、明日が見えるでしょうか。明後日が見えるでしょうか。

 私たちが持っているもので幸福か不幸かが決まるなら、誰もが幸福になれるものを手に入れようと躍起になるでしょう。それを手に入れ損なった人は、不幸が確定するというような図式になりますね。でも、私たちに幸福を約束してくれるモノなど、ありません。確かに、欲しいと思っていたモノが手に入ったとき、嬉しいです。長い間待ち続けてやっと手に入れたときなど、その喜びは一入です。けれども、そんな喜びや感動は、時とともに失せ去ります。モノが与えてくれる喜びは、その程度のものでしょう。

 人間関係を考えて見ましょう。お互いに生きている者同士ですから、自分の思い通りになる関係などあり得ません。互いに山あり、谷ありです。順風のときも逆風のときもあります。笑うとき、涙するとき、悲しいとき、憤るときなど、様々な思いや感情をその時々に共有しながら、共にすごした長い年月が、やがて思い出となり、かけがえのない宝となります。

 聖書が語る豊かな「命」とは、まさにそのような、呼べば答える、打てば響く、生きた関係を指しています。呼んでも返事しない、反応しない、相手を無視してしまうなら、その関係は死んでいます。命がないわけです。お互いの関係を喜び合うために知恵を出し、我慢したり忍耐したり、時には少し諦めたりしながら、工夫して共に過ごすことをしなければ、深い豊かな関係、喜びや満足は生まれて来ません。

 そう考えてみると、神様は、私たちを神の子として喜び迎えるために、独り子キリストを犠牲にして、なんと長い間我慢を重ね、忍耐していて下さることでしょうか。神様の深い愛と憐れみがあればこそ、その強い思いがあるからこそ、私たちは今、主イエスを信じる信仰に導かれ、救いの恵みをいただくことが出来たのです。神ご自身が、とことん自分のものを与え尽くして貧しくなられたお蔭で、私たちは豊かさを味わわせて頂いているわけです。

 神様との関係をいよいよ豊かにするために、絶えず主の呼びかけに応答出来るよう、御言葉を聴き、信仰の祈りと賛美をささげたいと思います。

 主よ、私たちはあなたによって人生の真の目的を知らされ、希望と平安に与り、キリストにある悔いのない生涯を歩ませて頂いています。そのためにあなたが払われた犠牲を思うと、どれほど感謝しても、感謝しきれるものではありません。ただ、あなたが望まれる人生を、まっすぐ歩み通すことが出来るように、日々御言葉に耳を傾けます。導いて下さい。 アーメン

娘の婚約式


婚約式01昨日は、娘の婚約式を教会で行いました。
お相手は、東京で仕事をしている男性で、二人は、娘が神奈川の大学に通っているとき、相模の教会で出会いました。
なかなか好青年です。

二人の交際で驚かされているのは、ともかく毎日聖書を読み、そこから受けた恵みを毎日伝え合っていることです。
現在は、スカイプという道具があって、無料で通信し合えるし、携帯電話が海外でもつながることもあって、彼が海外への長期出張中というときも、また、私たちが家族で旅行している間でも、必ず通信し合っていました。

娘には、小さいときから、ともかく聖書を読むようにと教えていましたが、なかなか続けて読むことが出来ませんでした。
楽しみになる前に、読んでて眠くなるというパターンです。
ところが、いつ、どのようにして始まったのか分りませんが、二人の間で今もそのように、御言葉が読まれ続けているのです。
当に、奇跡を見ているようです。


婚約式03二人を通して、御言葉の恵みがさらに豊かにされ、広げられることを願っています。
負うた子に教えられるというときが、もうすぐそこに来ているのかなとも思います。

二人がキリストにつながり、彼らの内にキリストの御言葉が豊かに宿り、互いに信頼し、尊敬し合う、キリストの恵み溢れる家庭が主にあって築かれるよう、祝福を祈っています。

リンク集

大牟田教会HPのリンク集について

*日本バプテスト連盟所属教会関係
・南九州の「種子島新生キリスト教会」がホームページを開設されました。リンク集に貼り付けておりますので、是非ご覧頂きたいと思います。
種子島新生教会公式サイトのアドレス
URL http://www10.ocn.ne.jp/~kyokai/
「東熊本教会」は、サイトの模様替えをしておられます。
URL http://www.ne.jp/asahi/higashikumamoto/church/index.html ここは、よく模様替えが行われます。

・福岡の「福岡南教会」は、サイトを閉じられたようです。
リンク集から外しました。

・東京は「新小岩教会」のサイトは、表紙が何故か非常に重そうで、開くのに相当時間がかかります。
ご覧になりたい方は、辛抱強くお待ち下さい。

・北海道の「平岸教会」のサイトは、開けないことはないのですが「コンピューターに損害を与える可能性がある」とされています。
Googleなどで「平岸バプテスト教会」を検索されれば、上記の表示を見ることが出来ます。
このようなサイトにアクセスすると、気付かないうちに、また許可なく不正なソフトウェアがインストールされ、コンピュータのデータが削除されたり、パスワードやクレジット カード番号などの個人情報が盗用されたり、検索結果が改ざんされる可能性があるというのです。
安全性が確認されるまで、平岸教会をリンクから外しておきます。

*教会音楽関係
「新生讃美歌」のサイトが開けません。
リンク集から外しておきます。

*総合サイトの欄にある「Gospel Japan」のサイトがリニューアル工事中という関係で、「久米小百合」さんのサイトが閉じられています。リンク集から外します。

*その他
 ・「子どもNPOセンター福岡」 URL http://www3.ocn.ne.jp/~kodomocf/
「NPO子どもとメディア」 URL http://www16.ocn.ne.jp/~k-media/index.html
「子ども劇場福岡県センター」  URL http://www17.ocn.ne.jp/~f_kodomo/

子どもを取り巻く様々な問題に取り組んでいる団体のサイトです。ご覧下さい。

因みに、大牟田教会のリンク集のアドレスは、URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/link.html です。

12月14日の御言葉 「父の戒め、母の教え」

「わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。それをいつもあなたの心に結びつけ、首に巻きつけよ。」 箴言6章20,21節

 新共同訳聖書で冒頭の言葉が含まれる段落には、「父の諭し(8)」という小見出しがつけられています。子を諭す父の教えという設定の段落で、それがここで8回目になるいうわけです。子どものことを思って繰り返し、「わが子よ、父の教えを守れ。母の教えをおろそかにするな」(20節)、と語り続けているのです。

 こういう高圧的な表現には、「偉そうに、父親風吹かすな」という反発する思いが湧いて来るかもしれません。そして、そういう思いもまた、子どもが成長する段階で必要なことかもしれません。

 しかしながら、誰がなんと言おうと思おうと、親は親、子は子です。そこに理屈はありません。親だからこそ、言わなければならないことがありますし、子がそれをどう思おうと、分かっていてもらいたいと思うことがあります。だから口うるさくなりますし、くどくもなります。

 「百聞は一見にしかず」という言葉があります。象がどのような姿をしているか、目の見えない人が、ある人は足、ある人は尻尾、ある人は耳、ある人は腹をさわって、象はこういうものだと百回語って聞かせるよりも、全身を一回見せる方が正確に伝えられる、といった説明がなされます。確かに、一面の真理を表してはいます。見せて伝えなければならない情報もあるでしょう。

 しかし、それで分かるのは外観だけです。足の質感、耳の皮膚など、触ってみなければ分からないことがたくさんあります。象を一度見せて分からせたつもりになっていることと、象のあちこちに触れた感触について百回語って聞かせる人の気持ちと、どちらが子どもの心を動かすでしょうか。

 全身を見たこともないくせにと馬鹿にされようが、触っただけで分かったつもりなのかと言われようが、それを伝えたくて何回も何十回も語ろうとする思いにまさるものは、何もありません。

 親が子を思って語ることもそうでしょう。子どものことが全部分かるわけでもありませんし、これから子どもと自分の身に何が起こるのかなど、殆ど何も分かりません。でも、伝えたいことはうるさがられても、嫌がられても伝える、それが親です。

 主イエスは、祈るとき、神様を「天の父」と呼ぶように、教えて下さいました(マタイ福音書6章9節)。「父」とは、名前ではありません。関係です。私たちが神の子であり、神が私たちの父であるということです。

 キリストがこの世に来られたのは、私たちを神の子とするためだというのです。そして、私たちが子であることは、神が「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を私たちに心に送って下さった事実から分かる、と言われています(ガラテヤ書4章5,6節)。

 聖書中に、「愛」という文字が500回以上、「慈しみ」という文字も200回以上出て来ます。神が私たちをどんなに思っているのか、その言葉の数以上に、独り子キリストを私たちのもとに遣わし、十字架に贖いの供え物とされるという仕方で示されました。考えられないことですが、真実です。

 全身を私たちにあずけるように愛と慈しみを示されました。主が私たちに与えたのが、キリストが私たちを愛したように、私たちが互いに愛し合うように、という戒めです(ヨハネ福音書13章34,35節、15章12,17節、第一ヨハネ書3章11,23節など)。

 神が私たちを父親のように愛して、繰り返し語りかけていて下さる愛の言葉、恵みの言葉を、心に結び、首に巻きつけるようにいつも思い浮かべ、口ずさむようにして、神の御心を心として歩む者とならせていただきたいと思います。

 主よ、御名を崇めて賛美します。私はあなたからそのように愛を注いでいただく値打ちも資格もありません。そして、そのように熱い、深い豊かな愛にこたえる術もありません。ただ、あなたが語りかけて下さる言葉に耳を傾け、それを行わせて下さい、と祈るだけです。御名が崇められますように。 アーメン

幼稚園のクリスマス

今日、光の子幼稚園のクリスマス音楽祭が開催されました。
その様子の一端を、園のブログでご覧ください。
URL http://blog.livedoor.jp/hikarinokoyouchien/archives/276673.html

可愛らしくも真剣に演技する子どもたちの様子が覗えるでしょうか。
リハーサルまでは、舞台に立っていることも出来なかったあの子が、今日はちゃんと演技しているよといった、一人一人に感動のストーリーがあります。
神様が一人一人に、成長という、素晴らしいクリスマス・プレゼントを下さったのでしょうね。

ところで、今日は、「正月事始め」というのだそうです。
これは、正月を迎える準備を始める日のことです。
また、雑煮を炊くための薪や門松を作るための松を切りに山へ行く「松迎え」の日、新年を迎えるために大掃除をする「煤払い」あるいは「煤掃き」の日でもあるそうです。

今日、どこでもクリスマスを祝う習慣が定着しているため、正月事始めはクリスマス後という家が多いのではないでしょうか。

考えてみるまでもなく、ウチはそもそも異教の風習である門松など立てないし、掃除は家内に任せっきりなので、私の「正月事始め」は、ないことになっています。
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