風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

初メール

初めて、携帯から書き込みをしてます。
やってみると、意外と簡単でした。
これから、色々な方法でブログ日記を綴っていけそうです。

実は、今日から一週間、夏期休暇を頂きました。
明日大牟田を離れて、しばらく楽しい時を過ごす予定です。
公式サイトの更新が出来なくなりますが、その間、こちらに報告を載せても良いかな、と思っています。
実行出来るかどうかは、私の心がけ次第なのですが・・・?!嶺

8冠達成おめでとう

マイケル・フェルプス選手(米国人)が、出場した8種目(200m自由形、100mバタフライ、200mバタフライ、200m個人メドレー、400m個人メドレー、400mリレー、800mリレー、400mメドレーリレー)すべて優勝し、金メダルを獲得するという偉業を成し遂げました。

これは、驚くべきことです。
なにしろ、予選、準決勝を含めて、9日間で17試合をこなさなければならなかったからです。
その秘訣は、疲労回復の早さにあり、血中乳酸値が他の選手の三分の一しかなく、通常1時間かかるところを、フェルプス選手は20分で回復出来ることになります。
人の2倍以上食べ、そしてよく眠るということも、それに関係しているのでしょう。

前回のアテネ・オリンピックでも8種目に出場して、6種目で金メダルを獲得し、2種目は銅メダルでした。
オリンピック1大会で金メダル8個、総獲得数14個というのは、いずれも史上第1位です。
次の大会では、6種目で3連覇がかかり、これまでと同様8種目にエントリーして、メダルを獲得すると、これはもう“どうにも止まらない”状態になります。
可能性は低くないのではないでしょうか。

また、今回出場した8種目のうち、100mバタフライはオリンピック新記録、他はすべて世界新記録での優勝です。
平泳ぎ以外の種目は世界のトップレベルという、実にアンビリーバボーなフェルプス選手です。

フェルプス選手が水泳を始めたきっかけは、お姉さんが水泳の選手だったからということもありますが、少年時代に注意欠陥・多動性障害(ADHD)と診断され、有り余るエネルギーのはけ口として、母親が水泳を始めさせたのだそうです。
障害が水泳の天才を生み出したのであれば、それは「障害」ではなく、むしろ才能、あるいは有為な個性と考えるべきではないでしょうか。

何にしても、フェルプス選手、本当におめでとうございます。

女子大生の日

8月16日は、女子大生の日だそうです。
それは、今から95年前の1913年のこの日、東北帝国大学(現・東北大学)が女子受験生3人の合格を発表したからです。
これが日本で初めての女子大生の誕生でした。
東北帝国大学は、東京帝国大学(1886年)、京都帝国大学(1897年)に続く、第三の帝国大学として、1907年(明治40年)に仙台の地に設立されました。
帝国大学の受験資格は、当初、旧制高校卒業生に限られており、それはすべて男子校だったので、自動的に、帝国大学の入学者は男子だけだったのです。
その後、受験資格が高等工業学校、高等師範学校の卒業生にも広げられたため、女子高等師範の卒業生が入学試験に臨めるようになったわけです。
当初、文部省は女子の入学を考えてはいませんでした。
3帝国大学の内、東北だけが女子の受け入れを表明し、受験が行われました。
特に、化学科は難関で、合格者はわずか11人だったそうですが、うち2人が女子でした。

そのうちの一人は、佐賀県出身で理学博士となった黒田チカでした。
黒田チカは、天然色素の紫根の研究が認められ、東京女子高等師範(黒田の母校、現・お茶の水女子大)の教授に、女性で初めて招かれました。
その後、英国留学を果たし、帰国して東京理化学研究所(理研)で紅花の研究に打ち込み、紅花の色素カーサミンの分子構造を解明した研究論文が認められ、1930年(昭和5年)、日本女性として2人目、化学の分野では初めて、理学博士の学位を手にしました。

黒田チカが身を置いていた理化学研究所は、研究成果の社会還元のために理化学興業株式会社を設立し、理研で発明されたものを商品化していました。
感光紙(コピー紙)もそのひとつです。
黒田チカの実兄が佐賀の醸造元吉村家に養子に行っていた関係で、吉村商会が理研陽画感光紙の九州地区総代理店となります。
吉村商会には市村清という商売上手がいて、非常な勢いで感光紙の販売を伸ばし、その後、吉村商会から総代理店の権利を譲り受けます。
市村はその後、理化学興業株式会社の感光紙部長に抜擢、1936年(昭和11年)理研感光紙(株)として独立、2年後の1938年に理研光学工業(株)となります。
これが、今日の(株)リコーの出発点です。

市村清は、理研光学工業(株)の代表権を持つ専務取締役となりました。
その後、おしゃれの店三愛をはじめ、三愛石油、リコー時計、日米飲料(後の北九州コカ・コーラボトリング)、日本リースなど業種の異なる企業を次々と創業しました。
市村創業の企業集団を、リコー三愛グループといいます。
三愛とは、市村の提唱した「人を愛し、国を愛し、勤めを愛する」という三愛主義から採られた名です。

現在、うちにはリコーのコピー機、印刷機がありますが、それが、今日8月16日の女子大生の日と少なからぬ因縁を持っていたことが、思いがけず判明したわけです。
なるほどね~。

憲法9条

63回目の敗戦記念日の今日、えーるピア久留米で開かれた「ちくご地区平和を造り出す集い」に、知人を誘って参加して来ました。80名余りの人で、会場は一杯でした。今回は、小さい子どもも何人か参加していました。この手の集まりで、小・中学生を見るのは初めてだと思います。それだけ、今回の講師くずめよしさんの話が興味深いものだったわけです。本人は、「くずめよし先生」などと呼んでくれるな、「ヨッシー」と呼んでくれ、「よしさん」までは許容範囲だとの仰せでした。

数年前から、日本国憲法第9条をTシャツにプリントして、それを色々な国の人々に配る働きをしていることは承知していましたが、その広がりについて、その意味について、初めて知りました。

よしさんは、その働きを「種蒔きプロジェクト」とよんでおられます。きっかけは、作家の大江健三郎さんらが2004年に結成した「九条の会」のアピールでした。改憲を阻むため、「一人ひとりができる、あらゆる努力を、今すぐ始めること」という呼びかけから、多くの人が着るTシャツに憲法9条をプリントすることがひらめいたそうです。

私たちは憲法9条のお蔭で、朝鮮動乱やベトナム戦争などの国際紛争に巻き込まれず、戦場に兵士として赴くこともなく、平和の内に発展を遂げることが出来たのです。国を守るのは、武器や軍隊ではありません。むしろ、武器を持ち、軍隊があるので、戦争が起こるのです。イラクが戦場となったのは、大量破壊兵器を持っていると考えられたからです。

第二次世界大戦後、兵器を持たず、どこにも軍隊を派遣しないで平和の内に経済発展を遂げたことで、日本は安全な国として信頼を獲得して来たのです。憲法9条は、他の国に誇ることの出来る我が国の宝であり、そしてそれは、世界に与えることの出来る大きな希望なのです。

今年5月、東京・幕張メッセで「9条世界会議」が開かれ、世界中から3万人を超える人々が集まって会議を開き、そして、9条世界宣言なるものが採択されました。そこでは、「日本国憲法9条は、戦争を放棄し、国際紛争解決の手段として武力による威嚇や武力の行使をしないことを定めると共に、軍隊や戦力の保持を禁止している。このような9条は、単に日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることが出来るものである。9条世界会議は、戦争の廃絶を目指して、9条を人類の共有財産として支持する国際運動を造り上げ、武力によらない平和を地球規模で呼びかける」としています。

国際社会が自分たちの宝として受け入れようとしている憲法9条を、戦争したがっている我が国の政治権力者たちの手で改悪されてしまわないよう、むしろ、憲法は、国がこれを守るように定めているものであることを確認して、自分たちに出来る平和を造り出す働きに参画していきたいと思いました。

下の写真が、よしさんデザインの9条Tシャツで、裏には英語で9条が記されています。この活動にカンパした人は、Tシャツを手に入れることが出来ます。問い合わせは、よしさん(092・873・8657)へ 教会のフォトレポートもご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0810.html
 
9条Tシャツ

お盆

今朝、九州自動車道が帰省ラッシュのために渋滞しているというニュースがあったようですが、現在、九州内の高速、一般道共に車の流れは順調のようです。
夏休みの取り方、お盆の過ごし方が多様化して来ている上に、ガソリンの高騰で車の使用を控える人が多くなっているためでしょうか。

ところで、お盆は、旧暦の7月15日を中心に行なわれる祖先の霊を祀る行事ですが、仏教行事と認識されているものの、仏教の教義では説明出来ない部分も多く、神道の行事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形になったと考えられています。
「盂蘭盆」とはインド・サンスクリット語のウランバナ(「逆さ吊り」の意)を漢字音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味になりました。
お盆の行事は、釈迦の弟子の一人、目連尊者が母を救う、以下のような話に由来しています。
目連尊者は、自分の亡き母が餓鬼道(地獄)に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいることを知りました。
そこで、どうしたら母親を救えるのか釈迦に尋ねたところ、「夏の修行の終わる7月15日に僧侶を招き、供物をささげて供養すれば、母親を救えるであろう」と、釈迦は答えました。
目連尊者がそのとおりにすると、母親は無事、極楽往生を遂げたということです。
以来、旧暦の7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となったわけです。
とはいえ、この行事は元もと、釈迦が考えたものではないようです。
盂蘭盆のよりどころとされている「盂蘭盆経」は、「父母恩重経」や「善悪因果経」などと共に、中国で成立した偽経と考えられているからです。
もともと、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて祖先の霊を供養する行事となり、儒教の孝の倫理の影響を受けて、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう、ということです。
つまり、仏教が中国に伝わり、日本に採り入れられる過程で、様々な教えが混交してきたわけです。
その意味では、釈迦が日本のお盆の行事を見ると、びっくり仰天するのかも知れません。

ただ、彼岸や盆、正月といった節目のときに家族、親族が共に集い、安否を確認して互いの健康や幸せを祈ると共に、親や祖先に感謝することは、宗教などに関わりなく、大切にしてよい風習ではないでしょうか。
聖書には、「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」(出エジプト記20章12節、マタイ15章4節、19章19節など)という言葉があります。
親を殺した、子を殺したという事件を、もうそんなに驚かずに聞くようになった昨今、その大切さは重さを増しているとさえ思います。
命を大切にすべきこと、お互いに愛されるべき存在であることを、こうしたときにしっかりと確認し合いたいと思います。
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