風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

5月21日(土) エレミヤ書27章

「バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす。」 エレミヤ書27章8節

 1節に、「ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の初め」とありますが、ヘブライ語原典には、「ゼデキヤ」ではなく、「イェホヤキム」(26章1節の「ヨヤキム」のこと)と記されています。ただ、3節、28章1節などとの関連や、ここに記されている出来事が、これを「ゼデキヤ」と読むべきであると教えています。新改訳チェーン式聖書の脚注には、筆記者による誤記で、「ゼデキヤの第4年」とするべきであろうと記されています。

 「ゼデキヤの治世の初め」とすると、それは紀元前597年、ヨヤキンが捕囚としてバビロンに連行された後、バビロンの王がその叔父マタンヤを王とし、名をゼデキヤと改めさせたときのことです(列王記下24章15節以下)。

 そして、ゼデキヤのもとにエドム、モアブ、アンモン、ティルス、シドンの王の使者たちが遣わされて来たのは(3節)、バビロンの王ネブカドネツァルがシリアに遠征して来た紀元前594年頃のことだろうと考えられています。つまり、ゼデキヤの第4年ということになります。新改訳チェーン式の脚注は、このことを指していたわけです。

 バビロンの王を「ネブカドツァル」と呼ぶのは、本書中27~29章だけで、この箇所以外では、「ネブカドツァル」とされています。また、この箇所では、エレミヤを「イルメヤーフー」ではなく、短形の「イルメヤー」を用いています。この箇所が、これ以外の箇所とは違う形で伝承されてきた証拠と言ってよいでしょう。

 ただし、「ネブカドレツァル」は、この箇所以外ではエゼキエル書にそう記されるだけで、それ以外は「ネブカドネツァル」(列王記下24章1,10,11節、歴代誌上5章41節、エズラ記1章7節など)です。聖書辞典によれば、「ネブカドレツァル」が本来の名前に近いヘブライ語の音写で、「ネブカドネツァル」はアラム語に由来する呼び名ということだそうです。

 話を元に戻して、ネブカドネツァルはそのころ、外敵だけでなく、国内にクーデターが起こり、双方に対処しなければならないという大変な状態でした。それを機に、バビロンの重税に苦しめられているパレスティナ諸国の使者たちがゼデキヤのもとに集まり、この事態にどう対処すべきか、協議していたのです。

 そのときに主がエレミヤに臨み、冒頭の言葉(8節)の通り、「バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす」と告げさせました。主は、バビロンの王ネブカドネツァルを「わたしの僕」と呼び(6節)、彼に服従せよというのです。

 勿論、25章でも見たとおり、ネブカドネツァル自身に「神の僕」という意識があるはずもありません。これは5節で、「わたしは、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って云々」と言われているように、すべてのものが神によって創造されたのであり、その偉大な力と意志によって、すべてを支配しておられるわけで、その力と意志をもって、それをネブカドネツァルの手に委ねたと言われるのです(6,7節)。

 ただ、5節の「与える」(ナータン)という動詞には、3人称女性形単数の接尾辞が付属しています。「これを与える」という表現で、この動詞の前にある女性形名詞といえば、「大地」と「動物」です。単数形なので両方を指すはずはなく、ここでは文脈上「大地」を指していると解して、「大地を与える」と読むべきだと思われます。

 それは、神が創造された地球全体ということになりそうですが、著者が考えているのは、25章19~27節で見たような、当時のイスラエルの民が考えていた、エジプトからバビロンに至る「全世界」のことでしょう。

 その地がネブカドネツァルに与えられるということは、そこに住む人々を支配するということでしょう。だから、「これらの国を、すべてわたしの僕バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の獣までも彼に与えて仕えさせる」(6節)といい、さらに、「諸国民はすべて彼とその子と、その孫に仕える」(7節)というのです。

 そして、このときに「バビロンの王に仕えるべきではない」、「バビロンの王に仕えるな」というのは、神に背くことであり、そのように語るのは、偽りの預言者であり、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちという神の忌み嫌う者たちだというわけです(9,14節)。

 しかしながら、パレスティナ諸国は勿論、イスラエルの民も、このように語るエレミヤの預言に喜んで耳を傾けようとはしなかったでしょう。特に、バビロンの王ネブカドネツァルが「神の僕」であり、彼に服従せよと言われたとしても、彼自身が主に忠実に仕える神の僕であればまだしも、全くの異教徒なのですから、ネブカドネツァルに従うべきだという結論には、到底達し得ません。

 むしろ、「主なる神はイスラエルを愛し、異教徒ネブカドネツァルの手からこのエルサレムの都を必ず守ってくださる」という言葉を聞きたいと願い、「今こそ、一緒にバビロンから独立を勝ち取ろう!」と叫ぶ言葉に喝采を送りたいと思っているのです。

 もしもこのとき、ゼデキヤがエレミヤの言葉に従って、バビロンに仕えることを決断していたら、どういう結果になったのでしょうか。歴史に「タラレバ」は無意味かもしれませんが、町が破壊されたり、神殿が焼かれたりすることなく、民が捕囚となることも回避出来たかも知れません。

 そして、主なる神は、謙って御言葉に従うことを求められるのですから、そのように歩むイスラエルの民のためには、70年などと言わず、速やかにバビロンの軛を撃ち砕き、重い税負担などの支配から解放してださったのではないでしょうか。

 偽りの預言者が語る耳障りのよい言葉と、エレミヤの語る受け入れ難い言葉、いずれが真実な神の言葉であるのか、常日頃から主の御心を尋ね求め、その御言葉に聞き従っていれば、きっと聞き分けることが出来たでしょう。ゼデキヤをはじめ、イスラエルの民がそれを聞き分けられなかったということは、ずっと御言葉に聞き従ってこなかったということなのですから、その呪いを受けざるを得なかったわけです。

 主イエスは、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ福音書11章29,30節)と招かれます。

 ヘブライ書5章8節には、「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」と記されていました。その主イエスから柔和と謙遜を学ぶです。苦労が全くないはずはありません。「疲れた者、重荷を負う者」(同28節)に対する言葉ですから、その重荷の上にさらに苦労を重ねようというのは、どうしたことでしょう。

 しかしながら、「軛」は重荷を担うための道具ですし、「わたしの軛」とは、主イエスが用意されるものであり、また、主イエスが共に負ってくださるものということです。だから、そこには、苦労が苦労でなく重荷が重荷ではなくなる、真の安らぎがあります。

 移ろいゆく物に目を奪われないように、その状況に躍らされ、振り回されないように、絶えず御言葉に耳を傾けましょう。御心を弁え、聖霊の導きに従って、主に委ねられた使命を主と共に担い、備えられた主の道を共に歩ませて頂きましょう。

 主よ、私たちはあなたに感謝します。あなたは私たちを救われる神。あなたに信頼して恐れません。主こそわが力、わが歌、わが救いとなってくださいました。私たちの耳を開いて、いつも御言葉を聞かせてください。私たちの目を開いて、絶えず御業を拝させてください。そうして、どんなときにも主を仰ぎ、その御心を行う者となりますように。 アーメン





5月20日(金) エレミヤ書26章

「しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤを保護し、民の手に落ちて殺されることのないようにした。」 エレミヤ書26章24節

 「ヨシヤの子ヨヤキムの治世の初め」(1節)とは、ヨシヤがメギドで戦死し(列王記下23章29節、紀元前612年)、その子ヨアハズが王となって3ヶ月後、エジプトの王ネコは、ヨアハズをハマトの地リブラに幽閉し(同23章33節)、代わってヨシヤの子エルヤキムをヨヤキムと改名させて王位に就けたときということです(同34節)。

 ヨヤキムの即位後、間もない時にエレミヤが、主の神殿の庭で、「もし、お前たちがわたしに聞き従わず、わたしが与えた律法に従って歩まず、倦むことなく遣わしたわたしの僕である預言者たちの言葉に従わないならば-お前たちは聞き従わなかったが-わたしはこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする」という主の言葉を告げました(4~6節)。

 「シロのようにする」というのは、サムエル記上4章の出来事を指しています。そこには、ペリシテ軍との戦いにおいて、戦地に運ばれた神の箱が奪われ、同行した祭司エリの子らが死に、その報告を受けたエリも、息子の嫁も死んだという報告が残されています。

 それは、同3章13節で「わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く」と言われた主の言葉が成就したものです。

 そのとき、シロの神殿で何が起こり、シロの町がどうなったのか、サムエル記には何も記されていません。「この神殿をシロのようにし」というエレミヤ書の表現から、ペリシテとの戦闘で祭司エリの子らが打たれ、神の箱が奪われた際、勢いづいたペリシテによってシロの聖所が破壊され、町にも大きな被害があったのではないかと想像されます。

 そのことから、「わたしはこの神殿をシロのようにし」というのは、神の言葉に従わない王や祭司、預言者たちがとこしえに裁かれ、神殿は破壊され、その都は永遠にあらゆる国々に呪われるということになるでしょう。

 それを聞いた祭司、預言者たちとすべての民は、エレミヤを捕らえて、「あなたは死刑に処せられねばならない」(8節)と言います。バビロンに対抗するため、エジプトや周辺諸国と力を合わせ、国を挙げて戦わなければならないというときに、エルサレムの呪いを語るエレミヤは「非国民」であり、このような男を生かしておくことは出来ないというわけです。

 国粋主義者たちにとっては、主の名によって語るエレミヤの預言よりも、国の秩序を維持する自分たちの思いの方が重要で、彼が何を語ろうと、結論は同じなのです。そして、そのような神の言葉に耳を傾けない頑なな姿勢が、国を滅ぼすのです。

 そこにユダの高官たちが登場し、主の神殿の新しい門の前で裁きの座を設けます(10節)。祭司や預言者たちの思いのままにされるところに高官たちが介入し、法によらない暴力から救出された形です。そこで祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって、「この人の罪は死にあたります。彼は、あなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました」(11節)と訴えます。

 訴えに対し、エレミヤはあらためて、「お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない」(13節)と告げた後、「わたしはお前たちの手中にある。お前たちの目に正しく、善いと思われることをするがよい」(14節)と、自らを相手に差し出します。それは、彼の語る言葉が、自分の意見や考えではなく、まさに神の言葉であること、この預言を語る立場から一歩も退く考えのないことを示しています。

 それを見た高官たちと民のすべての者は、「この人には死にあたる罪はない。彼は我々の神、主の名によって語ったのだ」と言い(16節)、長老の数人も、預言者ミカのことを引き合いに出した上(18節)、「主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は彼らに告げた災いを思い直されたではないか。我々は自分の上に大きな災いをもたらそうとしている」(19節)と言って、祭司と預言者たちを批判します。

 しかしながら、祭司、預言者たちはそれに耳を貸そうとせず、ヨヤキム王はエリヤと同様の預言をしていたウリヤを殺しました(20節以下23節)。それは、エレミヤをも同様にするという行動です。さながら、モーセの前に頑なにされたエジプトのファラオのようです(出エジプト記7章3節など)。

 そのとき、冒頭の言葉(24節)のとおり、「シャファンの子アヒカムはエレミヤを保護し」ました。シャファンはヨシヤ王の書記官で(列王記下22章8節)、その子アヒカムと共にヨシヤの宗教改革を支援しました。また、アヒカムの子ゲダルヤは、第二次バビロン捕囚後のエルサレムを統治する総督に任命されています。

 こうしてイスラエルで重く用いられているアヒカム一族により、エレミヤは神の預言者と信任され、保護を受けたことで、彼の命を狙うヨヤキム王の治世に、それを批判する預言活動を続けることが出来たのです。まさに、「ヤーウェ・イルエ」、「主の山に、備えあり」(創世記22章14節)ではないでしょうか。エレミヤの使命がまだ終わっていないからこそ、彼は守られ、生かされているのです。

 私たちが生かされているのも、使命があるからです。めいめいに委ねられている主の使命を弁え知り、忠実にそれを実行することが出来るよう、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。 

 主よ、なぜウリヤは殺され、エレミヤが守られたのか、その理由はつまびらかではありませんが、その結果、エレミヤは預言者として、御言葉を語り続け、そして、それがどのような結末を迎えることになるのかを見ることになりました。それがエレミヤの使命でした。私たちも、主を信じ、一切を御手に委ねてその使命に励むことが出来ますように。 アーメン




5月19日(木) エレミヤ書25章

「それゆえ、イスラエルの神、主はわたしにこう言われる。『わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを使わすすべての国々にそれを飲ませよ。』」 エレミヤ書25章15節

 1節のはじめに、「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」とあります。これは、紀元前605年のことで、これは、「バビロンの王ネブカドレツァルの第1年」、即ちネブカドレツァルが王に即位した年にあたります(1節)。36章1節以下に、ネリヤの子バルクを呼んで、これまで語ってきた預言を書き留めさせたと記されているので、この箇所は、その預言集の序文か結語にあたるのではないかと考えられています。

 エレミヤは、「アモンの子ヨシヤの第13年」(紀元前627年)に預言者として召命を受け、以来605年まで、足かけ23年間、主の言葉を語り続けて来ました(3節)。それは、「立ち帰って、悪の道と悪事を捨てよ。そうすれば、主がお前たちと先祖に与えられた地に、とこしえからとこしえまで住むことができる」という言葉でした(5節)。

 4節の、「主は僕である預言者たちを倦むことなく遣わしたのに、お前たちは耳を傾けず、従わなかった」という言葉で、イスラエルの背きの罪は、出エジプトのとき以来繰り返されていて(出エジプト記32章1節以下参照)、その罪を指摘して悔い改めるように預言し続けられて来たのに、それに従わなかったということで、ここに、ついに主なる神の堪忍袋の緒が切れた、と語られているのです。

 紀元前605年は、アッシリアとエジプトの連合軍を、バビロンがカルケミシュにおいて撃破し、アッシリアがた年です。ヨヤキムは、父ヨシヤの死後、王位に就いたヨアハズがエジプトに幽閉され(列王記下23章33節)、代わって王位につけられました(同34節)。エジプトによる傀儡の王です。

 エジプトがバビロンに打ち破られたことで、その後ろ盾を失ったヨヤキムは、攻めて来たバビロン軍に降伏し、3年間税を納めますが、負担の重さに再び反逆しました(同24章1節)。ヨヤキムの死後、その子ヨヤキンが即位して3ケ月後、エルサレムを包囲したバビロンに降伏し、ヨヤキン王は捕囚とされます(紀元前597年・第一次バビロン捕囚、同24章10節以下)。

 ネブカドレツァルは、ヨヤキンに代えてマタンヤ=ゼデキヤを王とします(同24章17節)。そのゼデキヤが、再びバビロンに背きます。そこでネブカドレツァルが全軍を率いてエルサレムを攻め、陥落させます(同25章1節以下)。王宮、神殿は焼かれ、町は破壊され、殆どの民が捕囚としてバビロンに引いて行かれます。紀元前587年のことです。8節以下に預言されていたことが、ここに成就したわけです。

 9節に、「わたしの僕バビロンの王ネブカドレツァル」と記されています。これは、神がイスラエルを裁くための器として彼を召し、用いられたからですが、ネブカドレツァル自身には、主の僕とされたという自覚はなかったでしょう。もしも彼にその自覚があり、主に忠実に仕えていれば、「70年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する」(12節)と言われることはなかったはずです。

 冒頭の言葉(15節)で、「怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ」とエレミヤは告げられます。「怒りの酒の杯」は、神の裁きを示す象徴的なものです(イザヤ書51章17節以下、哀歌4章21節、ハバクク書2章16節参照)。

 これは、罪の疑いをかけられた人が、毒の入った杯を飲むことなどで無罪か有罪かを証明する、「神明裁判」の習慣に由来する象徴だという注解を見ました。

 詩編116編に、「救いの杯を上げて主の御名を呼び、満願の献げ物を主にささげよう、主の民すべての見守る前で」(13,14節)という言葉があります。死の恐怖に襲われる危機的な状況から、主なる神に救われた喜びを「救いの杯」と象徴的に表現しているわけです。

 ここで、救いの出来事がおきたとき、それが逆に「怒りの酒の杯」として与えられた相手があるかも知れません。「主の日」が、救いの御業を完成される主キリスト・イエスの到来を意味すると共に、それによって悪が裁かれ、滅ぼされることを意味するのと同様です。

 怒りの酒の杯を飲ませよと言われているのは、「エルサレムとユダの町々」(18節)だけでなく、南のエジプト(19節)から少しずつ北上して、ウツ(20節、ヨブ記1章1節、哀歌4章21節)、地中海沿岸のペリシテ(アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドド:20節)、死海の南からエドム、モアブ、ヨルダン川東部のアンモン(21節)、北方のティルス、シドン(21節)で、イスラエル周辺諸国が挙げられます。

 さらに、海の向こうの島々(22節)や、アラビア半島のデダンとテマとブズ(23節)、アラビア(24節)、ジムリ(25節)、そしてペルシアのエラムとメディア(25節)、最後にシェシャク(バビロン:26節)で、ここにイスラエルの人々の知る全世界が提示されています。すべての国々が主なる神の御前で酒の杯を飲まされます(17節)。神の御前で、それが「怒りの杯」か、「祝福の杯」か、問われるわけです。

 パウロが「主の晩餐」について記しているところで(第一コリント書11章17節以下)、「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです」(同29節)と語っています。

 「わきまえる」というのは、「ディアクリノー」(区別する、見分ける)という言葉です。「主の体」なる教会を、他のものと区別する、聖なるものとするという表現です。

 主の体であるキリストの教会を形作る信徒の交わり、キリストによって呼び集められた群れが、神の御前にあってその救いを共に喜び祝う群れであるか、それとも神を怒らせて裁きをその身に見に招くような群れであるか、主の晩餐をもって試されていると告げているようです。

 キリストの贖いの恵みに与った者として、常に御霊に満たされ、その導きを受けて一つとされ、共にキリストの身の丈にまで成長させていただき、神の栄光を表すものとしていただきましょうましょう。

 主よ、あなたの富と知恵と知識とはなんと深いことでしょう。主の定めを究め尽くし、その道を理解し尽くすことなど、誰にも出来はしません。私たちは計り知れない愛と憐れみのゆえに、救いの恵みに与りました。ただ感謝をもって御名をたたえ、喜びをもって御言葉に聴き従うのみです。聖霊に満たされ、主の恵みの証人として用いてください。栄光が永遠に主にありますように。 アーメン






5月18日(水) エレミヤ書24章

「イスラエルの神、主はこう言われる。このところからカルデヤ人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう。」 エレミヤ書24章5節

 エレミヤが、神殿の前に置かれていた、いちじくの入った二つの籠を見ました(1節)。それは、幻だったのでしょうか。実際に神殿に献げられた供物だったのでしょうか。一つの籠には、「初なりのいちじくのような、非常に良いいちじく」が入っていました。もう一つは、「非常に悪くて食べられないいちじく」でした(2節)。

 悪くて食べられないいちじくは、それが神に献げられた供物であるなら、形だけの、内容の伴わないものということで、それを献げた人の信仰を、神が喜ばれるはずがありません。

 そのとき、冒頭の言葉(5節)のとおり主の声があり、「このところからカルデヤ人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう」と言われ、続けて、「彼らに目を留めて恵みを与え、この地に連れ戻す。彼らを建てて、倒さず、植えて、抜くことはない」(6節)と告げられました。

 さらに、「わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとに帰って来る」(7節)と語られます。

 一方、「ユダの王ゼデキヤとその高官たち、エルサレムの残りの者でこの国にとどまっている者、エジプトの国に住み着いた者を、非常に悪くて食べられないいちじくのようにする。わたしは彼らを、世界のあらゆる国々の恐怖と嫌悪の的とする。彼らはわたしが追いやるあらゆるところで、辱めと物笑いの種、嘲りの的となる」(8,9節)  と言われました。

 ゼデキヤ王とエルサレムの残りの者たちを「恐怖と嫌悪の的」、「辱めと物笑いの種、嘲りの的」とするために主は、「わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って、わたしが彼らと父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす」(10節)と告げられました。 

 この預言が語られたのは、エコンヤ王(1節、列王記下24章6節以下ではヨヤキン)がバビロンに連行され、ゼデキヤが王として立てられた直後のことではないかと思われます(1節、列王記下24章17節以下)。

 列王記によれば、ヨヤキンもゼデキヤも、「主の目に悪とされることをことごとく行った」(列王記下24章9,19節)とされています。ということは、一方は良いいちじくと言われ、もう一方が悪いいちじくと言われるのは、それが二人の評価ということではあり得ません。

 この良し悪しは、バビロンに連れて行かれた人々と、エルサレムに残り、あるいはエジプトに逃れた人々の、行く末に起こることを言い表しています。

 バビロンに連行された人々は、後にエルサレムに戻ることが許されます(6節)。そして、主を知る心が与えられ、彼らは主の民となり、主が彼らの神となると言われます(7節)。これは、主なる神と彼らとの間に新しい契約が結ばれることを示しています(31章31節以下、出エジプト記19章5,6節参照)。

 一方、エルサレムに残り、あるいはエジプトに逃げた人々は、辱めと物笑いの種、嘲りと呪いの的となり(9節)、剣、飢饉、疫病を送って滅ぼし尽くされます(10節)。

 実際のところ、ゼデキヤ王は傀儡であり、ヨヤキンが捕虜とされていたにも拘わらず、バビロンに反旗を翻したため、剣と飢えに見舞われ(列王記下25章1~3節)、手ひどい仕打ちを受け(同5~7節)、町は破壊され、焼き払われました(同9,10節)。

 それに対してヨヤキンは、捕囚となって37年目に獄から出され、バビロンの王エビル・メロダクによって手厚くもてなされ、王と食事を共にすることになったと、列王記下25章27節以下に報告されています。ヨヤキンがそのようにもてなされることになったということは、彼と共に捕囚とされた人々に対しても、寛大な措置がとられたかも知れません。 

 一方は恵み、一方は呪い、その違いがどこから来たのでしょうか。よく分かりません。神がバビロンに連れて行かれた人々を憐れまれたと答えるほかはないでしょう。

 もしかすると、ゼデキヤ王を初め、エルサレムに残った人々は、バビロンに連行された人々のことを憐れに思っていたかもしれません。エルサレムは神の都で、その神殿に神がおられるので、この町にいればこそ、神の憐れみに与ることが出来ると考えていたかもしれません。また、エジプトに逃れた人々は、そこで力をためて、エジプトやイスラエル周辺諸国と共に、再びバビロンに反旗を翻すときを待とうと考えていたのでしょう。

 しかしながら、主なる神は、神殿の置かれた神の都、エルサレムという場所が、民に恵みを与えるのではないこと、エジプトの力、周辺の国々の結束などが将来の希望につながるものではないことを、イスラエルの民に悟らせられます。

 そもそも、イスラエルがバビロンに降伏し、エコンヤ(=ヨヤキン)が捕囚となったとき、エルサレムの町やその神殿は、何の助けにもなりませんでした。彼らが主の目に悪とされることを行い、主の怒りを買っていたからです。

 ゼデキヤはエジプトや周辺諸国を頼りとして、バビロンに反旗を翻しましたが、結局、町も神殿も、バビロンによって焼かれ、破壊されてしまいます。エジプトに代表される目に見えるものに頼る策は、それが全く信頼に足るものとはならないことを思い知らされる結果となったのです。「呪われよ、人間に信頼し、肉なるものを頼みとし、その心が主を離れ去っている人は」(17章5節)と言われていたとおりです。

 主なる神は、人々がまことの神を知り、真心をもって主に仕え、主を礼拝することを求めておられるのです。主は今、私たちを良いいちじくのように見なし、恵みを与えてくださいます。主こそ神であることを知り、真心をもって主に仕えましょう。御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。

 主よ、あなたは放蕩息子に、本心に返る導きをお与えになりました。それは、私たちのことでもあります。罪人に過ぎない私たちに恵みを与え、「わが子よ」と呼んでくださいます。その恵みに応え、霊とまことをもってあなたを礼拝する者、その使命に励む者とならせてください。耳が開かれますように。目が開かれますように。心が開かれますように。 アーメン






5月17日(火) エレミヤ書23章

「彼に世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる。」 エレミヤ書23章6節

 1節に、「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と記されています。ここで、「牧者」と言われるのは、10章21節21,22章で言及されたゼデキヤ(21章1節、列王記下24章18節以下)、シャルム(22章11節)、ヨヤキム(同18節)、コンヤ(同24節)に代表される、ユダの王たちのことを指すと考えられます。

 牧者には、羊を養い育てる務めがあります。しかし、王たちは、羊を養い育てるどころか、かえって羊の群れを追い散らす結果を招いてしまいました。ですから、主なる神は、彼らの悪い行いを罰すると言われるのです(2節)。即ち、エルサレムの都が敵の手に落ち、民は捕囚としてバビロンに連行されます。ダビデ以来およそ400年続いて来た王朝は、ここに潰えたのです。

 ところが、追い散らされた羊の群れを再び集め、もとの牧場に帰らせ(3節)、その群れを牧する牧者を立てると言われます(4節)。その牧者について、「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う」(5節)と語ります。これは、イザヤ書11章1節の、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」という言葉を思わせます。

 ダビデ王朝は、神への背きと悪しき行いによって断ち切られます。「エッサイの株」というところが味噌です。エッサイはダビデの父です。エッサイからダビデにつながる部分で断ち切られているわけです。そこに、ダビデ王朝の王たちに対する神の裁きが示されます。しかし、その切り株から再び芽が出、若枝が伸びます。つまり、ダビデの子孫から、新しいイスラエルを牧する正しい王が生まれるということです。

 この王は、「正義と恵みの業」を行い、国が栄えます(5節、22章3節参照)。そこで、冒頭の言葉(6節)のように「彼の世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる」のです。

 ここに、ユダとイスラエルが並んで語られています。ソロモン王の没後、イスラエルは南北に分裂し、南はユダ、北はイスラエルと称しました。エレミヤがこの預言を語っているとき、既に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、その民はアッシリア帝国の各地に散らされていました。そして、これから南ユダがバビロンに滅ぼされ、民は捕囚とされることになります。

 「ユダヤ救われ、イスラエルは安らかに住む」ということは、正義と恵みの業を行う新しい王が立てられて、イスラエル12部族が再建され、ユダとイスラエルが再び一つとされると、エレミヤは告げているのです。

 その王の名は、「『主は我らの救い』と呼ばれる」ということですが、原文では、「主は我らの義(ヤハウェ・ツィドケーヌー)」という言葉遣いになっています。

 「主は正義」という名前というと、ダビデ王朝の最後の王「ゼデキヤ(ツィドキヤーフー)」を思い起こします。しかし、ゼデキヤは、主が立てた王ではなく、ヨヤキンに代わり、バビロンが傀儡の王として立てた人物でした(列王記下24章17節)。そして、「彼はヨヤキムが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」(同19節)と評価され、その結果、「ついに御前から捨て去られることになった」(同20節)と断じられています。

 あらためて、「義」とは、神との正しい関係を意味しています。その罪ゆえに裁かれ、北の地に散らされた民が帰国を許され、一つの群れとなれるのは、民の正しい行いのゆえではなく、神の憐れみのゆえです。その意味で、「我らの義」とは、神の救いを表しているということになります。だから、新共同訳は「主は我らの救い」と、意味を汲んで訳しているわけです。

 また、「主は我らの救い」という表現は、主イエスを思わせます。「イエス」は、ヘブライ名の「ヨシュア」をギリシア音写したものです。そして、ヘブライ名の「ヨシュア」とは、「主は救い」という意味なのです。

 イスラエルの人々はもはや、エジプト脱出ではなく、バビロン脱出について語って、「主は生きておられる」と誓うようになると、7,8節に記されています。これは、既に16章14,15節で語られていました。主なる神の民族的な救いの働きとして記憶されるのは、出バビロンだということです。

 さらに、神は私たちを、出エジプトでも出バビロンでもなく、御子イエスの十字架の死と復活を通して、罪と死の呪いから脱出させてくださいました。南北イスラエルのみならず、全世界のすべての民が永遠の天の御国に招かれ、神の民とされたのです。ですから私たちは、私たちの罪を十字架の死をもって贖ってくださった主は生きておられると証しするのです。

 生ける主は、日毎に新しい恵みをもって私たちを導き、養ってくださいます。「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え」(詩編96編1節)と言われるように、絶えず新しい理由をもって主を賛美し、その恵みを証ししましょう。

 主よ、あなたこそ私たちの創り主にして、救い主、癒し主であられ、主の主、王の王であられます。主イエス・キリストの他に、この世に救いをもたらすことの出来る方はいません。主イエスを心の中心にお迎えし、その導きに従います。聖霊の力を受け、主イエスの証人として、その恵みを告げ知らせます。私たちを用いてください。御名が崇められますように。 アーメン




プロフィール

pastabco

記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • バプテスト静岡教会の集会再開のお知らせ
  • 3月21日(日)主日礼拝説教
  • 3月21日(日)主日礼拝案内
  • 3月14日(日)主日礼拝説教
  • 3月14日(日)主日礼拝案内
  • 3月7日(日)主日礼拝説教
  • 3月7日(日)主日礼拝案内
  • 2月28日(日)主日礼拝説教
  • 2月28日(日)主日礼拝案内
  • 2月21日(日)主日礼拝説教
  • 2月21日(日)主日礼拝案内
  • 2月14日(日)主日礼拝説教
  • 2月14日(日)主日礼拝案内
  • 2月7日(日)主日礼拝説教
  • 2月7日(日)主日礼拝案内
楽天市場
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ