風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

4月13日(金) サムエル記下8章

「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。」 サムエル記下8章15節

 ダビデは西のペリシテを討ち、「メテグ・アンマ」を奪いました(1節)。メテグ・アンマとは、「アンマの手綱」という意味です。並行箇所の歴代誌上18章1節では、「ガトとその周辺の村落」とされています。

 アンマは、腕尺(肘から指先まで)と言われる長さの単位(1アンマは約45㎝)で、ペリシテの首都ガトとその周辺、1アンマといわれるほどにそば近くにある村落、放牧地を「メテグ・アンマ」と言い、それを征圧してイスラエルの支配下においたということなのでしょう。

 次いで東のモアブを討ち、兵の三分の二を殺しました(2節)。かつて、ダビデはサウルの前に逃避行をしていた時、両親をモアブに王に託していたことがあり、それは友好関係を示すものでした。そもそも、ダビデの曾祖母はモアブ人ルツです。モアブを打った理由はよく分かりません。あるいは、両親の処遇にダビデが憤りを覚えていて、報復を考えていたというようなことなのでしょうか。

 その次に、北のツォバを討ちました(3節)。ツォバは、ダマスコとハマトの間にあったアラム人の都市国家です。ダビデは多くの兵を捕虜としましたが、馬は100頭を残して後は処分しました(4節)。それは「王は馬を増やしてはならない」という申命記17章16節の規定に基づいているのです。また、ユダの山岳地帯では、多数の戦車を所有しても利用出来ないと考えたのかも知れません。

 ツォバに援軍を送ったダマスコのアラム軍も討ち、隷属させました(5,6節)。勢力を回復しようとして北に向かって行動を起こし(3節)、ツォバと交戦中だったハマトの王トイからは、ダビデの戦勝を祝う品が届き、友好関係が築かれます(9,10節)。

 その後、南のエドム軍を塩の谷で討ちました(13節)。「アラムを討って帰る途中」(13節)とありますが、「塩の谷」はユダの南方ベエル・シェバの東に延びる谷なので、エルサレムを通り過ぎて、あるいは迂回路を通って、塩の谷でエドムを迎え撃ったということになります。

 歴代誌上18章12節では、エドム軍を討ったのがツェルヤの子アブシャイとなっています。であれば、ダビデの別動隊による攻撃ということになります。また、詩編60編1節の表題には、ヨアブが司令官だったように記されています。資料が錯綜しているようですが、いずれにしても、ダビデの代にエドムが討たれ、かくて四方を平定することが出来ました。

 このように、主はダビデの行く先々で勝利を与えられました(14節)。7章9,11節で約束されたことが実現したかたちです。これらの戦いがどのようにして引き起こされたのか、何も記されてはおりません。しかし、ダビデに率いられたイスラエル軍がこれら広範囲に及ぶ戦いに打ち勝った結果、約束の地イスラエルに待望の平和が訪れたのです。

 そこで、ダビデは冒頭の言葉(15節)のとおり「王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行」いました。「裁きと恵みの業」とは、直訳すれば「公正と正義」(ミシュパート・ウ・ツェダカー,岩波訳「正義と公平」)という言葉で、民を正しく公平に裁き、民のために良い治世を行うことです。

 国を継続的に安定させ、よい政治を行うために、軍の司令官としてヨアブ、補佐官にヨシャファト(16節)を任命します。祭司はツァドクとアヒメレク。セラヤを書記官(17節)、ベナヤをクレタ人とペレティ人の監督官としました(18節)。

 こうして、イスラエル王国の行政機構が整えられていきました。政治的指導者のリストに、祭司が入れられているのが、まさにその政治が「公正と正義」に基づいたものとなるための鍵だったのです。ここに、7章8節以下で神が預言者ナタンを通してダビデに語られた預言の言葉が、一つ一つ実現しています。

 任官リストの最後に、「ダビデの息子たちが祭司となった」(18節)と記されています。ダビデはユダ族なので、彼の息子たちが祭司となるというのは少々不思議です。神は聖所の仕事のすべてをレビ族に委ね(民数記1章47節以下)、祭司の務めをなすのは、レビ族の中でも油注がれたアロンとその子らに限られていたからです(同3章3節)。

 けれども、ダビデ自身、主の御前で踊ったとき、祭司が身につけるエフォドを着ていましたし(6章14節、出エジプト28章6節以下)、主の箱を天幕に安置した後、主の御前に祭壇を築き、献げ物をささげています(6章17節)。ダビデが祭司と呼ばれたことはありませんが、そのときは明らかに祭司の務めを果たしており、それが許されています。

 ダビデの子らについて、どのような務めを聖所で果たしたのか、全く不明です。あるいは、一時的に祭司ツァドクとアヒメレクの補佐役として、その役割を果たすことがあったということではなのかも知れません。20章26節では、ダビデの子らに代わって「ヤイル人イラもダビデの祭司」とされています。

 ダビデの子孫には、永遠の救いの源であり、偉大な大祭司となられた主イエス・キリストがおられます。主イエスは、「メルキゼデクと同じような大祭司」(ヘブライ5章9~10節、6章20節~7章28節)と呼ばれました。

 そうすると、ダビデの息子たちが祭司となったのは、ダビデを含むすべての者の罪の呪いを一心に身に受け、十字架でその規定もろとも破棄し、凱旋の行進に加えてくださった(コロサイ2章13~15節)、神の御子キリスト・イエスの出現を予告するものだったのではないでしょうか。

 主キリスト・イエスの贖いによって救いに与った私たちは「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神の者となった民」(第一ペトロ書2章9節)です。「裁きと恵みの業(公正と正義)」をもって私たちの宮、教会において主に仕え、聖別された神の家族に仕える者です。その恵み、その喜びを、主にあって広く証しして参りましょう。

 主よ、私たちのために自らを生贄として十字架に死なれた主イエスが、私たちの大祭司として常に神の右にいて執り成し祈り、支えてくださることを、心から感謝致します。主のご愛に支えられて、私たちも互いに愛し合い、仕え合うことを通して、主の弟子であることを証しさせてください。主の御名が崇められますように。 アーメン

 

4月12日(木) サムエル記下7章

「わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。」 サムエル記下7章6節

 無事に主の箱をダビデの町エルサレムに運び上げ、ダビデの張った天幕の中に安置して、献げ物をささげ終わると(6章17節)、ダビデは王宮に住み、主が周囲を平定して彼に安らぎをお与えになりました(1節)。

 そこで、ダビデは預言者ナタンを呼んで「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」(2節)と言いました。これは、主なる神のために神殿を建てたいということです。

 荒れ野を旅している間は勿論、約束の地に入ってからも、絶えずペリシテやアマレクなどの外敵に脅かされて来ました。なかなか、安定した生活を営むことが出来ませんでした。だから、神殿を建てようという余裕もなかったし、やろうとしても出来る相談ではなかったのです。

 ここに、ダビデのもとでイスラエルが統一され、主が周囲の敵を退けて安息をお与えになりましたから、ようやく神殿を建てることが出来るようになったというわけです。ダビデの思いを知ったナタンは、ダビデの思い通りにしたらよいと言いました(3節)。しかし、それは主なる神の御旨に適うところではありませんでした。

 その夜、主なる神がナタンに「幻」(4節以下、17節)を通して語りかけ、冒頭の言葉(6節)のとおり、出エジプト以来、主は家に住まず、主は幕屋を住みかとして歩んできたと告げられます。さらに言葉をつないで、イスラエルの民と共に歩んで来る間、一度たりとも、レバノン杉の家を建てよと命じたことはないだろうと言われます(7節)。

 このことで、家と幕屋、住むと歩むを対比させて、主は恒久的な建物の中にご自分を置くよりも、天幕と神の箱に象徴される、民の中に、民と共に住まわれ(出エジプト記25章8節)、民を導いてどこへでも自由に歩まれるお方であり、その主権を譲るつもりなどないこと、ゆえに、主を礼拝するのに建物が問題ではないということが示されます。

 むしろ主は、ダビデをイスラエルの指導者としたのは主であること(8節)、ゆえに、ダビデがどこに行っても共にいて、行く手から敵をすべて断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えると、祝福を約束されました(9節)。

 名声を与えるという祝福を具体的に、主がダビデのために家を興すと言われます(11節)。ダビデのための「家」とは、ダビデ家=ダビデ王朝を意味していて、主のために家を建てたいというダビデに、家を建てるのは主であると宣言されたかたちです。

 「その王国を揺るぎないものにする」(12節)、「彼の王国の王座をとこしえに固く据える」(13節)「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに固く据えられる」(16節)が、主の祝福の確かさを明示しています。

 さらに、「わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが,そのようなことはしない」(15節)と言われます。「慈しみ」は「ヘセド」という言葉で、ダビデに与えられる祝福が、ダビデの働きや信仰、王としての姿勢への報いなどではなく、一方的に与えられる恵みだということです。

 それで、主なる神は、金輪際、神殿を建てようなどと考えてはならないと仰ったわけではありません。彼の後に立てられる者が「わたしの名のために家を建て」(13節)ると言われます。この「家」は、神の家、神殿のことです。

 神殿建築が、主がダビデの家を堅く立て、その王座をとこしえに堅く据えられるしるしということですが(13節)、神殿があるからダビデの家が常に祝され、イスラエルの国が守られ、その民に安らぎが授けられるということではありません。

 神礼拝が疎かになり、御言葉が蔑ろにされれば、神殿があっても国は破れ、都は焼かれてしまうのです。それは、かつて神の箱がイスラエル軍を守らず、むしろ神の箱をペリシテに奪われてしまったのと同様です(サムエル記上4章)。

 ダビデは、預言者ナタンを通して告げられた主の御言葉を聴いて、感謝の祈りをささげます(18節以下)。ダビデが願ったのは神殿を建てたいということであって、自分の家を興し、礎を確かにしたいということではなかったからです。もっとも、そう願った背景に、王朝の礎が堅固な者となるようにという思いがなかったとは言い切れませんが。

 そのことで、「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの(必要な)ものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)と言われた主イエスの御言葉を思い出します。

 神殿を建てたいというダビデの申し出を主が受け入れられなかったことについて、歴代誌上28章3節に、「あなたは戦いに明け暮れ、人々の血を流した。それゆえ、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」と記されています。これは、戦いに手を染めた者の手ではなく、平和に仕える者の手で神殿を建てたいということでしょう(同22章6節以下も参照)。

 だから、平和(シャローム)という言葉に由来を持つソロモン(シェロモー)に、神殿を建てさせたのです。とはいえ、ダビデと主なる神との間では、神殿を必要としないほどに、主がダビデの心の内に住まわれ、ダビデの心も主と共にあったということでしょう。

 その意味で、ダビデの子ソロモンが主のために壮麗な神殿を建てるのは、ダビデが願ったことであり、主がダビデの身から出た子に建てさせると言われた約束が成就したことではあるのですが、それがかえって、見えるものにとらわれ、かたちあるもので自分の功績を誇示しようとする誘惑になったのではないかと見ることも出来そうです。

 心して主を仰がなければなりません。絶えず御名を崇め、心から賛美と祈りを主にささげましょう。その御言葉に耳を傾け、その実現を誠実に祈り願いましょう。

 今日、神は私たちの体を、聖霊の宿る神殿とされました(第一コリント書3章16節、6章19節、第二コリント書6章16節)。主を心の王座に迎え、主と深く交わり、霊とまことをもって主を礼拝しましょう。主の霊に満たされて前進しましょう。

 主よ、私たち静岡教会は60数年前、この地に教会堂を建て、福音宣教の業に励んで参りました。私たちは、何よりも先ず、主の御顔を慕い求め、主を愛し、喜びをもって主に仕える教会となりたいと思います。この教会が、この地の祈りの家として用いられ、また讃美溢れる教会となりますように。そして、教会を形成する信徒一人一人が主の恵みを証しする者になれますように。その使命を全うするために、聖霊に満たし、上よりの知恵と力に与らせてください。 アーメン

 

4月11日(水) サムエル記下6章

「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。」 サムエル記下6章14節

 ダビデは、イスラエルの精鋭3万を集めました(1節)。それは、長い間バアレ・ユダ(別名キルヤト・エアリム:「森の町」の意、ヨシュア記15章9節など)のアビナダブの家に安置されていた主の箱を、エルサレムに運び上げるためです(サムエル記上7章1節参照)。

 3万もの精鋭を引き連れて行ったのは、彼らに主の箱を運ばせるためではありません。主の箱を運ぶ際の不測に事態に備え、主の箱を守るためのことです。そしてまた、すべての者が万軍の主なる神の前にひれ伏すようにという、ダビデの信仰の表明でもあろうと思われます。

 彼らは主の箱を新しい車に乗せて運び出し、アビナダブの子ウザとアフヨが車を御していました(3節)。「アフヨは箱の前を進んだ」(4節)ということですから、車の前を歩き、牛の手綱を持っていたのでしょう。ということは、ウザが箱の後ろ、つまり、車の後ろを歩いて、箱を見守っていたわけです。

 ところで、アビナダブの家では、その息子エルアザルを聖別して、主の箱を守っていたはずです(サムエル記上7章1節)。箱を運び出すというときに、当然登場すべきだと思われるのに、その名が出て来ないのはなぜか、よく分かりません。しかし、あるいはそのことが、この後に起こる悲劇の要因なのでしょうか。

 ダビデ一行は、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でながら(5節)、賑々しく道を進んでいました。だれが楽器を奏でたのか、どのくらいの数かは不明ですが、「イスラエルの家は皆」(5節)というのですから、精鋭部隊以外にも同行している人々や沿道の人々が大勢いて、彼らが手に手に楽器を持って奏でているという様子を思い浮かべます。

 やがて、ナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめき、車が揺れて箱が落ちそうになったので、後ろにいたウザが慌てて手を伸ばし、主の箱を押さえました(6節)。主の箱を守ろうとする当然の行動だと思われますが、主は怒りを発し、その場でウザを打たれたので、彼は主の箱の傍らで命絶えました(7節)。

 ウザの「過失」は、主の箱を牛車で運んだこと、そして、主の箱に手で触れたことです。主の箱は、レビ族のケハトの氏族がその肩に担いで運ぶことになっていました(民数記4章4節以下)。そして、「彼らが聖なるものに触れて死を招くことがあってはならない」と規定されています(同15節)。その規定を守らなかったからだと考えられます。

 長い間箱を守って来たエルアザルがいたなら、こういうことにはならなかったのかも知れません。しかしながら、祭司以外の誰も箱に触れてはいけないということであれば、牛車に乗せる段階で、ウザだけでなく、アフヨも主に打たれたことでしょう。ここは、主に守られるべき「人」が、主の箱を守ろうとしたという逆転を、主が打たれたということではないかと思わされます。

 この出来事でダビデも怒り、その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼びました。そして、主の箱を運ぶことを主が憤られているのかと恐れたダビデは、主の箱のダビデの町・エルサレムへの持ち込みを中止し、オベド・エドムの家に運ばせます。

 オベド・エドムは、ペリシテの町ガトの住民です(10節)。ガトはキルヤト・エアリムから南西に約40キロ、エルサレムはキルヤト・エアリムから東南東へ約15キロですから、キルヤト・エアリムのアビナダブの家からエルサレムへ運ばせていた主の箱を、キルヤト・エアリムよりもさらに遠く、国外に運び出させたわけです。ここに、ダビデの恐れのほどが伺えます。

 ところが、主はオベド・エドムの家を祝福されました。オベド・エドムとは「エドムの僕」という意味です。これは本名ではなく、通称でしょう。ただ、主なる神は、ご自分を畏れ、信じ受け入れる者は、民族、種族を越えて祝福してくださるということが、ここに示されます。そして、オベド・エドムの家の祝福を聞いたダビデは、もう一度、主の箱をエルサレムに運ばせます。

 歴代誌上15章12,13節に、「レビ族の家系の長であるあなたたちは、兄弟たちと共に自らを聖別し、イスラエルの神、主の箱を、わたしが整えた場所に運び上げよ。最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」と、ダビデが告げた言葉が記されています。

 つまり、今度は律法に従って、主の箱を担ぎ上ることにしたわけです。さらに、箱を担ぐ者が六歩進むと肥えた牛をいけにえとして捧げ(13節)、また、喜びの叫びを上げ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げました(15節)。

 特に、冒頭の言葉(14節)のとおり、ダビデは主の御前で力の限り踊りました。まさにお祭り騒ぎです。ゆっくりゆっくり主の箱は進みました。行列の賑やかな物音を聞きつけて多くの人々が集まって来たことでしょう。

 そしてその行列の中心にいる者の姿を見たでしょう。そこには、神の箱の前で力のかぎり舞い踊るダビデの姿がありました。それを見て、この楽隊と踊りの行列に参加する人々もいたでしょう。国中がお祭り騒ぎ、祝賀ムード満点といった状況を思い浮かべます。

 ただし、そういう人々ばかりではありません。自分の立場を忘れて踊っているダビデを見て、ダビデの妻ミカルは蔑みの言葉を投げました(16,20節)。王の娘として育ち、王となる人物に嫁いだ女性として、王としての威厳を損なう行為を見逃すことは出来なかったのでしょう。

 ダビデはそのとき、麻のエフォドをつけていたと記されていますが(14節)、ミカルは「裸」と言っています(20節)。つまり、ダビデはエフォド以外には、何も身につけていなかったのです。

 けれども、主はそんなダビデを喜ばれ、周囲の敵をすべて退けて、彼に安らぎをお与えになりました(7章1節)。なぜでしょうか。それは、ダビデが自分の立場も忘れ、ただ主の箱がダビデの町、自分のもとに来ることを喜んでいたからです。

 賛美とは、マグニファイ、拡大するという意味の言葉から来ています。ダビデの心の中で主なる神の姿が拡大され、何よりも大切なものになり、それが賛美の踊りとなったのです。ところが、妻ミカルには、主を喜ぶことよりも王としての威厳、立場の方が大切だったのです。

 ここで、人々から蔑まれ、嘲られたもう一人の人物を思い出します。彼は、人々から罵られ、唾をかけられ、こぶしで打たれ、着物をはぎ取られて裸同然になり、茨の冠をかぶせられ、十字架に釘づけられ、殺されました(マルコ福音書15章16節以下、37節)。

 それはまるで、屠殺場に引かれていく小羊のように黙々として(イザヤ書53章7節)、されるがままにされている主イエスのことです。私たちの罪のゆえにその呪いをご自分の身に受け、十字架で贖いの業を成し遂げてくださいました。

 その姿には見るべき面影も、輝かしい風格も好ましい容姿もありません。人々は彼を軽蔑し、見捨てました(イザヤ書53章2,3節)。しかるに神は、最も低くなられたこの主イエスに、すべてのものに勝る名を与えて、天に昇らせ、ご自分の右の座につかせられたのです(フィリピ書2章6節以下、マルコ福音書16章19節)。

 主イエスを心に迎え、このお方が常に心の中で拡大されて、あらゆる問題、苦しみから解放され、喜びに溢れて感謝と賛美をささげる者とならせていただきましょう。

 主よ、御言葉を感謝します。私たちの問題は、問題が襲ってくると神が見えなくなることです。問題の方が私よりも大きくなってしまいます。問題よりも大きな主に目を向け、主の答えを頂くことが出来ますように。私たちの内に主が拡大されるように、絶えず祈りに、そして賛美に導いてください。 アーメン

 

4月10日(火) サムエル記下5章

「ダビデはヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。」  サムエル記下5章3節

 ダビデは、神の人サムエルから、王としての油注ぎを受けましたが、自ら王になろうとはしませんでした。王になるために、前の者を押しのけようとはしませんでした。ダビデが王になったのは、すべてダビデと共におられた主なる神の導きでした。力を用いず、策略を用いず、ただ神の選び、神の油注ぎのゆえに、王とされたのです(サムエル記上16章12,13節)。

 ダビデは優れた軍人でした。勇敢な戦士でした。戦術の心得もありました。言葉に分別があって外見もよく、竪琴を巧みに奏で、詩を作る才にも長けていました(同16章18節)。しかし、そのように有能だから、王として選ばれたのではありません。ダビデが主の御旨を尋ね求め、主に素直に聴き従う者だからこそ、神に立てられて王とされたのです。

 ダビデがイスラエルの王とされたのは「30歳」のときです(4節)。30歳は、祭司が臨在の幕屋で仕事に就くことが出来る年齢です(民数記4章3節など)。また、ダビデの子と呼ばれるメシア=キリストなる主イエスも、公生涯に入り、福音を宣べ伝え始めたのは、およそ30歳だったと言われています(ルカ3章23節)。

 ダビデは、少年の日にサムエルによって油注がれてから、およそ20年を過ごしてきたわけです。この長きに亘って主に従って歩み、王となることが出来たのは、勿論ダビデ一人の力ではありません。両親から信仰を学んだことでしょう。また、信仰篤き友であり、義兄となったサウルの子ヨナタンが、ダビデを励ましました。

 ダビデは、40年に亘ってイスラエルを治めました(4節)。それは、出エジプトの民がシナイの荒れ野を旅した期間に相当します(出エジプト記16章35節など)。モーセが荒れ野で民を率いている40年間、主が共におられて何一つ不足するものはなかったと、申命記2章7節に記されています。同様に、ダビデを選ばれた主は、絶えず恵みをもってイスラエルを導かれたのです。

 主に油注がれ、使命が与えられた者には、必要な知恵や力が備えられます。このことは、自分の器にあった働きを願うというのではなく、委ねられている使命を果たすのに必要な賜物が与えられるよう祈るということが教えられているのです。

 ダビデが主によって油注がれた者であることは、今や全イスラエルの民の認めるところとなりました。2節に「主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者になる』と」と記されていますが、これは、ヘブロンにいたダビデのもとにイスラエルの全部族が集まり、ダビデに語った言葉でした。

 かくて、冒頭の言葉(3節)のとおり、ユダの王とされていたダビデは、ヘブロンにおいて主の御前に民と契約を結び、イスラエルの長老たちの手により、全イスラエルの王として油注がれました。かくて、サムエルによって油注がれて以来、三度目の油注ぎを受け(サムエル記上16章13節、サムエル記下2章4節)、名実共にイスラエル12部族を統括する王となったのです。

 ダビデは、エブス人の町であったシオンの要害(=エルサレム)を陥落させ(7節)、そこに住んでこれをダビデの町と呼び、町の周囲に城壁を築きました(9節)。ここは、ユダとベニヤミンの境界に位置し、イスラエルとユダを統治するのに相応しい場所でした。

 やがて、隣国ティルスの王ヒラムがダビデに使節を送って来て、エルサレムに王宮が建てられました(11節)。こうして、ダビデの王権は、いよいよ堅く打ち立てられていきました(12節)。これからバビロンによってエルサレムが陥落させられるまで、400年に及ぶダビデ王朝がスタートしたのです。

 後に、ダビデの子孫としてベツレヘムにお生まれになった主イエス・キリストは(マタイ2章5節、ルカ2章4節以下)、エルサレム城外のゴルゴタの丘で十字架にかかり(マタイ27章33節など)、葬られ(同27章57節以下)、三日目に罪と死にうち勝って甦られました(同28章1節以下)。

 その後、この町にいた120人のキリストの弟子たちに聖霊が激しく降り(使徒言行録2章1節以下)、彼らが大胆に福音を語り始めた結果、3000人もの人々が救われ、教会が形作られました(同2章41,42節)。ここから弟子たちは散らされて、全世界にキリストの福音が宣べ伝えられて行ったのです。

 それは主イエスが、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と語られたとおりのことです(同1章8節)。

 私たちもこの年、私たちの主イエス・キリストの愛と平和の福音を、私たちの家族、親族、知人友人、同僚、地域の人々に伝えていきましょう。そのために、聖霊の力に与ることが出来るよう、御霊の満たしと導きを祈りましょう。

 主よ、サウルは油注がれたにも拘わらず、王位から退けられました。ダビデは油注ぎの故に、イスラエル全家の王となりました。その鍵は、神に聴き従うことでした。絶えず、御言葉に耳を傾け、導きに従って歩ませてください。私たちが果たすべき使命のために必要な賜物、知恵と力を豊かにお授けください。何より、私たちの隣人に神の愛と恵みを証しするため、常に御霊に満たしてください。御名が崇められますように。 アーメン

 




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