風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

12月10日(日) 民数記34章

「東境は、ハツァル・エナンからシェファムに線を引き、シェファムからアインの東側のリブラに下る。更に境界線は、キネレト湖の東斜面を経て、ヨルダン川を下り、塩の海に達する。以上の境界線の内側があなたたちの土地である。」 民数記34章10~12節

 約束の地カナンを望むことの出来るモアブの平野までやって来て、神は「イスラエルの嗣業の土地」について、その境界線を示し(2~15節)、次にその土地を分配する責任者を各部族から一人ずつ、計10名指名します(17節以下)。ルベン族、ガド族は、ヨルダン川の東、アモリ人の地に既に分配を受けているため、責任者が呼び出されていません。

 指名された10名のうち、ユダ族の責任者エフネの子カレブ以外に(19節)、予め知られている名前はありません。しかし、その名の意味は、興味深いものです。特に、エルやエリというのは、神を意味する言葉です。彼らに名をつけた親たちが主なる神にどのような思いを持っていたのかを、その名前から窺い知ることが出来ます。

 シェムエル(20節)は「神の御名」、エリダド(21節)は「神は愛し給う」、ブキ(22節)は「主は試み給う」、ハニエル(23節)は「神は恵み深い」、ケムエル(24節)は「神の会衆」、エリツァファン(25節)は「神は隠し給う」、パルティエル(26節)は「神は救い給う」、アヒフド(27節)は「威厳ある兄弟」、そしてペダフエル(28節)は「神は贖い給う」というものでした。

 彼らは、荒れ野において様々な試みを受けていましたが、そこに神の愛と恵みを感じ、また御翼の下に守られる安心感のようなものを感じていたようです。そしてまた、主がそのような名を持った者たちを土地分配の責任者として指名されたということは、約束の地に民を迎え入れようとしておられる主のメッセージと受け止めることも出来ます。

 ただ、カレブだけは、その意味が「犬」という言葉です。何故そのような名前なのか、よく分かりません。しかし、カレブの信仰、勇敢さは、これまでの彼の言動によく表れています。

 イスラエル諸部族の指導者のリストを見るのは、これで3度目です(1,13章)。1章では、指導者たちが最初の人口調査の監督をしました。13章では、約束の地を偵察に向かいます。ここで、最初に数えられた世代が主に決定的な反逆をして、第二世代に取って代わられることになります。それによって新しくなった世代が、約束の地分配の責任者を立てることになったのです。

 ところで、冒頭の言葉(10~12節)は、イスラエルの東の境界線を示しています。北境がかなりシリア領に食い込んでいますが、ヨルダン川の水源地からキネレト湖すなわちガリラヤの湖を経、ヨルダン川を下って塩の海すなわち死海に達するという線です。

 レバノンに降り積もった雪や雨がフィリポ・カイサリアなどから湧き出し、それらがフーレ湖に流れ込み、そこからガリラヤ湖に上ヨルダン川が流れ、ガリラヤ湖から下ヨルダン川を下って死海に至ります。死海は、海抜マイナス392メートルにあり、ここから流れ出るところはありません。

 流れ込む水の量と、水面から蒸発する量がほぼ等しいため、死海の水量は一定に保たれています。しかし、流れ込む水が蒸発して塩分が濃縮されていきますので、通常の6倍という塩分濃度になり、とても生物の住めない世界です。だから「死海」と言われるのです。魚が豊かに生息して周辺の漁師たちの生計を立てさせることの出来る、ヨルダン川上流のガリラヤ湖とはまったく対照的です。

 水は高いところから低いところへと流れます。恵みもそうです。御前に謙る者に、神の恵みは豊かに注がれます。しかし、受けるだけで与えることを学ばなければ、その恵みは価値を失い、死んでしまいます。

 イスラエルの民は、主に愛され、その恵みを豊かに受けました。彼らにそれを受ける資格があったというのではありません。神が貧弱なイスラエルの民を憐れみ、文字通り恵みとしてお与えになったのです。それは、神の愛と恵みを証しするため、すべての人が神の愛と恵みを味わえるようにするためです。その御心を悟らず、恵みを私し、徒に自ら誇り高ぶるなら、御前から退けられてしまいます。

 アブラハムは「祝福の源」と言われました。彼は祝福を自分のために受ける者ではなく、アブラハムを通して地上のすべての氏族が祝福に入るようにするのです(創世記12章2,3節)。

 ヨルダン川の水源地の一つフィリポ・カイサリアは、もともとパニアスと呼ばれ、自然神パンを祀る祠がありました。紀元前20年、ヘロデ大王が皇帝アウグストゥスからこの町を与えられた記念に、皇帝の像を安置した神殿を建てました。

 その後、息子のヘロデ・フィリポが町を拡張美化し、皇帝ティベリウスに敬意を表して町の名をカイサリアと改めました。父へロデ大王が建てた地中海沿岸のカイサリアと区別するため、フィリポ・カイサリアと呼ばれます。ここは古くから自然神パンやローマ皇帝を神として礼拝する偶像礼拝の町だったのです。

 主イエスが弟子たちを連れてこの町に来て、彼らに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(マタイ16章13節以下、15節)と尋ねられました。そこで、ペトロが弟子たちを代表するようにして「あなたはメシア、生ける神の子です」(同16節)と答え、主イエスを喜ばせました。いつでもどこでも、この信仰が求められているのです。

 常に聖霊に満たされ、イエスを主と告白する信仰に堅く立ち、委ねられた福音宣教の使命、主イエスの証人としての務めを全うさせて頂きましょう。

 主よ、私たちも主イエスを信じて、アブラハムの子となりました。信仰に堅く立ち、聖霊に満たされて、主の愛と恵みの証し人として用いられますように。主の御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン



12月10日(日)主日礼拝説教

12月10日(日)主日礼拝には、教会員13名、来賓7名(子ども2名を含む)がお見えになりました。感謝です。

主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「貴女の罪は赦された」
聖書 ルカ福音書7章36~50節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。


12月10日(日)主日礼拝案内

02

12月10日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・ルカ福音書・主イエスの誕生物語から、共に聖書の学びと交わりを行います。

主日礼拝を10時半から行います。
礼拝ではルカ福音書7章36~50節より「貴女の罪は赦された」と題して原田牧師の説教を頂きます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。



キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


午後、定例執事会を行います。



 

12月9日(土) 民数記33章

「もし、その土地の住民をあなたたちの前から追い払わないならば、残しておいた者たちは、あなたたちの目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨となって、あなたたちが住む土地であなたたちを悩ますであろう。」 民数記33章55節

 33章には、「エジプトを出てからの旅程」が記されています。出発地のラメセスから(3節)、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野まで(48節)、その間に40箇所の宿営地の名が記されていますが、現在でも殆どの場所が確定されてはいません。

 出エジプトのルートも、一般的にはジェベル・ムーサ(アラビア語で「モーセの山」の意)と呼ばれる山をシナイ山として、シナイ半島の南方を回るコースが考えられていますが、シナイ半島の北方を通ってカデシュに直行したと考える北方説を説く学者もいます。

 また、シナイ山での主の顕現が活火山の活動を思わせるので(出エジプト記19章18,19節参照)、シナイ半島の中央を横断して、エイラトからアラビア半島をアカバ湾沿いに南下したところの死火山地帯にシナイ山があるとする中央説をとる学者もいます。

 つまり、出発地のラメセス、スコトと、重要な中継点のカデシュ・バルネアを除くと、場所が特定される宿営地は殆どなく、十戒を授けられたシナイ山でさえも、これが絶対にそうだといわれるものではないのです。

 そうなると、主の命令によってモーセが宿営地を書き留めたということですが(2節)、その目的は、宿営地の場所を知るということよりも、そこで何があったのかということを忘れないようにするためということなのでしょう。民数記のヘブライ語の原題が「荒れ野で」(ベ・ミドゥバル)でした。まさに、荒れ野で何があったのかを、民数記は記しているわけです。

 上述のとおり、ラメセスを出発したイスラエルの民は、モアブの平野に至るまで、40箇所で宿営しながらシナイの荒れ野で40年を過ごしました。神の助けがなければ、およそ考えられない年数です。しかし、それはまた、イスラエルの民が神に背いた記録でもあります。彼らが素直に主を信じ、その導きに従っていれば、もっとずっと早く、カナンの地に入ることが出来たでしょう。

 その最大の理由が、約束の地を探った斥候たちがもたらした悪い情報で神に泣き言を言い、エジプトに戻ろうとして神の怒りを買い、約束の地を前に回れ右、40年の荒れ野の旅に出発させられた、カデシュでの出来事です(13,14章)。不信の罪がいかなる災いをもたらしたか、決して忘れてはならないということです。

 そして、50節以下に「ヨルダン川を渡るにあたっての命令」が記されています。まず最初に「あなたたちの前から、その住民をすべて追い払い、すべての石像と鋳像を粉砕し、異教の祭壇をことごとく破壊しなさい」(52節)とあります。

 これは、十戒を授かるためにモーセが留守をしていたシナイの荒れ野で、アロンが金の子牛像を造って拝ませたことや(出エジプト記32章)、モアブの女性に惑わされてペオルのバアルを拝んだことが(民数記25章)、その背景にあります。

 しかしながら、この命令にも拘らず、異教の神を拝む偶像礼拝の罪は、この後、イスラエルから除き去られることはありませんでした。それほどに根深い問題だということです。

 国内から、異邦の民、異教の偶像を完全に一掃出来なかったのは、異邦の民がイスラエルの民よりも強かったからです(ヨシュア記17章16節、23章7節、士師記1章19節など)。ダビデ王の時代に力関係が逆転した後も、それをしなかったのは、長い年月、異教の生活文化に慣らされてしまったからでしょう。

 そして、異教の神々を取り除かなかったイスラエルは、冒頭の言葉(55節)で警告されていたとおり、周辺列強に悩まされ、結局、北イスラエル王国が紀元前721年にアッシリアによって、南ユダ王国は紀元前587年にバビロンによって滅ぼされ、異邦の地に捕囚として連れ去られる結果になってしまうのです。

 この民数記の記事について、詩編106編の作者が同7~33節で、イスラエルの民のために主がなされた業と、イスラエルが犯した不忠実、不信仰のさまを再確認しています。そして「ヨルダン川を渡るにあたっての命令」にも拘わらずそれに背いた結果(同34節以下)、「諸国の民の手に渡された」(同41節)と報告しています。

 それでお仕舞いということにならなかったのは、主の深い憐れみです。主がいかに恵み深い、憐れみ深いお方であるかということです。だから、詩編の作者も「イスラエルの神、主をたたえよ、世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ」(同48節)と賛美するのです。

 私たちは、自分の生活の中から、神の御旨に沿わないものを追い払っているでしょうか。神に喜ばれないものを持ち込んではいないでしょうか。深厚な師に神に喜ばれることはできないのです。御言葉に従って点検してみましょう。

 主よ、私たちの心を探り、あなたを喜ぶ心であるかどうかを点検してください。あなたが私たちと共におられるとき、私たちは揺らぐことがなく、心喜び、安心して憩うことが出来ます。真理の御言葉に従って歩むとき、満ち足りて永遠の喜びをいただきます。常に、御手の内に私たちを守ってください。あなたを避け所といたします。 アーメン





12月8日(金) 民数記32章

「それなのに、罪人であるあなたたちが父に代わって立ち上がり、またもや主の激しい怒りをイスラエルの上に招こうとする。」 民数記32章14節

 ようやく約束の地カナンが近づいてきたとき、また一つの問題が起こりました。ルベン族とガド族の人々はおびただしい数の家畜を持っていて、アモリ人の王シホンとオグとの戦いに勝利して奪い取った(21章21節以下)「ヤゼルとギレアドの地方」(1節)つまりヨルダン川の東の地を見渡し、「家畜を飼うのに適した所で」あることを確認しました。

 そこで、モーセと祭司エルアザルおよび共同体の指導者のもとにやって来て(2節)、家畜を飼うのに適したヨルダン川東部の豊かな牧草地を自分たちの嗣業の地として欲しい。ヨルダン川の西側の土地はいりませんと、モーセに申し出たのです(4,5節)。

 それを聞いたモーセはすぐに、カデシュ・バルネアでの出来事を思い出しました(13,14章参照)。それは、カナンの地を探った斥候たちが、カナンには上って行けない、自分たちはそこで殺されてしまうと報告して民の心を挫き、それを聞いた民は、殺されるくらいなら、エジプトに戻ろうと文句を言って、結局、みんな荒れ野で滅ぼされるという結果になったことです(8~13節)。

 つまりモーセは、ルベンとガドの人々が「ヨルダン川を渡らせないでください」(5節)と申し出た言葉を、約束の地よりもヨルダン川東部の「ヤゼルとギレアドの地方」の方がよいという、神への不信と受け止めたのです。それを放置すれば、またもや荒れ野の道に逆戻りさせられてしまうかも知れませんし、この世代の人々は、荒れ野で死に絶えることになってしまうかも知れません。

 だから13節で「主はイスラエルに対して激しく怒り、四十年にわたり、彼らを荒れ野にさまよわせられ、主が悪と見なされることを行った世代の者はことごとく死に絶えた」と語った後、冒頭の言葉(14節)で「それなのに、罪人であるあなたたちが父に代わって立ち上がり、またもや主の激しい怒りをイスラエルの上に招こうとする」のかと語るのです。

 「罪人であるあなたがた」を、口語訳は「罪びとのやから」、新改訳は「罪人の子ら」と訳しています。「やから、子ら」と訳されたのは「タルブート」という言葉で、これは旧約聖書中ここだけにしか用いられないもので、「増し加えること、子孫、ひな」といった意味を持っています。これは、神が人を創造して「増えよ」(ラーバー)と祝福された言葉と同類です。

 26章以下、神に背いた親の世代が死に絶え、新しい世代は神に従うものだと期待していました。それなのに、生み出されて数を増して来た新しい群れもまた、同じ罪人だったのかという驚き、あるいは憤り、はたまた落胆の表現のようです。

 それに対してルベンとガドの人々は、自分たちは神の御旨に背くつもりはないから、イスラエルの先頭に立って進み、民を約束の地に導くことを約束し、そのため先ずこの地に城壁のある町を築いて子らを住まわせること、約束の地を征服し終えるまで戦うこと、そして、約束の地には嗣業を得ないことを提案します(16節以下)。

 モーセは、約束の地を獲るために先頭に立って戦い、その後にヨルダン川東岸のギレアドの地に戻るというこの提案を受け入れます(20節以下)。ここに、彼らが民の心を挫こうとして、ギレアドの地が欲しいと語ったわけではないことが明確になったからです。

 モーセは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアという後継者たち、及び諸部族の家長たちを集め、ルベンとガドの人々の嗣業の地について、指示を与えます(28節以下)。モーセは召される日が近く、自ら最終確認をすることが出来ないためです(31章2節)。ガドとルベンの人々は、それらの人々の前で再度約束します(31,32節)。

 そこでモーセは、ヨルダン川東部のシホンとオグの王国、その領内にある町々、およびその周辺の町々をルベンとガドとマナセの半部族に与えます(33節)。ただ、マナセの半部族については、ここまで全く語られていなかったので、実に驚きです。

 ルベンとガドの人々はアモリ人から奪い取った町々を再建し、城壁を築いて子供たちのために町を作りましたが(34~38節)、マナセの子らは新たにギレアドを攻めて占領し、新しい名をつけて嗣業の地としました(39~42節)。

 ここを足場にして、12部族はいよいよここから、旧世代が偵察して「乳と蜜の流れる所」(13章27節)と報告した約束の地カナン、しかし、先住民は強くて、そこに上って行くのは不可能だと民の心を挫いた土地へ踏み出します。

 あらためて、「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食に過ぎない。彼らを守る者は離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない」(14章8節)と、先にカレブが語った信仰が問われます。

 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブライ書11章6節)。

 「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」(エフェソ書2章4~6節)。

 神に愛されている子供として、主と共に、主を信頼して歩みましょう。光の子として歩みましょう。

 主よ、私たちをこの上なく愛してくださる主の恵みによって救いに与り、侵攻によって首都ともに歩む者としていただきました。主に愛されている者として、主が前もって準備してくださった善い業を行って歩み、主を畏れて互いに仕え合うことが出来ますように。 アーメン



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