風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

4月16日(月) サムエル記下11章

「ウリヤはダビデに答えた。『神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。』」 サムエル記下11章11節

 再びアンモンとの戦いが起こり(10章参照)、イスラエル全軍が出陣したとき、ダビデは王宮に残っていました(1節)。「年が改まり、王たちが出陣する時期」とは、春は戦争の季節ということになるのでしょう。

 しかしながら、ここでは、かつてダビデは兵士の先頭に立って出陣していたのに(サムエル記上18章13,16節)、今回はエルサレムに留まっています。それが問題だということを示すため、そのように言い表しているようです。

 ある日の夕暮れ、昼寝から覚めて王宮の屋上を散歩していたとき、水浴をしている一人の美しい女性が目に留まります(2節)。使いを出して女性のことを調べさせると、エリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻であるということです(3節)。

 エリアムもウリヤも、ダビデの勇士のうちに数えられる兵士であり(23章34,39節)、エリアムの父アヒトフェルは、ダビデの顧問です(15章12節)。女性の父エリアムや、夫ウリヤが自分の勇敢な兵卒で、今、アンモンとの戦いのために戦場に赴いているという状況です。

 そのうえ、「彼女は清めから身を清めたところ」(4節)、即ち、月経の期間中で、彼女に触れることは「汚れ」を身に受けることになる時期だということです(レビ記15章19節以下)。それら、ダビデにもたらされた情報すべてが、彼がこれからしようとしていることを諦めさせようとするイエローカードです。

 ところが、それらのことを知りながら、ダビデは使いを出してその女性を王宮に招き、床を共にしてしまいました(4節)。二人の間のやり取りは記録されていません。ただ、家に帰った女性から、「子を宿しました」(ハーラー・アノヒー)という単語二文字の短い報告が、ダビデのもとに届けられただけです。

 報告を受けたダビデは、ヨアブにバト・シェバの夫ウリヤを戦地から送り返すよう命じ(6節)、そうして家に帰らせようとします(8節)。それは勿論、ウリヤを労うふりをして、自分の姦淫の罪をごまかすためです。

 戦地から戻って来たウリヤにダビデは、ヨアブの安否、兵士の安否、戦況について尋ねました(7節)。「戦況」は、「戦争の安否」という言葉遣いで、「安否」は、シャロームという言葉です。つまり、ダビデは自分の罪をごまかす算段のために、三度「シャローム」を口にしているのです。

 報告を受けたのち、ダビデはウリヤに、「家に帰って足を洗うがよい」と言います(8節)。ウリヤにとってその言葉は、婉曲に性交を促す言葉で、軍隊の男たちの間で交わされるからかいの言葉のように聞こえたのではないかと、註解書に記されていました。

 王の贈り物を受け取り、王宮を退出したウリヤですが、しかし、彼は家には帰りませんでした(9節)。ダビデが理由を尋ねると、冒頭の言葉(11節)の通り、「わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか」と答えました。ここに、ウリヤの誠実さ、ダビデやヨアブに対する忠臣ぶりが示されます。

 ウリヤは「ヘト人」、即ち、カナンの子ヘトの子孫です(創世記10章15節、23章3節参照)。異邦人のウリヤが、神の箱が戦場に運ばれていることを気にかけ、「仮小屋」という表現で、イスラエルもユダも、国を挙げて臨戦態勢でいることを言い表し、何より、司令官ヨアブや主君の家臣たち、つまり、彼の仲間が戦場にいて危険な戦いをしていることを気遣っています。

 だから、そんな戦いの最中に、自分一人気を抜き、妻と楽しみ過ごすことなど出来ないというわけですが、これは本来、ダビデが言わなければならないことでした。そして、ダビデがそう思っていたならば、当然のことながら、自分の部下の妻と姦淫することもありませんでした。

 簡単に誤魔化すことは出来ないと悟ったダビデは、ウリヤを食事に招き、酒に酔わせて家に帰そうとしますが、それも功を奏しませんでした(13節)。かくて、ウリヤを家に帰らせて姦淫を誤魔化すという策は、破綻してしまいました。

 そこで、ダビデは、「ウリヤを最前線に出して一人置き去りにし、戦死させよ」という司令官ヨアブに宛てた手紙を、そうとは知らないウリヤに持たせます(14,15節)。ヨアブはその命令に従い、激戦地にウリヤを送って、戦死させました(17節)。

 勇士の一人に数えられるウリヤですから、今回も最後まで勇敢に戦ったと思います。そして、王ダビデに対し、絶対忠誠を誓っていますから、自分を激戦地で戦死させるようにという親書をヨアブに届けるときも、激戦の最前線に出されても、そこでダビデ王の真意を疑うようなことは、微塵もなかったことでしょう。

 ダビデは、ウリヤの喪が明けた後、彼の妻を王宮に引き取り、自分の妻としました(27節)。ほとんどの者はダビデの企みを知りませんから、その行為を、ダビデの好意と考えたでしょう。

 知っているのは司令官ヨアブだけですが、彼は王の命令に従ってウリヤを戦死させた共犯者ですから、沈黙せざるを得ないでしょう。そして、王がおのが思うままに振る舞うのは、当時の常識というものだったのではないかと思います。

 ダビデは、自分の姦淫の罪を覆い隠し、王としての威厳を保つために、勇敢で忠実な僕ウリヤを殺し、その妻を自分のものにしてしまいました。こうして、殺すな、姦淫するな、隣人のものを欲するなという十戒に背きました(出エジプト記20章13,14,17節)。

 「全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行う」(8章15節)べき王が、「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」(27節)と言われる罪を犯してしまったのです。

 この27節の言葉は、25節の「そのこと(敵の城門に押し寄せ、ウリヤが戦死したこと)を悪かったとみなす必要はない」という言葉との対比で、ダビデの心がその時、いかに主から離れていたのかということが明示されます。

 しかしながら、そのことはダビデひとりの問題ではありません。すべきことを知っていながらそれをすることが出来ず、してはならないと知りながら、「分かっちゃいるけど、辞められない」とうそぶきながら、それをしてしまう私たちです。

 パウロも、ローマ書7章15節以下でそのことを記し、「もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に住んでいる罪なのです」(同20節)と訴えています。

 第一テモテ書1章15節で、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(口語訳、新改訳:「罪人のかしら」)というとき、それは、かつてクリスチャンになる前は、そうだったというのではありません。テモテに対し、老伝道者となったパウロが、現在形でそのように語っているのです。 

 信仰が深まると、罪と無縁の生活になるというのではなく、むしろ、ますます自分の罪深さに打ちのめされるような思いになるというのでしょう。だから、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ書7章24節)と言います。

 しかし、自分でその死の体から逃れることはできなくても、パウロを救ってくださるお方がおられます。ゆえに、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」(同25節)と言うのです。

 さらに、「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(同8章14,15節)と告げています。

 ウリヤに、信仰の姿勢を学びましょう。忠実に主の御言葉に耳を傾け、喜びをもって御霊の導きに従いましょう。信仰によって勝利出来るよう、共に主の導きを祈りましょう。

 主よ、私たちはあなたを「アッバ、父よ」と呼びます。憐れみを乞います。弱い私たちの祈りに耳を傾け、憐れんでください。私たちの助けとなってください。あなたは私たちの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせて喜びを帯としてくださいます。いつも主を仰ぎ、御言葉に従って行動することが出来ますように。そうして、絶えず唇の実を主にお献げすることが出来ますように。 アーメン

 

4月15日(日) サムエル記下10章

「アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出し、町の中に入った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った。」 サムエル記下10章14節

 アンモンの王ナハシュが亡くなったという報せに、ダビデは生前の関係から使節を遣わして哀悼の意を表そうとしました(1,2節)。ここでダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言っています。

 9章と10章をつなぐキーワードは、「忠実 faithfull 」という言葉です。いずれも、ダビデがその忠実さを相手に示そうという言葉遣いになっています。9章では、サウル家に対して「忠実」を尽くしたいと言い(9章1,3,7節)、10章では、アンモンの王に対して「忠実」であるべきだと言っています(10章2節)。

 ここで、「忠実」と訳されているのは、ヘブライ語の「ヘセド」という言葉です。この言葉は通常、「憐れみ mercy、親切 kindness、善いこと goodness」などと訳される言葉ですが、旧約聖書において、「愛」を示す言葉として用いられています。

 特に、主なる神と人との間の契約における忠誠心、誠実さ、真実を示すものです。主はどんなときにも誠実に真実に、恵みをお与えくださるので、私たちも忠実に主に仕えましょうということです。

 そもそも、アンモン人はアブラハムの甥ロトの子孫です。だから、主はイスラエルの民に「あなたは、今日、モアブ領アルを通り、アンモンの人々のいるところに近づくが、彼らを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない。わたしはアンモンの人々の土地を領地としてあなたには与えない。それは既にロトの子孫に領地として与えた」と、申命記2章18,19節に記されております。

 アンモンの領地は、ヨルダン川の東、ギレアドの地の東側にあります。ただ、アンモンの王ナハシュは、サウル王が即位した時、ギレアドのヤベシュに攻め上って来て、彼らを酷い言葉で脅したため、サウルに打ち負かされています(サムエル記上11章1節以下)。その後、ダビデと友好関係にあったことを示す記事は、見あたりません。

  あるいは、ダビデがサウルに追われて逃亡生活を余儀なくされていたとき、両親をモアブの王に託していたことがありますが(同22章1節以下、3,4節)、同様に、アンモンの人々がダビデに親切にするということがあったのかも知れません。

 ところが、ナハシュの息子ハヌンの重臣たちは、ダビデの遣わした弔問使節をスパイと断じ(3節)、彼らのひげを半分そり落とし、衣服も半分切り落とすという侮辱を加えて追い返しました(4節)。国を代表して弔問にやって来た使節に対し、そのような仕打ちをするのは、愚かとしか言いようがありません。

 当然のことながら、それによって、ダビデの怒りを買ってしまいます。ダビデの憤りを知らされたアンモンでは、早速戦いの用意を始めます。そこで先ず、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に歩兵2万、マアカの王には兵1千、トブには1万2千の兵と、合計3万3千の兵を傭兵として派遣するよう、それぞれ要請しました(6節)。

 ということは、自分たちの兵力、軍事力だけでは、イスラエルと戦えないと考えたわけです。それが適切な判断ということなのでしょうが、そうであるならば、徒らにダビデの派遣した使節を侮辱して、戦争の火種を播くような愚かな振る舞いに及ぶべきではなかったのです。

 アンモンの都はラバです。今日のヨルダン王国の首都アンマンと同定されています。エルサレムから東におよそ60㎞といった距離にあります。イスラエル軍がラバの城門まで押し寄せて来たとき、アンモンの王ハヌンは、城内から戦いを仕掛けるアンモン軍と、野に配置したアラム連合軍で、挟み撃ちする作戦でした(8節)。

 それに対して、イスラエル軍の司令官ヨアブは、城内のアンモン軍と場外に配置されたアラム連合軍を見て、イスラエル軍を二つに分け、選りすぐりの精鋭部隊をヨアブが率いてアラム連合軍に当たり(9節)、残りは弟アビシャイに委ねてアンモン軍に向かわせることにしました(10節)。

 ところが、ヨアブ率いるイスラエルの精鋭がアラム連合軍に近づくと、彼らは早々と戦線を離脱してしまいました(13節)。全く頼りにならない輩です。請われてやっては来たけれども、命を懸けるほどの義理はないということだったのでしょうか。

 すると、アラム連合軍が逃げたのを知って、アンモン軍も戦意を失い、城内に逃げ込んでしまいました。こうして、ほとんど刃を交わすこともなく、無血でイスラエルが勝利を獲得したのです。

 ところが、戦う前に敵前逃亡して面目丸つぶれのアラム連合軍は、ツォバのハダドエゼル王の指揮の下、遠くアラム・ナハライム軍も動員してあらためて連合軍を編成し、雪辱のためガリラヤ湖東方50㎞ほどのところにあるヘラムまで押し寄せて来ました(15,16節)。それに対し、今度は、ダビデ自身が全軍を率いてアラム軍を迎え撃ちます(17節)。

 この戦いで、アラム連合軍は、戦車7百、騎兵4万、そして軍の司令官ショバクも失うことになりました(18節)。アラム諸国は、払わなくてもよかった犠牲を払い、そして、イスラエルに隷属させられてしまうのです(19節)。

 ここであらためて、冒頭の言葉(14節)にあるイスラエル軍の司令官ヨアブのとった行動には驚かされます。彼は、勢いにまかせてアンモンの都ラバに攻め込んだというのではありません。彼らは町に逃げ込んだアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰るのです。

 戦利品も獲らず、賠償金も受け取らずに引き揚げたのでは、死者が辱められたことの報復にならないでしょう。そんなことで、面目が立ったということになるのでしょうか。ただ、そもそもこれは、ダビデ・イスラエルが望んだ戦いではありません。故ナハシュ王への弔問から始まったことでした。

 そして、自ら恥を雪ごうとしなくても、主なる神はイスラエルをユーフラテスの向こうのアラム軍に勝利させ(18節)、その勢力がアラム・ナハライムにまで及ぶようにしてくださって(19節)、もはや、アンモンはイスラエルの敵ではなくなってしまったのです。

 私たちは今日、右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい(マタイ5章39節)、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(同44節)と教えられています。出来るかと尋ねられて、「はい」と答えるのは容易いことではありません。むしろ、右の頬を打たれたら、相手の左の頬をイヤというほど殴り返してしまうでしょうし、自分を傷つける敵は、愛せないからこそ「敵」なのです。

 それを教えられた主イエスは、自ら十字架の上で身をもってそれを実行されました。あらゆる侮辱にも激昂されることなく、むしろ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と祈られ、天国の門を広く開かれました。主イエスがそのようにして私たちに「ヘセド」恵み憐れみをお示しくださったのです。

 日毎に主イエスを仰ぎ、その御言葉に忠実に耳を傾け、その導きに従ってまっすぐに歩ませていただきましょう。

 主よ、今も戦火を交えている国,地域に住む人々を覚えてください。テロとの戦いと称して始められた戦争が、未だ終結の時を迎えてはいません。むしろ、テロを拡大させています。一刻も早く戦闘が終結し、全世界に平和が訪れますように。平和の源であられる神の御心がその地に行われ、その喜びが隅々にまで広げられますように。すべての者が神の御前に膝をかがめ、その御言葉に忠実に聞き従う者となりますように。 アーメン

 

4月15日(日)主日礼拝説教

4月15日(日)主日礼拝には、教会員13名、来賓9名(子ども2名を含む)がお見えになりました。感謝です。

主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「主の道」
聖書 ルカ福音書9章51~56節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師

御覧ください。

 

4月15日(日(日)主日礼拝案内

03

4月15日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・コリントの信徒への手紙から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。
礼拝では、ルカ福音書9章51~56節より「主の道」と題して、原田牧師の説教を聴きます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。

 
キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、昼食会(300円・自由参加)を行います。


昼食会後、各会例会を行います。











 

4月14日(土) サムエル記下9章

「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」  サムエル記下9章7節

 ダビデ王は、エブス人の町エルサレムを陥落させて「ダビデの町」と呼び(5章6節以下)、そこに王宮を建て(同11,12節)、天幕に契約の箱を安置し(6章1節以下)、また、行政機構を整えました(8章15節以下)。神殿も建てたいと願ったダビデでしたが(7章2節)、それは子の代に実現するという主なる神の約束を頂きました(同12,13節)。

 こうして、国の礎が堅固になったとき、ダビデはかつて親友ヨナタンと結んだ契約を思い出しました。それは、「主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」(サム上20章15節)というものです。ダビデは、サウル王から命を狙われましたが、サウルの息子ヨナタンからは、真実な友情で守られ、励ましを受けました。

 そこで、サウル家の残りの者を探します(1節)。すると、ヨナタンの息子がただ一人生き残っているということが分かりました(3節)。ヨナタンの息子については3章4節に、サウルとヨナタンの訃報が届いたとき、乳母が抱いて逃げたと報告されていましたが、どこにいるのかは記されていませんでした。

 彼は、ヨルダン川の東、ガリラヤ湖の南東15キロほどの「ロ・デバル」(新共同訳聖書付録聖書地図4参照)にあるアミエルの子マキルの家にかくまわれていました(4節)。「ロ・デバル」とは、牧場がないという意味です。

 サウルの死後、その子イシュ・ボシェトが軍の長アブネルに担がれて王となり、首都を置いたマハナイムから(2章8節)、北におよそ45kmの距離にあります。首都がマハナイムに置かれ、伯父イシュ・ボシェトが王となっていても、そこに身を寄せようとは考えなかったわけです。

 ヨナタンの子をかくまっていたロ・デバルのアミエルの子マキルについて、17章27節にもう一度登場して来て、ダビデが息子アブサロムの謀反により王宮を逃げ出してマハナイムに到着した際、寝具、食器、麦類、豆類、蜂蜜、凝乳、羊などを提供して、ダビデとその一行を援助しています。

 ダビデは早速、人を遣わしてヨナタンの息子をエルサレムに連れて来させます(5節)。ヨナタンの息子は、名を「メフィボシェト」(6節)といいます。これは、「恥を振りまく者」という意味です。

 本来の名は、歴代誌上8章34節にあるとおり「メリブ・バアル(「主に愛される者」の意)」だったはずです。しかし、「バアル」が異教の神を思わせること、そして、ダビデを敵視したサウルの孫ということで、イシュ・ボシェト同様、故意に読み替えられているわけです。

 ダビデ王の前に呼び出されたメフィボシェトは、恐れてひれ伏します。当時は、新しい王が立てば、自分の身の安全,王朝の安泰を図るために前王の親族、関係者をすべて殺すというのが常識のようなものでした。だから、自分の名が呼ばれたとき、ただ「僕です」と答えるのが精一杯だったのです(6節)。

 そのときにダビデがメフィボシェトに語ったのが、冒頭(7節)の「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」という言葉です。「忠実」とは「ヘセド(慈しみ)」という言葉ですが、ここではヨナタンとの契約に基づくものなので、「忠実」と約されています。

 メフィボシェトは、このダビデの言葉をどのように聞いたのでしょうか。もしかすると、父ヨナタンから、ダビデとの関係を聞かされていたのかも知れません。けれども、そのときは父ヨナタンが皇太子で、ダビデは家臣という関係でした。今は立場が完全に逆転しています。

 ダビデが本当に父ヨナタンとの約束を守るかどうか分かりませんし、祖父サウルがダビデを亡き者にしようと執念深くつけ狙い続けていたことを考えれば、復讐されると考える方が自然だったことでしょう。学者たちの中には、メフィボシェトをダビデの食卓に連ならせたのは、ダビデが彼の動向を監視するためだと考える人々もいます。

 しかしながら、ダビデは、自分の命を狙っていたサウルに対してさえ、主に油を注がれた者として、繰り返し好意を示しました(サムエル記上24,26章)。ましてメフィボシェトは親友ヨナタンの息子であり、その家を憐れむと約束している仲です。このダビデの言葉に、嘘偽りなどなかったことでしょう。

 そうしてダビデは、サウルの従者であったツィバを呼び、メフィボシェトに与えることにしたサウルの所有のものをすべて管理し、メフィボシェトのために生計を立てるように命じます(9,10節)。そして、「メフィボシェトは、いつもわたしの食卓で食事をすることになる」(10節)と言い渡しました。

 12節に、メフィボシェトにミカという名の幼い息子がいたと言われています。であれば、ヨナタンの孫にあたるミカも、ダビデの好意を受け、共に食事をするようになったのかも知れません。

 ところで、サウルとヨナタンの訃報が届いたときに5歳だったメフィボシェトが(4章4節)、いつの間に子をなしたのでしょうか。サウルの死後、ダビデはヘブロンでユダの王となり、7年6ヶ月後、エルサレムで全イスラエルを統治する王になったということですが(5章5節参照)、契約の箱を都に運び、四方を平定するのにずいぶん時間がかかったということでしょう。

 今日の私たちは、主イエスの前に、このメフィボシェトと同じ立場です。主イエスが、神の御前に「惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者」(黙示録3章17節)という罪人でしかない私たちの家を訪ね、すべての罪を赦し、共に食事をしようと招かれます(黙示録3章20節)。

 今日も主が私たちを、御自分の食卓に招いておられます。この主イエスの恵みの招きにどのように応えましょうか。ご自分の命をかけて愛してくださる主に、心からの感謝を込めて主の食卓に連ならせていただきましょう。

 主よ、私たちは何者でしょうか。あなたの独り子キリスト・イエスの命と引き換えに、神の子としてその食卓につかせて頂けるような存在であろうはずがありません。そのご愛に報いるすべも知りません。ただ、主を仰ぎ、導かれるままその座に連なり、感謝を込めてその恵みを喜び歌うのみです。ハレルヤ! アーメン!

 


プロフィール

pastabco

記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • 4月22日(日)主日礼拝説教
  • 4月22日(日)主日礼拝案内
  • 4月15日(日)主日礼拝説教
  • 4月15日(日(日)主日礼拝案内
  • 4月8日(日)主日礼拝説教
  • 4月8日(日)主日礼拝案内
  • 4月1日(日)イースター礼拝説教
  • 4月1日(日)イースター礼拝案内
  • イースター案内
  • イースター案内
  • 3月30日(金) 受難日礼拝説教
  • 3月30日(金)受難日礼拝・4月1日(日)イースター礼拝案内
  • 3月25日(日)主日礼拝説教
  • 3月25日(日)主日礼拝案内
  • 3月18日(日)主日礼拝説教
livedoor 天気
J-CASTニュース
楽天市場
Amazonライブリンク
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ