風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2月13日(火) 士師記5章

「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが、イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか。」 士師記5章8節

 1節に「デボラとアビノアムの子バラクは、その日次のように歌った」と記されていますが、「歌った」の動詞は三人称単数・女性形であり、5節の「わたしデボラは」などといった表現から、これは「デボラの歌」と言われています。同様の理由から、岩波訳ではこれを「デボラはアビノアムの子バラクを伴い、歌って言った」と訳しています。

 この歌は、20年にわたってイスラエルを苦しめたハツォルの将軍シセラの軍勢に勝利し、カナンの王ヤビンを滅ぼして、救いをお与えくださった神を賛美するものです。

 これはちょうど、過越の出来事の後、イスラエルの民が解放されて意気揚々と国を脱出したとき、エジプトのファラオがもう一度彼らを奴隷とするために追いかけて来たのを、主なる神が葦の海の奇跡をもって打ち破られて(出エジプト記14章)、モーセや女預言者ミリアムが主を賛美したのと同様です(同15章)。

 4,5節で「主よ、あなたがセイルを出で立ち、エドムの野から進み行かれるとき、地は震え、天もまた滴らせた。雲が水を滴らせた。山々は、シナイにいます神、主の御前に、イスラエルの神、主の御前に溶け去った」というのは、まさにエジプトからイスラエルの民を解放された神が、今ここに立ち上がって、デボラとバラクに勝利をお与えになったと歌っているわけです。

 「アナトの子シャムガルの時代、ヤエルの時代に、隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた」(6,7節)というのは、シャムガル(3章31節)が士師として働く前後の時代ということでしょうか。シャムガルは、フリ語で「シムグ(神)が賜った」という意味の名であり、父アナトも、カナンの戦いの女神の名であることから、カナン出身の人物だったと考えられます。

 そのころ、イスラエルが神に背いたために、カナンの王ヤビンが鉄の戦車を用いてイスラエルを苦しめ(4章1節以下)、主要な隊商路、街道では通行税を取り立てたので、人々は脇道を利用するようになったということでしょう。

 また、畑が荒らされて、農民たちは耕作を諦め、強い者に隷属せざるを得なくなったということで、イスラエルがカナン人に隷属させられるようになったということを示していると考えられます。

 「ヤエル」(6節)は、「ヘベルの妻ヤエル」(4章21節)を指すと考えられ、シャムガルの時代、ヤエルの時代と並列になっているということから、彼らの登場はほぼ同時代で、ここに描かれているのは、その時代状況ということになるでしょう。そんなときに、女預言者デボラが士師とされ、立ち上がったのです。

 冒頭の言葉(8節)で「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが」とあるのは、ヒゼキヤの代に、アッシリア軍がイスラエルに攻め込み、首都エルサレム陥落も時間の問題となったという状況を思い浮かべます(列王記下18章13節以下)。

 そのとき、そこにイザヤがいなければ、そして、主がヒゼキヤの祈りに応えてくださらなければ、北イスラエル同様、南ユダもアッシリアに打ち破られ、イスラエルの命脈は途絶えてしまったことでしょう。

 「イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか」というのは、鉄の戦車9百両を押し立ててやってくるシセラ軍に対し、兵士は4万人いるものの、なんとその手には槍も盾もない、ほぼ丸腰のような状態だったということでしょう。これでは、初めから戦いになりません。

 それにも拘わらず、「奮い立て、奮い立て、デボラよ、奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ。立ち上がれ、バラクよ、敵をとりこにせよ、アビノアムの子よ」(12節)と言われます。到底、ほめ歌を歌えるような心境にはなれそうもありませんし、そんな状態で、奮い立ってシセラ軍に対抗しようというのは、およそ無謀としか言えないようなことでしょう。

 けれども、神はイスラエルのために特別な仕掛けを用意しておられたのです。20,21節に「もろもろの星は天から戦いに加わり、その軌道から、シセラと戦った。キション川は彼らを押し流した、太古の川、キション川が」と記されています。古代イスラエルでは、星が雨を造ると信じられていました。

 つまり、タボル山に集結したイスラエル軍に対し、シセラ軍はキション川に集結しますが(4章6,7節)、突然の大雨でキション川が溢れ、鉄の戦車も押し流されて、全く使い物にならなかったということでしょう。

 4章15節に「主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた」とありましたが、それは、川の氾濫が原因だったというわけです。

 イスラエルの兵士たちはほとんど武器を持っていませんでしたが、万軍の主が彼らのために、彼らと共に戦ってくださり、勝利を収めさせられました。デボラとバラクに「奮い立て」と言われたのは、「主を信頼せよ」という表現だったわけです。

 これは、ヨシュアに対して「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア記1章6節など)と主が告げられていたのと同じです。主を信じる者の幸いを、ここに見ることが出来ます。

 日々主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、いつも信仰をもって応答する者とならせていただきましょう。

 主よ、私たちの信仰の目が開かれ、どのような状況下においても共におられ、私たちのために御業をあらわしてくださるあなたに目を留めることが出来ますように。信仰の耳が開かれ、「奮い立て」と言われる主の御声をさやかに聞くことが出来ますように。そして、主の御業を拝して、心から御名を褒め称えさせてください。 アーメン




 

2月12日(月) 士師記4章

「わたしも一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」 士師記4章9節

 ベニヤミン人の士師エフドが亡くなると、イスラエルの民はまたも神に背いてその怒りを買い(1節)、ハツォルを治めていたカナンの王ヤビンの手に渡されました。ヤビンは20年にわたり、イスラエルをその力で押さえつけました(3節)。

 カナンの王ヤビンについて、ヨシュアによって剣で殺され、ハツォルは火で焼かれたと、ヨシュア記11章10,11節に記されています。ハツォルを再建したカナン人の王が、ヤビンと名乗ったということでしょうか。

 イスラエルの民が主に助けを求めて叫んだので、神はエフライム人ラピドトの妻、女預言者デボラを士師として立てられます(4節)。アロンの姉ミリアムが女預言者と言われ(出エジプト記15章20節)、ヨシヤ王の時代には、見つかった律法の書を持って女預言者フルダの許に主の御旨を伺いに行ったという記事があります(列王記下22章14節)。

 また、清めの期間(生後40日)が過ぎて神殿に詣でた主イエスの両親を女預言者アンナが迎えて神を賛美しました(ルカ福音書2章22節以下、36節)。執事・福音宣教者として活躍していたフィリポの4人の娘たちも預言をしていたと語られるなど(使徒言行録21章8,9節)、旧新約聖書のあちこちに女性の預言者が登場し、よい働きをしています。

 デボラは、ナフタリのケデシュから、アビノアムの子バラクを呼び寄せます(6節)。「ナフタリのケデシュ」は、ガリラヤ湖の北およそ20kmにある町であり、また「逃れの町」」として選ばれたところでもあります(ヨシュア記20章参照)。

 エフライム人のデボラが北端の町の住民であったバラクを呼び寄せたということで、彼を予め知っていたデボラの活動の広さを思わせるところですが、むしろ預言者として、神の霊感によってバラクの存在を知ったのでしょう。

 ただ、デボラの夫の名「ラピドト」は「稲光」を表わし(出エジプト記20章18節)、「バラク」は「稲妻」を表わすヘブライ語の普通名詞です。「稲妻」と「稲光」、単なる言葉遊びかも知れませんが、もしかしてバラクのあだ名がラピドトで、二人は実は夫婦ではないかというのは、読み込み過ぎでしょうね。

 ハツォルはケデシュの南10kmにあり、ナフタリ族の嗣業の地に属する町です。後に、ソロモン王がこの町を要塞化し、北の守りの要としました(列王記上9章15節)。ヤビンは9百両もの戦車を有しており、イスラエルの民はその力に対抗出来ませんでした。

 バラクはケデシュの住民として、ハツォルの王ヤビンの力を知らないはずはありません。それでもデボラの要請に応えて立ち上がったのは、彼も女預言者デボラの士師としての働きを知っていたからでしょう。

 そして勿論、ここでヤビンを倒せば、同朋が苦しみから解放されて自由を得ることが出来ます。そこで、「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません」と言いました(8節)。

 冒頭の言葉(9節)は、デボラの返答です。「わたしも一緒に行きます」は、原文には、「必ず」という表現があります(口語訳、新改訳、岩波訳参照)。そこに、士師としてのデボラの意志があります。バラクの求めがなくても、そのつもりだったというところでしょう。

 しかし、バラクに同行を求められて、デボラは「今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と言います。これは、「わたしは彼をおまえの手に渡す」(7節)と言われた主の御言葉よりも、女預言者デボラの力と働きに頼ろうとしたため、主からの栄誉を受けられなくなったということなのでしょう。

 「女の手にシセラを売り渡される」 というのは、バラクよりもデボラの方が凛と立っているということで、栄誉が女の手に与えられることになると読むことも出来そうです。しかし、結末はもっと意外なものでした。

 ヤビンの将軍シセラは、主によってバラクの前に混乱させられ、軍勢が一人残らず剣に倒れました(15,16節)。シセラ一人だけが逃げ延びて、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に入り、身を隠します(17節以下)。

 ところが、ヤエルは天幕の釘を、安心して熟睡しているシセラのこめかみに打ち込み、死なせました(21節)。デボラが語ったとおり、主なる神がシセラを女の手に売り渡されたので、そこで命を失ってしまったのです。

 シセラがヤエルに、「人が来て、ここに誰かいるかと尋ねれば、だれもいないと答えてほしい」(20節)と言っていましたが、「誰かいるか」を正確に訳すと、「男(イーシュ)はいるか」です。

 確かに、女性のスカートの陰に逃げ込むような男は、既に「男」でなかったのかも知れません。シセラは同族のカイン人の女性の手に落ちて、生涯を閉じました。確かに、バラクがやって来たときには、へベルの妻ヤエルの手によって、彼女の天幕で「男」は息絶えていたのです(22節)。

 その後、戦局は一変し、カナンの王ヤビンはイスラエルの前に屈服させられ(23節)、やがて滅ぼされてしまうことになりました(24節)。ここに、自分たちを苦しめていた敵が完全に打ち破られたので、その栄誉が自分のものにならなかったからといって、バラクは嘆くことなく、きっと、その勝利を喜んだことでしょう。

 このように、デボラが語っていたとおりになったということは、ハツォルの軍勢を混乱させて打ち破らせられ、シセラがひとり走って逃げてヤエルの天幕で命を落とすことになった背後に、王ヤビンを滅ぼしてイスラエルをその苦しみから救うという神の御手の業があったということです。

 ということは、シセラを倒し、イスラエルをその苦しみから解放した栄誉は、バラクや女預言者デボラは勿論、シセラに手を下したヤエルのものでもなく、すべて、主のものなのです。

 日々主と主の御言葉に信頼し、その導きに従って歩みましょう。

 主よ、私たちは目に見えるものに振り回され、しっかり握りしめられる確かさを持っていたいと思うものです。もういちど、目に見える一時的なものではなく、見えずとも永遠に続くものに目を留めます。絶えず御前に謙り、御言葉に従って行動させてください。御名が崇められますように。御心がなりますように。 アーメン

 

2月11日(日) 士師記3章

「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行った。彼らが主の目に悪とされることを行ったので、主は、モアブの王エグロンを強くすることでイスラエルを脅かされた。」 士師記3章12節

 1節に「カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせた諸国の民は以下のとおりである」とあり、異教の民を追い出せと言われる神が、イスラエルの民が主の御言葉に従うかどうかを試すため、簡単には追い出せないようにしておられたということです。

 イスラエルの民は、残念ながら、主なる神の試験に繰り返し失敗し、先住民との婚姻を行い、彼らの神々に仕えました(5,6節)。2章で告げられていたとおり、彼らは神の家=ベテルであるべきところを「ボキム」(泣く者)としたのです(2章3~5節)。そのことについて、7節以下にその実態が記されています。

 イスラエルの人々が主を忘れてバアルとアシェラに仕え(7節)、神の怒りを買ったため、アラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に渡され、8年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければなりませんでした(8節)。アラム・ナハライムとは、2つの川のアラム、即ち、チグリス、ユーフラテスに挟まれたアラムという、メソポタミア地方北西部のことです。

 民が主に助けを求めたので、主なる神は、ユダ族はカレブの弟ケナズの子オトニエルを「救助者」として立て、彼らを救われました(9節)。オトニエルについては、1章12節以下に登場して、キルヤト・セフェルを占領し、カレブの娘アクサを嫁にしていました(ヨシュア記15章13節以下も参照)。

 嗣業の地を受けたのは、カレブが85歳のときです(ヨシュア記14章6節以下)。士師記は、カレブと同年輩のヨシュアが110歳で亡くなった後の時代です。記述通りであれば、オトニエルはこの時、何歳になっていたのでしょうか。

 よく分かりませんが、そのオトニエルが、イスラエルの救助者として、最初に登場する士師となりました。そして、その働きにより、イスラエルは40年にわたり、平穏な毎日を過ごすことが出来ました(11節)。

 2章18,19節に「主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった」と語られていました。

 それがどういうことか、直ぐに示されます。士師オトニエルが召されると、冒頭の言葉(12節)の通り、イスラエルの民は、またもや主の目に悪とされることを行うのです。このことについて、懲りないというか、過去に学べないというか、これは、いにしえのイスラエルの民だけの問題ではなく、私たち日本人も含め、人間の愚かさを見ることが出来るのではないかと思います。

 そこで、主はモアブの王エグロンを強くされ、イスラエルを脅かされました(12節)。かつてモアブは、近づいてくるイスラエルの前に戦う以前に気力が失せてしまった王バラクが、遠くユーフラテス川流域のペトルから預言者バラムを呼び寄せ、イスラエルを呪わせようとする事件がありました(民数記22~24章)。そのとき主はバラムに、呪いに代えてイスラエルの祝福を語らせられました。

 しかしながら、ここで命に背いて主を怒らせ、主が味方されなくなったイスラエルは、モアブに対抗できません。それから18年にわたり、モアブの王エグロンに貢ぎ物を送り、仕えなければなりませんでした(14節)。その苦しみの中で、民が主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らのために再び救助者を立てられます。それが、二人目の士師、ベニヤミン族のゲラの子エフドです(15節)。

 エフドは左利きであったと言われます。ここには、言葉遊びが隠れています。ベニヤミンというのは、「右手の子」という言葉です。「右手の子」と呼ばれる部族に、左利きの士師エフドが立てられるというのは、何ともいえない主のユーモアでしょう。

 また、ベニヤミンは、関係の深いマナセ、エフライムの南に嗣業の地を得ました。「ヤーミン」には「南」という意味もあります。東を向いて祈るとき(オリエンテーション)、右方向は南を指すからです。マナセ、エフライムの南の民ということで、ベニヤミンと呼ばれたのかも知れません。

 同様に、モアブの王エグロンの名は4回言及され(12,14,15,17節)、「王は非常に太っていた」(17節)と言われます。エグロンが「小さい子牛」を意味するという註解もあります。貢物に対して貪欲というイメージを持たせるかのようです。 

 エフドは、貢ぎ物を携えてモアブのエグロン王を訪ねました(15節)。エフドは左利きだったので、通常は左腰に下げる剣を右腰に下げており、それを上着で隠していたために(16節)、それと気づかれずにエグロン王の執務室に入ることが出来ました。そして、まんまと王を暗殺することに成功したのです(21節以下)。

 部屋に錠がかかっているのを、王が用を足していると考え(24節)、従臣たちが王のお出ましを待っている間に、エフドは抜け出してセイラに逃れ(25,26節)、そこで今度はエフライム山地に角笛を吹いて兵を集め(27節)、エフドを追ってヨルダン川を渡って来ようとするモアブ人を打ちます(28節)。モアブ人はさんざん打ち破られ、それから80年、国に平和が戻ったのです(30節)。

 私たちは、父なる神の許から遣わされた救い主イエス・キリストを信じて罪赦され、永遠の命を受け、神の子とされました。それは、考えることも出来ない驚くべき恵みです。心から主に感謝し、信仰の正道をまっすぐに、御言葉に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、強力な指導者がいなくなれば直ぐに背き、異教の神々に仕えてあなたを怒らせる民の叫びに耳を傾け、その都度、救助者をお立てになります。そこに深い主の愛と憐れみを見ます。私たちもその愛と憐れみによって救いに与り、今日まで信仰の道を歩んで来ることが出来ました。感謝です。常に主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩むことが出来ますように。 アーメン

 

2月11日(日)主日礼拝説教

2月11日(日)の教会学校に、いつも東京の教会で教会学校に出席している小学校一年生とそのお母様、2歳の弟君が、静岡在住のお祖母様と一緒に出席されました。
主日礼拝には、教会員13名、来賓14名(子ども4名を含む)がおいでになりました。
礼拝後、ギデオンラリー(ギデオン協会の活動報告と立証・献金のとき)が行われました。
感謝でした。

主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「誰が触れたのか」
聖書 ルカ福音書8章43~48節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。

 

2月11日(日)主日礼拝案内

02

2月11日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・マルコ福音書から、共に聖書の学びと交わりを行います。

主日礼拝を10時半から行います。
礼拝では、ルカ福音書8章43~48節より「誰が触れたのか」と題して、原田牧師の説教を頂きます。

礼拝の最後に、ギデオン協会静岡支部の鈴木様、日下様によるギデオン協会の活動報告と体験談、ギデオン協会への自由献金のときがあります。
ギデオン協会は、世界中の学校、ホテルなどで聖書贈呈を行っている団体です。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。

写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


教会学校、主日礼拝を通して、皆様に主の恵み、導きが豊かに広がりますように。

 
礼拝後、定例執事会を行います。





 
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