風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

1月19日(金) ヨシュア記4章

「ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。」 ヨシュア記4章9節

 民がヨルダン川を渡り終えた時(1節)、主がヨシュアに「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい」(2,3節)と命じられました。

 それは、ヨルダン川の流れが主の契約の箱の前でせき止められたことを記念する、記念碑なのです(7節)。神がイスラエルの民のためにヨルダン川の流れをせき止め、乾いたところを渡らせたというのは、驚くべき出来事です(22節)。そう何度も経験出来ることではありません。

 23節に「それはちょうど、我々が葦の海を渡りきるまで、あなたたちの神、主が我々のために海の水を涸らしてくださったのと同じである」と記されているとおり、イスラエルの民は、エジプトを脱出するときに葦の海を渡る奇跡を経験し、そして、約束の地に入るとき、ヨルダン川を渡る奇跡を経験しています。

 いわば、シナイの荒れ野の旅が、葦の海の奇跡で始まり、ヨルダン川の奇跡で閉じられたということになります。

 しかしながら、その両方を経験したのは、エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアの二人だけです。葦の海を渡るという奇跡を経験し、また荒れ野でマナを食べ、岩から出た水を飲み、ときには鶉の肉まで与えられるという日毎の糧に与りながら、なお神に不平を言い、あろうことか異教の神々を慕い求めたため、神はイスラエルの民を荒れ野で打たれました。

 それで、ヨシュアとカレブを除いて、ヨルダン川を渡って約束の地に入れた者はいなかったのです。そうしたことにならないように、ヨルダン川を渡ったことを記念する碑を立てさせたわけで、記念碑を見る者が、その度にヨルダン川の奇跡を思い出すようにさせ、そしてまた、子々孫々にこの出来事を告げ知らせるようにするのです(6,7節、21,22節)。

 それはしかし、ただ単にヨルダン川の奇跡を語り継がせるためだけではなく、24節で「地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである」と言われているように、その奇跡を通して示された、イスラエルの民に対する神の恵みを知って、すべての民が常に主を畏れ敬い、その恵みをいつも新しく味わうようになるためなのです。

 そのことは、3章11,13節で「全地の主」と言われていることと関連しています。そこでは、主の契約の箱と並列で記されていますので、神が与えると約束したイスラエルの全地という意味で用いられていると考えてよいとも思いますが、しかし、その枠を越えて、ミカ書4章13節のように「全世界の主」(原文は「全地の主」コール・ハー・アーレツ)の意味で用いられているとも考えられます。

 ヨルダン川の奇跡を目の当たりにしたイスラエルの民も、川床の石で造られた記念碑を目にし、そこでなされた奇跡を伝え聞かされた全世界の人々も、主の御手の力強さを知り、神を畏れ敬うことを学ぶでしょう。主の力を知り、神を畏れ敬うことを学んだ人々は、主との契約関係に入ることを喜びとすることでしょう。

 イスラエルの民は、ヨルダン川を渡ってエリコの町の東境にあるギルガルに宿営しました(19節)。そこで、主に命じられたとおり、ギルガルに記念碑が立てられました。「ギルガル」については、5章9節で「エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)」と関連して、その名がつけられたと記されています。

 ところで、12の石を立てた記念碑は、ヨルダン川を渡った最初の宿営地ギルガルに設置されただけでなく、冒頭の言葉(9節)によれば、ヨルダン川の真ん中にも置かれているようです。ギルガルに立てられた記念の石は、祭司らが足を置いたヨルダン川の真ん中から取られたのですが(3節)、ヨシュアがヨルダン川の真ん中に立てた記念の石は、どこから持って来られたのでしょうか。

 8節とのつながりから言えば、まずヨルダン川から石が取られてギルガルに据えられ、次いでギルガルから石を取ってヨルダン川の真ん中に立てたというように見えます。川の中の、祭司たちが足を止めた場所を記念するということでしょう。註解書に、祭司に対する敬意を表すという解釈も記されていました。それも意味深いものだと思います。

 第一コリント10章2節に「皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなるバプテスマを授けられ」と記されています。葦の海を通った経験を「モーセに属するものとなるバプテスマを授けられ」たと表現しているわけです。であれば、ここでイスラエルの民は、ヨルダン川の中でヨシュアに属するものとなるバプテスマを授けられたということになります。

 ここで、「ヨシュア(イェホシュア)」は、ギリシア語音写すると「イエス」になります。モーセに従って主なる神との旧い契約に導き入れられた民が、ヨシュア(=イエス)に従って約束の地に導き入れられたというのは、とても意味深いものでしょう。

 私たちキリスト者は、キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けました(ローマ6章3節)。私たちがキリストの死に与る者となり、そしてキリストにあって新しい命に生きるためです。そして、私たちのバプテスマの記念碑とは、約束された聖霊で証印を押されたということでしょう(エフェソ1章13節)。この聖霊こそ、わたしたちが御国を受け継ぐことの保証です(同14節)。

 主を信じる信仰によって恵みの世界に導き入れられた者として、常に主を畏れ敬い、御言葉と背入れの導きにより、日々新しくその恵みを味わわせていただきましょう。

 主よ、キリストの死に与るバプテスマにより、キリストと共に生きるものとされたことを感謝します。神の憐れみにより、自分自身を死者の中から生き返ったものとして神に献げ、また義のための道具として神に献げます。何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えることが出来ますように。 アーメン

 


1月18日(木) ヨシュア記3章

「ヨシュアが祭司たちに、『契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ』と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。」 ヨシュア記3章6節

 イスラエルの民は、エジプトの奴隷生活430年(出エジプト記12章40節)、荒れ野の放浪生活40年を経て(民数記14章34節、申命記5章6節)、ようやくヨルダン川の岸辺にやって来ました(1節)。夢にまで見たといえるかどうか分かりませんが、主が与えると約束されたカナンの地は、もう目の前です。

 冒頭の言葉(6節)で「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じられている通り、契約の箱を担いだ祭司、レビ人たちが民の先頭を進みます。契約の箱を担いだ祭司たちが「民の先に立って」と言われているのは、主なる神が民の先頭を歩まれるということでしょう。民は主の後ろに従って歩むのです。

 民は、契約の箱との間に、約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならないと言われます(4節)。二千アンマは約900メートルです。これは、民が契約の箱に触れて打たれることがないようにという注意でしょう。また、契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川を渡るときに何が起こるのか、離れた安全な場所からその様子をつぶさに観察するという目的があるのかも知れません。

 契約の箱は、縦2.5アンマ(約112.5センチ)、横1.5アンマ(約67.5センチ)、高さ1.5アンマという立方体で、アカシヤ材で作られ、それを金で覆っていました(出エジプト記25章10節以下)。その蓋は「贖いの座」と呼ばれ(同17,21節)、そこには2体のケルビムがつけられていました(同18節以下)。

 ケルビムは、翼を持つ半人半獣の天的な生き物で、エデンの園を守り(創世記3章24節)、神を乗せて運ぶ(サムエル記下22章11節)などの役割を持っています。つまり、ケルビムは、そこに主がおられるということを表しています。

 契約の箱には、十戒を記した石の板が納められていました(出エジプト記25章16節、申命記10章4,5節)。十戒を中心とする神の戒め、掟、律法は、イスラエルの民に対する神の御心、ご意志を教えるものです。

 契約の箱の後に従って進むというのは、進む道が示されるだけでなく、これから彼らが受け継ぐことになる約束の地において、神の教えに耳を傾け、その御心に従って生きるということを示しているのです。 

 彼らは、「川を渡れ」と命じられています。ヨルダン川には、歩いて渡れる浅瀬がありますが、祭司たちがその知識を持っていたとは思えません。「渡れ」と命じられたので、渡れると単純に考えていたのではないでしょうか。

 ところが、祭司たちがヨルダン川のところに来たとき、「春の刈り入れの時期」、レバノン山系の雪解け水と春の雨の時期で川の水量が増し、「堤を越えんばかりに満ちて」(15節)いて、歩いて渡るのは不可能でした。

 主はヨシュアに命じて「祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい」と言われ(8節)、それを受けたヨシュアは、「全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう」(13節)と民に告げました。

 祭司たちの目の前には、川幅一杯にみなぎった川があります。そんな川の中に立ち止まれるようには見えなかったでしょう。以前、イスラエルの民はモーセに率いられて葦の海を渡りました(出エジプト記14章参照)。そのときは、モーセが杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べたところ、主が激しい東風で海を押し返されので、乾いた地が表われ、民はそこを通ったのです(同16,21節以下)。

 今度は、ヨルダン川です。今、川の水は滔々と流れています。しかし、彼らは箱を担いで川の中に進みました。ここに彼らの信仰を見ることが出来ます。彼らは、川の水が分かれたから、渡り始めたのではなく、堤を越えんばかりに満ちて流れ下る川に、信仰をもって踏み込んだのです。

 それはしかし、無鉄砲ではありません。「川上から流れてくる水がせき止められる」(13節)と言われた主の御言葉を信じ、「渡れ」という主の命令に従って進んだのです。そして神は、お語りになったとおり、ヨルダン川の水をせきとめられたので(16節)、祭司たちは川の真ん中の干上がった川床に立ち止まることが出来、民は皆、川を渡り終えました(17節)。

 そのことは、主が神であられること、主の言葉は真実であること、そして、主の言葉を告げるヨシュアは、確かにモーセの後継者であることを、民の目の前で明らかにしました。

 私たちが御言葉に従って信仰の決断をするとき、それを試すかのように進路に困難が立ち塞がることがあります。逆風に行く手を阻まれるかもしれません。けれども、御言葉に従うときに不思議な平安がその歩みを支え、それが確かに神の御心であることを教えてくれるのです。

 主の御声に耳を傾けましょう。その聞いたところに従い、信仰をもって歩み出しましょう。

 主よ、イスラエルの民は、信仰をもってヨルダン川を渡り、約束の地に入ることが出来ました。そこには、御言葉がありました。そして、主の先立ちがありました。主が共にいてくださるしるしを、そこに見ることが出来たのです。今、私たちにも御言葉が与えられています。そして、聖霊が私たちの内に住み、常に共にいてくださいます。日々、信仰によって前進させてください。御名が崇められますように。 アーメン


 

1月17日(水) ヨシュア記2章

「わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。」 ヨシュア記2章12節

 ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、いよいよ約束の地、カナンへやって来ました。最初に、ヨルダン川を渡ったところの最初の町エリコとその周辺を、二人の斥候に探らせました(1節以下)。二人の斥候は、そこで遊女ラハブと出会います。今日は、そのラハブの言葉から学びたいと思います。

 先ず、9節です。「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、怖じ気づいていることを、わたしは知っています」とあります。ここでラハブは、イスラエル人が近づいて来たと聞いて、エリコとその周辺の人々は恐怖に襲われ、怖じ気づいていると言っています。

 それは神が、エリコの町と周辺の人々に、イスラエルを恐れる心を与えられたからです。10節に「あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が足の海の水を干上がらせらことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています」と語られています。

 ここで、エジプトから脱出するために葦の海を通った時、主が海を干上がらせたというのは、出エジプト記14章19節以下に記されている奇跡です。そのような奇跡を起こすことが出来る神は他にはいないと考えて、イスラエルを恐れたのでしょう。

 また、アモリ人の二人の王の軍隊を滅ぼしつくしたというのは、民数記21章21節以下の「シホンとオグに対する勝利」の出来事を指しています。

 イスラエルの民が、強力な武器を持っていたというわけではありません。戦いに勇ましい武装集団などというわけでもありません。ただ、主なる神がアモリ人との戦いに勝利をお与えくださったのです。だからこそ、エリコの人々は、イスラエルと共におられる主なる神を恐れたわけです。

 次に、11節の後半です。「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです」と言います。ここに、ラハブの明確な信仰の告白があります。「上は天、下は地に至るまで神であられる」とは、イスラエルの神以外に神はいない、主こそ、まことの神だということです。

 カナン周辺には、雨の神バアルや大地の神アシェラを神として礼拝する信仰がありました。太陽や月、また牛などが神として拝まれることもあります。一方、聖書では、神はただお一人で(申命記6章4節)、天地万物を創造されたお方と教えています(創世記1章1節以下など)。

 異邦人の女性が、どうしてこのような信仰を持つことが出来たのでしょうか。それは、神の導きとしか、言いようがありません。主こそ神であることを悟る心、神の栄光を見る信仰の目、神の御声を聴くことの出来る耳は、神の賜物、プレゼントなのです(申命記29章4節)。

 新約の時代となり、わが国の西方1万㎞かなたのイスラエルから、欧州、米国を経てイエス・キリストを主と信ずる福音がわが国にももたらされました。時を超え、国境を超え、民族文化を越えて、今ここにいる私たちに「イエスは主である」という信仰を告白させてくださるのは、聖霊なる神の働きであると、一コリント12章3節に教えられています。

 それから、冒頭の言葉(12節)のとおり、ラハブが二人の斥候に「わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前で、わたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください」と求めています。

 ここに「誠意」と言われているのは、ヘブライ語で「ヘセド」という言葉です。「ヘセド」は、通常「憐れみ、慈しみ」と訳されます。ある聖書では、「変わらざる愛」と訳されていました。

 ラハブは、自分が神のように見ているイスラエルの二人の斥候に、変わらない愛を求めました。それも、自分だけでなく、自分の一族のために。こんな虫がいい、図々しいような求めに応えられるでしょうか。それとも、拒否されるのでしょうか。

 答えは、「応えられる」です。なぜでしょうか。それは、主は「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」(出エジプト記34章6,7節など)お方だからです。イスラエルの斥候をかくまったラハブに対しても、主はその慈しみを示してくださいます。

 「幾千代にも及ぶ慈しみ」ということは、ラハブの家族、子孫に対しても、誠意をお示しになるということになるでしょう。「だから」と言うべきか、「そのために」と言うべきか。ラハブの子ボアズがダビデ王の曾祖父となり(マタイ福音書1章5,6節)、そしてその28代後に「メシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(同16節)のです。

 新約聖書に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」という言葉があります(使徒言行録16章31節)。家族の一人が主イエスを信じると、その信仰で、神の救い、神の慈しみがその家族に及びます。それが神の御心、ご計画だということです。

 私たちは、変わらない愛で主なる神を愛せるでしょうか。私たちがどのような思いで主を信じ、愛しているか、主ご自身がよくご存じです。むしろ、私たちが信仰を失うことのないように、主が執り成し祈っていてくださいます。私たちの信仰は主の祈りに守られ、支えられているのです(ルカ22章31~32節参照)。

 ラハブはさらに、確かな証拠を求めました。そのことで、斥候は「我々の命をかけよう」(14節)と答えます。もしも、ラハブにその確証を与えなければ、無事にエリコの町を出ることは出来ないでしょう。だから、「命をかける」というのは、彼らの本気を示しているわけです。

 さらに、「我々をつり降ろした窓にこの真っ赤なひもを結び付けておきなさい。またあなたの父母、兄弟、一族を一人残らず家に集めておきなさい」(18節)と告げます。そのひものある家は攻撃の対象から外すということです。さながら、過越の出来事を思い起こさせる行為です(出エジプト記12章6,7,13節参照)。ラハブはすぐに、その赤いひもを窓に結び付けました(21節)。

 私たちに与えられる救いの確証とは、真理の御霊、聖霊です(エフェソ1章13~14節参照)。聖霊が、わたしたちが神の子であることを証ししてくださり、御国を受け継ぐ保障となってくださるのです。だから、主なる神を「アッバ、父よ」と呼び求めます(ローマ書8章15節、ガラテヤ書4章6節)。

 さらに、聖霊を通して、私たちの心に神のご愛が注がれます(ローマ5章5節)。御霊によって、すべてをありのまま受け入れる広い愛、すべての罪を赦し救う深い愛、いつまでも変わらない永遠の愛、そして、御国の栄光を示す清く高い愛を知り(エフェソ3章17節以下)、その愛をもって互いに愛し合いましょう。

 主よ、御子を信じる信仰によって私たちが神の子とされていること、その権威、その力を知り、またそのためにどんなに大きな愛を賜ったかを悟らせてください。そうして、私たちに委ねられている使命を自覚し、聖霊の力と愛を受けて、それをしっかり果たすことが出来ますように。 アーメン


 

1月16日(火) ヨシュア記1章

「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」 ヨシュア記1章7節

 今日からヨシュア記を読み始めます。ヨシュア記は、キリスト教の聖書では「歴史書」に位置づけられていますが、ヘブライ語聖書(マソラ本文)では、続く士師記、サムエル記、列王記と共に、「預言者」(ネビーム)の中に「前の預言者」として分類されます。

 聖書における預言の役割は、神に預かった言葉を告げることです。ヨシュア記が「預言者」の書であるのは、これから起こることを予め語っているからではなく、モーセを通じて神に与えられた「律法」(トーラー)、その教えを忠実に守るよう命じているからであり、イスラエルの民がその教えをいかに聞き、どう振る舞ったか、律法というものさしで評価しているからです。

 神学的には、ヨシュア記を創世記から申命記までの「五書」に加えて、「モーセ六書」とする立場もあります。アブラハムに対するカナンの地を与えるという約束(創世記12章)が本書において実現して、物語が完結していると考えるわけです。

 また、カナンの地での恵まれた生活を確かなものとするための最も重要な条件は、モーセの教えに忠実であることを教えていることから、本来、申命記の一部として読まれていて、正典を形成するために切り離されたと考える立場もあるそうです。

 1章には、モーセの後継者としてヨシュアが任命されたことについて、記されています。ヨシュアは「モーセの従者」(1節)と紹介されているように、レフィディムでのアマレクとの戦いを指揮する者として選出されて以来(出エジプト記17章9節)、忠実なモーセの僕として歩みました(同24章13節、32章17節、33章11節など)。

 メリバの水の一件でモーセが約束の地に入れないことになって(民数記20章1節以下、12節)、主なる神はヨシュアを後継者に任命されました(同27章12節以下、18節)。申命記でも、1章38節、3章28節、31章にそのことが記されていました。

 ここにあらためて、ヨシュアがモーセの後継者として立てられたのですが、当然のことながらヨシュアはモーセではありません。モーセに代わる、モーセと同様の指導者ということでもありません。

 モーセは主なる神に聴き、主に従う「主の僕」でした(申命記34章5節)。ヨシュアも勿論主の僕です。だから、冒頭の言葉(7節)で、主がヨシュアに対して「わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と命じておられるのです。

 ただ、ヨシュアはここでモーセの命じた律法に忠実に従うことが求められています。その意味では、ヨシュアはこれまで同様、これからも主の僕たるモーセの「従者」なのです。

 モーセは、モアブのピスガの頂から約束の地カナンの全域を見渡しました(申命記34章1,2節)。モーセの従者ヌンの子ヨシュアは、ヨルダン川を渡って約束の地を行き廻り、その地を領土とします(3,4節)。これは、アブラハムと結ばれた契約が成就することを意味します(創世記12章7節、15章18節以下参照)。

 主はヨシュアと共にいて、見放すことも、見捨てることもしないので(5節)、「強く、雄々しくあれ」(6節)と命じられます。それは、主が与えると誓われた土地を、民に継がせるためです。

 「強く、雄々しくあれ」というと、勇敢に力強く戦えという言葉遣いだと思われますが、しかし、冒頭の言葉(7節)では、律法を守り行うことに、強さ、雄々しさが求められています。また、ヨシュアに対するルベン、ガド、マナセの半部族の人々の応答で、ヨシュアに対してそれを求める言葉が語られます(18節)。

 この言葉は、申命記31章6,7節、ヨシュア記10章25節、歴代誌下32章7節にも見られます。これらを見て気づかされるのは、「主が共におられる」という言葉がその前後で語られていて、それは、イスラエルに代わって主なる神が戦われるということを示しているようです。ということは、「強く、雄々しくあれ」というのは、主に信頼し、その力により頼めという命令とみるべきでしょう。

 イスラエルが土地を勝ち取ることに、勇気や力は、それほど必要でないと言ってもよいかもしれません。というのは、繰り返し、土地を与えると語られているからです。「与える」(ナータン)という言葉が1章に8回、ヨシュア記全体で89回も用いられているところに、はっきりと示されています。そう語られる主の御言葉を、イスラエルの民は信頼し続けることが出来るでしょうか。

 荒れ野を旅する間、飢えや渇きが、イスラエルの民を御言葉からそらさせる力になることがありました。また、彼らの前に立ちはだかる敵が、神に背かせる力となりました。カナンの民が拝むバアルやアシェラという神々に惑わされたこともあります。

 主は、「律法を忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」(7節、申命記5章32,33節)と言われ、続けて「この律法の書をあなたの口から放すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する」(8節、詩編1編2,3節)と約束されます。

 何事にもまず御言葉に聴き、そこから力を得て、まっすぐに歩む者とならせていただきましょう。

 主よ、あなたの教えを愛し、その導きに従って歩むことの出来る者は幸いです。主を信じ、御言葉に従って歩む者に、豊かな実を結ぶ人生をお与えくださるからです。常に主を畏れ、御言葉を愛する者とならせてください。御言葉に従い、右にも左にも曲がらず、まっすぐに歩ませてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に1月14日主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画を掲載しました。

②「今週の報告」を更新しました。

③「お知らせ」「フォトギャラリー」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。

教会URL https://shizuoka-baptist.jimdo.com/


御覧ください。



*1月16日は、7月16日と共に「藪入り」といいます。

薮入りとは、かつて商家などに住み込み奉公をしていた丁稚や女中など奉公人が、実家へと帰ることのできた休日です。旧暦の1月16日と7月16日がその日に当たっていました。7月のものは「後の藪入り」とも言われます。

藪入りの習慣が都市の商家を中心に広まったのは、江戸時代です。本来は奉公人ではなく、嫁取り婚において嫁が実家へと帰る日だったとされます。それが、都市化の進展に伴って、商家の習慣へと転じました 。

藪入りがこの二日となったのは、旧暦の1月15日が小正月、7月15日がお盆という重要な祭日で、嫁入り先、奉公先での行事を済ませた上で、実家でもその行事に参加できるようにという意図だったようです。

藪入りの語源には諸説あって、はっきりしてはいないようです。藪の深い田舎に帰るからという説や、「宿入り」(実家へ帰る)が訛ったものなどという説があります。なお、大奥の女性たちが実家に帰ることは「宿下がり」と呼ばれました。

旧暦の正月を大正月、1月15日を小正月といいます。旧暦では、新月から次の新月までを一ヶ月としています。古来、満月には特別な力があってめでたいものと考えられていました。そこで、中国の暦が導入される前、一年の初めの満月の日を元日としていたと考えられ、その名残りが「小正月」の起源だとされています。

大正月を「男の年取り、男の正月」、小正月を「女の年取り、女の正月」と呼ぶ地域もあるそうです。それは、大正月に忙しく立ち働いた女性たちを労い、休みを与えるという意味のものだったようです。

太陽暦が採用されて1月15日は満月と限らなくなりましたし、家族の構成、生活習慣も激変してしまっていますが、「藪入り」、「女の正月」という福祉的な配慮の仕方、習慣は大切にしたいものです。



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