風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

福音歌手 森祐理 25周年記念コンサート

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福音歌手 森祐理 25周年記念コンサートツアー
~25年の感謝をこめて~

 期日 2017年9月30日(土)
 開場 14時半  開演 15時
 会場 清水文化会館マリナート小ホール(静岡市清水区島崎町214)
 入場料 一般3000円、小学生以下1500円

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9月20日(水) 出エジプト記20章

「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」 出エジプト記20章6節

 20章には、「十戒」と呼ばれる有名な規定が神から授けられるという記事が記されています。ここが出エジプト記の頂点であり、この十戒が神とイスラエルとの間で結ばれた契約の基盤になっていると言われます。

 旧約聖書の「約」は、契約の約、約束の約ですから、十戒が契約の基盤であるということは、言い換えれば、十戒は旧約聖書の基礎、基盤であるということもできます。十戒は、それほど大切なものなのです。

 まず1~2節で「神はこれらすべての言葉を告げられた。『わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である』」、と記されます。十戒は、神が直接に語りかけられたもの、神がお与えになったものであると言われています。人が考えたものではありません。

 そして、神の語りかけの最初の言葉は自己紹介です。「わたしは主、あなたの神。あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と言われます。シナイ山においてイスラエルの民に十戒をお与えになる神は、彼らをエジプトの奴隷の苦しみから救い出されたお方です。決して、人間が考え出した架空の存在などではありません。

 イスラエルを苦しみから解放されたお方が、「わたしは主(=ヤハウェ)というものである、わたしがあなたの神である、あなたに恵みを与えよう」というご自分の意志を表明されているのです。即ち、私たちの神は、私たちの歴史に介入し、ご自分を啓示されます。私たちのために救いの御業をなさる神が、私たちにこの戒め、祝福の言葉をくださったのです。

 随分前のことですが、NHKの教育番組で、聖書学者が十戒にふれて、「あなたは~してはならない」という言葉を厳密に訳せば、「あなたは当然~しないであろう」、「~するはずがない」という表現になると言われました。神の恵みに与って感謝しているイスラエルの民は、当然神の教えに従うはずだ、背くはずがない。つまり、従って当然だというのです。

 つまり、戒めに従うかどうかの選択権は、イスラエルにはありません。従って当然なのです。けれどもそれは、いわゆる無理強いではありません。したくはないけど、恩を受けたから仕方ないというのではないのです。これは神の恵みに応える表現で、喜んでさせていただきたいという世界なのです。

 3節は、主なる神の他の異教の偶像を神として礼拝してはならないということ、4節は、主なる神の偶像を造ってはならないということ、そして5節は、その像を拝み、仕えてはならないということです。

 5節後半に「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」と言われます。「三代、四代」ということは、子だけでなく、孫、ひ孫にまで影響があるということになります。

 古代イスラエル社会では、結婚すると親の家のすぐ近くに住みました。年老いた家長は、通常3~4世代を近くに住まわせ、自分の影響下におくことになります。もし家長が、異教の偶像を礼拝したり、主なる神の像を刻んで造らせるという不適切な信仰生活をすると、すべての家族が害を被ることになったのです。受けるべき恵みが受けられず、むしろ、罰を免れないことになってしまうからです。

 そして、冒頭の言葉(6節)が語られます。ここに「幾千代にも及ぶ慈しみを与える」と言われていますが、一世代を20~30年と考えると、幾千代というのは、少なく見積もっても2~3万年以上、10万年といってもよいような年数になるでしょう。

 80年生きられるかどうかという私にとって、それは想像することも困難な、殆ど無限に通じる長さです。私の死んだ後もずっと存在し続ける、まさに永遠の祝福です。

 その恵み、慈しみに与る条件は、「わたしは主、あなたの神」と言われる方を愛し、その戒めを守ることです。それは新約の時代を生きている私たちにとって、主イエスを信じ、主イエスと共に歩むことといっても良いでしょう。

 主イエスは、かつてイスラエルをエジプトの奴隷の家から解放されたように、私たちを罪の奴隷の家から解放してくださったお方です。神は、私たちのために独り子を購いの犠牲にされました。私たちが神を愛する前から、神は私たちを愛しておられました。

 私たちの呻き、私たちの嘆きを聞いて、そこから引き上げて下さいました。その方が、「わたしは主、あなたの神、わたしは熱情の神である」と言われます。口語訳は「熱情」を「妬む」と訳しておりました。妬むほどの熱い愛をもって私を愛しておられる方が、「わたしがあなたの神となろう」と言われます。

 主は、その教えを聴き、その御言葉に従って、子々孫々に及ぶ永遠の祝福に与るようにと、私たちを招いてくださっているのです。折ある毎に主の祈りをささげるように、十戒を口ずさんでみましょう。そこにたたえられている神の愛と慈しみを感じてみましょう。

 しかしながら、神から愛され、恵みを頂いたら、それに応えて神の御言葉に従うのは当たり前だというのは易しいことですが、現実には決して当たり前のことではありません。誰が、神の戒めを聴いた初めのときからずっと守ってきましたと、主イエスの前で胸を張って言うことができるでしょうか。

 するなと言われることを、してしまいます。せよと言われることを実行することが出来ません。戒めを守ることの出来る強い信仰、あらゆる誘惑にうち勝つ強い信仰をくださいと祈りますが、祈り終わった瞬間から、誘惑との戦いです。そしてなかなか、それに勝てません。

 弱いのが悪いのではありません。負けることが悪いのでもありません。神の助けを受けなくても勝てる強さ、神なしでも強く生きられる強さをもらおうというのが、どだい間違いなのです。

 土台が間違っていると、正しい建築はできないでしょう。私たちは神とつながっていなければ、実を結ぶことは出来ません。枝が幹から離れては、実を付けることは出来ないのです。神が味方になってくださればこその力です。

 神が共におられ、聖霊を通して私たちの人生を充実、実を結ぶようにしてくださるのです。絶えず祈れというのは、いつも神との交わり、主の御声を聴き、御言葉に応えるということです。瞬間瞬間神により頼み、瞬間瞬間御言葉を慕い求め、主の御言葉に耳を傾けましょう。

 主よ、幾千代にも及ぶ慈しみをもって祝福をお与えくださる主の御心が、この地にも行われますように。御心を行う道具として、教会を、私たちを用いてください。この地に主の御国が来ますように。そうして、すべての者があなたの御前に膝を屈め、すべての舌があなたの御名を褒め称えますように。 アーメン







9月19日(火) 出エジプト記19章

「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。」 出エジプト記19章5節

 1節に、イスラエルの民が「エジプトを出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した」とありますが、「三月目のその日」は、原文では「第三の新月」という言葉です。1月15日に出立していますので、第三の新月は、4月1日ということになります。

 彼等はレフィディムを出発してシナイの荒れ野に着き、山に向かって宿営しました(2節)。その山は、18節のシナイ山のことです。ただ、シナイ山の場所は諸説あります。その位置確認で最古のものは、紀元4世紀の修道士たちがジェベル・セルバルを選んでいました。

 しかし、6世紀中葉にユスティアヌス帝がジェベル・ムーサ(モーセの山の意)の麓に聖カタリナ修道院を創建して以来、ここがシナイ山であるとされ、それが今日の伝統的な位置となりました。頂上には石造りのチャペルが建てられています。

 その他にも、シナイ半島北部のジェベル・ハラル、あるいはアカバ湾の東、アラビア半島の山という説さえあります。そのように、神の律法を授けられた場所が確定出来ないのは、主なる神がそこを聖地とすることを望まれなかったということでしょう。つまり、どの国家にも属さない荒れ野の、人目から隠された場所において、神はイスラエルに律法を授けられたのです。 

 モーセが山を登って行くと、主なる神が彼に語りかけ、「ヤコブの家にこのように語り、イスラエルの人々に告げなさい」(3節)と言われました。そして先ず、「あなたたちは見た、わたしがエジプト人にしたこと、また、あなたたちを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを」(4節)と言われます。

 主がイスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから解放し、そして、シナイ山のふもとまで連れて来たのを、あなたたちは見ただろうというのです。「鷲の翼に乗せて」(4節)と同様の表現が申命記32章11節にあり、「鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように」と記されています。

 申命記では主なる神を、雛を養い育てる鷲に見立てています。巣を揺り動かし、雛の上を飛び翔って、自らの翼で飛び立つように促し、上手に飛べずに墜落しそうになるときは、雛の下でその羽を広げて受け止め、翼にのせて運ぶというのです。また、母鳥の大きな翼は、雛の避難場所で、その翼の下で雛を守ります。

 イスラエルの民は、気がついたらシナイ山の麓に宿営していて、ここに来るまで何の苦労もなかったというわけではありません。むしろ、飲み水がない、食べるものがない、外敵に襲われるなど、苦労の連続でしたが、どんな時にも神が彼らの避け所となり、恵みを与え、かくて無事シナイ山まで連れて来られたのです。

 その恵みを受けたのは、冒頭の言葉(5節)のとおり、イスラエルの民が主の御声に従い、その契約を守ることを通して、世界のすべての民の中で、神の宝となるためです。

 ここで神は、私たちのことを「わたしの宝」と呼んでくださいます。イザヤ書43章4節の、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し云々」という言葉も、似たような消息を示していると思います。私たちが自分で自分のことを「神の宝」と主張したり、価高い存在と自惚れているのではありません。神がそのように言い表してくださるのです。

 この宝は、いつも宝箱に納められていたわけではありません。イスラエルの民は、エジプトの奴隷の家で苦しみ、呻き声を上げていました。神は民の苦しみに目を留め、その呻きを聞いて、救い出してくださったのです(3章7節)。

 それは、主イエスがルカ福音書15章のたとえ話を通して語られた、神の姿そのものです。神は、迷子になった一匹の羊を捜し回る羊飼いのように、なくした1枚の銀貨を捜す女のように、そして、親不孝の弟息子を待ち続け、ぼろぼろになって帰ってきたら最上のもので喜び祝う父親のように、そうするのが当たり前だといって、無限の愛をイスラエルの民に、そして私たちに注いでくださるのです。

 神が私たちを宝と言われるのは、宝箱に陳列しておくためではありません。神は、祭司の王国の聖なる民として、神と世界中の人々のために執り成し、そして、御言葉に聞き従うように語り広める使命を委ねるために選ばれました。「世界はすべてわたしのものである」と言われているのは、神の御心が全世界に伝えられるために、私たちが神によって選ばれたということなのです。

 主イエスが「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがを任命したのである」(ヨハネ福音書15章16節)と言われています。

 私たちを任命してくださった主の御言葉に耳を傾け、私たちに「せよ」と言われることを精一杯、心を込めて行いましょう。

 主よ、私たちは何者なので、御心に留めてくださったのですか。私たちが何者なので、これを顧みられるのですか。その限りないご愛のゆえに、ただただ驚くばかりです。心を尽くして感謝をささげ、喜びをもってその驚くべき御業を語り伝えます。聖霊の満たしと導きに、日々与らせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン





静岡教会公式サイト更新

静岡教会のサイトを更新しました。
①「礼拝説教」に礼拝プログラムと説教動画を掲載しました。
②「今週の報告」を更新しました。
③「フォトギャラリー」に記念礼拝、西関東地方聯合研修会の写真を掲載しました。
④「お知らせ」は随時更新しています。
⑤「今日の御言葉」は毎日更新しています。
URL https://shizuoka-baptist.jimdo.com/


御覧ください。


9月18日(月) 出エジプト記18章

「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。」 出エジプト記18章17,18節

 モーセの舅、ミディアンの祭司エトロが、ツィポラと二人の息子を連れて、神の山に宿営しているモーセのもとにやって来ました(5節)。4章20節で、ツィポラたちはモーセと一緒にエジプトに下っており、いつ実家に帰っていたのか不明ですが、恐らくモーセが後顧の憂いなく働けるよう、ファラオとの対決の直前に実家に戻したのでしょう。

 モーセは舅に、主がイスラエルのためにファラオとエジプトに対してなされたすべてのこと、すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したけれども、主が彼らを救い出されたということを語り聞かせると(8節)、舅は喜び(9節)、「主をたたえよ」(10節)と主なる神を褒め讃え、焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげました(12節)。

 その賛美の中に「今、わたしは知った。彼らがイスラエルに向かって高慢にふるまったときにも、主はすべての神々にまさって偉大であったことを」(11節)という言葉があります。舅はミディアン人の祭司であり(2章21節、3章1節)、自分の民族の神に仕えていたのですが、「今、わたしは知った」と語っているとおり、確かにモーセの仕える神について、認識を新たにしたのでしょう。

 かつて、エジプトのファラオが主の名を聞いたとき、彼はその心を頑なにして、モーセの言葉に従おうとはしませんでした。その意味で、エトロは、モーセの語る主なる神の証しを受け入れ、礼拝した最初の外国人ということになるのかも知れません。

 ところで、7節に、「天幕に入った」と記されていますが、これは、モーセ個人のテントではなかったようです。というのは、エトロが主を賛美した後、焼き尽くす献げ物と生贄をささげ、そしてアロンとイスラエルの長老たちと一緒に、神の御前で食事をしていますが、前後の文脈から、彼らが天幕を出た形跡がないからです。

 つまり、この天幕は、神を礼拝する幕屋(移動式聖所)だったということです。しかしながら、神の幕屋が建てられるのはまだ後のことで(25章参照)、モーセの天幕が神の幕屋としての役割を果たしていたということなのでしょう。

 翌日、エトロは、座について民を裁くモーセの仕事振りを見て、問題があるのに気づきました。それは、モーセの裁決を求めて、民がモーセの前に朝から晩まで列をなしているということです(13節)。あまりにも多くの人が並んでいて、対応が追いつかないのです。

 エトロは冒頭の言葉(17,18節)の通り、「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう」と忠告します。いかにモーセが神の選んだカリスマ指導者であっても、兵役に就く男子だけで60万人以上、女子どもに老人を加えると200万人にも及ぶイスラエルの民の身の上相談を、一人で裁けるはずがないからです。

 これは、さらにいくつかの問題を生み出します。一つは、モーセが一日中問題の処理に追われ、その結果、疲れ果ててしまうということです。二つ目は、順番を待っている民が無為な時間を過ごさなければならず、それが新たな不満の種になることです。

 さらに、少なくとも「イスラエルの長老」(12節)と呼ばれる部族ごとの指導者がいたにも拘らず、彼らが力を発揮する場所が与えられていないことです。これは、カリスマ的指導者が陥りやすい落とし穴です。私が一番上手だ、自分でやったほうが早いなどと言って自分一人で仕事を抱え込み、仕事を譲らない結果、全く効率の悪い組織になってしまうのです。

 「あなたのやり方は良くない」という言葉は、創世記2章18節の「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」という言葉を思い出させます。エトロは「民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい」(21節)と助言します。

 確かに、モーセでなければ出来ない課題もあったことでしょう。しかしながら、多くの問題は、こうして選ばれた有能な指導者たちによって迅速に処理されるようになり、民は大いに喜ぶはずです。モーセの負担も劇的に軽減出来るでしょう。有能な人々には、その力を存分に発揮する場が与えられます。

 モーセは舅エトロの言う通りにしました(24節以下)。それはさながら、主の言葉に聴き従うようなことです。主なる神は、ミディアン人の祭司エトロの洞察や判断力を用いて、神の民の指導者にその知恵を与え、神の民を整えるのを助けました。そうして、「神の山」でモーセが主なる神から特別な啓示を受け取る準備が整えられたのです。

 主よ、私たちは、頭であられる主イエスの命をもって贖われ、神の民に招き入れられた者です。主の御声に聴き従い、その使命を果たすことが出来ますように。そのときに、一人一人ばらばらというのではなくて、互いに「助ける者」として、持てる力を出し合い、キリストの体なる教会をしっかりと築き上げることが出来ますように。 アーメン







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