風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

3月27日(月) 第二コリント書4章

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」 第二コリント4章7節
 
 冒頭の言葉(7節)に、私たちは土の器の中に宝を持っていて、その宝には並外れて偉大な力があること、それは、その力が私たちから出たものでないことが明らかになるためだとあります。ここから学びます。
 
 先ず、「土の器」です。私たちは土の器であると読むことが出来ます。神は人を土で創られました。人間は土で創られた神の被造物です。土から創られた者ですから、やがて土に帰ります。決して永遠に生きることは出来ません。しかし、人間は、神が意味と目的を持って創り出したものです。何の目的もなく、意味もなく、偶然に出来たものではありません。

 しかし、器も色々です。貴いことに用いられる器もあれば、日常のことに用いられる器もあります。高価な器もあれば、廉価な器もあるでしょう。いずれにしても、器として重要なのは、その器が使う人にとって、使い勝手がよいかどうかということです。

 もし器が、私は価値が高い器だから、そんなことに使われるのはイヤだと言えばどうでしょう。逆に、私は安価な器だから、人前に出るようなことはしたくありませんといえばどうでしょう。選んだ人を困らせ、恥じ入らせ、そして、二度と選ばれなくなる、用いられなくなってしまうでしょう。器の価値は、器が決めるのではなく、器を用いる人が決めるのです。

 パウロは、ローマの信徒への手紙9章21節でも「焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか」と言い、さらに「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました」(24節)と語っています。
 
 ここには、パウロ自身の経験がにじんでいます。パウロは、ある時、自分は母親の胎内に形作られる前から、異邦人に福音を伝える者として神に選ばれていた、と語ったことがあります(ガラテヤ書1章15節以下)。主イエスの福音を世界中に伝えるように、神によって予め選ばれ、創られたのだというのです。

 しかし彼は、主イエスの福音を伝える者になるどころか、かえって主イエスの弟子たちを迫害し、福音宣教を妨げる者になりました。まさに、神の意に添わない、神の怒りが注がれる怒りの器になっていたのです。

 しかるに神は、そのような者を憐れみをかけてくださいました。「憐れみの器」とは、神の憐れみをいただいた器ということです。そうして、主イエスの福音を世界中に伝えるようになったのです。キリストによる、パウロという土の器の再創造と言ってよいでしょう。

 神がパウロを異邦人に福音を伝道する器として創られた。しかしパウロは、そのように創られた器を自らの手で壊してしまった。キリストは、ご自分と引き替えにして、パウロをもう一度ご自分の福音を伝える者として再創造されたわけです。神は、キリストの十字架の血と聖霊の火を通して、清い霊、新しい心を創ってくださいます。
 
 確かに土の器は壊れやすい。8,9節に「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、うち倒されても滅ぼされない」とありますが、土の器は、圧力をかけると割れてしまいます。壊れてしまいます。途方に暮れて失望します。虐げられると、神は自分を見捨ててしまったのだと考えまるでしょう。うち倒されると、起き上がれません。

 実際、1章8節でパウロは「わたしたちは、耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」と言っています。

 壊れやすい器、そして壊れたら、自分でもとに戻すことが出来ない土の器が、どうして「四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず」(8節)と言えるのでしょうか。

 器は、ものを入れるものです。器のうちにあるものが重要なのです。パウロは、私たちは宝を納めていると言っています。宝が器の中にあるというのです。この宝に力があるのです。それは半端な力じゃない。「並外れて偉大な力」と書かれています。口語訳では「測り知れない力」と訳しています。

 測ることが出来ない。けた外れな、人間の想像を超えた力があるというのです。それは、「光あれ」と言われると、光が出来る(創世記1章3節)という力。一言で無から有を生み出す力。何もないところに、材料なしで、ものを作り出すことが出来る力です。科学で証明出来ない、超自然の力です。

 6節に「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さいました」とあります。かつて光を創られた神が、光を失った人間のために、キリストを通してその光を再創造される。その光がキリストの顔の輝き、神の栄光を悟らせると言います。

 信じられなかった主イエスが、信じられるようになります。イエス・キリストを信じた時、イエス・キリストは私たちの心の中に入ってこられました。私たちの内にキリストがおられる、それは永遠の希望を与えます。「あなたがたの内におられるキリスト、(それは)栄光の希望です」(コロサイ1章28節)とあるとおりです。

 また、聖霊の賜物を頂きました。聖霊を通して、わたしたちの心に神の愛が注がれてきます。神の愛は、神の憐れみは測ることが出来ません。神の愛が私たちを生かします。愛は恐れを取り除きます。希望が与えられます。その希望は失望に終わることがありません。また、聖霊は私たちに力を与えます。

 これは理屈ではありません。本当にそのような愛が、希望が必要です。それは、自分の家庭や職場、学校、そして地の果てまで、どこでも、誰に対しても、キリストの証人となるためです。

 そして、この力は、キリストを死者の中から甦らせました。復活の力、再創造の力です。14節に「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」と記されています。蘇生ではありません。神の子どもとなる霊の体に生まれ変わるのです。

 これらは神の力です。「並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」というのですから、神に期待し、神を信頼して祈るのです。神がその並外れて偉大な力を働かせてくださるように。私たちの考えでは測り知ることが出来ない力を働かせてくださるように。いまだかつてなかったような恵みの御業が起こされるように。
 
 そのために、先ず何よりも、御言葉を読みましょう。信仰は聞くことから、聞くことは、キリストの言葉からです。そして祈りましょう。御言葉がこの身になりますように、お言葉ですからやってみましょうと。そして、結果を主に期待しましょう。

 主よ、欠けだらけの土の器である私たちに霊の賜物を与え、福音宣教の業を託されました。御言葉に立ち、信仰によって前進させてください。私たちの内に光が輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟ることが出来ますように。教会の宣教の御業を通して多くの人が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになりますように。御名が崇められますように。 アーメン




3月26日(日) 第二コリント書3章

「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」 コリントの信徒への手紙二3章18節

  新共同訳は、3章に「新しい契約の奉仕者」という小見出しをつけています。そのことについて、6節に「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました」といいます。この言葉で、新しい契約は霊、そして明確に述べられてはいませんが、古い契約は文字に仕える務めであるとほのめかしています。

 パウロはローマ書7章6節でも、「わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、立法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです」と記しています。

 そして、「文字は殺しますが、霊は生かします」と言います。「文字」は、古い契約の記された「契約の書」(出エジプト記24章7節)を示しています。律法は法を遵守する力を与えてはくれないので、律法の下にある者はその裁きを免れません。そのことをパウロはガラテヤ書3章10節でも、申命記27章26節を引用しながら語っています。

 それに対して「霊は生かす」というのは、主イエスの「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(ヨハネ6章63節)と仰った言葉を思い起こします。

 7節以下、モーセの顔の輝きと覆いが話題となります。これは、出エジプト記34章29節以下に記されている出来事です。それによれば、モーセがシナイ山で神と語っている間に、彼の顔が神の栄光を映して光を放っていました。それでモーセは神と語るとき以外は顔に覆いをかけたというのです。

 そのように、旧約の律法に仕える務めでも神の栄光を表すのなら、霊に仕える務め、新約の福音に仕える務めはなおさら栄光に満ち溢れているのだと説明します(8節)。

 このような説明が語られている背景として、ユダヤ教の影響を受けている者がコリントにやってきたか、あるいは教会にユダヤ人キリスト者がいて、神の祝福を得るために、律法を守るべきだと主張していることが考えられます。

 ただ、パウロがここでモーセの顔の輝きと覆いについて説明しているのは、旧約聖書の物語のとおりではありません。彼独特の解釈が施されています。まず、顔の覆いについて、輝きが消え去るのを見られまいとして覆いをかけたと言います(13節)。

 そして、14節で「今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです」というのは、旧約聖書を読み、律法に仕えているとき、そこに主イエスのことが記されていることが分からなかったという、パウロ自身の経験に基づいています。そして、今もキリスト教徒に対する迫害が続いていることが、その明確な証拠だというわけです。

 それに対して、霊によって新しい契約に仕える者は、顔に覆いをかけません(13節)。むしろ、キリストに向き直ることよって覆いが取り去られる(16節)と言います。これも、パウロの体験です。復活の主に出会ったとき、彼の目からうろこのようなものが落ち、はっきり見えるようになりました(使徒言行録9章18節)。それによって、キリストの伝道者、使徒と変えられたのです。

  同様に、コリントの信徒たちは、既に神の栄光を見る者とされているのです。キリストに心を向けるとき、栄光を拝することが出来ます。パウロは、十字架を負って歩まれる主の姿に、信仰によって、神の栄光をはっきりと見出すことが出来たのです。

 私たちも、キリストを信じたとき、心の覆いが取り除かれました。信仰によって主イエスの御顔を仰ぐ者となりました。勿論、主は霊ですから(17節)、肉眼で捉えることはできません。しかし、私たちは信仰によって、主イエスと顔と顔を合わせて語り合っています。御言葉に耳を傾け、思い巡らし、何度も口ずさみ、そして祈りをささげるのは、まことに素晴らしい神との交わりのひとときです。

 夫婦は似てくると言います。また、ペットも飼い主に似ると言います。そんな言い方は不遜かもしれませんが、いつも主を仰ぎ、その御言葉を聴き、交わりに生きる者は、主と似た者に変えられます。自分で変わる努力をするのではありません。努力すれば出来るというものでもありません。主の霊の働きで、主と同じ姿に造りかえられるというのです(18節)。

 毎日少しずつ、段々にということでもないかもしれません。霊の働きは目に見えないからです。しかし、終わりの時、それは完成されます(第一コリント書15章49節、フィリピ書3章21節)。日々主を仰ぎ、御言葉を慕い求めて参りましょう。

 主よ、あなたは私たちに御言葉を通し、聖霊によって、主と親しく交わる恵みをお与えくださいました。主が常に共におられ、私たちを守り導いてくださること、そして、天に召される希望に生かしていてくださることを、感謝します。絶えず主を仰ぎます。御言葉通り、霊の働きによって栄光から栄光へと主と同じ姿に造り変えてください。 アーメン




 

3月26日(日)主日礼拝説教

3月26日(日)主日礼拝には、教会員13名、来賓8名(子ども2名を含む)がお見えになりました。感謝!
礼拝後、信徒会を行い、新年度の主題聖句、讃美歌を選定しました。

礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「神の計画」
聖書 使徒言行録23章1~11節


静岡教会の公式サイトを更新しました。
①「礼拝説教」に礼拝プログラム、説教動画を掲載しました。
②「今週の報告」を更新しました。
③「お知らせ」「フォトレポート」は随時更新しています。
④「今日の御言葉」は毎日更新しています。
URL https://shizuoka-baptist.jimdo.com/

ご覧ください。









 

3月26日(日)主日礼拝案内

02

3月26日(日)10時半より、主日礼拝を行います。

礼拝では、使徒言行録23章より「神の計画」と題して説教をいただきます。

礼拝に先立ち、小学生は9時半より、中学生以上は9時45分から、教会学校(聖書の学び)を開きます。

どなたもお気軽にご参加ください。

初めての方も大歓迎です。


 

グーグルストリートビュー屋内版(インドアビュー)

グーグルストリートビューの屋内版(インドアビュー)に静岡教会の礼拝堂が掲載されています。

グーグルマップで「日本バプテスト静岡キリスト教会」を検索すると、左サイドバーに屋内版が表示されます。

そこをクリックすると、画面いっぱいの映像になります。

グーグルストリートビューのように360度回転して、礼拝堂、受付、2階、門の内側から玄関までのアプローチを移動しながら見ることができます。

オープンチャペルをお楽しみください。

グーグルストリートビュー屋内版(インドアビュー)静岡キリスト教会

スマホの方は下のQRコードからご覧ください。

qr20170323121927026
 





 
livedoor プロフィール
記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • 3月26日(日)主日礼拝説教
  • 3月26日(日)主日礼拝案内
  • グーグルストリートビュー屋内版(インドアビュー)
  • 3月19日(日)主日礼拝説教
  • 3月19日(日)主日礼拝案内
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 東日本大震災被災地訪問
  • 3月5日(日)主日礼拝説教
livedoor 天気
J-CASTニュース
楽天市場
Amazonライブリンク
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ